真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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負の遺産


妹のお店には、予約のお客様との約束の時間よりも、
二時間も早く到着してしまいました。

新しいお店の中で妹と二人、
子供のようにはしゃいで、
新しいインテリアや、セッションのための個室の、
シャンデリア等見せてもらいながら、
二人で時間を過ごしました。

お店のオープンの直前に、
妹が実家に出掛けたときのトラブルについて、
そのときに詳しい話を聞くことになりました。
そんなことがあったのだと遠巻きに聞いてはいたものの、
引っ越しが決まるまでの間、
妹は毎日片道二時間かけて店の手伝いに通うようになっていたので、
私達はゆっくり会って話をすることができずにいたのです。

妹がお店のオープンの直前に実家に出掛けた時、
帰りがけに実家に忘れ物をしたことに気付き、
もう一度車を降りて家の中に入ろうとすると、
母の罵声が家の中から聞こえてきたのだと言いました。

『最初、なんの声かと思ったんだけどお母さんで。
隣の伯母さんの名前を叫びながら、
うるせーッ!!て喚き散らしてたんだよ。
私たちに見つかると怒られるから、
いなくなった途端に隠れてやってたの。現行犯逮捕できたって感じだったよ。
そしたら隣の伯母さんが家から出てきて実家に押しかけてきて、
私のこと睨んで「お母さん病院連れてってるの?薬飲ませてるの?」って、
いきなり詰め寄ってきてさ。
「毎回警察呼んでいいの?警察呼ぶからね?」とか言うの。
呼ぶからねって脅してきたけどどうせ毎回呼んでるじゃんって思ってさ。
忠夫さん(母の兄・仮名)は腰を悪くしてもう立てないんだよ、
だからノブちゃんに攻撃なんて何もしてないしできないのよ!」って、
途中からはお母さんに向かって言うからお母さんも興奮しちゃって。
なんだか伯母さんに謝りたい気持ちにもなれなくて、
とにかくわかりましたから今日のところはお引き取りくださいって、
家に追い返したの。』

と妹は言いました。

新しいお店に、師匠が郵送で送ってくれた小さな金色のお地蔵様を見て、
『たしか前回もお地蔵様の入る直前に隣とのトラブルに巻き込まれたよね?』
と私は妹に確認しました。

ああ、そうだっけ?と繋がらない様子でしたが、
妹は引っ越しの前日に、
交通ルール違反で警察に捕まってもいたので、
これはまた新しい喜びを受け取る前の『カルマ落とし』だったのだと思いました。

自分が出家する前の二年間、
自宅の隣人がベランダに立って、
私を名指しで罵詈雑言を喚き散らすという、
恐ろしい毎日を過ごしたことを思い出しました。

出家の前の年には、それまで十年間一度も捕まったことのなかった私が、
三回も警察に捕まって、合計三万以上罰金を支払うことにもなったのです。

妹と私が姉妹だからパターンが似ているだけなのかもしれませんが、
過去に自分自身の作った『負の遺産』を、
必ずそうした形で精算してから次のステップに入れるシステムになっているのと、
また、幸せを受け取ることに対する罪悪感が引き寄せるのと、
二つの無意識的な働きによるトラブルなのではないかと感じたのです。

負の遺産はなるべく作らないに越したことはないと、
私は身を持って深く体験していることから、強くそう思うのです。

実家に観音様を迎え入れてからもうじき十年目を迎えるのですが、
あの日のことをふと思い返した娘が、

『何と言ってもバァバの家に観音様の入った晩に見た夢よりも、
すごい夢はその後もその前も見たことがない。
不思議のものは見たことはないとなるべく思いたい私だけど、
あれだけは不思議体験と認めるよ』

と言ったのを思い出しました。

『隣で寝ていたお母さんの周りに不思議な空間ができていて、
お母さんの両隣と背後にズラーッと、金色の仏様が立っていて、
みんな足元が泥で汚れていたんだけど、
今回観音様が入ったことで発掘されたんだと夢の中で言われたの。
あの頃お母さんは、出家したら先祖七代と子孫七代が救われると頑張っていたけど、
七代なんてものではなかった。
多分あの仏様の数からすると、先祖三十代以上は超えていたと思う。
多分五十体とかそのくらいの仏様がお母さんを取り囲んでいたからね』

