真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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金色の光


母が引っ越しを迷っている、
ということを妹から聞いてから、
自分がまた少し、自由に近づいたような気持ちになりました。

何をしていてもどこにいても、
常に私の心の中には『孤独な母』が居座り続け、
母のことを完全に忘れ去ることを許さないのでした。

母は寂しさが限界を超えると厄介事を起こし、
私を実家に連れ戻すという地道な作業を、
私が家出をしてから実に四半世紀の間、
繰り返してきたのです。

しかし今になりその『イベント』の裏側にある、
私の気付かなかった方の、
もうひとつのカラクリに気付いたことで、
私は、母との間にずっと続けてきたゲームを、
いよいよやめることができたのだと思いました。

寂しさが限界を超えると厄介事を起こして私を呼びつけていた母は、
私の寂しさが限界を超えたのを本能的に感じて、
私の為にイベントを起こし、私を実家に呼び戻していたのです。

寂しさが限界を超えていたのは母の方ではなく、
むしろ、私の方だったのです。

私は、リアルに、
母があの家を引っ越して、
実家が取り壊され、更地になるところを想像してみました。

それが現実になることを止めているのは、
私自身なのだと、私はもう知っていて、

母親を卒業できないのは母ではなく、
むしろ、私の方なのだと、気付いているのです。

『自由になりたい』と思いました。

母にも自由になってもらいたいし、
妹にも娘にも、父にも夫にも息子にも、
皆に自由に、幸せになってもらいたいと思いました。

すると、ある新しい考えが閃きました。
まるで温泉の湧くように、
私の中から生まれたその考えは、

『母を観音様に預けよう』

というものでした。

今日も母はあの家で一人で過ごしている、
夫に去られて友達の一人も持たずに、
親兄弟から嫌われて、実の娘からも捨てられて、
あの家でたった一人、孤独な朝を迎えて、
頭の中の声だけが母の相手をして、一日を終えるのだ、

というイメージが毎日私を襲い、

罪悪感から、今日こそは母に、
せめて電話の一本をかけなければと、
そういう『重荷』を背負い続けて、
私自身の人生は、ついに人生の中盤を超えてしまったのです。

しかし、母が一人だと決めつけていたのは、
私の視野が狭かっただけで、
実家には観音さまが入り、
そろそろ10年の月日が経とうとしているのです。

『そうだ、母には観音様がついている。
観音様に、母を預けよう。』

突然そう閃くと、
イメージの中で、実家の観音様から、
ブワーッと、金色の光が堰を切ったように一気に溢れ出し、
実家全体を包み込み、サンサンと輝き始めました。

それが私自身の妄想なのか、
霊視だったのか、
戸惑いの方が先に起きてしまったものの、
実家の観音様をいつイメージしてみても、
暗い家の中でぼんやりと佇んでいる姿しか視たことがなかった私は、
どちらにしても、観音様の光を止めていたのは、
私自身の心の在り方のせいだったのだと反省したのです。

例えば私のしてきたことは、
子供を保育所に連れて行き、
そこのスタッフを信じることが出来ずに、
保育所で、一日中子供に付き添うようなものだったのだと思いました。

実家の観音様は、
私の為に入るのだと、一番最初に言われたのです。

母の奇行について、
何度お寺で相談をしても、
私の仕事は母を見張ることではなく、
自分の人生を生きることなのだと、
何度も言われたのです。

観音様は、私の代わりに母を助けるために、
実家にやってきてくれたのだと、
今になりようやく理解できた私は、
母を観音様に引き渡したくなくて、
やはり私の方が母に執着をして、離さずにいたのだと、
気が付きました。

『母を観音様にお願いしたいと思います。
決断するまで10年もかかってしまいましたが、
母を、どうぞよろしくお願い致します。』

私は改めて、
自宅の十一面観音様の前で、
心を込めてお経を唱えました。

観音様は、私が自分の口から言い出すのを、
ただじっと、待っていたのだと思いました。

母は暗闇の中に置き去りにされているのではなく、
観音様の足元で、
金色の光に包まれているのだと思うと、
なぜか母が、とても遠くに行ってしまったように感じました。

それでも、その日を境に、
私の心が妙に静かに落ち着き、安定し始めて、
母ではなく、まるで私自身が金色の光に包まれているかのような、
幸福感に満たされていくのを感じることになったのです。




