真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

決心


父が実家を去り、
母がまた一人になると、
私は不吉な夢を見始めるようになりました。

夢の中で、
実家の隣家の伯父の家に潜入した私は、
暗く灯りのない、不気味な雰囲気満載の伯父の家に、
怖いと感じながらも引き寄せられ、
家の中に上がり込んでいきました。

扉を開けると、
伯父は古く汚れた床の上に直に横たわっていて、
暗闇の中から、
『この床下に六千万隠してあるんだ。
誰にも言うなよ。』
と、天井をじっと見つめたまま私に言いました。

夢の中で、
伯父は自分の妻にも子供たちにも、
誰にも内緒で自分だけのお金を貯め込んでいるのだと知った私は、
そんな秘密を知ってしまい、伯父に殺されるのだと思いました。

『伯父さん、誰にも言わないから見逃して』

と私は言い、
夢の中で、お金の上に横たわっている伯父をあとに、
震える思いで後退りして、退散したのです。

また別の日には、
夢の中でどうしても、
今度は本家の、母の一番上の兄の家に迷い込んでしまい、
昼間起きている時には一切思い出さない伯父達の家に、
夜になると通い詰めるようになりました。

また、自宅のマンションの管理人が、
うちを訪ねてくる夢も見ました。

管理人さんがうちにやってきて、

「お隣さんの様子がまた悪くなってきていて、
ご実家のお母様に向かって、
悪口を言い始めているんです。
気になさらなければそれで良いのですが、
お母様に向かって言っているのが気になって…
お母様のこと、気をつけてあげて頂きたいんです」

と言うのです。

お隣さんというのは、
以前、ベランダに立ってうちに罵詈雑言を吐き散らしてきた方の、
自宅の隣家の奥さんのことで、
うちの隣人が、車で20分離れた先の実家の母に向かって、
悪口を吐いているというのは物理的にあり得ない話なのですが、
そこは夢で、
私は管理人さんに「わかりました」と答え、
厄介なことにならなければいいのだけどと思ったのでした。

そんな夢ばかりを立て続けに見た私は、
ざわざわと、漠然とした不安な気持ちが、
夢から覚めて現実に返る度に、煽られていくのでした。

同じ頃、
自宅のマンションに住む、
自閉症を患っている住人が頻繁に騒ぎを起こし始め、
早朝や深夜に、自宅のチャイムを鳴らし、
大声で喚きながら廊下を走るという事態が起こりました。

深夜に突然、
玄関のインターホンのチャイムが鳴り、
怒鳴り声が廊下から響き、驚いて目を覚ますと、
隣で寝ていた娘も目を覚まし、
「最近荒れてるね」と呟きました。

「実は夢見も悪くてさ…
本当はそろそろ、バーバのことが気になってるんだ」

と私が言うと、

「なんでいっつもうちのことと連動してんの?
本当に気味悪い」

と娘が答えました。

全く不思議なのですが、
母が騒ぎを起こす直前に、
まるで、母に連絡をしなさいという警告のように、
私の生活圏で必ず何らかの騒ぎが巻き起こるのです。

翌日、私は母に電話をかけました。

お正月に顔を合わせてから、
二ヶ月が過ぎていて、
それまで私は母を放置し続けていたのです。

電話に出た母の声はとても暗く、
そして怒りに満ちていて、
「またあいつが家に上がり込んできて、
家の中のものを勝手に盗んで行ったのよ!」
と言いました。

あいつというのは隣家の伯父のことで、
伯父が庭から「お前んちの合鍵持ってるんだからな!」と叫び、
それから毎日実家に勝手に上がり込んできて、
ものを盗んでいっているのだというのです。

このタイミングで電話をかけて本当によかったと思いました。

「ずっと我慢してるんだけど、
我慢できなくなってきて、言い返してやろうかと思っていたの」

と母は言いました。

「でも、言い返さないで我慢してたのよ、毎日」

と母が言うのを聞き、
夢に出てきた管理人さんは、
私の守護霊の仮の姿だったのだと確信したのです。

その翌日、
気分転換になるようにと、
母にうちまで遊びに来てもらうことにしました。

これまでのように、
私が実家に出向いて、
あの家で母の愚痴を聞くよりも、
自宅に招いたほうが、気味の悪さが半減していることに気付きました。

実家で母の愚痴や怒りを聞いていると、
たくさんの目が周りを取り囲み、
そしてたくさんの耳が、私と母の話を聞いているような、
何とも気味の悪い空気でいっぱいになるのです。

