真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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悪因縁断ち切り


年末が近付くと、
家の中に不穏な空気が淀み始めようになりました。

夜、布団の中に入っても、
また眠りが浅くなり始めた私は、
ゴソゴソと寝返りばかりを打ち続ける夜が増えるようになりました。

そんな夜は決まって、三歳になった次男がいきなり泣きながら飛び起きて、
『こわいおかおがある!』と言って怯えるのです。

そうした晩には娘もまた、
次男の夜泣きとは別な理由で、
『なんだか眠れなかった』などと言うので、
新年の護摩祈願を前にして、古いエネルギーが家の中に溜まっているのかと感じたのです。

出家をして、次男を出産してからはなかなか見なくなった悪夢が再開し、
立て続けに、実家の夢を見るようになりました。

ある晩には、本家で私と妹が留守番しているという、
設定の夢を見ました。

夢の中の本家は、私が子供の頃の記憶のままの、
家を建て直す前の、古い木造で登場し、
トイレに入ると、それは昔のままの汲み取り式の便所で、
便器の中に大量のアイスクリームが捨ててあるという光景を見たのです。

それからまた別の晩には、
実家で妹と二人で留守番しているところへ、
なぜかたくさんの子どもたちを預かっている設定になっていて、
幼児から中学生くらいまでの様々な年齢のその子供たちに、
私がせっせと、茶碗にご飯を盛って食べさせるという夢を見たのです。

最後にお釜の中にはほんの僅かな白飯しか残らず、
その僅かな分を妹と半分こして、
『ご飯、全然足りないね』と妹と一緒に困り果てるという夢でした。

そちらの夢の方は『水子供養か』とピンときたものの、
アイスクリームの方は意味がわからず、
娘にその話をすると、
「怖っ!!それ水子でしょ?!
アイスクリームって。普通に水子だと思うけど。
それに便器って。死んだおばあちゃんが便所に水子流したって、
バァバが何回も言ってたじゃん」
と言われ、私と娘は手を取り合って震えたのでした。

そのバァバというのはもちろん私の母親のことで、
12月の中旬に、父がまた母を迎えに帰ってきて、
一週間の間はこちらで過ごし、また母を北海道へと連れて行くことになっていたのです。

戻ってきた父が一度私の自宅へやってきて、
次男との再会をして、
「帰ってきたらお母さんが、家中の穴という穴全部にガムテープを貼っててさ。
全部の穴から伯父さんが覗いてるって言うんだよ。
だからそれをみんな剥がして、ペンキを塗って、お父さんがきれいに直しているんだ」
と言いました。

実際、母の妄想はとてもひどくなっていて、
屋根裏に隣家の伯父が上がり込んで、
深夜にドタバタと足を踏み鳴らし、恐ろしい声で吠えているものと信じ込み、
妹が実家に来ていた時に出くわした隣家の伯母とのトラブルのときには、
「うちの人は腰を悪くして立てないんだから、
うちの人はなんにもしてないし、攻撃なんてできないのよ!!」
と、実家に押しかけて来たというのです。

それを聞いた母は一度は、
「ほんと?兄さんは本当に腰を悪くして寝込んでるの?
だったら深夜に屋根裏で吠えたり、足を踏み鳴らしてるのは、
一体、誰なの?」
と怯えたのですが、
それが、目には見えない魔物だという結論に至ることのほうが恐怖が勝る為か、
「兄さんが寝込んでるなんて、全部あの女の嘘なのよ。
毎晩、屋根裏に忍び込んで吠えてるもの。
なんで屋根裏にまで入るんだと思う?普通、そこまでする?」
と私に不満を言い、結局はその気味の悪いストーリーが、
母にとっては一番安心のできるオチということに落ち着いたのです。

それと、私の見た夢とが繫がって、
それを聞いた娘は、
「むしろ、隣の伯父さんが腰を悪くして寝込んでることの方が寒いけど。
霊障なんじゃないの?ふつうに祟りか呪いとしか思えないでしょ?
伯母さんの方も原因不明の腕の痺れかなんかで手術してなかったっけ?
手術しても治らなかったから医者にモンク言ったとか言ってなかった?
てか、全員引っ越せ。」
と、ツッコミを入れまくり、
季節のせいだけとは思えぬ寒さにゾクゾクと、
私と手を取り合いながら苦笑したのです。