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自由


母がうちに一人でやってきて、
私に「引っ越したい」と愚痴をこぼした翌日、
妹から電話がかかってきました。

「お母さんが急に引っ越したいとか言ってきて、
明日不動産屋に行くことになったんだ。
実家を売ってマンション買いたいって。」

妹にそう言われ、
私が母を突き放したことは、
やはり良い方向に向かって進み始めたのだと思いました。

年末に血を吐いた母に共鳴した私が、
今年の正月には、実家ではなくうちに皆を集め、
毎年恒例の『ゲーム』の行われるのを回避したことで、
母の中でもやはり変化が起き始めているのだと思いました。

しかし、その翌日になるとまた妹から、
「お母さん、今日になったら急に寒気がするとか言い出して、
不動産屋に行くのはナシになった。逃げられた。」
という連絡が入り、

以前師匠が、
霊的な因縁の強い土地に住む者は、
普通はなかなか引っ越せないものなのだと言っていたのを思い出しました。

そのまた数日後に、
改めて母に電話をかけて様子を探ると、

「不動産屋に行こうとした日は27日だったの。
たくさん声が聞こえてきて、
まるで家に縛り受けられるような感じになって、
すごく怖くて寒くて具合が悪くなったの。
畑に、本家の兄さん夫婦が来ていたんだけど、
兄さんも義姉さんも畑からうちに向かって、
ずっと怒鳴りつけているし、
とにかく怖くて、家の中で動けなかったの」

と母は言い、

「あんたが、何か起こる日はいつも27日だって言ってたじゃない。
あの日もやっぱり27日で。
でも、いつも怖くなるのが2月の終わり頃からで、
3月が一番ひどくて、次に怖くなるのがいつも9月なの。
3月と9月さえ気をつけていれば、
あとはだいたい大丈夫なのよ」

と言いました。 

たしかに、27日には毎月、
奇妙な、不吉なことが起こり続けているのです。

確信は持てずにいるものの、
実家の隣家の従兄弟の起こしたイジメの事件で、
亡くなられた生徒の命日が、
3月27日なのではないかという考えが、
母の話を聞いているうちにまた過りました。

また、母の言う3月と9月というのは、
どちらもお彼岸の供養の時だとも思いました。

結局母は、
父と一緒に精神科へ出掛けていき、
精神薬を飲み始めたところで吐血したことから、
それ以降、一度もその病院には通院していないのです。

それどころか、
吐血した母を病院に見舞った日に、
「あの薬は、実は一回も飲んでないの。
お父さんには黙ってて」と告げられ、
母が本能的に、
精神薬に危険を感じて、
初めから薬を受け付けていなかったこともわかったのです。

母はあの家で一人、
みんなのカルマを引き受けているのだと思いました。

それが、母の『選択』なのだと思うようになったのです。

母のことを師匠に相談する度に、

「お母さん、全部を一人で引き受けていて、
大変ですね。」

と師匠に言われたものでした。

その頃にはその言葉の意味が全く理解できず、
それに振り回されている自分の迷惑のことばかりに気を取られ、
『大変なのは母よりも私の方なのに』と、
私の味方をしてくれない師匠に対して、
腹の立つ思いさえしたものでしたが、
今は、私にもそれがわかるようになったのです。

床下に大金を隠し持って、
その大金を守るように、床の上に直に横たわり、
秘密を一人で握っていた、
夢の中に現れた伯父の『想念』にしてみても、
同じことが言えるのだと思いました。

伯父は実の兄弟から『あいつは金の亡者だから』などと悪口を言われていましたが、
伯父が単体的に悪いということでもなく、
そういう『想念』の積み重なった因縁の土地に、
母も伯父も、兄妹で縛られているのだと感じたのです。

誰一人幸せでなく、
誰一人として、自由ではないのだと思いました。

そういう歴史が積み重なった土地で、
母も伯父も、
先祖からの想念に負けてしまっているのです。

もし母が本当に、
親と兄弟の象徴である実家を捨てることができたら、
もし、自らの意志で自由を選択することができたら、
みんなそれぞれの人生が、
大きく変わるのだろうと思いました。

そして、
そのために私のできることは何かと考えると、
私自身があらゆる物質的なものに執着せず、
もっともっと、自由になることでしかないと、
思ったのです。


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決心


父が実家を去り、
母がまた一人になると、
私は不吉な夢を見始めるようになりました。

夢の中で、
実家の隣家の伯父の家に潜入した私は、
暗く灯りのない、不気味な雰囲気満載の伯父の家に、
怖いと感じながらも引き寄せられ、
家の中に上がり込んでいきました。

扉を開けると、
伯父は古く汚れた床の上に直に横たわっていて、
暗闇の中から、
『この床下に六千万隠してあるんだ。
誰にも言うなよ。』
と、天井をじっと見つめたまま私に言いました。