と娘に言われたので、

『私、死んだら少しは守護霊たちから褒められるかな?』

と尋ねると、

『褒めてもらえるんじゃない?
でも今回の観音様とか出家とか、殆どはお母さんの作ってきた、
負のカルマの精算だったからね。あんまりプラスにはなってないかも。
借金返済が終わることくらいは確実だと思うけど』

と娘は笑いました。

確かに観音様の入ったあとに私は、
自分自身の遺体の入った棺桶を持ってこられた夢を見たことがあり、
夢の中で、実家の聖観音様の前にその棺桶が置かれて、
『ここにはお前自身の遺体が入ってるが、
エネルギーが強すぎてまだ動くので、
動いて復活しないように、これを一晩中見張っていなさい』と、
持ってきた人からそう言われて、自分の死体を一晩中見張るという、
そんな不思議な夢を、ある年の正月に見たのです。

その棺桶が暗い部屋の中でガタガタ動き、
自分自身のその遺体の生前の生き方が想念で伝わって来ると、
藁葺屋根の大きな家の中に前世の私が居て、
その私は他人に呪いをかける呪い屋をやっていて、
仕事が一つ成功する度にエコーのかかったような高笑いをして、
勝ち誇り、人々を震え上がらせていたのでした。

その夢の話を師匠に聞いてもらった時、
『まだ動くんですね。油断しないでください』と一言返されて、
それが自分の前世の生き方だったのだと認めざるを得ませんでした。

その時の話をもう一度娘にすると、
『怖っ!!高笑い!?
お母さんらしいね!
その精算しなきゃならなかったんだ、
それでこんなに大変な人生なんだね。
出家できてよかったね、たくさん呪いをかけたから、
今度は人の呪いを解く仕事してるんだね』

と娘は爆笑したのです。

そうした背景があってこそ、
負のカルマはなるべく作らないほうが良いと、
今では本心からそう思うので、
前世の私と同じエネルギーを漂わせている人を見れば、
その人のために親身になって忠告したい気持ちになるのです。

杖をついて歩くのは大変だし、
因果応報、輪廻転生という二つの法則のことを日々考えながら、
自分に必ず返ってくるものとして、
みんなに幸せになってもらいたいと、
あの時人の不幸を高笑いしていた私も、
時空を超えてすっかりと、反省したのです。




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出口


春のお彼岸が過ぎて夏のお盆がやってくる頃、
妹のパートナーが新しい美容院をオープンしました。

それに伴って、
妹は彼との新生活の為に、
バタバタと引っ越していきました。

今年のお正月に、うちでみんなで集まった時、
その話はまだ具体的には決まっていなかったけれど、
本当はみんなの霊域ではこの話は既に決まっていて、
誰も口には出さなかったけれど、
あの集まりは、妹夫婦の新しい旅立ちを祝う為のものだったのだと気付きました。

私も月に一度のベースで新しいお店に呼ばれることになり、
そこで人生相談の仕事をさせてもらうことになりました。

その初仕事の日が夏の暑い日にやってきて、
私はスカイツリーを目指して首都高に乗り、
新しい『職場』に向かって車を運転したのです。

車を飛ばしながらいろんな想いが湧き上がりました。

ちょうど今から二年前、
師匠が『私も新しい場所に移って自分の夢を果たさなければならない、
そうしないと私の人生もあと二十年くらいなんです、
瑠史さんの観音院も二年後にはしっかりと形になっていると思いますし、
私達は離れながらもみんなで同じ仕事をしていくのですよ』と、
私に言ってくれたことを思い出しました。

うちが新しい場所に引っ越すわけでもなし、
自宅に見えるお客様の数がどっと増えるわけでもなく、
二年後に観音院が完成するとはどういった意味なのかと思っていたものの、
ひとつは妹の新しい職場が私の新しい職場となり、
もうひとつは、インターネットでの相談件数が、
仕事の追いつかないくらいに盛り上がり、
毎日私はどなたかの相談に答えるという日々を、送るようになったのです。

