真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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幸せ


「お母さんはただ、
子供を亡くしたことがショックだった、
それだけだったみたいですよ」

母の憎しみの根源には、
子供を失ったショックと悲しみがあるだけなのだと、

最後に師匠は私に告げて、

憎しみが増幅しないようにと、釘を刺してくれました。


翌日、母に電話を掛けて、

「水子供養終わったよ」

と報告をしました。

「お父さんへの怒りが強いから、
戒名にはお父さんの名前は使わなかったんだって。」

と言い母に怒りを自覚させ、
二体の水子さんの戒名を告げました。

「ああよかった、これでいいところへ逝ったんだよね?
本当に良かった、よかった」

と母は涙声で繰り返し、

電話を切った後に一通のメールを送ってきたのです。


『肩に乗っていた重い石がスッと降りたみたい。
心がクリアーになりました。
堕胎にずっと罪を感じていたから。
まりの赤ちゃんが供養の方向へ導いてくれたのかな。
感謝です、本当にありがとう』

という母からのメールを読み、

堕胎に罪悪感を持ち続けながらこれまでの人生を送ってきた、
母の気持ちを理解して、
共に喜びの気持ちが湧いてきました。


するとその晩、
ずっと音沙汰のなかった父から電話がかかってきたのです。

「お母さんに電話をかけたら、
呼び出し一回で切られたんだよね。
なんかあったのかな、何かお父さんのこと怒ってるのかな?」

と父に言われ、

これはもう、
みえない部分ではみんな繋がっているのだと観念し、

私は本当のことを父に話す決意をしました。


「何か怒っている、というのをずっと続けて来たけれど、
その怒りの一番核になっている部分の話をしてもいい?」

と言うと父は、
半分逃げ腰なような声で、
それでも、

「うん、聴くよ」

と返事をしました。


「お父さんが浮気をしているとか、
朝鮮人だとかなんだとか色々言っているけど、
本当はね、一番最初にできた赤ちゃんを、
産みたかったんだよ、お母さんは」

思い切って私が言うと、

「うん・・・わかってたよ、お父さんは。
今までの水子さんたちに悪かったと思ってる、
全部わかってるんだよ、お父さんは」

と父は答えました。

「お母さんは怒っているの。
ずっとそのことを怒っているの。
そのあとすぐに妊娠した私を産んで結婚できたなら、
最初の赤ちゃんをどうしても堕ろさなきゃならないってことは、
なかったはずだと怒っているんだよ。
一回そのことと向き合って話してみたら?
本当のことを話せばいいんだと思う。
嘘やごまかしを一切やめて、本当に思っていることを伝えれば。
このまま年を取って死んじゃってから、
死体に向かって謝っても悔やまれるだけなんじゃないのかな」