夢の中で、
伯父は自分の妻にも子供たちにも、
誰にも内緒で自分だけのお金を貯め込んでいるのだと知った私は、
そんな秘密を知ってしまい、伯父に殺されるのだと思いました。

『伯父さん、誰にも言わないから見逃して』

と私は言い、
夢の中で、お金の上に横たわっている伯父をあとに、
震える思いで後退りして、退散したのです。

また別の日には、
夢の中でどうしても、
今度は本家の、母の一番上の兄の家に迷い込んでしまい、
昼間起きている時には一切思い出さない伯父達の家に、
夜になると通い詰めるようになりました。

また、自宅のマンションの管理人が、
うちを訪ねてくる夢も見ました。

管理人さんがうちにやってきて、

「お隣さんの様子がまた悪くなってきていて、
ご実家のお母様に向かって、
悪口を言い始めているんです。
気になさらなければそれで良いのですが、
お母様に向かって言っているのが気になって…
お母様のこと、気をつけてあげて頂きたいんです」

と言うのです。

お隣さんというのは、
以前、ベランダに立ってうちに罵詈雑言を吐き散らしてきた方の、
自宅の隣家の奥さんのことで、
うちの隣人が、車で20分離れた先の実家の母に向かって、
悪口を吐いているというのは物理的にあり得ない話なのですが、
そこは夢で、
私は管理人さんに「わかりました」と答え、
厄介なことにならなければいいのだけどと思ったのでした。

そんな夢ばかりを立て続けに見た私は、
ざわざわと、漠然とした不安な気持ちが、
夢から覚めて現実に返る度に、煽られていくのでした。

同じ頃、
自宅のマンションに住む、
自閉症を患っている住人が頻繁に騒ぎを起こし始め、
早朝や深夜に、自宅のチャイムを鳴らし、
大声で喚きながら廊下を走るという事態が起こりました。

深夜に突然、
玄関のインターホンのチャイムが鳴り、
怒鳴り声が廊下から響き、驚いて目を覚ますと、
隣で寝ていた娘も目を覚まし、
「最近荒れてるね」と呟きました。

「実は夢見も悪くてさ…
本当はそろそろ、バーバのことが気になってるんだ」

と私が言うと、

「なんでいっつもうちのことと連動してんの?
本当に気味悪い」

と娘が答えました。

全く不思議なのですが、
母が騒ぎを起こす直前に、
まるで、母に連絡をしなさいという警告のように、
私の生活圏で必ず何らかの騒ぎが巻き起こるのです。

翌日、私は母に電話をかけました。

お正月に顔を合わせてから、
二ヶ月が過ぎていて、
それまで私は母を放置し続けていたのです。

電話に出た母の声はとても暗く、
そして怒りに満ちていて、
「またあいつが家に上がり込んできて、
家の中のものを勝手に盗んで行ったのよ!」
と言いました。

あいつというのは隣家の伯父のことで、
伯父が庭から「お前んちの合鍵持ってるんだからな!」と叫び、
それから毎日実家に勝手に上がり込んできて、
ものを盗んでいっているのだというのです。

このタイミングで電話をかけて本当によかったと思いました。

「ずっと我慢してるんだけど、
我慢できなくなってきて、言い返してやろうかと思っていたの」

と母は言いました。

「でも、言い返さないで我慢してたのよ、毎日」

と母が言うのを聞き、
夢に出てきた管理人さんは、
私の守護霊の仮の姿だったのだと確信したのです。

その翌日、
気分転換になるようにと、
母にうちまで遊びに来てもらうことにしました。

これまでのように、
私が実家に出向いて、
あの家で母の愚痴を聞くよりも、
自宅に招いたほうが、気味の悪さが半減していることに気付きました。

実家で母の愚痴や怒りを聞いていると、
たくさんの目が周りを取り囲み、
そしてたくさんの耳が、私と母の話を聞いているような、
何とも気味の悪い空気でいっぱいになるのです。

母は「あの家を引っ越したい」と言いました。

「でも引っ越すのが怖いの」とも言いました。

実家は、母の両親が母に分け与えてくれた、
母にとっては『母親の子宮』なのだと思いました。

隣家の伯父と、
母親の子宮の奪い合いを続けている母にとって、
「引っ越す」というのは、
六十代後半に突入した母が、
自分の母親から自立をすることに繋がっているのです。

