真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

奇跡


その夢を見てから、
それまで数日間続いていた、
喉の違和感と耳の痛みが跡形もなく消えていきました。

前の晩にオラクルカードを引いて、
そのメッセージを読んだ瞬間に込み上げた喉の『塊』は、

『自分を肯定しろ!』

という私自身の『言えなかった言葉』であり、

耳の痛みに繋がっていた、
聞きたくない言葉というのも、

自分自身のその言葉だったのです。

そして私は、
自分自身が自分の意思で自己否定をやめて自己肯定することで、
病気が治っていくことを確信したのです。

それが起こるべき『奇跡』であり、
待っていた奇跡だったのだと理解しました。


自己否定している人の見る世界と、
自己肯定した上で見る世界との違いは、
例えるなら、
天動説を信じ込んで空を見上げていた人が、
地動説を知り、新たに同じ空を見上げることと、
似ていることなのだと理解しました。

全く同じ世界を見ているのにかかわらず、
二つの世界は『反転』した、
全く別の世界と言えるのです。

私自身を地球ひとつと例える場合には、
地球上の、美しい海でも空でもオーロラでも、
貧困も戦争も、汚染された海でも空でも何でもかんでも、
ありとあらゆる全ての現象を、
『ひとつの地球』という単位で見て、
丸ごとを肯定することなのです。

私の中には喜びも楽しみもあれば、
怒りも嫉妬も憎しみもあるけれど、
それを丸ごと『肯定』した時に、
天動説が地動説の考えへと反転するのと同じエネルギーで、
私自身が『進化』するのだと思いました。

私の中のこの部分は好きでこっちは嫌いと、
部分的な好き嫌いを分けていたときには、
『自己否定』という大きな枠でくくられた世界から、
結局は一歩も出られずにいたのだと思いました。

そして、この世に生まれて自由にしていた幼少期には、
誰もがその『自己肯定』の世界で楽しんでいるのに、
ものの善悪や決めつけられた価値観を押し付けられていくうちに、
だんだんと自己否定の世界を心の中に創り上げ、
いつしかその世界の住人となっていくのだと思ったのです。

『自己否定』の積み重ねが病気を作り、
病気を治すのは薬ではなく、
自己肯定の世界に戻ることにあるのだと確信しました。

しかし、私の心の中に確かにあった『自己否定』の世界は、
既に崩れ去ろうとしているのだと思いました。
大きな雪玉が強風に煽られていくつもゴロゴロと転がり、
世界は混乱し、壊れ始めていたのです。

私自身に否定されていた私は、
確かに『自分を肯定しろ!』と大きな叫び声をあげ、
その言葉は私を否定し続けようとしていた私の耳に、
ついに届いたのです。

私は、両親から愛されないこと以上に、

本当は、
自分自身から愛されないことが辛くて、

凍えるような吹雪の雪山の中で身を凍らせて、
孤独な人生を生き続けていたのです。



スポンサーサイト
  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

自己否定


『自由になりたい』と強く意識するようになった私は、
自分がまだまだ不自由なのだということがわかるばかりで、
ここからどう進めばよいのか、全く行き詰まってしまいました。

しかしこういう時には『考え』で蓋をするのではなく、
ここですべてが終わりなら、それはそれで良しと諦めて、
何も考えずに過ごす方がかえって閃くものと、
次男とボール遊びをしたりコムギ粘土で遊んだり、
絵を描いたり折り紙を折ったりして、毎日を過ごしました。

すると、出産してからしばらくなかった、
展示会の出店の話が飛び込んできました。

その日から二週間以内に、
なるべくたくさんの作品を作らなければならなくなった私は、
『考える』暇さえなくなり、家事さえもおざなりにして、
次男と遊ぶこともできなくなり、
毎日毎日、ミシンに向かうようになりました。

同じ頃、自分の身体のある不調に気付くようになりました。
久しぶりの仕事に追われたストレスからか、
喉の奥の方に違和感を感じるようになり、
ものを飲み込むたびに、
何かが喉の奥に引っかかっているような感じがして、
もしかしたら何か大変な病気の始まりなのかと、
不安にもなったのです。