と言うと、

「わかった、
おまえに電話してみて良かった、
お母さんと話してみるよ」

と父は言い、

「ありがとう、
ほんとにありがとう」

と何度も私に礼を言うと電話を切りました。


その「ありがとう」を聞いたとき、
私はもう父を憎むのをやめたのだと確信しました。

それは、一生できないことと諦めていたことでした。


両親のもとに生まれて、
心にも体にもたくさん傷をつけられて、

それでもこんなに爽やかな気持ちになれた今、
自分は本当に幸せだと強く感じました。

一筋縄ではいかないこととはわかっていても、

ゆっくりと、でも確実に、

幸せへの道をたどりたいと思ったのです。





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目標


水子供養の法要が終わると、
師匠が私の腰に手を当てて、

痛みの激しい患部を優しく摩ってくれました。

子供の頃に、そのように優しくしてもらった経験のない私は、

何度そうされても、されるたびに緊張してしまい、
何も言えずに、ただ体を固く縮めてジッとして、
師匠の目を見ることさえできずに固まりました。

しばらく私の目を見つめながら患部を摩った後、

「腎臓・・・ですか?
ここに溜め込んでいるのは、『お母さんの怒り』なのではないですか?」

と師匠が口を開きました。


母の怒り、と聞いて、
ハッとしました。

私がこれまでに憎んできた相手も、
憎み方も、憎むことになった経緯もすべて、

母のものとそっくりだったことに思い当りました。

私は誰かを憎むたびに、
母が、父や自分の両親、兄弟、親戚を憎み、
その憎しみを言葉に変えて私を攻撃してきた母のことを想い返し、

こんなところまで母親に似なくても良かったのにと、
いつでも自己嫌悪の思いに駆られていたのです。


私は母が憎んだのと同じに、
自分の母親を憎み、父親を嫌悪し、
悪いのはすべて周りの人間なのだと人生を悲観し、

幸せから程遠い場所に、
いつでも自分の身を置いていたのです。


母を追い求め、母に愛されたいと切望するあまりに、
私は母親の代わりに、母の憎む相手を共に憎み、

母に寄り添うあまりに境界線の中にまで入り込んでしまい、
それはもう盲目的に、

母を悲しませた人全員に、
かたき討ちをするような想いを溜め込みながら生きてきたのだと、
気が付いたのです。

それはまるで、会ったこともない敵国の人を洗脳によって憎まされ、
無条件に攻撃を仕掛けていく兵士のようなものだと思いました。


「ここを押すとどんな思いが湧いてきますか?」

患部を指で押して師匠が静かに言いました。

私は痛い部分に意識を集中し、
自分の内側へと入っていきました。


「悲しいです。お父さんを憎まなければならないのが悲しいの」

と私は言いました。

「お母さんがお父さんを憎んでいるのが悲しい、
お父さんを一緒に憎まなければいけないから悲しい」

と言うと、ひと粒、涙が流れました。


「そのゲーム、まだ続けなければならないの?
そのやり方では誰も幸せにならなかったんじゃない?
それではなくて、瑠史さんは自分のことをやった方がいいのでは?」

心地の良い涙の流れた後、
スッと、私の『インナーチャイルド』がまた奥へと引っ込んだのを感じると、

師匠がそう言いました。


『ヘパソーファー』という硫化カルシウムのレメディーを思い出しました。

テーマが『憎しみは体を破壊してしまう』というレメディーで、
これまで何度も何度も、

私はヘパソーファーを処方されたのです。


確かに憎しみは、
自分の体を蝕み破壊するのだと思いました。

幼少期から、

「あの男はろくでもない男」

なのだと、母から憎しみをすり込まれ、
父は母のことを、

「あんな女だとは思わなかった」

言い続け、それを日常で聞きながら育ったのです。

憎しみは心を破壊し、
破壊された心は体を破壊し、

家族をバラバラにしてしまうのだと、

私は身を持って経験したのです。


「ならば憎しみがゆがめてしまった愛情を取り戻し、
病気を治し、
次はバラバラになった家族をひとつにまとめてみたい」

と私は次の目標を決めて、
師匠に優しく撫でて貰った腰を摩りながら、帰ってきたのです。



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水子供養


母の水子の供養の前日に、
急な用事が出来て実家へ出掛けることになりました。

しかし急な用事だったために、
何の準備もなく無防備で出かけた私は、
久しぶりに母の攻撃に合い、それをかわすことのできないまま、

お経も上げずに泣きながら帰ってくることになってしまいました。


翌日に気を取り直して、

母の編んだ帽子と靴下、
妹と一緒に用意をしたお花と果物、
それから水子さんのために書いた写経二枚を持参すると、

娘と次男との三人で、お寺へと出かけていきました。


「では戒名をお付けいたしますので」

と言って奥の部屋へと一度引きこもった師匠は、
数分経つと、戒名を書いた紙を持って現れ、

「お母さん・・・お父さんのことを怒ってるんですか?
お父さんに対しての怒りの声が、随分と聞こえてきたんですけれど」

と言いました。


前日に実家で、

「私はあの人のことは信じられない、
あんな人と一緒になってろくなこと何ひとつなかった、
そもそもあのお爺さん(父方の祖父)は朝鮮人だったのよ。
私は騙されたの。すっかり騙されて一緒になったのよ」

と、父の悪口、父の親族全員の悪口を聞かされていた私は、

「そうだと思います」

と答えました。


何の根拠も証拠もなく、
「北海道の親戚で日本人と結婚したのはあの人(父)だけだったの。
あとは全員、嫁さんたちも全員、朝鮮人だったのよ」
と言われた私は、

母の言うことを真に受けないようにしながらもだんだん腹を立ててしまい、

「伯父さんも伯母さんも従弟たちも全員日本人だよ、
あれだけ人数が居て、そんな大事なことを隠し通せるわけないじゃない」

と母に言い返してしまったのです。


味方をしてもらえるどころか、
私が父の肩を持ったのだと思った母の怒りはヒートアップし、

「誰も口を割らないだけ、
あんたはお父さんを好きかもしれないけど私はあんな男、気持ち悪いだけなの!」

と怒り出し、

「お父さんがコンドームに穴を開けるなんていうくだらないことをやったから、
私はおまえを妊娠したんだ、
ひどい目に合ったもんだ、
中絶して間もなかったのにまたすぐにおまえを妊娠させられたんだ」