「最後は自分で決めることだよ、
決心するのは自分だから」

と母に答えた私は、

私の人生は私のものであり、
母に振り回されるのはやめようという気持ちを、
固く決心したのでした。



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ゲームオーバー


母が退院すると、
あっという間に年が明け、
毎年恒例の『正月問題』が私の心を悩ませました。

母は、私と夫を正月になると家に呼び、
その日になると、
『悪いけど会いたくない、気分が乗らない』などと言い、
自分から呼んだにも関わらず、
まるでこちらが頭を下げて無理に押しかけようとしたかのように、
迷惑そうな態度でドタキャンしてくるという、
不可解で不愉快な仕打ちを向けてくるので、

いつの頃からか私は、
早々にその『イベント』を先回りして想定するようになり、
イライラと、落ち着きのない年末を過ごすようになったのです。

夫からは『実家に挨拶に行かなくていいのか?』と、
どう返答すればよいのかもわからない質問で急かさせるし、
私は毎年毎年、正月になると、
母親と夫の間に板挟みにされるので、
夏が終わり、秋の風が吹き始める頃になると、
そのことを思い始めては、心を煩わせるようになったのです。

しかし、母の入院をきっかけにして、
私の中である閃きが起こり、
今年の正月には、私の家に、
両親と、妹夫婦を全員招待することにしました。

母が正月になると私に意地悪をしたのは、
ただ、私と母の関係がそのような質を持っていたことと、
それが私のカルマだったこと、
そして、それを知りながら救いの手を差し伸べない父は、
関係のないふりをしながら、
私と母との三人で巻き起こす『ゲーム』にしっかりと参加して、
私が傷つくのを見て愉しんでいたのだということを、
私はとっくに意識に上げ、受け入れてしまったのです。

知ってしまった以上、
『ゲームオーバー』というもので、
このゲームをやめる為に、私は形を土台から変えることにしました。

うちにやってきた両親は、
楽しむというよりは、そわそわと落ち着きのないように見えたものの、
『もう世代交代なのよね』などと言いながら、
二時間程すると、そそくさと帰って行きました。

その代わり、単身赴任だったことなどでタイミングを外し、
なかなか対面できずにいた夫と、
妹のパートナーが顔を合わせる良いきっかけとなり、
その日の終わりには夫が『みんなでラーメン食べに行こう』と言い出し、
私の家族と妹の家族とで、近所のラーメン屋さんに行き、
『明日は初詣に行こう』という約束までして、
楽しい一日を過ごすことになったのです。

翌日、夫の運転でみんなで初詣に向かう車の中で、
私は初めて『こんなに楽しいお正月は初めてだ』と思いました。

私の中にこれまで長い間、
妹と許しあえない拘りがあったのだということにも気付いたものの、
母が常に、私と妹の間に割り込み、
私と妹が『憎しみ』を間に挟むように仕向けていたのだ、
ということにも気が付きました。

私と妹が仲良くしている姿を見ると母がよく、
『あんたたちが仲良くしているのを見ると、
私、面白くないのよ』と言ったのを思い出しました。

母が正月に私と夫を呼び、
当日になりドタキャンして、妹夫婦だけを家に入れたことや、
妹夫婦が何か大きな買い物をする時にだけお金を支援して、
『あの子達に70万出してやったのよ』と、
わざわざ私に報告してきたこと、
私が夫と、家や車などの買い物をする時には、
『あんたにはしっかりした旦那がついてるからいいでしょ?
私、お金ないのよ』と、
頼んでもいないのに拒絶してきたり、
私が夫や子供達と家族旅行に出掛けると、
『面白くないからそんな話しないで』と嫉妬を向けてきたことなどが、
一気に、私の脳裏を駆け巡りました。

今更のことですが、
母親なら誰でも実の娘を無条件に愛するというのは、
都合の良い夢物語で、幻想でしかないのです。

私は両親の期待を裏切り、
妹家族と両親抜きで付き合うようになりました。
こんなに簡単なことができずにいたのは何故なのかと考えた時、
隣近所に住みながら、
口をきく事すらないままでいる、
母の兄弟関係のことが浮かびました。

そうして、母とその兄弟たちが今のような関係になったのも、
もしかしたら、親がそうなるように手を貸したのではないかと、
代々そういう負の連鎖の中を生きてきたのではないかと、
繋がったのです。

二月に入ると父から、
『お母さんとはもう暮らせない、北海道に帰ります。
お父さんには居場所がありません』
という連絡が入りました。

北海道では二人仲良く一緒に寝ているとまで言っていたのに、
やはり、あの因縁の土地では、
古い想念の鎖に、両親は囚われ、
負けてしまったのだと思いました。

そして『居場所がない』と言い続けながら、
どこにも心を落ち着かせずにいる父は、
自分の愛される場所、認められる場所がどこにもないと、
私が子供の頃か、
またはそれよりももっともっと早い段階から彷徨い続けていて、