しかし、妹のチョコレート嚢腫を感じたのと同じ感覚で、
『何か言わなければならないことが、
自分の中から出始めているだけだ』
ともはっきりと感じていた私は、
そのまま喉の違和感のことは誰にも言わずに、
黙ってミシンに向かいながら様子を見ることにしました。

同時に、耳の奥の激通も、
度々感じるようになり始めました。
喉の違和感とは違い、それは瞬間的な痛みで、
時々ふいに痛んでは、消えていくのでした。

その痛みに関しても、
『何か聞きたくないことに気付くときが近付いている』のだと、
やはりはっきりと確信を抱いていた私は、
その耳の痛みのことも誰にも話さず、
放置しておくことにしたのです。

そして、風呂に入ることも食事を取ることも度々忘れながら、
締切の前日まで、寝る時間も惜しみながら仕事を続け、
いよいよ荷物をまとめて、搬入するだけになった晩、
やっとストレスから開放された私は、
久しぶりに、オラクルカードを一枚引きました。

そして『奇跡』というそのカードに、
『今は危機的な病状から脱するところ』という、
健康問題に関するメッセージの書かれているのを読んだ瞬間に、

突然私の喉が激しく締め付けられ、
熱い石の塊のようなものが胸の奥から喉を伝ってこみ上げてきて、
あまりの苦しさと痛みに、呼吸すら出来なくなってしまったのです。

布団に横たわっていた体を起こして、
なんとかゆっくりと呼吸してみても、
その痛みはなかなか治まらず、熱い塊の消える気配はありませんでした。
それでもゆっくりゆっくりと呼吸して、
元の、喉の奥の違和感だけに戻ると、
あまりの疲れに、その晩はとても深く眠り込んでしまいました。

リアルな夢を見て目が覚めたのは、
普段起床する時間よりも二時間も早い、
翌朝の明け方のことでした。

夢の中で、

猛吹雪の中を、大きな雪玉が、
強風に煽られてゴロゴロと転がる中に、
葉のない、枝ばかりの木が何本も立っていて、
その木の根本に私自身が、
ロープで手足を縛り付けられた状態で横たわっていました。

それは20年近く前の、
ちょうど、赤ん坊を中絶した後の、
髪を金髪に近いほど明るく染めて、虚ろな目をして、
不気味な笑顔を浮かべながら、
自分以外の誰かになろうと躍起になっていた、
『昔の自分』だったのです。

その私が猛吹雪の中で私に向かい、

『自分を肯定しろ!!』

と叫んでいるのです。

『自分を肯定しろ!』

『自分を肯定しろ!!』


そこで目が覚めて、
涙がいく筋も頬を流れました。

そのまま感情がワッと湧き上がり、
嗚咽をあげて泣きました。

ひと通り泣き終わると、その夢のメッセージを、
深く理解しました。

お寺が移転する前、
最後にお寺に出掛けたときに、
師匠が私に言ったこと、

『もう、周りにはひどいことをしてくる人はいないのに、
なぜいつまでもそこにいるのですか?
そこにいつまでも居たい理由は、何なのですか?』

それを言われたときには、
暗い気持ちがするばかりで、
『そこ』がどこなのかは全くわからずにいたのです。

しかしあの日、師匠には、
誰もいない、猛吹雪の世界で、
私自身がロープにくくりつけられたままの姿で、
そこに好き好んで居続けているビジョンが、

私が夢の中ではっきりと見た、
私自身の作り出した心の世界が、

『視えて』いたのだと思いました。

そしてその世界は、

『自己否定』という名前の、
とても孤独な世界だったのです。



  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY

プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

個人セッションのお申し込みはコチラまでメールにてお願いいたします。
facebookはコチラ

☆サイト『ココナラ』さんでもメール相談を受け付けています☆

最新トラックバック

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

かんのんいんカウンター

« 2016 11  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR



.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。