真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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潜在意識


駐車場に置き去りにされた私は、
「死ぬ自由」が残されていることを自分への救いと受け止め、
やはり今日を生き延びようという気持ちになりました。

娘と息子と妹が、離婚を応援してくれているこの結婚生活を、
もう少し探求したい気持ちになったのです。

私は車を降りて運転席にまわり、
自分で運転をして障害者スペースに車を停めました。

次男を、キャラクターのついた、
可愛らしいショッピングカートに乗せたところでタイミングよく、
夫が改心して戻ってきました。

怒りを噴出した後の夫の顔つきは、
しょんぼりとしているように見えました。

私は、カートを押しながら、
「どこぞの知らない障害者の人のことではなく、
私に優しくしなければあなたも私も幸せになれない、
私は今、電車に飛び込んで死にたい気持ち。
惨めで、辛い。」
と言いました。

夫は「アイス食うか?早くアイス食えよ、
お前なんか甘いもの食えば機嫌直るんだろ?」
と言って、アイスクリームやさんを指差しました。

これと同じようなシチュエーションで、
娘にも「パパなんて大嫌い」と言われた夫なのです。

「アイスはいらない、今すぐ電車に飛び込みたい」

と、私はまた流れてきた涙を垂れ流しにしたまま、
大きな声で「死にたい、死にたい」と言いながら買い物をしました。

言いながら、
これは過去の想念が一緒に出てきているのだと感じました。

子供の頃、私は親からのいじめを受けて、
ほぼ毎日、死にたいと思いながら過ごしていたことを、
自分のこととして、
やっとはっきりと自覚をしたのです。

明日は体育がある、
また体操着に着替えて、足との傷を大勢に晒さなければならない、
それを誰も守ってくれない、
教師も親も「くじけるな」というだけで、
私をそこにまた放り込むだけ、
私は週に何度も体操着に着替えては、
足の傷を、片思いの相手にも、意地悪なクラスメイトにも、
同情の目を向ける嘘の親友にも晒さなければならない。

だったら死にたい、
体育の授業の前の時間に死んでしまいたい。

そう思っていたんだ、
そして誰からも理解がない。

私は『集団』の中では誰とも心の繋がりを持つことができず、
いつでもとても孤独だった。

そして、

甘いものでも食えば機嫌直るんだろ、
と思っていたのは、

他の誰でもなく、

私の、母親だった。


そんなことに気がついて、
ダラダラと涙を流しながら買い物を続けました。

エスカレーターの鏡越しに目があった次男は、
私の泣き顔を見てキャッキャと笑いました。


そんなことのあった翌日の明け方に見た夢の中で、

夫は寂しそうに、
じっと佇んでいました。

今現在の夫の姿をしておらず、
当時二十歳だった私と付き合い始めた頃の、
それは三十代の時の姿をしていたのです。

「最初は、俺とお前の憎しみの分量は同じくらいだった」

と夫は言いました。

「抱えている問題も心の傷も、
恨みや憎しみ、黒い気持ちもおんなじだった」

と、夫は肩を落として言いました。

「お前だけがどんどん綺麗になり、
俺の憎しみだけが浮き彫りになっていく。
お前が綺麗になっていくと、俺の憎しみは浮き上がり、
俺自身にごまかしが効かなくなっていくんだ。
それがとても辛い、別れるか、連れ添うか、
決断の時が来たのがとても辛い。」

夢の中で、夫は切々と語りました。

「それで毎日怒っているんだね。
私にも意地悪するんだね。
これが嫌だったから、得度を反対したし、
赤ちゃんも産むなと言ったんだね。
私が、自分を許してしまうから。
自分を許すことが、キレイになるってことだから。」