それはまた、母も同じなのだと思ったのです。




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教訓


母の吐血の原因は、
運悪く太い血管の上にできた胃潰瘍が、
血管を突き破った為、というものでした。

それを聞いた私は、
人間の細胞のひとつひとつが、
その人に必要な『病気』までもを引き起こすために、
その人の心と常に共鳴して働いているのだと感じました。

「病院に来るまでの間の車の中でね、
お父さんに『ありがとう』って言ったのよ。
私、もう死ぬのかなっていう気がして、
『たくさんいろんなところに連れて行ってくれて、
お父さんと一緒にいて楽しかったよ、ありがとう』って言ったんだ。
お父さん喜んでた」

などと話しながら病院のベッドに横たわっている母の白い顔は、
出血の為だけでなく、
悪いものが体から抜けて、
一層白くなっているように見えたのです。

私が物心ついた頃から両親はいがみ合い、
毎日のように喧嘩を繰り返して憎み合っていましたが、
それはやはり両親それぞれが心の中に抱えた、
消化できない『闇』をぶつけ合っていたに過ぎなかったのだと思いました。

本当の問題はその関係の中にあるのではなく、
父と母それぞれの、心の中にあったのです。

そして、その『未解決の問題』による闇が消え去ったとき、
真我の部分では両親は愛し合っているのだと確信しました。

それは両親だけに限らず、
人間はみんな、そうなのだと思ったのです。


「そうそう、あんた、
昨夜まぁちゃんが来たわよ」

続けて母は、力のない声で言いました。
まあちゃんというのはうちの長男で、
進学の為、昨年の春から他県で一人暮らしを始めているのです。

母にそう言われて、
私はその日の明け方に見た夢の内容を思い出しました。

夢の中で目を覚ますと、
枕元に、突然息子が座っていたので、
『あれ?帰ってきたの?』
と私が驚くと、
『バァバが入院したと聞いたから帰ってきた』
と息子が言ったので、
『急に帰ってきて、びっくりしたよ!』
と喜んだところで私は本当に目を覚まし、
部屋の中は静まり返っていて、
そこには息子の影も形もなかったのでした。

「昨夜、そこにまぁちゃんが立ってたの。
だから『来てくれたの?』と聞いたら、
消えちゃったのよ」

と母が言ったので、

「うちにも来た」と私は答えました。


実際は、一ヶ月ほど前に息子の学校の担任から連絡があり、
息子に留年が確定したということ、
11月の半ば頃から息子が捕まらず、
住んでいる寮にまで探しに行っているのに見つからないので、
ご両親の元に帰っているのではないかと思い電話したのだと、
知らせを受けていたのです。

それから私や夫や娘がそれぞれ、
どんなに息子に連絡を取ってみても、
息子には電話が繋がらず、
私も夫も娘もみんな、不安を抱えながら生活を続けていたのです。


母の入院の三日目には、
夫が母の見舞いに出掛けることになりました。
夫と母が再会するのは四年ぶりのことでした。

もう一度二人を会わせるためのきっかけが見つからず、
正月の来るたびに嫌な思いを繰り返していた私は、
母の病気が広範囲に渡り、
人間関係の修繕の役割を果たしているのだと思いました。

「人間なんていつかみんな死んじゃうの。
でも私は今回生き延びた。
一回終わった命だから、これらは好きなことして生きていきたいし、
やっぱり人はみんな、助け合って生きていかなければと思ったの」

と母は笑いながら夫に話し、
夫は帰り道に、

「義母さん、随分小ちゃくなっちゃったな?
ふたまわりくらい縮んだみたいにみえたけど?」

と感想を述べていましたが、
血を吐いた後に突然小さくなったのだと、
私は答えたのです。


母は五日間の入院生活を終えて退院し、
そのまた五日後に、突然息子が帰ってきました。

突然ドアを開けて「ただいま」と帰ってきた息子に対し、

「なに、びっくりした、急に帰ってくるなんて」

と、夢の中で驚いたのと同じリアクションを息子に返しながら、
「え?帰ってきたの?」
と部屋の奥から出てきた娘と、
「にぃにぃ?」と、少しはにかみながら出迎えた二歳の次男とで、
家族の再会を喜び合い、賑やかな年末を過ごしました。

そして、一度死を意識した母が、
生きるために必要なことは、
『好きなことをして生きることと、
みんなで助け合って生きていくこと』なのだという結論を出したこと、

憎しみの対象としか思っていなかった父に対して、
いざとなったら感謝の言葉しか出てこなかったと教えてくれたことを、

教訓として生きていきたいと思ったのです。



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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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