母は「あの家を引っ越したい」と言いました。

「でも引っ越すのが怖いの」とも言いました。

実家は、母の両親が母に分け与えてくれた、
母にとっては『母親の子宮』なのだと思いました。

隣家の伯父と、
母親の子宮の奪い合いを続けている母にとって、
「引っ越す」というのは、
六十代後半に突入した母が、
自分の母親から自立をすることに繋がっているのです。

「最後は自分で決めることだよ、
決心するのは自分だから」

と母に答えた私は、

私の人生は私のものであり、
母に振り回されるのはやめようという気持ちを、
固く決心したのでした。



  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

ゲームオーバー


母が退院すると、
あっという間に年が明け、
毎年恒例の『正月問題』が私の心を悩ませました。

母は、私と夫を正月になると家に呼び、
その日になると、
『悪いけど会いたくない、気分が乗らない』などと言い、
自分から呼んだにも関わらず、
まるでこちらが頭を下げて無理に押しかけようとしたかのように、
迷惑そうな態度でドタキャンしてくるという、
不可解で不愉快な仕打ちを向けてくるので、

いつの頃からか私は、
早々にその『イベント』を先回りして想定するようになり、
イライラと、落ち着きのない年末を過ごすようになったのです。

夫からは『実家に挨拶に行かなくていいのか?』と、
どう返答すればよいのかもわからない質問で急かさせるし、
私は毎年毎年、正月になると、
母親と夫の間に板挟みにされるので、
夏が終わり、秋の風が吹き始める頃になると、
そのことを思い始めては、心を煩わせるようになったのです。

しかし、母の入院をきっかけにして、
私の中である閃きが起こり、
今年の正月には、私の家に、
両親と、妹夫婦を全員招待することにしました。

母が正月になると私に意地悪をしたのは、
ただ、私と母の関係がそのような質を持っていたことと、
それが私のカルマだったこと、
そして、それを知りながら救いの手を差し伸べない父は、
関係のないふりをしながら、
私と母との三人で巻き起こす『ゲーム』にしっかりと参加して、
私が傷つくのを見て愉しんでいたのだということを、
私はとっくに意識に上げ、受け入れてしまったのです。

知ってしまった以上、
『ゲームオーバー』というもので、
このゲームをやめる為に、私は形を土台から変えることにしました。

うちにやってきた両親は、
楽しむというよりは、そわそわと落ち着きのないように見えたものの、
『もう世代交代なのよね』などと言いながら、
二時間程すると、そそくさと帰って行きました。

その代わり、単身赴任だったことなどでタイミングを外し、
なかなか対面できずにいた夫と、
妹のパートナーが顔を合わせる良いきっかけとなり、
その日の終わりには夫が『みんなでラーメン食べに行こう』と言い出し、
私の家族と妹の家族とで、近所のラーメン屋さんに行き、
『明日は初詣に行こう』という約束までして、
楽しい一日を過ごすことになったのです。

翌日、夫の運転でみんなで初詣に向かう車の中で、
私は初めて『こんなに楽しいお正月は初めてだ』と思いました。

私の中にこれまで長い間、
妹と許しあえない拘りがあったのだということにも気付いたものの、
母が常に、私と妹の間に割り込み、
私と妹が『憎しみ』を間に挟むように仕向けていたのだ、
ということにも気が付きました。

私と妹が仲良くしている姿を見ると母がよく、
『あんたたちが仲良くしているのを見ると、
私、面白くないのよ』と言ったのを思い出しました。

母が正月に私と夫を呼び、
当日になりドタキャンして、妹夫婦だけを家に入れたことや、
妹夫婦が何か大きな買い物をする時にだけお金を支援して、
『あの子達に70万出してやったのよ』と、
わざわざ私に報告してきたこと、
私が夫と、家や車などの買い物をする時には、
『あんたにはしっかりした旦那がついてるからいいでしょ?
私、お金ないのよ』と、
頼んでもいないのに拒絶してきたり、
私が夫や子供達と家族旅行に出掛けると、
『面白くないからそんな話しないで』と嫉妬を向けてきたことなどが、
一気に、私の脳裏を駆け巡りました。