そして、あなたは自分を許せない。

だから、せっせと、
みんなに嫌われることを続けて躍起になり、
自分をごまかそうとしてる。

そう思った瞬間に、
私は夫を愛しく思いました。

別れたくない、
頑張って、
今後も連れ添いたいと、

心からそう思ったのです。


「旦那さんを、置いていこうとしていませんか?
自分だけ、行こうとしているのではないですか?」

夫に得度を反対されていた一年間に、
夫との「宗教戦争」の勃発していた時分、
夫と喧嘩するたびに、
その話を聞いた師匠にそう言われ続けたことを思い出しました。

師匠は、このことを言っていたのだと、
ようやく理解できたのです。

「置いていくって、どこへ?
私だけが行くって、どこへ?」

あのときには謎でしかなかった問いかけの答えは、

「観音様の足元のことだった」

のだと、
私はこの時、始めて理解したのです。

私は夫を許したい。
夫が自分を許せないのなら、
私が夫を許したい、

そう思いました。


目が覚めて、
「夢とは、自分や大切な人とを繋ぐ、
潜在意識の世界への入り口なのだ」と理解すると、

その日から、夫の暴言が止んだのです。

買い物に出かけても、
イベント会場へ出掛けても、

夫が自発的に、
「女房が足が悪いんで、近くに停めさせてほしいんですけど」
と、先に声を掛けてくれるようになりました。

夫に夢の話はしていなくても、
夫の言動が変わったことで、

やはり、私の見た夢の世界で、
実際に夫と私は、

離れていた二人の心を繋ぐ、
大切な会話をしたのだと、

確信したのです。




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逃げ道


足の具合が良くなっていくと共に、
夫の機嫌が毎日のように悪くなり、
短気を起こし理不尽な言葉の暴力や行動で、
私と娘を脅かすようになりました。

「どうしてあんなに機嫌が悪いの?
夏だから?更年期?仕事がうまくいってないとか?
それともまさか、脳に何らかの病気が出たのかしら?」

夫が寝付くと、
私と娘は夫の言動について、
あれこれと分析しました。

しかし答えは一向にわからず、その前に、
私は夫の毎日の帰宅に怯えるようになり、
娘がついに、夫と激しくやりあってしまいました。

「パパなんてだいっきらい、
絶対に許さないから!」

とキレた娘に対し、夫は謝ることもなく、
苦々しい表情を浮かべて、
口の中でさらに暴言を吐いたのでした。

「もう無理だわ、
お母さんはよくあんな悪魔みたいなおじさんと結婚したよね、
私なら三日と保たなかったと思うわ」

その後娘はそう言い残し、
友達の家へ泊まってくると、家を空けました。

入れ替わりに、夏休みを迎えた息子が帰省してきて、
私は四ヶ月ぶりに息子の顔を見ることになりました。

毎日顔を突き合わせている娘とは違い、
一度家を出た息子は、
夫と衝突することもなく、
息子の帰省のお陰で家の中の空気が変わっていきました。

しかし、夫の短気が治ったわけではなく、
私が夫に気を遣う姿や、
娘が夫の発言にムッとしている姿を見て、
ある晩、息子が私に言いました。

「お母さん。もしどうしても無理なら、
離婚してもいいからね。
父さんのあの態度が、仕事のストレスか、
年のせいなのかはわからないけど、
そのせいで母さんが病気になるのだけは困るから。」

息子にそんなことを言われたのは初めてのことでした。

夫が次男の出産を反対した時でさえ、
息子は夫に、
「どうか母さんと離婚だけはしないで、
一緒に赤ちゃんを育ててやってよ」
と頼んだのです。

それを思うと、
夫の態度は息子から見ても目に余るものなのかと思い、
辛い気持ちになりました。

「でもね、なんとか大丈夫。
ここまで連れ添ったんだから、最後まで行けると思う」

と息子に答えると、

「それはさ、トリカブトの毒に触れるくらいなら、
腐りかけの卵を毎日食べるくらいは大丈夫、
というのと同じなんだよ。
母さんはあのひどい家で育ったから、
それに比べれば父さんは毒が少ないと感じてるだけ。
言っておくけど、腐りかけの卵だって、
毎日食べれば死ぬからね」

