真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

着信拒否


母に手紙を渡すのはやめることにしました。

代わりに、その場で母に、
自分の心の内側を見せることにしました。

「でもお母さん、苛められる人は、
本当に辛いんだよ」

と私は母に切り出しました。

私が何を言いたいのかを察した母は、

「あんただって苛められてたって言ってたもんね。
あんたは何をされたのよ?」

と尋ね返してきたので、

学校の帰りに一人で校庭を歩いていたら、
後ろから石が飛んできて、
後頭部にあたって血の出た時のことを話しました。

「後ろには、クラスでイジメの糸を引いていた男子と、
野球部の男の子たちが集団で歩いていたの。
数メートル後ろを歩いていたから、
投げたのは野球部の子だったと思う。恐かった」

と母に言うと、

「あんたはまたちょっと、なんていうか弱いのよ。
繊細過ぎるんだよね?あたしだったら後ろ向いて、
なにすんのよ、バカーって石を投げ返してやる。
次の日学校に行ったらみんなに言いふらしてやる、
あんたはおとなしすぎるのよ」

と早口に畳み込んできました。

ああ、この人はこういう人だから、
私は絶対に言えなかったのだと再確認しました。


親友だと思っていた友人に、
「障碍者のクラスに入ればよかったのに」
と言われて傷ついて、
何も言いかえせなくなった時の話をすると、

「そんなのね、あたしだったらその子の傷つくことを、
なんかすぐに探して言い返してやるわ。
あたしの親友がムカつくこと言ってきたとき、
なによあんたの父親なんて肺結核じゃんて言い返してやった。
その子の父親が肺結核になった時、
村八になりかけて、その子はそのことを一番気にしていたからね。
あんたは傷つきやす過ぎるしおとなしすぎるの。
すぐに言い返さなきゃ。」

と言いました。

分かってはいたことだけど、
私はこういう人の腹から生まれてきたのだと諦めました。

師匠が私に言ってくれるような、
私が本当に成長できるような教えを、
この人には求められないのだともう一度確認しました。

夫に、石を投げられたときの話をしたときには、
夫はその場で私の頭を優しく撫でて、

「そんなことされたの?かわいそうに。」

と言って抱きしめてくれました。


母にもただ、そうしてほしかったのです。
今の私ではなく、
子供の頃の私に、そうしてあげてほしかっただけなのです。

「おまえが弱いから」

「おまえが傷つきやすすぎるせい」

ともっと責めるのではなく、

ただ、「痛かったね」と言って、
抱きしめてほしかったのです。


この人を親と思うのをやめよう、

と私は、冷静に判断しました。


親と思うのをやめるということは、

理想を押し付けて期待して、
追い求めるのをやめるということなのです。


翌日、母から一通のメールが届き、
開けてみると、それは私への攻撃の内容でした。

妹が実家に置いている洋裁の道具やベビー用品、
それから私が持ち帰るのを忘れた、
次男の歩行器が邪魔だという内容で、

突発的に湧き上がってきたイライラを、
また私にぶつけてきたのです。

「イライラして文句言いたくなると私を選ぶのね。
歩行器は次回引き取りますが、
他のベビー用品については、
まりちゃんは流産したばかりなのだから今は文句言わずに、
預かっていてあげたらどう?
広い家に一人なのだから、置くところはたくさんあるでしょう。
ケチな気持ちにならないようにしてほしいと思います」

と返信すると、

「捨てたい。全部捨てたい。この土地も。
この家も。ここの暮らしも思い出も。
全部処分したい。裸足で出たい」

と返事が返ってきました。

それを読み、私の中である決意が生まれ、
私は母に、

「わかった。私はその土地を捨てます。
私が捨てなければお母さん幸せになれないね。
踏ん切りがつきました」

と返信をして、母からのメールも電話番号も、

『着信拒否』に設定したのです。




スポンサーサイト
  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:1
  4. [ edit ]