今更のことですが、
母親なら誰でも実の娘を無条件に愛するというのは、
都合の良い夢物語で、幻想でしかないのです。

私は両親の期待を裏切り、
妹家族と両親抜きで付き合うようになりました。
こんなに簡単なことができずにいたのは何故なのかと考えた時、
隣近所に住みながら、
口をきく事すらないままでいる、
母の兄弟関係のことが浮かびました。

そうして、母とその兄弟たちが今のような関係になったのも、
もしかしたら、親がそうなるように手を貸したのではないかと、
代々そういう負の連鎖の中を生きてきたのではないかと、
繋がったのです。

二月に入ると父から、
『お母さんとはもう暮らせない、北海道に帰ります。
お父さんには居場所がありません』
という連絡が入りました。

北海道では二人仲良く一緒に寝ているとまで言っていたのに、
やはり、あの因縁の土地では、
古い想念の鎖に、両親は囚われ、
負けてしまったのだと思いました。

そして『居場所がない』と言い続けながら、
どこにも心を落ち着かせずにいる父は、
自分の愛される場所、認められる場所がどこにもないと、
私が子供の頃か、
またはそれよりももっともっと早い段階から彷徨い続けていて、

それはまた、母も同じなのだと思ったのです。




  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

教訓


母の吐血の原因は、
運悪く太い血管の上にできた胃潰瘍が、
血管を突き破った為、というものでした。

それを聞いた私は、
人間の細胞のひとつひとつが、
その人に必要な『病気』までもを引き起こすために、
その人の心と常に共鳴して働いているのだと感じました。

「病院に来るまでの間の車の中でね、
お父さんに『ありがとう』って言ったのよ。
私、もう死ぬのかなっていう気がして、
『たくさんいろんなところに連れて行ってくれて、
お父さんと一緒にいて楽しかったよ、ありがとう』って言ったんだ。
お父さん喜んでた」

などと話しながら病院のベッドに横たわっている母の白い顔は、
出血の為だけでなく、
悪いものが体から抜けて、
一層白くなっているように見えたのです。

私が物心ついた頃から両親はいがみ合い、
毎日のように喧嘩を繰り返して憎み合っていましたが、
それはやはり両親それぞれが心の中に抱えた、
消化できない『闇』をぶつけ合っていたに過ぎなかったのだと思いました。

本当の問題はその関係の中にあるのではなく、
父と母それぞれの、心の中にあったのです。

そして、その『未解決の問題』による闇が消え去ったとき、
真我の部分では両親は愛し合っているのだと確信しました。

それは両親だけに限らず、
人間はみんな、そうなのだと思ったのです。


「そうそう、あんた、
昨夜まぁちゃんが来たわよ」

続けて母は、力のない声で言いました。
まあちゃんというのはうちの長男で、
進学の為、昨年の春から他県で一人暮らしを始めているのです。

母にそう言われて、
私はその日の明け方に見た夢の内容を思い出しました。

夢の中で目を覚ますと、
枕元に、突然息子が座っていたので、
『あれ?帰ってきたの?』
と私が驚くと、
『バァバが入院したと聞いたから帰ってきた』
と息子が言ったので、
『急に帰ってきて、びっくりしたよ!』
と喜んだところで私は本当に目を覚まし、
部屋の中は静まり返っていて、
そこには息子の影も形もなかったのでした。

「昨夜、そこにまぁちゃんが立ってたの。
だから『来てくれたの?』と聞いたら、
消えちゃったのよ」

と母が言ったので、

「うちにも来た」と私は答えました。


実際は、一ヶ月ほど前に息子の学校の担任から連絡があり、
息子に留年が確定したということ、
11月の半ば頃から息子が捕まらず、
住んでいる寮にまで探しに行っているのに見つからないので、
ご両親の元に帰っているのではないかと思い電話したのだと、
知らせを受けていたのです。

それから私や夫や娘がそれぞれ、
どんなに息子に連絡を取ってみても、
息子には電話が繋がらず、
私も夫も娘もみんな、不安を抱えながら生活を続けていたのです。


母の入院の三日目には、
夫が母の見舞いに出掛けることになりました。
夫と母が再会するのは四年ぶりのことでした。

もう一度二人を会わせるためのきっかけが見つからず、
正月の来るたびに嫌な思いを繰り返していた私は、
母の病気が広範囲に渡り、
人間関係の修繕の役割を果たしているのだと思いました。

