真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

反省


「今更、と思うかしれないけど、
古い方の家族を卒業することにしたよ」

私は、娘と妹に告げました。

「もっと上を目指してもらいたいと思っていたから、
よかった」

と妹は答え、
それでも一瞬、妹が寂しそうな表情に変わったのを、
私は見逃しませんでした。

妹と別れた夜、

「お母さんとまりちゃんのことだけど」

と娘が切り出しました。

「ああいった両親の元に生まれて、
二人は同じ苦労を味わったと思うんだ」

娘はそう言い、

「だから、お母さんは、
バァバから虐められてる理由を、
私の足が悪いからだと自分の足のせいにして、
まりちゃんは、
お姉ちゃんが虐められてるから、
自分も虐められてるんだと思い込むことにしたんだと思う」

と言いました。

「例えばスクールヒエラルキーで、
一番下になった二人が、
お互いに『こいつとつるんでるから虐められてるんだ』って、
相手のせいにし合ってるのと同じように見えてた。
本当は自分の態度や心の持ち方のせいなのに、
人は弱いから、他人のせいにしたいでしょ。
助けてくれる大人のいない状況で、
これ以上自分のせいだとは思いたくなかったんだと思う」

娘にそう言われると、
辛かった子供時代の、
妹の暗い目を思い出して涙が滲みました。

「バァバは自分の人生が辛すぎて、
不幸なのはみんなこいつのせいだと、
お母さんに責任転換していたし、
他のみんなも全員、お母さんのせいにするのが、
一番楽だったんだと思う。
バァバとお母さんがいつも揉めてるのが、
自分の人生の辛い原因、
原因はいつでもお母さんのせいだって、
思うのがみんな一番楽だったんだよ。
自分の心の中を見ることの方が辛かったから。」

と娘は続け、

「それから、バァバが自分に意地悪してた、
ということに気付いたんだったら言うけど、
それとおんなじ意地悪を、
昔お母さんがまぁちゃんにしてるのを、
見たことある。」

と指摘しました。

まぁちゃんというのは、
先月二十歳の誕生日を迎えた長男のことなのです。

「わかってる。
私も、自分のされたことと同じこと、
自分の子供にしていたね。
まずは自分がやめないとね」

としょんぼりした私に、

「今はしてないから大丈夫だよ、
でもまだ素直にまぁちゃんと向き合ってないみたいだから、
まぁちゃんが家を出る前に、
もっと仲良くしたら。
出ていく日が近付いて寂しいから、
自分の心をごまかそうとして古い家族との古い傷に、
目を向けようとしているんじゃないの?」

と娘は優しく言いました。

長男は来年の春に家を出るのです。

娘にそう言われると、

自分の心の寂しさや惨めな思いを私にぶつけた母と同じに、
私もまた心の弱い人間なのだと思い知り、

結局はどこまでもどこまでも、

自分の問題なのだと、
反省したのです。



スポンサーサイト
  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

現実


母との距離を取ってひと月が経つと、
私はさらに、

自分と母との関係を、
客観的に見ることができるようになりました。

母は隣家の伯母の飼っていた猫を、
車に乗せて、
遠くのスーパーマーケットの駐車場へ、
捨ててきたことがあるのです。

私が可愛がっていた子犬も、
私が学校へ行っている間に捨てられ、
大事にしていた他のものも事あるごとに捨てられ、
母に抗議をすれば『口答え』だと罵り返されました。

こんなこと、したくてしているのではない、
お前が私を怒らせるからだとか、
お前の成績が下がったから仕方なくこうしたのだと、

私が幼少期からされてきた数々の仕打ちの責任を、
私に取らせようとしたのです。

しかし私はもう、
気付いてしまったのです。

『要するにお母さんは、
底意地の悪い、性根の悪い女だったのだ』

と私は、敢えて言語化して口に出してみました。

母を美化し、

母は心を病んでいるのだとか、
母は幼少期に自分の母親からひどい目に合ったせいなのだと、

庇う気持ちで母を理解しようとしていた私は、

単に現実を受け入れられず、
母に依存していたに過ぎなかったのです。

さらに私はもうひとつの現実を直視しました。

『あの家で私は母親からイジメの対象にされていて、
父も妹も、見て見ぬふりをしていた。
結局誰も私を庇ってはくれなかったし、
私がイジメを引き受けていた事で、
他の家族は母の憎しみの対象にされることから逃れ、
都合がよいと安堵していたんだ』