と私を詰りました。

聞きたくなかった気持ちの悪い話を聞かされて、

それはもう、只々げんなりとしてしまった私は、
言葉もなく、泣きながら帰ってきたのでした。


まさかそこまでの詳細は話せなかったものの、
私の目を見ただけで、
おおよその母との会話を察した師匠は、

「途中からはお母さんが喋っていたのではなさそうですね?」

と言いました。

「魔物に憑りつかれてからへこまされたんでしょ」

と娘が口を挟みました。

「バアバとお母さんが一緒にお経をあげた日は、
そこまでひどいこと言われないじゃない。
お経読めばよかったのかもね」

と娘に言われ、

「それから、お母さんは論理的に答えを出してほしかったのではなく、
ただ話を聞いてもらいたかったのではないですか。
だから相手の話が納得できなくても、
『そう、騙されたのね』と相手の言うことをおうむ返しに聞いていれば、
だいたい二時間ほど勝手に喋って、
だんだん気が済んで自己完結したりするものなんです。
まあお母さんの場合は二時間で済むかどうか、
ちょっとわからないのですが」

と、師匠は私にアドバイスをしてくれました。


そして、

「お母さんがお父さんに対して、
かなりの怒りの気持ちを向けているようなので、
お父さんの名前を使うのはやめました」

と言って、
水子さんにつけた戒名を見せてくれました。

私の生まれる一年前に亡くなった赤ちゃんには、
弥勒菩薩の『弥』という字が使われていて、

「こちらの水子さんは、
これから46億5千万年かけて、
お母さんを導いていくと思います」

と言いました。

それから、私が9歳の時に亡くなった赤ちゃんの方には、
母の名前から一文字と、そして『蓮』という文字が使われていました。

「そんなにお父さんが悪いという訳でもなさそうなんですが。
お母さんはずっと、お父さんのせいでこうなったと、
思っているみたいですね」

と師匠は言うと、

「でもそこに瑠史さんが介入して解決させようと思っても、
ただ巻き込まれて大変なだけみたいですから、
その話題になったら全然違う話に切り替えるとか、
朝鮮ではなくて別の、お母さんの知らないような国の名前を出してみるとか、
もっと大変な悩み事を逆に相談してみるとかして、
うまく切り抜けた方がよさそうですね。」

と言い、

それから水子供養の法要が始まったのです。


師匠の唱える『賽の河原の地蔵和讃』はとても心地よく、
私は母の代わりに、母の気持ちになって、

その読経を聴いたのです。





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波に乗る


毛糸を取り出してきた母は、
赤ちゃんの靴下と帽子を編みながら、

二度目の中絶手術の時の話を始めました。

「あれはおまえが9歳で、まりが2歳7か月の時だった」

と母は話し始め、

「診療所で注射されて、
そのあと腕と頭がビリビリ痺れはじめたの。
診療所で痺れの治まるまで休ませてもらってから帰って、
妊娠二か月だとわかったの。
あの頃はサリドマイドとか報道されている時代で、
そういう子がもし産まれたら困ると思って中絶したの」

と言い、

「とにかくあの頃は、誰でも軽く中絶したのよ。
小さいうちはまだ人ではないと言われていたし、
罪悪感なく、みんなそうしたの。
きっと、片手では数えられないくらい中絶した人もいたはず。
昭和はそういう時代だったのよ」