「人間なんていつかみんな死んじゃうの。
でも私は今回生き延びた。
一回終わった命だから、これらは好きなことして生きていきたいし、
やっぱり人はみんな、助け合って生きていかなければと思ったの」

と母は笑いながら夫に話し、
夫は帰り道に、

「義母さん、随分小ちゃくなっちゃったな?
ふたまわりくらい縮んだみたいにみえたけど?」

と感想を述べていましたが、
血を吐いた後に突然小さくなったのだと、
私は答えたのです。


母は五日間の入院生活を終えて退院し、
そのまた五日後に、突然息子が帰ってきました。

突然ドアを開けて「ただいま」と帰ってきた息子に対し、

「なに、びっくりした、急に帰ってくるなんて」

と、夢の中で驚いたのと同じリアクションを息子に返しながら、
「え?帰ってきたの?」
と部屋の奥から出てきた娘と、
「にぃにぃ?」と、少しはにかみながら出迎えた二歳の次男とで、
家族の再会を喜び合い、賑やかな年末を過ごしました。

そして、一度死を意識した母が、
生きるために必要なことは、
『好きなことをして生きることと、
みんなで助け合って生きていくこと』なのだという結論を出したこと、

憎しみの対象としか思っていなかった父に対して、
いざとなったら感謝の言葉しか出てこなかったと教えてくれたことを、

教訓として生きていきたいと思ったのです。



  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

黒い血 


『黒い血を吐いた』という母の話を聞き、
ホメオパシーの『ラカシス』というレメディーの性質についての情報が、
私の脳裏に浮かびました。

黒い血といえばラカシスで、
ラカシスとは、
『自分は悪い人間ではない、
蛇のように嫌われる存在ではないとわかる』
というのがテーマの、嫉妬と罪悪感のレメディーなのです。

『ラカシスとは、嫉妬のレメディーです。
自分を他の人と比較されたり、自分の方が劣っている、
または優れていると判断されることによって、
子どもたちは自分に対しての無価値感と他の人への羨望を持ち始めます。
差別、比較、羨望にはラカシスが合います。
またラカシスは呪詛をかけられた人、霊的アタック、
魔法をかけられた人にも合うレメディーです。』

という、ラカシスの人の性質について書かれたホメオパシーの本には、
ラカシスの人の特徴として、

『◎左側全体が悪い
 ◎躁鬱性
 ◎血圧が高い
 ◎出血(どす黒い)
 ◎口八丁手八丁で楽しいが、疑い深く嫉妬深い
 ◎頭と口の回転が速くおしゃべり
 ◎復讐心が強い』

という性質も、挙げられているのです。

この全てが私にも母にも妹にも、
そして私の娘にもよく当てはまるのですが、

この性質に振り回されて、
自分を見失っていたとさえ思われる一番の人物はやはり、
母方の祖母、
母たち兄妹に土地を分け与えた張本人なのだと思いました。

『母は悪い血を吐き出したのだ』

と思いました。

母の吐き出した血が黒かったことには、
医学的にいくらでも説明がつくのだと思いますし、
そんなことを霊的なメッセージに当てはめようと思えば、
それもまた、都合のいいように思い込むことは、
いくらでも可能なことなのだとも思いました。

それでも、母が吐いた血が黒かった、
という情報が私の耳に入ったことだけをただ捉えると、
やはり母は、
『悪い血(因縁)を、自分の意志で吐き出したのだ』
としか思えないのでした。

ラカシスは、呪詛にかかっている人や、
霊的アタックにも合うレメディーとされていて、
たしかに、土地や先祖の悪い因縁を受け継いでいる私たちに、
大変よく合うレメディーなのです。

私自身、ホメオパシーの相談会にかかり始めてから最初の三年間は、
これでもかというくらい、
だんだんポーテンシーを高くしたラカシスを、
何度も何度も、ホメオパスから処方されました。

ラカシスを飲みながら、
藪の中から蛇が何匹も何匹も這い出してくる夢や、
実家の前にある、本家の畑から、
蛇の頭をいくつも持った、ヤマタノオロチのような、
恐ろしい生き物が自分に向かって這い出してくる悪夢も見て、
うなされ続けました。