どちらも、私自身の想像していた『かんのんいん』とは違い、
ひとつはインターネットという場所を持たない空間で、
もうひとつもやはり、妹の職場という、
物質的には私の持ち物ではない場所という、
仏様の用意してくれた不思議な『空間』だったのでした。

そして二年前に妹が流産した時のことも思い出しました。
あの時師匠は、
『妹さんに、決心させる為にやってきた赤ちゃん』だったのだと、
ただ、繰り返して私に言ったのです。

その決心とはこのことだったんだと思いました。

新しいお店を開いたパートナーと一緒に、
それから毎日それを手伝いながら、
お店の中にミシンも置いて、自分の仕事も頑張っている妹を見て、
二年前にはモヤモヤとした『未来像』としてしか存在していなかったこの生活を、
あのときに妹は『現実に降ろそう』と決心したのだと思いました。

全ては無意識に動いているのだと思いました。

私達はみんな、自分の未来に進む為に、
毎日毎日無意識的に、小さな選択と小さな決心を繰り返しているのだと思いました。

私がタロットカードの恩師の最後のセッションを受けた時にも、
『これまで人の手を借りてここまで来れたのだから、
面倒でも今度はあなたがみんなに手を貸していかないと。
みんな出口がどこだかわからずにずっとぐるぐる回ってるけど、
あなたはもう、出口がどこだか知ってるんだから』と言われて、
それでもどうしても立ち上がる気持ちになれず、
セッションの最後に恩師から、
『じゃあ子供が三歳になったら本格的に始めれば?
それまでは適当に、休みながらでもいいと思うよ』と言われて、
ホッとして帰ってきたのを覚えているのですが、
この秋でその次男が三歳の誕生日を迎えることを思うと、
『絶妙にみんなかつながっているんだな』と感心せずにはいられないのです。

あのセッションの日に私は、
子供が三歳になるまでの間、なんにも仕事しないでのんびり過ごそう、
育児だけを楽しみながら、一回すべてを休みたいと思い、
とりあえず、ずっと続けてきた刺繍の仕事を断り、
布小物を委託させて貰っていた委託先を二軒ほど打ち切り、
子供との時間を過ごすことにだけ集中していたのでした。

『期限が切れたのか』と思いました。

それも、妹のパートナーが突然新しい店を開くという形で、
追い立てられるように、私と妹は行動開始することになったのです。

妹の店に向かいながら、
私が小学生の頃に妹を連れて、
家の屋根に登って遊んでいた日々のことを思い出しました。

父親がある日突然無職になり、
それから母が父を軽蔑し始めて、
私が小学校5年生の時に、母は外で働き始めました。
夏休みの間は、その時四歳だった妹の面倒を任されて、
妹が保育園に行かない日には、家の中で妹と二人きり、
親のいない時間が、寂しさよりもむしろ、
親の罵声を聞かなくて済む自由な時間だとさえ感じていました。

親がいなくなるとタンスの上によじ登り、
妹の手を引っ張って、妹もタンスの上まで引き上げました。
それから、小さな欄間の窓からスルリと外に出て、
まずはテラスに足をかけ、妹の手を引っ張り上げて、
二人で屋根の上によじ登り、
屋根の上で仰向けに寝転がって空を見たのです。

4歳の妹と11歳の私が、
流れる雲を目で追いながら、あの日二人で描いていた夢が、
形になったところに今いるのだろうと思いました。

ふいに自殺してしまうのではないかと、
ずっと心配し続けてきた妹が、明るい笑顔で仕事している姿を見て、
目には見えない仏様の恩恵を強く感じましたが、
私はこれまで妹の暗い姿に自分を映し出して見ていただけに過ぎなかったのだということにもまた、同時に気付いたのです。

これからまた新しく出逢う方達に私は、
地獄から通じる極楽への道を案内したいと思いました。

私は、出口がどこにあるのか、知っているのです。









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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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