母の中で伯父はすべての魔物の『代表者』となっているようで、
ある日母からかかってきた電話を受けると、

「あんた、あたしはあんたにどうしても言えなかったことがあるのよ。
あんたの足をこんなにしたのは、あたしじゃなくて兄さんなの。
あんたが赤ちゃんだった時に兄さんがあんたのことを預かりたいって言って。
私、その頃は兄さんがこんな性格とは思わなかってたものだから、
信じて預けちゃったのね。
そしたら三時間。
三時間、行方不明になって。
私、小学校とか公園とか探し回ったわよ。
そしたら、兄さんがあんたに。
とてもとても、口には出せないようなひどいことをして。
もう、あんたの両足は脱臼してたの。ブラブラになってた。
申し訳ないことしたわ。」

と言われ、私の心は一瞬にして凍りついてしまいました。

こういうことを言われて、
瞬時にはパニックになり心の整理もつけられない私が、
プラスもマイナスもない世界にどうやってワープできるのか、
とても繋がりそうにないとしか思えなくなるものの、
反面、こういうことを言い放つ母親を相手に、私は自分自身の霊格を高める為の修行をしているのだと、落ち着いて考えられるようにもなったのです。

傷つけられた自分の心と向き合いながら、
「ハイレベルな難問をいつもありがとう」
と宇宙に答えつつ、

「てか、全員引っ越せ」という、
私の娘と同じ結論に至った私は、
新年の護摩祈願の申込みに、母の名前で、

『悪因縁断ち切り』と書いて、師匠に郵送したのです。




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妹夫婦の美容院がオープンしてから年末までの間は、
とても忙しく日々が過ぎて行きました。

結局毎月、美容院の方にもカードリーディングのお客様の予約が入り、
妹のお店に足を運びつつ、メール相談の方も、
多い日には一日三件、四件と相談を頂くようになりました。

実際、もうカードなど使わなくても、
殆どの方のご相談に対して、
その問題の何が原因か、どこに解決策があるのかが、
勘だけでわかるようになり、
見落とすことはあっても、外すということは全くなくなりました。

それと同時に展示会の話もまた舞い込み、
育児を熟しながらミシンを踏み、
あっという間に秋が過ぎて行きました。

そんな中で、私は久しぶりに不思議な夢を見て、
その夢の内容をタイミングよく師匠に聞いてもらうことができました。

それは、師匠から仕事を頼まれて、
山ほどのハガキの宛名に、『巴』という文字を書き続けるという夢でした。

「こんなに書くんですか」と言いながら、
宛名に『巴』と書いては次のハガキへと、
延々と仕事をこなしていくのを、師匠が隣で見守っているというだけの夢でした。

日頃、『巴』という言葉自体に馴染みのなかった私は、
目を覚ますと、早速辞書でその言葉の意味を引いてみました。

『うずまき』『ヘビ』『魔除け』

そのくらいの情報しか得られずにもやもやしているところへ、
ちょうどタイミングよく、師匠と連絡を取る機会があり、
私はその夢の内容を聞いてもらうことができたのです。

「巴というのは勾玉のことなんですよ」

と師匠は答え、

「プラスもマイナスもない世界のことなんです」

と言いました。

「もう、そこに行けますよ。
瑠史さんの腹が座っていますから。
もう、大丈夫です。」

と師匠に言われると、
プラスもマイナスもない世界というその漠然とした空間のことを、
掴みきれずにありながらも、
とにかくその、師匠の「大丈夫です」という言葉だけを信じれば良いのだという、
とても強い気持ちになったのです。

なんだかわからないけれどとにかく大丈夫なのだ、
そういう確信が湧いて、電話を切りました。

仕事から帰ってきた娘にその話をすると、

「へぇ、要するに戦いのない世界ってことだな。
勝ち負けのない世界のことだよ。平和な世界ってことだ。
良かったじゃん。」

と娘に言われ、そう言われてみると私は生まれたときから、
勝ち負けの中だけで、戦争の中を、サバイバルを生き抜いて来たのだと思いました。

『プラスもマイナスもない世界』

私は師匠に言われた言葉をブツブツと繰り返し、
プラスもマイナスもなかったら、
そこはもう物理的には存在し得ない世界のようにしか思えず、
要するにあの世ってことかな、などと思いながら、
答えの出ないその哲学は、年末の忙しさの中に紛れて行ったのです。