差別



母に呼ばれ、
母に書いた手紙を持って、実家へ出かけることになりました。

その日の母は調子が良く、
今がそのタイミングだと感じた私は、

「お父さんて、朝鮮ではなくてアイヌの血を引いているんじゃない?」

と問い掛けてみました。


母はギョッとしたような表情で私を見つめて黙り込み、

「アイヌ・・・?アイヌなの・・?」

と呟くと、

「アイヌなんて口が裂けても言わないで!」

と興奮しました。

「アイヌだったらもっと悪い、朝鮮の方がマシ、
アイヌだったら村ハチになるよ?
この子が学校でいじめられたらどうするの?!」

と言い、一歳になった二男を抱きしめました。


ヒイ、なんか凄まじい展開になったぞ、
と思いつつも冷静に、

「アイヌだと村ハチになって、子供は学校でいじめられるの?」

と聞いてみることにしました。


母は、

「そうだよ当たり前でしょ、アイヌなんて動物と同じ扱いなんだよ、
人間以下なんだから、朝鮮の方がマシなの、
アイヌだって思われたくないから朝鮮だって言ってたんだからあたしは!」

と興奮し、

「結婚したいって親に言ったとき、
今まで一度も怒ったことのなかったおとうちゃんが、
『どこの馬の骨だ!!』って初めて怒鳴ったの、
その頃の私の親友も、『北海道の人なんて、アイヌなんでしょ?』って、
意地悪く何回も聞いてきて。
アイヌじゃない、韓国だと思うって言い返してやったのよ」

と言いました。


アイヌにここまでの反応をすると思っていなかった私は、

「でも今はアイヌ刺繍もみんなが習うくらいだし、
アイヌ文化を勉強している人だってたくさんいるよ」

と言ってみたのですが、

「やめて!二度とアイヌなんて口にしないで、
おまえまさか、誰にも漏らしてないでしょうね?
人に知れたら大変だよ!ここに住めなくなるから!」

と母は取り合ってもくれませんでした。

ブログで世界に向けて発信してしまった後だけど、

「誰にも言ってないよ」

と返事をすると、
母は二男の顔を覗き込み、

「ほら、この子は一重瞼だ、
韓国の血が流れてるからだよ」

と言いました。
そして、

「アイヌはね、それはもうひどい差別を受けて、
結婚もできなくて自殺するしかない人だっているくらいなの。
みんな動物と同じ扱いを受けて殺されたんだから。
アイヌと結婚したなんて思われたら大変だ。
絶対に朝鮮、お父さんは朝鮮なのよ」

