真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

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合掌


母を観音様に預けると、
母を、どこか遠くの学校のようなところに、
留学させたかのようなイメージを持つことができるようになりました。

母の人生を、自分の人生とは別の人生と、
割り切れるようになりました。

これまでは、
窮屈な一人乗り用のボートに、
母も連れて一緒に乗り込んだ私が、
自分一人で舵を取り、常に不安な思いに苛まれているようなイメージを懐き続けてきたのです。

母は私の苦労など顧みずに、突然感情的になっては、
船の上で暴れて私を巻き込み船ごと沈没させようとしていて、
自分のせいで船が傾いてしまうことにさえ気付かないでいるのだと、
母に対しての不安と憤りを、
私は常に抱えながら生きてきたのです。

母を自分の船から降ろさなければ、
沈没して溺れるのは私だけでなく、
母も同じだったのだと思いました。

迷惑なのは私だけでなく、
母にとっても迷惑な話だったのです。

母を守ろうと思ったり、
必要以上に疎ましいと思ったり、
向けた愛情に答えてくれないことで腹を立てたり、
一人乗り用のボートの上で感情的になり、
船を沈没させようとしていたのは、私も同じだったのだと思いました。

母には母の人生があり、
母を守る存在や、サポートする存在がついていて、
母の人生には母の人生という完成されたシナリオがあって、
それ自体が神秘的で神聖な、宇宙の一部なのだということに気が付きました。

そこに手を加えようとしていた私の行動は、
親切を通り越して、おこがましいというものだったのです。

たとえ母が刃物を持って隣家に突撃して、
乱闘になって、テレビで報道されたとしても、
それも、宇宙の仕組んだシナリオなのですから、
責任を取るべきは私ではなく、創造主にあるのだと思いました。

そして、もし母のことで私が被害にあったとしても、
それは私の人生のシナリオに組まれたことであり、
私の解決しなければならない宿題であり、カルマなのだということなのです。

そんなことを心配して母をコントロールすることばかりを考えるよりは、
私自身の日頃の行いをもっとよく反省し、
自分を成長させることの方がずっと大切だということに気付きました。

母を私の船から降ろし、
母を、一人の人間として尊重せずにいたことを、
イメージの中で反省して謝罪し、
母には、母専用の金色のボートに乗ってもらいました。

私はこれまで母を一度も信頼したことがなく、
母のような厄介者は地下牢のような見えない場所に閉じ込めて、
厄介事を起こさないように、人目に触れないように、
私の人生に迷惑のかからないように、
消してしまいたいとさえ思い続けていたのです。

『あんたは私をバカにしている』と、
母によく言われていたことを思い出しました。

『バカになんてしてないよ』と答えてきた私でしたが、

『バカにしていたんだ』と気がつき、認めました。

私は母をバカにしていたのです。

思えば、母に似た人を見た時も、
その人たちを心の中でバカにし続けてきたことに気が付きました。

バカにしていただけでなく、
自分の支配下に置いてコントロールしようとしていた事にも気が付きました。

母を私の船に乗せていたのも、
私よりもバカな母という女を、
支配下に置いてコントロールしたいと目論んでいたからなのだと思いました。

私は自分の傲慢さに気が付き、
むしろ、その傲慢な考えこそが、
愚かでバカな考えだったのだということにも気が付きました。

人は誰でも全員平等なのだということに、
完全に気付いてしまった今、
もう元には戻れない自分に生まれ変わったことを、
認めるしかなくなってしまったのです。

この世界に優れた人というのは存在せず、
劣った人という者もまた、存在しないのです。

これまでは、そう考えるべき、
という理想論であったその思想が、
単なる理想的な思想でも綺麗事でもなく、
それが宇宙の真実であり、法則なのだということに気が付いたのです。

人ひとりの人生は、
マザーテレサの送ったような人生でも、
ヒトラーのような人の人生でも、
それ自体が、宇宙に浮かぶ一つの星と同じ完成度を持った、
すべてが平等な、神秘的な存在なのだと思いました。

人をバカにしていた私は、
例えて言うなら、何も知らない赤ん坊と同じだったのです。

お寺に通い始めた頃に、
私がお寺でひと通りの愚痴を話し、
お茶をご馳走になり、満腹になって駐車場から車を出すと、
ご住職様も副住職様も兄弟子様も、
皆さんが揃って、
私の車が見えなくなるまで私に向かって手を合わせ、
合掌で見送ってくれたものでした。

その時の私の心境は、
『私のような悪魔みたいな人間に合掌するのはやめてくれ、
イヤミか、お前にも仏がいるんだぞと皆で圧力かけてるつもりか』と、
ご住職様たちの合掌に、
目も合わせることのできない思いで、
アクセルを踏み込むばかりだったのです。

私はついに、全ての人の中に仏様の存在することを、
認める時を迎えたのだと思いました。

私が、母よりも誰よりもバカにしていたのは自分自身のことで、
自分の中に仏様が存在するということを、
どこか信じきれずにいたのです。

出家して、この春で丸三年の月日が流れ、
やっと私も、私自身に合掌を向けてくれたご住職様たちと共に、

自分自身に対して、
手を合わせることができるようになったのだと思ったのです。


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  1. 2017/04/21(金) 07:35:11 |
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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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