『ラカシスはしつこいの。蛇はとてもしつこいのよ』

と、ホメオパスも言っていた通り、
その夢を見終わることなど、
永遠にないかのようにさえ思われたものでした。

実家に観音様の入った年の正月の初夢では、

実家の居間に死にかけた蛇が弱々しく横たわっていて、

『俺が死んだら十字架を立ててくれ』

と私に懇願する夢を見たのです。

お寺にいつも置いてある鉢が、
何故かその夢の中では実家に置いてあり、
私がその死にかけた蛇をお寺の鉢の中へ入れてやると、
蛇は魚に姿を変えてハチの水の中を泳ぎ回り、
何も喋らなくなりました。

『あら、いい夢を見ましたね。
でも、十字架というところがちょっと、
気になりますが。』

その夢の話を聞いた師匠からはそう言われ、
その年もまた私は、せっせとお寺に通い続けました。

ラカシスのレメディーを飲むだけでなく、
私自身が自分の意志で、
自分の中の『蛇』を浄化させるためにお寺に通い続けることで、
私の蛇はいつの間にか姿を消したのです。

『観音様が入ったら、お母さんはまっすぐに観音様の方へ行くから、
早くお母さんを観音様の前に座らせてあげたいの』

と、亡くなられた副住職様から言われた日から、
10年近くの月日が過ぎようとしているのに、
母はいつまでも蛇にしがみついているようにしか見えず、
嫉妬と罪悪感に心を縛られ、
本家や、隣家の伯母への復讐心と恨みに燃えているようにしか見えなかったのです。

『全然まっすぐ行かないじゃん』

と私は時々心の中で、
亡くなられた副住職様に話しかけていたのですが、

昨年の夏に、母は自分の堕胎した子供たちの水子供養を終えたことで、
やはり罪悪感から解かれたのだと思いました。


そんなことを思いながら、
母の入院した病院へと翌日見舞いに行くと、
真っ白な顔をした母が、
しかし、スッキリとしたような笑顔で、
病院のベッドの上横たわっていました。

『早くショールを編んで、お寺に送ろうと思ったの』

と母は弱々しく言いました。

『あの尼が!』と、師匠のことを悪く言っていたうちには、
母の中に黒い血が、活気を漲らせてぐるぐると、
まさしく蛇が体内を這い回るかのように、
巡り巡っていたのだと思いました。

師匠に贈り物をして、
観音様の方へ真っ直ぐに向かおうとし始めた母と、
その蛇の『同居』が不可能になり、

母は『悪い血』を吐き出し、

『自分は悪い人間ではない、
蛇のように嫌われる存在ではない』

という新しい真実を、
受け入れ始めたのだと思ったのです。



  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

吐血


母からのメールを着信拒否するようになってから、
一年が経ち、
その間、母は何度か実の兄と兄嫁によって、
警察を呼ばれたりを繰り返していたようでしたが、

10月に入ると父が北海道から母を迎えに来て、
母は父と二人で北海道へと旅立っていきました。

結局、一年前の母の水子供養をきっかけにして、
私が母と疎遠になるという現実以外、
何も変わらなかったのだと思いました。

あの水子供養の時には、
謎の腰痛に何日も何日も悩まされ、
師匠が患部を押して『これはお母さんの怒りなのではないですか?』
と教えてくれたのをきっかけに、
私は両親との三角関係のゲームから抜けることを決断し、
母の代わりになって、父を憎むことをやめる方向に進んだのだと思いました。

『そのゲーム、まだ続ける必要ありますか?
それではなくて、瑠史さんは自分のことをしなければならないのではないですか?』

とも師匠から言われ、
私は母の『憎しみの言葉』に耳を傾けることを一切やめて、
昨年の九月から、メールでの人生相談を開設し、
この一年間、毎日せっせと、
他人様の相談に答え続けながらやってきたのです。

「あれから1年経ったんだ」

と思いました。

母の問題から抜けてみると、
このブログに書くことすらネタがなくなり、
なんとも刺激のない、寂しい一年だったことかというのが、
正直な感想なのです。

あんなに振り回されて、
母さえ自分の人生からいなくなれば幸せになれるとさえ思っていたのに、
結局のところ、母は私の『刺激』であり、
一種の麻薬のような役割をしていたのだと思いました。