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負の遺産


妹のお店には、予約のお客様との約束の時間よりも、
二時間も早く到着してしまいました。

新しいお店の中で妹と二人、
子供のようにはしゃいで、
新しいインテリアや、セッションのための個室の、
シャンデリア等見せてもらいながら、
二人で時間を過ごしました。

お店のオープンの直前に、
妹が実家に出掛けたときのトラブルについて、
そのときに詳しい話を聞くことになりました。
そんなことがあったのだと遠巻きに聞いてはいたものの、
引っ越しが決まるまでの間、
妹は毎日片道二時間かけて店の手伝いに通うようになっていたので、
私達はゆっくり会って話をすることができずにいたのです。

妹がお店のオープンの直前に実家に出掛けた時、
帰りがけに実家に忘れ物をしたことに気付き、
もう一度車を降りて家の中に入ろうとすると、
母の罵声が家の中から聞こえてきたのだと言いました。

『最初、なんの声かと思ったんだけどお母さんで。
隣の伯母さんの名前を叫びながら、
うるせーッ!!て喚き散らしてたんだよ。
私たちに見つかると怒られるから、
いなくなった途端に隠れてやってたの。現行犯逮捕できたって感じだったよ。
そしたら隣の伯母さんが家から出てきて実家に押しかけてきて、
私のこと睨んで「お母さん病院連れてってるの?薬飲ませてるの?」って、
いきなり詰め寄ってきてさ。
「毎回警察呼んでいいの?警察呼ぶからね?」とか言うの。
呼ぶからねって脅してきたけどどうせ毎回呼んでるじゃんって思ってさ。
忠夫さん(母の兄・仮名)は腰を悪くしてもう立てないんだよ、
だからノブちゃんに攻撃なんて何もしてないしできないのよ!」って、
途中からはお母さんに向かって言うからお母さんも興奮しちゃって。
なんだか伯母さんに謝りたい気持ちにもなれなくて、
とにかくわかりましたから今日のところはお引き取りくださいって、
家に追い返したの。』

と妹は言いました。

新しいお店に、師匠が郵送で送ってくれた小さな金色のお地蔵様を見て、
『たしか前回もお地蔵様の入る直前に隣とのトラブルに巻き込まれたよね?』
と私は妹に確認しました。

ああ、そうだっけ?と繋がらない様子でしたが、
妹は引っ越しの前日に、
交通ルール違反で警察に捕まってもいたので、
これはまた新しい喜びを受け取る前の『カルマ落とし』だったのだと思いました。

自分が出家する前の二年間、
自宅の隣人がベランダに立って、
私を名指しで罵詈雑言を喚き散らすという、
恐ろしい毎日を過ごしたことを思い出しました。

出家の前の年には、それまで十年間一度も捕まったことのなかった私が、
三回も警察に捕まって、合計三万以上罰金を支払うことにもなったのです。

妹と私が姉妹だからパターンが似ているだけなのかもしれませんが、
過去に自分自身の作った『負の遺産』を、
必ずそうした形で精算してから次のステップに入れるシステムになっているのと、
また、幸せを受け取ることに対する罪悪感が引き寄せるのと、
二つの無意識的な働きによるトラブルなのではないかと感じたのです。

負の遺産はなるべく作らないに越したことはないと、
私は身を持って深く体験していることから、強くそう思うのです。

実家に観音様を迎え入れてからもうじき十年目を迎えるのですが、
あの日のことをふと思い返した娘が、

『何と言ってもバァバの家に観音様の入った晩に見た夢よりも、
すごい夢はその後もその前も見たことがない。
不思議のものは見たことはないとなるべく思いたい私だけど、
あれだけは不思議体験と認めるよ』

と言ったのを思い出しました。

『隣で寝ていたお母さんの周りに不思議な空間ができていて、
お母さんの両隣と背後にズラーッと、金色の仏様が立っていて、
みんな足元が泥で汚れていたんだけど、
今回観音様が入ったことで発掘されたんだと夢の中で言われたの。
あの頃お母さんは、出家したら先祖七代と子孫七代が救われると頑張っていたけど、
七代なんてものではなかった。
多分あの仏様の数からすると、先祖三十代以上は超えていたと思う。
多分五十体とかそのくらいの仏様がお母さんを取り囲んでいたからね』