と一人で喋りつづけ、

北海道の親戚が、祖父の葬式の時に、
頭に黄色いリボンをつけていたとか、

母の中で『朝鮮』のイメージを持つ、
曖昧な、因果関係の不確かな『証拠』のひとつひとつを、
早口にまくし立てました。


結局、母の話では何ひとつ確かなことはわからずじまいでしたが、

母の心の中にこれだけ酷い『差別』が根付いていて、
それが無意識に私に向けられていたことだけが、

はっきりとわかりました。


私は母に『動物と同じ』と深い部分で差別されていて、

それが私の根深い『自己卑下』と、
強く結びついていたのです。





  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

手紙


子供の頃、

足の傷のことや歩き方のことで、
嫌というほどからかわれ、

孤独を味わってきた私でしたが、

その上、市内にたった一軒しかいない、
自分の苗字がこの上なく、大嫌いでした。


おとなしく目立たない子供だったのに、

「ああ、足が悪くて変な名前の子ね」

と、他のクラスの、
自分の知らない生徒が私を認識していることがまた、

自己嫌悪と自己否定の想いを余計に煽ったのです。


変な名前、変な歩き方、
変な奴、

と認識された私は、

変なあだ名をつけられて、
笑われて、

傷つけられ、
いつでもどこにも、逃げ場がなかったのです。


『差別』が私の生きるテーマなのだと思っていました。


しかし、
自分の先祖がアイヌ民族なのだという閃きが沸き起こり、

アイヌの人たちが虐殺された歴史のことを考えると、


その否定的な想いが、
根深く私の細胞に記憶されているのに違いないと、
納得がいったのです。


元々苗字を持たなかったアイヌの人たちに苗字をつけた時に、
わざと変な苗字をつけた、とも言われていて、

それが「おまえが差別されていることを忘れない為」という意味だったのだとしたら、

子孫である私にまで、
その効果は覿面に現れたと、

ご先祖様に本当に申し訳ない気持ちになりました。


もし本当に、先祖がアイヌ民族なのだとしても、

『変な苗字』の意味にも気づかず、

アイヌだということを封印されて隠ぺいされて、
これまで知る由もなく生きてきたのです。


自分の中に深く根付いていた『自己否定』の原因がそれだったのだとしたら、

『隠さずに面に表していくこと』だけが、

私を元気に、健康に、
そして幸せにする方法なのだと確信したのです。


足の病気も大きな傷も、
変な苗字の由来も、

両親との問題のことも、

私の心の中を全て隠さず発表し続けていこうと思いました。

それが、私にできる、
私に贈る最高のプレゼントなのです。


早速、私は母に手紙を書きました。


子供の頃に辛い目に合ったこと、
体育の時間が地獄の時間であったこと、

友達に、

「身体障害者なら、
身障者のクラスに入ればよかったじゃん」

と笑われた日のこと。

付き合っていた彼氏に、

「エレファントマンみたいな歩き方しやがって」

とみんなの前で言われて、
みんなが笑って、傷ついたこと。

職場でダックとあだ名をつけられていると、
仲良しの同僚が、笑いながら教えてきた日のこと。

「でも、お母さんに全部隠していました。
私が傷ついていることだけは絶対に知られたくなかった。
顔で笑って、心で泣き続け、
心の中は傷でぐちゃぐちゃだったけど、
お母さんだけには言いたくなかった。
誰にも言わず、誰からも理解されず、
ずっと孤独でした」

と手紙に書きました。

誰よりも、
母に本当の想いを隠し続けて生きることをやめなければ始まらないと思ったのです。


するとその翌朝、

父と母と一緒に、
きれいな海を観に行く夢を見て、

目が覚めたのです。





  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

アイヌ


母の赤ちゃんの水子供養を終えた後、
母に呼ばれて何度か実家へ出かけましたが、

腹の中に抑圧されていた『怒り』がいよいよ表面に現れ、
父に対する憎しみと恨みを吐き出し始めた母は、

もはや自分でそれを止めることができなくなっているようでした。


両親の苗字である、私の旧姓はとても珍しい苗字で、
全国に160人しかおらず、

北海道出身の父のことを、

「あいつは朝鮮人だったのよ、
私は騙されて結婚したの。
日本人が誰も結婚してくれなかったから、
コンドームに穴を開けて私を無理やり妊娠させて、
私は結婚させられたの。あの男にはめられたの。」