そして、断酒する時や禁煙するときにも、
これと同じような寂しさや物足りなさを感じるのかと、
想像したのです。


両親が戻ってきたのは、
12月の初めのことでした。 

母が、北海道の、
亡くなった、父方の祖父にお金を渡している夢を見て胸騒ぎがしたので、
老人ホームに入所している祖母が亡くなる知らせなのかと思い、
父に電話をかけると、

『お母さんがすっかりおとなしくなって、
毎晩、文句も言わずに二人で仲良く寝てたんだ』

という報告を父から受け、

『そっちに戻ったら心療内科に一緒に行くって言うから、
来週、病院に連れて行くことにしたから』

とあっけなく、父が母を心療内科に連れて行く段取りになったのです。

ホメオパシーで母を治そうとしていた妹も、
展示会のことや、洋服や下着のオーダーに追われ忙しく、
『お父さんに任せておけばいいよ、どうでもいいし』
と、既に両親のことは投げている様子でしたので、
私も、またうっかりと三角関係にはまってはいけないと思い、
両親を放っておくことにしたのです。

母から電話がかかってきたのは、
父と一緒に心療内科に行くと言っていた、
数日後のことでした。

「私、みんなに色々謝らなきゃならないから」

と母は、今度のお正月に、
私の夫を家に呼びたいと電話をかけてきたのです。

母が最後に夫に会ったのは、
四年前の、夫の母の告別式の日のことでした。

『私の悪口をずっとブツブツ呟き続けていたじゃない、
あんたの旦那、あんな人だと思わなかった、許せない』

告別式が終わると母はそう言い、
夫を正月に招待してはその日になってドタキャンし、
その後は妹夫婦だけを家に呼ぶという、
私にとっては大変屈辱的な顛末を繰り返した為に、
私の方こそ、両親のどちらも許せないという、
頑なな思いが固まっていくばかりだったのです。

「それに、あなたの先生にも失礼なことをしたから、
ショールを編んでプレゼントしようと思って、
毛糸を買ったの。急いで編むから待ってて」

と母は、
師匠にショールを編む為に、
毛糸を買ったというのでした。

母が師匠に会ったのは、
実家に観音様が入った日が最後のことで、
それ以降、

『このままではあの尼の思い通り、
観音様はもう祀りたくないから捨てたい』

などと、師匠の悪口を言うばかりで、
昨年の水子供養の時にも、
『私はお寺には行けないから、お願いします』と、
母に託され、
私が母の代理で参列したのでした。

その母が、師匠にショールを編むなんて、
私にしてみれば、天地が逆さまになったかのような衝撃でした。

以前の母なら、
自分の編んだ作品を、師匠に見られること自体に引け目を感じ、
『そんな大それた先生に、笑われるだけだから』
と、卑屈な意見しか出なかったとしか思えないことを思うと、
飲み始めた薬のせいで思考がまともになったのか、
または、

『まさか、死ぬ準備してる?』

としか、正直、思えないのでした。

電話の向こうの母の声は、
くぐもっているような、
身体とどこかずれているような、
あの世とこの世の境目辺りから聞こえてくるような、
なんとも、母のものではないような印象も受けたのです。

「急にいい人になっちゃって。
まさか、死ぬとか?」

と私は、娘や妹に、
母についてどう感じているかを確認しました。

「なんか変だよね。何か、落ち着かないよね」

と娘も言い、
私は、母が父方の祖父にお金を渡していた、
その夢のイメージを思い返していたのです。


「血を吐いてね、お父さんと病院に向かってるの」

と、やけに明るい声で母から電話がかかってきたのは、
その三日後のことでした。

「毛糸が届いたからショールを編もうと思ったの、
そしたら目眩がして、二階の階段のところまで這って行って、
階段の下で血を吐いたの。全部で三回吐いたの。
真っ黒な血だったの。病院行ってくるから。」

と母に言われ、

何故か私は、「これだったのか!」と、
それまでのもやもやが晴れ、

母のことを心配する傍らで、
この一年間感じ続けていた寂しさの正体を、
はっきりと、直視したのです。



  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

« NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY »

プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

個人セッションのお申し込みはコチラまでメールにてお願いいたします。
facebookはコチラ

☆サイト『ココナラ』さんでもメール相談を受け付けています☆

最新トラックバック

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

かんのんいんカウンター

« 2017 08  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR



.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。