私は長年心の中にしまい込んでいたモヤモヤを、
言葉にして吐き出してみました。

『だから私は、
助けてくれなかった父と妹のことも恨んでいた』

言葉にしてみると、
心の中の冷え切った部分が、
うずくような感覚に襲われました。

私は決して、
認めたくなかったのです。

私が家族全員から、
イジメの対象に選ばれたことを、

愛されてなどいなかったことを、
直視できずにいたのです。


高校生になった年、
早く大人になりたかった私は、
飲食店でアルバイトを始めました。

当時、母と同い年の、
とんでもなく意地悪なパートタイマーの女性に、
激しい意地悪を受けたことがありました。

根性で一年間、そのお店でのアルバイトを続けたものの、
そのパートさんの意地悪に耐えかねて、
他のお店にバイト先を変えました。

しかしその後私は何度転職しても、
高確率でとんでもない意地悪な女性に出くわし、
繰り返し嫌な思いを味わい、

友達に話すと、
『そんな意地悪な人には会ったことない』と、
みんな首を傾げたのです。

自己啓発セミナーに通ってみたり、
ホ・オポノポノを実践しながら、

『あの意地悪な女が私の中にいるのだ』

と自分を戒めつつ、
ゆるしてください愛しています、
と頑張ったのが10年前のことでした。

今でこそ、
確かにその意地悪な女性は私自身だと受け入れたものの、

『その前に、
あの女たちは全員、
母親にそっくりだったじゃないの』

と気が付いたのです。

今更気が付くなんて、

私はよほど、
母親に夢を見ていたかったのです。

優しくて、
いい匂いのするお母さんが、
娘の私を誰よりも、
無条件に愛してくれている、

という夢の世界を生きていたかったのです。

しかし現実は、

心の暗い母親から生まれた私は、

自分以外の人間を愛する能力のない母から、
『憂さ晴らし』としてだけ必要とされ、

父は助けるどころか、
見てみぬふりを続けていた、

これが私の子供時代だったのです。


  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]