と、厳しい答えが返ってきたのです。

さらに、

「百頑張ろうとするのはダメだよ、
離婚してもなんとかなるから。
離婚しないんだったら、パパがキレても30でやめな。
40頑張ったところで、結局キレるんだから。
どっちにしてもキレるのは同じなんだから、30でやめな。
いい?そうしないと早死にするよ!」

という内容の電話が、
同じタイミングで妹からもかかってきました。

見かねた娘が妹に、うちの事情を話し、
妹に相談していたのです。

しかし、妹のアドバイスを聞いた息子は、

「30もやらなくていい。
ゼロにしな。じゃないと死ぬよ」

と言ったので、私はとても辛い気持ちになりました。
みんなが味方してくれるほどに、
辛い気持ちになったのです。


夢を見たのは、
夫と次男とショッピングに出かけて、
駐車場のことで揉めた日の翌日の明け方のことでした。

身体障害手帳は持っていないものの、
私は自分の車に障害者マークを貼り付け、
障害者スペースに車を停めて買い物をすることを日課としているのです。

杖をついても、一日に歩ける分量は決まっていて、
歩き過ぎると痛みが出てしまい、
日常生活がこなせなくなってしまう上、
今は次男を育てることに体力を奪われ、
余計に自分を守らなければ、それこそ早死にしそうな毎日なのです。

その日は夫が車を運転していて、
ショッピングモールの駐車場にたどり着いた夫に、
「そのままお店の前まで行って、障害者のスペースに駐車して頂けますか」
と私が案内をしたのです。

すると、夫の機嫌がみるみる悪くなっていくのがわかりました。
夫は私の指示には従わず、
店から離れたところに空いていた、
『健常者』のスペースに車を停めました。

「あの、モールの中もとても広いから、
せめて駐車場だけは近くにしてもらわないと、
私には歩ける距離ではないんだけど、ダメなのかな?
中を歩いて帰宅して、家事をする体力も残すとなると、
ここからお店までの距離が、私には命取りになるんだけど」

と夫に伝えると、

「お前は身体障害手帳は持ってないでしょ、
本物じゃないじゃん。俺は社会のルールは破りたくないの」

と機嫌の悪い答えが返ってきたのです。
そこで私が、

「そうなんだけど、市役所で、私のような場合には、
障害者マークを勝手に貼って、駐車場を使っていいと言ってくれたよね?
それにあそこにも書いてあるけど、
障害者手帳のある人だけではなくて、
妊婦さんや、怪我人も、今は使っていいことになってるの。
それに、あんなにたくさん障害者スペースが空いているから、
本物の人の迷惑にはならないと思うよ?」

と、夫にわかりやすいように説明すると、
その私の態度に更に腹を立てた夫は、

「じゃあここで待ってれば?俺一人で行ってくるから」

と、機嫌を損ね、
一人で車を降りて去って行ったのです。

取り残された私は唖然とするしかありませんでした。

一体何が気に入らなかったのか、
夫はやはり脳に病気があるのではないか?
私の足がこんな病気だから、夫は私に嫌悪感を抱いているのだろうか。
どちらにしても、
人生の伴侶が、他の誰よりも私に対して理解がなく、
優しさを向けてくれないなら、それを伴侶として私は幸せといえるのか、
子供時代が辛かったのに、後半もこれで良いのか、
情けなくなり、車の中で次男を抱いたまま、
私は一人で泣いたのです。

そして浮かんでくるのは、
事故で亡くなられた兄弟子様の奥様のことでした。

「私も死にたい。」

と思いました。

そういう楽な道がいつでも残されていて、
私は常に「死」に対して逃げ道を見出し続けていて、
それがあるからこれまで頑張ってこられたのだと、
ずっと死に憧れと理想を安らぎを感じ、懐き続けながら生きてきた、
そういう自分の想いに気が付いたのです。

「死んじゃいたい。死んでしまえば少なくとも、
駐車場のことでこんな気持ちになることからは、
逃げられる。
それに副住職様も、他にも待ってくれている人がいる」

と思いました。

私にはいつでも『死ぬ』という逃げ道がある、

そう思うと涙は止まり、
ここで泣いていても仕方がないと思えたのです。


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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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