と、詫びるように話したのです。


それから母は突然黙り込み、
黙々と編み物を進めました。

次男も昼寝を始め、
静かな部屋で、手を動かし続ける母の横で、
私もうとうと居眠りを始めました。

「ねえ、この大きさで(足が)入ると思う?
たぶんこれでぴったりなはずなのよ。
たぶん、ぴったりだとおもうの。」

突然、片足を編み終えた母に話しかけられ、
母の編んだ若草色の小さな靴下を見た私は、

「かわいい、ぴったりだと思うよ」

と答えました。


そして、自分が10年前に水子供養をしてもらった時には、
手作りの指人形を5つ、
フェルトで作ってお寺へ持っていったことを思い出しました。

私は中絶はしたくなかったし、
産みたかったのです。

でもこの社会で生きていくには、
社会のルールに従うしかなく、

産む場合の苦労の方がずっと大きいとしか思えずに、
やむなく選択した結果でしたが、

「もし生まれていたら、
この指人形で遊んであげたかったし、
このお菓子を食べさせたかった」

という想いで選んだお菓子を指人形に添えて、
師匠の唱える地蔵和讃を、

泣きながら聴いたのです。


母も同じ想いで、編み物を進めているのだと思いました。

後悔して反省して、

懺悔の想いで、

もし生まれていたら履かせたかった手編みの靴下を履いてもらって、

蓮の葉の上に眠ってもらうつもりでいるのだと思ったのです。


次男が昼寝から目覚めてむずかるのと同時に、

「できた、帽子もこんなに小さくてもちょうどいいよね?」

と母が、
靴下と同じ色の、ポンポンつきの小さな帽子を見せてきました。


「それで、水子供養のお布施はいくらなの?」

と母が立ち上がったので、

「ちょっと高いんだけど大丈夫かな?
一体につき三万円なんだけど」

と言うと、

「二体で6万か。
わかった、ちょっと銀行に行ってくるから待ってて」

と言って家を出ていきました。


いつでもお金の心配をしている母が、
渋らずに大枚をはたくと潔く言い切り、
一人で銀行へ行ったのです。


「封筒にはなんて書けばいい?お布施?」

すぐに戻ってきた母は、
六万円を封筒に入れて、筆ペンを持ってやってきました。

「大丈夫?もし大変だったらお金はたて替えておくし、
少しずつ払ってもらってもいいんだよ?」

と言った私に、

「高くないよ。こういうお金はいいの。
もし生まれていたら、もっと遣うはずだったでしょ。
一回くらい遣ってあげたいし、
いいところに逝ってもらいたいから」

と母は答え、
封筒に『御布施』と書くと、靴下と帽子と一緒に袋に入れて、

「私はお寺へは行けないけど、
よろしく頼みます。
そしてこの供養が終わったら、
もう二度とこの赤ちゃんの話はしないで。」

と言いました。
そして、

「この供養が終わったらみんな良くなる。
あんたもまりこももっと良くなるし、きっと全部のことが変わっていく」

と言いました。


ちょうど自宅からオラクルカードを持ってきていた私は、

「では一枚引いてみてください」

と母にカードを渡すと、

母の引いたカードは『波に乗る』とうカードで、

『潮の流れが変わりました。
すべてが成功へと導かれています。
確実に正しい道にいることを知ってください!』

というメッセージが書かれていたのです。


40年以上経ち、
ようやく水子供養を決意した母が本当に決めたことは、

産みたかった赤ちゃんを手放すこと、
夫や、その周りの人間みんなを赦すこと、


自分自身を縛り付けていた想い、
執着心、わだかまりから解放されて、


『自由になること』


なのだと、

強く感じたのです。





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靴下と帽子


実家へ出かける前の晩、
腰痛はいよいよ激しく、悪化しました。

あまりにも腰が痛いので、

『水子供養 腰痛』

で検索をかけてみることにしました。


すると、

水子の障りで慢性腰痛になることは広く知られていることで、
水子供養で腰痛の治る事例がとても多い、と書かれた記事が、
たくさん見つかりました。

中には、

『水子は、自分も母に可愛がって欲しいから、
次に生まれてくる女の子が受胎すると、子宮内でその子の腰に憑きますから、
憑いている側の骨盤の体温が下がり、
女の子は先天性股関節脱臼で生まれます。
右足の場合はその子のお兄さんにあたる水子、
左足の場合はその子のおねえさんにあたる水子です』