母のお腹に最初の赤ちゃんができた時、
母は19歳でした。

北海道の父方の両親に反対をされて、
札幌の病院でそのまま中絶手術を受けたのだと、
繰り返し語る母は、

自分の両親に中絶するように言われたとは、
一度も話したことがないのです。

母と距離を置く日々の中で、
私はふとそのことに違和感を覚えました。

『最初の赤ちゃんのことで、
随分とお父さんに怒っているみたいなのですが、
そんなに、お父さんが悪いわけでもなさそうなのですが』

と、水子供養の日に師匠が言ったひと言も浮かびました。

『本当は自分の父親を恨んでるんだ』

と私は、
今更ながらに母の本心に気付いたのです。

「お父ちゃんは私を可愛がった、
お父ちゃんには可愛がられた思い出しかない」

と繰り返し、ただそればかりを言い続ける母は、
自分にそう言い聞かせ、
自分に嘘をつき続けていたのです。

『とすると、私の激しい長年の父親への恨みは、
半分以上、母親の想念だったのかもしれない』

と私は思いつきました。

19歳で、最初の赤ん坊を中絶させられた母は、
両親への恨みを直ちに心の奥底に隠し、
恨みの対象を自分の夫にすり替え、

私はその複雑な『戦争』に巻き込まれながら、
厄介な子供時代を過ごしたのです。


母の恨みがここまで悪化し、
心の病にまで冒されたのには、

実家の隣家に住む伯父夫婦が絡んでいることにも、
気が付きました。

実家の隣家に住む伯母も、
19歳で妊娠をして、

しかし伯母の方は嫁として迎え入れられ、

祖父は伯父と伯母と、
生まれてくる赤ん坊の為に、
土地と家を用意したのです。

その頃私はこの世に誕生していて、
新婚の両親の借りたアパートの一室で、
母にオムツを替えてもらいながら、
母の『怨念』を一心に引き受けていたのです。

『なんであたしは中絶させられたの?
なんで兄ちゃんの連れてきたあの女は赤ん坊を産むの?
なんで兄ちゃんとあの女は、
お父ちゃんから土地と家が貰えたの?』

と呟く母の声が耳に残っているようで、

私はそんな母に同情し、
母の怨念を共に背負ってきたのだと、
全く突然に、気が付いたのです。

しかし、伯父と伯母の間に出来た最初の赤ん坊は死産し、
母は自分の『呪い』が叶ったのだと思ったに違いないと、
私はハッとしました。

以前、母と二人で祖父母の墓参りに行った時、
祖父母の墓前で手を合わせていると突然風が吹き、

隣家の伯母の死産した赤ん坊の墓のあたりから、
ガタガタと卒塔婆の鳴る音がして、

「ほら、あの子が呼んでるんだ、
行ってやらないと」

と、母が酷く怯えたのです。

その従兄弟の墓前で母は手を合わせ、

「水に流してください、
どうか水に流してください」

と謝り続けた母の背中を思い出すと、

『そんな赤ん坊、死ねばいいのに』

と母が怨念を向けたことは、
全く想定できることだと、感じたのです。

伯母が妊娠して嫁に来たのが19歳、
母が最初の中絶をしたのも19歳、

どちらも知っていたことだったのに、
今までなぜ気づかなかったのか、

それは私が、
母の為にと正当化しながらも、

「恨むのを止めたくなかったからだ」

と、

一番大事なことに、
気が付いたのです。



  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

ミッション


母からの連絡を着信拒否にして、
しばらく経つと母から娘の方に連絡が入り、
私は次男と娘を連れて実家へと出掛けました。

「着信拒否にされたことには気付いてないみたい。
お母さんに繋がらないからこっちにかけてきただけで、
この子に会いたいだけみたい」

娘は次男を抱いて、そう言いました。

「子供を取り上げられたくらいにしか、
理解してない感じだったよ」

と娘に言われ、

確かに母が、私に冷たくされたところで、
胸に手を当てて自分の言動を振り返るはずもなく、

私の書いた手紙の意味も、
おそらく理解できていないのだろうと思いました。

久しぶりに母に会ってみると、

母は自分の心の中から聞こえてくる、
自分自身の声に負け、
世界中を恨み、呪うことだけに生き甲斐を感じていて、
私たちのことなど目に入っていないように見えました。

絶えず、隣家の伯母の悪口を吐き、
それを、孫である娘や次男が聞いていようが、
他人のことなどお構いなしなのでした。

少し距離を置いている間に、
母を母親としてだけでなく、

『自分勝手な人だ』

と、今更ながらに、
冷めた感想を持って、
まじまじと観察してしまいました。

そして、これまでの人生で出会った、
『苦手な女性たち』が全員、

母にそっくりだったことに、
気が付いたのです。

「母親を飛び越して、
全員自分に似ているのだと思っていたの。
相手は鏡で、全部自分の業なのだと思っていた。
それも間違いではなかったんだけど、
お母さんと、あの人たちが似ていると、
認めたくなかったみたい。
母親に、夢を見ていたかった、
お母さんは素敵だと信じていたかった私がいたんだね」

帰り道に、気付いたことを娘に話すと、

「なるほどね。
お母さんが若い頃に、
次から次へと連れてくる自分勝手な人たち、
私は全員嫌いだった。
お母さんはどうして、自分を大切にしてくれない、
お母さんをただ利用するだけの人とばかり仲良くなって、
家に連れてくるのかなと不思議だった。
あの頃、いい友だち一人もいなかったよね。
みんなバァバに似ていたよ」

と娘が答えました。

「お母さんは得度して、
自分を大事にできるようになったよね。
変な人と付き合わなくなった。
それから怒らなくなったし、
明るくなった。
ただ一つだけ気になるのは、
張り合いがなくなってつまらなさそうなところ。
怒りと恨みの代わりのエネルギーが、
うまく見つからないのかな」

娘にそう言われたタイミングで、
師匠から、用事が入り電話がかかってきました。

いよいよお寺が転居になるといった報告に加えて、

『そろそろ次のミッションに取り掛かった方が良い』

と言われました。

「今までやってきたこととは、
別のことで、ですか?」

と聞くと、

「別のことです。
そのうちに出てくると思います」

と師匠が答えてくれました。

母と距離をとったことで寂しさも感じていた私は、
まだこれから始めなければいけないことがあるのだと言われ、

師匠の言葉のタイミングの良さに驚きつつも、

道の先に希望の光を、
また見つけたのです。



  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

神世界


定期的にかかってきていた母からの電話が途絶えると、
メール相談を受け付けるサイトと自然に繋がり、

新たにメールで相談を受ける窓口を、
開設することになりました。

それに加えて、
布小物製作のオーダーが入り、
また、マーケット出店の依頼も舞い込みました。

母のことを忘れて、
メール相談の返信をせっせと返しながら、

育児の合間にミシンに向かい、
作品を作り続ける毎日の中で、

ある日、

「お母さん、イライラが溜まってくると、
バァバに憎しみを向けて解消していたんだね。
その相手がいなくなって、
こみ上げてきた憎しみを持て余しているように見えるよ」

と娘に言われました。

一歳になった次男にまとわりつかれ、
思うように作業ができずに、
フラストレーションの溜まってきた日に、
言われたのです。

そう言われた瞬間、
以前師匠からも、

『ブツブツ言いたい時に、
お母さんから電話がかかってきているのではないですか』

と指摘されたことを思い出しました。

てっきり、母が私に依存しているのだと、
被害者は自分なのだと、
これまで信じ、思い込んできたのです。

しかし実際は、
私の方が母に依存して、

憎しみの対象になってもらっていたのだと気が付き、

世界がひっくり返ったような気持ちになりました。

『お前はお父さんにそっくり、
あの男にそっくりだ』

と言われては母を憎んだ私は、

母を『憎ませて』もらっていたのだと、
謙虚な気持ちになりました。

この世界に存在するすべてのものには、
一切の無駄がなく、

恨みや憎しみという嫌悪の対象からでさえ、
私たちは皆、
日々恩恵を受けているのだと思いました。 

私にとって、
両親が憎しみの根源だったのではなく、

私自身の心の中に憎しみがあり、
押さえ込んだ怒りがあり、

両親は私からそれを受けるという、
大事な役割を担ってくれていたのです。

私も両親も、単独的に色眼鏡をかけたままお互いを見ていて、

そこに関してはお互いがそれぞれ、
一人ずもうをとっていただけに過ぎなかったのだと、

夢から醒めたような気持ちになりました。


そして、

母と距離を取ることで見えるようになった、
この新しい世界を、

今度は楽しみながら、
生き直したいと思ったのです。




  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY

プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

個人セッションのお申し込みはコチラまでメールにてお願いいたします。
facebookはコチラ

☆サイト『ココナラ』さんでもメール相談を受け付けています☆

最新トラックバック

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

かんのんいんカウンター

« 2015 11  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR



.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。