と娘に言われたので、

『私、死んだら少しは守護霊たちから褒められるかな?』

と尋ねると、

『褒めてもらえるんじゃない?
でも今回の観音様とか出家とか、殆どはお母さんの作ってきた、
負のカルマの精算だったからね。あんまりプラスにはなってないかも。
借金返済が終わることくらいは確実だと思うけど』

と娘は笑いました。

確かに観音様の入ったあとに私は、
自分自身の遺体の入った棺桶を持ってこられた夢を見たことがあり、
夢の中で、実家の聖観音様の前にその棺桶が置かれて、
『ここにはお前自身の遺体が入ってるが、
エネルギーが強すぎてまだ動くので、
動いて復活しないように、これを一晩中見張っていなさい』と、
持ってきた人からそう言われて、自分の死体を一晩中見張るという、
そんな不思議な夢を、ある年の正月に見たのです。

その棺桶が暗い部屋の中でガタガタ動き、
自分自身のその遺体の生前の生き方が想念で伝わって来ると、
藁葺屋根の大きな家の中に前世の私が居て、
その私は他人に呪いをかける呪い屋をやっていて、
仕事が一つ成功する度にエコーのかかったような高笑いをして、
勝ち誇り、人々を震え上がらせていたのでした。

その夢の話を師匠に聞いてもらった時、
『まだ動くんですね。油断しないでください』と一言返されて、
それが自分の前世の生き方だったのだと認めざるを得ませんでした。

その時の話をもう一度娘にすると、
『怖っ!!高笑い!?
お母さんらしいね!
その精算しなきゃならなかったんだ、
それでこんなに大変な人生なんだね。
出家できてよかったね、たくさん呪いをかけたから、
今度は人の呪いを解く仕事してるんだね』

と娘は爆笑したのです。

そうした背景があってこそ、
負のカルマはなるべく作らないほうが良いと、
今では本心からそう思うので、
前世の私と同じエネルギーを漂わせている人を見れば、
その人のために親身になって忠告したい気持ちになるのです。

杖をついて歩くのは大変だし、
因果応報、輪廻転生という二つの法則のことを日々考えながら、
自分に必ず返ってくるものとして、
みんなに幸せになってもらいたいと、
あの時人の不幸を高笑いしていた私も、
時空を超えてすっかりと、反省したのです。




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出口


春のお彼岸が過ぎて夏のお盆がやってくる頃、
妹のパートナーが新しい美容院をオープンしました。

それに伴って、
妹は彼との新生活の為に、
バタバタと引っ越していきました。

今年のお正月に、うちでみんなで集まった時、
その話はまだ具体的には決まっていなかったけれど、
本当はみんなの霊域ではこの話は既に決まっていて、
誰も口には出さなかったけれど、
あの集まりは、妹夫婦の新しい旅立ちを祝う為のものだったのだと気付きました。

私も月に一度のベースで新しいお店に呼ばれることになり、
そこで人生相談の仕事をさせてもらうことになりました。

その初仕事の日が夏の暑い日にやってきて、
私はスカイツリーを目指して首都高に乗り、
新しい『職場』に向かって車を運転したのです。

車を飛ばしながらいろんな想いが湧き上がりました。

ちょうど今から二年前、
師匠が『私も新しい場所に移って自分の夢を果たさなければならない、
そうしないと私の人生もあと二十年くらいなんです、
瑠史さんの観音院も二年後にはしっかりと形になっていると思いますし、
私達は離れながらもみんなで同じ仕事をしていくのですよ』と、
私に言ってくれたことを思い出しました。

うちが新しい場所に引っ越すわけでもなし、
自宅に見えるお客様の数がどっと増えるわけでもなく、
二年後に観音院が完成するとはどういった意味なのかと思っていたものの、
ひとつは妹の新しい職場が私の新しい職場となり、
もうひとつは、インターネットでの相談件数が、
仕事の追いつかないくらいに盛り上がり、
毎日私はどなたかの相談に答えるという日々を、送るようになったのです。

どちらも、私自身の想像していた『かんのんいん』とは違い、
ひとつはインターネットという場所を持たない空間で、
もうひとつもやはり、妹の職場という、
物質的には私の持ち物ではない場所という、
仏様の用意してくれた不思議な『空間』だったのでした。