と罵り、その日も母は、
聞くに堪えないひどい言葉を使って、
怒りをあらわにし続けました。

「だって、初めて北海道へ挨拶に行ったとき、
お祖母ちゃんがこうやって挨拶したの、
見て、こう、こうやってだよ」

と言って母は、
これまでに千回も見せられた、
『朝鮮式の挨拶』を馬鹿にしたように、

大げさにパフォーマンスして、

深々と、床に頭をこすりつけながら、
挨拶してみせました。

「こんな挨拶日本人はやらないよ、
朝鮮だったの、あいつら全員朝鮮だったの。
おまえには朝鮮人の血が流れてる、
そしておまえにも半分流れてるんだからね」

と言って母は、私の娘を指さしました。


私はこの上なくげんなりとして、

「お父さんが朝鮮人だなんて証拠はどこにもないでしょ、
その話は二度としないでと頼んだじゃない、
この子にまでそんなこと言わないで」

と母に刃向いましたが、

「シーッ、外に聞こえる、
あんたは本当に声が大きくて恥ずかしい」

とさらに責め立てられ、
もう口もきけなくなり、

苛立ちと悲しみで、
只々固まるばかりになってしまいました。


母の水子を供養するところまで頑張ったけど、
この先このおばさんと付き合い続けて、
何かいいことあるのかな、

縁を切った方がもう早いのではないかしら、

とくじけた気持ちでぐったりとしていると、
母がトイレに立った隙に娘が、

「そろそろバアバに本気で取り合わない方がいいよ」

と私に耳打ちをして、

「あいつ(母)ムカつくな~?!
でも、あれだけ他人の気に障ることばっかり喋り続けて止まらないのを見ると、
こうなった(一人ぼっちになった)のは仕方ないなと同情もしたくなるよ」

と言ったので、
私は少し正気を取り戻し、

娘と二人で観音様の前に座り、
読経することができたのです。


読経をしていると、
ある閃きが沸き起こり、

それはもう直感で、

これが真実なのではないかと思えて仕方なくなりました。

読経を終えた私は娘に、

「朝鮮ではなくてアイヌだよ。
どうして気付かなかったのかしら。
北海道出身の珍苗字といえば、
朝鮮ではなくてアイヌ民族なんじゃない?」

と言いました。

「あ、そうだ。
ほんとに、普通に考えればわかることなのに、
どうして誰も気付かなかったんだろうね?
そうかもしれないよね」

と娘が答えました。

父が小学生だった時に、
6人兄弟の一番上の姉(父方の伯母)が、

珍苗字が恥ずかしいから名前を変えたいと両親に訴えて、

学校を卒業するまでの数年間を、
『武本』という苗字に変えて過ごしたのだと、

子供の頃に父から何度も聞かされていたのです。

「それでお父さんも武本に苗字を変えていたんだよ。
すごいだろ?姉さんは本当にわがままだったから、
名前まで変えるなんて親が言うこと聞いたんだから。
長女って言うのは、なんでも聞いてもらえたんだよ」

というエピソードを繰り返し聞かされていた母と私だったのですが、

母はその頃から父の実家を怪しんでいて、
その全てを繋げて『朝鮮人に違いない』と勝手な判断を下したのです。

それは朝鮮人の履いている靴を『チョン靴』と名付けていた、
昭和中盤の頃の、
朝鮮を馬鹿にした風潮も絡んでいて、

父がこの土地からついに追い出され、
60歳を過ぎて北海道へと一人で帰って行くことになったのには、

あまり前向きな理由がないように、思うのでした。


自宅に戻り、
妹に電話をかけた私は、

「どうしてだれも気付かなかったんだろう。
私たちの先祖はアイヌ人だったのではないかしら」

と言うと、

「たしかに、北海道の親戚はみんな、
何かを隠して上辺を飾ってるイメージがあった。
確かに!北海道でこんなに珍しい苗字なんだもんね。
朝鮮よりも先に、アイヌが出てくるはずだったよね?」

と妹も納得したのです。


どうして今になって突然気が付いたのか、

それは、母方の先祖の供養水子供養が一通り終わって、
私の気持ちが父の方へと向き始め、

父を受け入れ始めたからなのではないかと思いました。


「アイヌ刺繍を始めようか。
まりちゃんの作った洋服に、私がアイヌ刺繍をして売るの。
それはきっと、お父さん側の、いい先祖供養になるかもしれない」

と私が提案すると、

「いいね、アイヌ好きだよ!
アイヌ語の響きは美しいのよ!」

と、

妹も元気よく答えたのです。




  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY

プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

個人セッションのお申し込みはコチラまでメールにてお願いいたします。
facebookはコチラ

☆サイト『ココナラ』さんでもメール相談を受け付けています☆

最新トラックバック

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

かんのんいんカウンター

« 2015 09  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR



.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。