そして二年前に妹が流産した時のことも思い出しました。
あの時師匠は、
『妹さんに、決心させる為にやってきた赤ちゃん』だったのだと、
ただ、繰り返して私に言ったのです。

その決心とはこのことだったんだと思いました。

新しいお店を開いたパートナーと一緒に、
それから毎日それを手伝いながら、
お店の中にミシンも置いて、自分の仕事も頑張っている妹を見て、
二年前にはモヤモヤとした『未来像』としてしか存在していなかったこの生活を、
あのときに妹は『現実に降ろそう』と決心したのだと思いました。

全ては無意識に動いているのだと思いました。

私達はみんな、自分の未来に進む為に、
毎日毎日無意識的に、小さな選択と小さな決心を繰り返しているのだと思いました。

私がタロットカードの恩師の最後のセッションを受けた時にも、
『これまで人の手を借りてここまで来れたのだから、
面倒でも今度はあなたがみんなに手を貸していかないと。
みんな出口がどこだかわからずにずっとぐるぐる回ってるけど、
あなたはもう、出口がどこだか知ってるんだから』と言われて、
それでもどうしても立ち上がる気持ちになれず、
セッションの最後に恩師から、
『じゃあ子供が三歳になったら本格的に始めれば?
それまでは適当に、休みながらでもいいと思うよ』と言われて、
ホッとして帰ってきたのを覚えているのですが、
この秋でその次男が三歳の誕生日を迎えることを思うと、
『絶妙にみんなかつながっているんだな』と感心せずにはいられないのです。

あのセッションの日に私は、
子供が三歳になるまでの間、なんにも仕事しないでのんびり過ごそう、
育児だけを楽しみながら、一回すべてを休みたいと思い、
とりあえず、ずっと続けてきた刺繍の仕事を断り、
布小物を委託させて貰っていた委託先を二軒ほど打ち切り、
子供との時間を過ごすことにだけ集中していたのでした。

『期限が切れたのか』と思いました。

それも、妹のパートナーが突然新しい店を開くという形で、
追い立てられるように、私と妹は行動開始することになったのです。

妹の店に向かいながら、
私が小学生の頃に妹を連れて、
家の屋根に登って遊んでいた日々のことを思い出しました。

父親がある日突然無職になり、
それから母が父を軽蔑し始めて、
私が小学校5年生の時に、母は外で働き始めました。
夏休みの間は、その時四歳だった妹の面倒を任されて、
妹が保育園に行かない日には、家の中で妹と二人きり、
親のいない時間が、寂しさよりもむしろ、
親の罵声を聞かなくて済む自由な時間だとさえ感じていました。

親がいなくなるとタンスの上によじ登り、
妹の手を引っ張って、妹もタンスの上まで引き上げました。
それから、小さな欄間の窓からスルリと外に出て、
まずはテラスに足をかけ、妹の手を引っ張り上げて、
二人で屋根の上によじ登り、
屋根の上で仰向けに寝転がって空を見たのです。

4歳の妹と11歳の私が、
流れる雲を目で追いながら、あの日二人で描いていた夢が、
形になったところに今いるのだろうと思いました。

ふいに自殺してしまうのではないかと、
ずっと心配し続けてきた妹が、明るい笑顔で仕事している姿を見て、
目には見えない仏様の恩恵を強く感じましたが、
私はこれまで妹の暗い姿に自分を映し出して見ていただけに過ぎなかったのだということにもまた、同時に気付いたのです。

これからまた新しく出逢う方達に私は、
地獄から通じる極楽への道を案内したいと思いました。

私は、出口がどこにあるのか、知っているのです。









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お彼岸の墓参りを済ませると、
二歳半になった次男が、
『三年経った!』とことあるごとに口癖のように呟くようになりました。

外を散歩している時にも、
家の中で積み木を並べて遊んでいる時にも、
『三年経った!』と言いながら遊ぶ次男を見て、
『それ、何なの?一体何から三年経ったのよ?』と、
娘も笑いながらそのたびにツッコミを入れるので、
私も一緒に笑っていたのですが、確かに一体どこで覚えた言葉なのか、
その一言に大事なメッセージが込められているような気もして、
聞き流す気持ちにもなれずにいたのでした。

すると、ある晩に夢を見たのです。

夢の中で私が、母の実家である本家の居間で、
なぜか一人で留守番をしているところからストーリーは始まりました。
そこへ、実家の隣家の、例の従兄弟がやってきて、
祖父と祖母の仏壇に一万円を供えて手を合わせました。

『ここから出ていくことになったから、
最後に手を合わせに来たんだ』と従兄弟は言いました。

一万円も仏壇に供えるなんて、
この子には昔からこういう優しさがあるんだよね、
やっぱりこの子は悪人にはなりきれないところがあるから、
などと心の中で思いながら、
私はなぜか本家の台所の炊飯器から、茶碗にご飯を盛っていました。

次の瞬間、私は実家の、観音様のお祀りしてある部屋の中にいて、
そこへ、今度は隣家の伯父(従兄弟の父親)がやってきました。
伯父は、息子がついに家を出て行ってしまうと、
慌てて私にそれを相談に来たのです。

『でもね伯父さん、大人なんだから家を出て当たり前なんだよ、
引き止めたりしたら、いつまでもお互い自由になれないでしょ』
と私は、本家の炊飯器から盛ったご飯を片手に持ったまま、
伯父を諭しました。

そこで目が覚めて、私はあることに気がつきました。

『三年経った』とは、私自身が出家得度して丸三年が過ぎたのと同時に、
隣家の従兄弟が中学生の時に、イジメによってなくした例の友人を、
師匠のお寺で供養し始めてから、ちょうど三年が過ぎたのでした。

もしかしたら、その供養によって、
隣家の従兄弟が何らかの呪縛から解かれて、
動けるようになったというお知らせの夢だったのかもしれないと思いました。

今年40歳になる従兄弟にとって、
その事件が起きてから25年の月日が過ぎようとしているのです。

辻褄の合わない夢の内容と、
本家の炊飯器から盛った白いご飯の生々しさを思い出しながら私は、
師匠のお寺から届いた、施餓鬼会の供養の申込書を広げてみました。

七月の施餓鬼会、
八月の地蔵盆、そして九月のお彼岸と、
一年のうちで一番、あの世との交信の深まる季節が、
今年もまたやってきたのです。

本家の炊飯器でご飯を盛ったということは、
母方の先祖の施餓鬼は今年も必要なのだということと、理解しました。

また、隣家の従兄弟の問題も、
夢の中では解決に向かっていたものの、
今年ももう一度、亡くなられた生徒さんの名前を書いて、
供養を申し込むことにしました。

それから、私のところへ相談に見える方がたくさん増えましたので、
その、皆様に向けて、
有縁無縁三界萬霊に向けて、ご供養を申し込みました。

一文字一文字に、想いを込めて書きながら、
今年の夏に、妹がパートナーといよいよ新しい生き方を決心して、
お店を開店することになったことに、思いを馳せました。

妹の流産からはこの夏で二年が過ぎるのですが、
それと、従兄弟のことと、未浄化の先祖霊のことと、
すべてがひとつにつながっているように感じたのです。

二年前に妹の自宅にお地蔵様がやってきて、
その後妹は妊娠して流産してしまったのですが、
『妹さんに決心させる為にやってきた赤ちゃんだった』と、
あの時、師匠は何度も私に言ったのです。

全部がバラバラの、それぞれの出来事のように思えていたけれど、
本当は、全部が繋がっている、一つの出来事からの分岐に過ぎないのではないかと、
そんな風に思いながら供養の申込みを書きました。

先祖供養という、漠然とした、
よくわからない『行』をこれまで続けてきましたが、
それは多分、『結果』を変えるための『原因』に手を付ける、
根本的な治療のようなことだったのではないかと、
自分や周りの変化を見て、感じるようになったのです。

原因があって結果に繋がる、
原因があってまた結果に繋がるという、
因果の法則の中を、前後の鎖をひとつずつ結びながら、
自分は生かされてきたのだと感じて、

自分だけが幸せになるということは、
その法則のことを考えると決して有り得ないことで、
このように、幸せになるときには、
とても広い範囲に飛び火して、
縁のある人全員で、一緒に幸せになるようにできているのだと、
確信したのです。



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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

ホームページを開設しました。メール相談、布小物販売など、こちらからどうぞ。

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