などという恐ろしい記事も出てきたのです。

水子の祟りや障りというのは誤解だとしても、

中絶手術によって生まれた苦痛や、
罪悪感や怒りや恨みが、
次の妊娠に影響を与えるということならあるのかもしれない、と思いました。

私自身、母が中絶をした翌年に、
先天性股関節脱臼で生まれているのです。


また、水子供養で、
家族の不仲や、子供の引きこもり、
さまざまな家庭内のトラブルが治まる事例も多いのだと書いてありました。

自分自身が、
水子供養をきっかけにここまで人生が好転したので、
それは確かに本当のことだと思いましたが、

それは決して水子の祟りを祈祷によって鎮めたからではなく、

母親本人の罪悪感を軽減し、
周りの人間と自分自身に向けていた恨みや怒りが収まるからなのだと、

私は思うのです。

恐いのは、自分の抱える怒りや恨みや罪悪感なのであって、

水子自体、
つまり自分のお腹に宿った赤ちゃんには、

何の関係もないことなのだと私は思っているのです。


実家に出掛けると、
母と私は水子には何の関係もない話をしました。

来月一歳になる次男を抱きながら、
母は機嫌よく、他愛ない話を、きりなく続けました。

それから、妹の身に起きた悲しい出来事のことを話し、

「どうしたらあの子も私も、もっと幸せになれるのかしら」

とふいに母の言ったひと言を捉えた私は、


「だからお母さんは、
ここでけじめをつけるために自分の水子さんに戒名をつけてもらおうよ、
名前もないまま放っておくのが、いいとは思えないの」

と話を切り出したのです。


すると、一瞬黙りこんだ母は素直に、

「実はそうしようかと、このところ考えていたのよ」

と言いました。

夢の中では母と繋がり、会話を続けていた私は、

「やっぱりそうか」

とだけ思いました。


「先月北海道に行ったとき、
お父さんとね、中絶した病院に行ってみたの。
それで病院の前に、花を置いて帰ってきたの。」

と母は言いました。


北海道の病院で中絶したなんて、

聞いていなかった私は驚き、

「北海道で手術したの?」

と思わず聞き返しました。

「そうだよ。
あんたの前に赤ちゃんができて、
お父さんは22歳で私は19歳だったでしょ、
お父さんの両親に結婚を許してもらおうと思って出掛けたの。
そしたら、まだ若いから赤ちゃんは堕ろしなさいと言われて。
私は若くて、まだ何にもわからなかったのよ。
そのまま病院へ行って、中絶して帰ってきたの」

と母は言い、

「おまえの生まれるきっかり一年前の12月にね」

と付け足しました。


私は1971年の12月に生まれたのです。


12月の、雪の深い北海道で、
しかも付き合い始めたばかりの彼氏の実家で、

初めての旅行で、

知らない土地で子供を中絶した、
19歳の母の気持ちを想ってみました。

どんなに心細かったことだろうと思うと、
これまでの母への恨みが、
また一気に消えていくようでしたが、

始めから自分には、
母への恨みなどひとつもなかったのだという気持ちになりました。


それから母は淡々と、二回目の中絶手術のことを話し始め、

「水子さんに持って行ってもらいたいから」

と言い、押し入れから毛糸を取り出してきて、
せっせと、赤ちゃんの靴下と帽子を編み始めたのです。





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腰痛



妹の赤ちゃんの供養が終わり、

「お寺ですごくいい名前を付けてもらった」

という報告を受けた後、
こんな夢を見ました。


夢の中で、実家の庭に立っていると、
家の中で母が、

「私、絶対に供養なんてしないから!」

と怒っているのです。

「そんなこと言わないで、もう天国へ還してあげようよ」

と私が説得すると、
母は外へ出てきて、

「やっぱり供養したい、お線香二本立ててちょうだい」

と言いました。

その母は今の母ではなく、
若いころの、外見も痩せて綺麗な、
昔の母だったのです。


目が覚めると、激しい腰痛に襲われました。

腰が痛くて立ち上がることもままならず、
家の中でも杖を突いて生活することにしました。


母が、自分自身の水子を、
供養する気持ちになったのに違いないと思いました。

私は水子供養の前には、決まって腰痛に苦しむのです。


しかし、現実の世界では気味の悪いほど、
母からの音沙汰は全くなく、

時々、

「今日はお母さんがクレイジーだったよ」

という、妹からの『良くない報告』があるだけで、
一週間が過ぎ、十日が過ぎていきました。

私の腰痛は治る気配もないままでしたが、

それでもへたに母に声をかけて、

「水子供養なんて絶対にしない」

と言われて手こずることも避けたいと思い、
こちらから連絡をする気持ちにはなれませんでした。


「でも水子供養を早くしないと、
その腰痛が治らないんでしょ?」

と私の心配をした妹が、
母に水子供養を勧めてくれたのですが案の定、

「私水子供養もうやったもん、とか言って怒り出して、
全然話にならなかった」

と報告をしてきてくれました。


それでも自分の見た夢のお告げを信じて待とう、
夢の中では「私やっぱり供養したい」と言ってきたのだから、
必ずそうなると信じよう、

と私は、
母から電話のかかってくることを、黙って待つことにしたのです。


母から電話がかかってきたのは、
それからまた三日経った日の夕方でした。


その前の晩に私は、
虹色のワンピースを着て舞台に立ち、
大勢の人の前で演説をするという夢を見ていました。

しかしそのワンピースの裾に汚物がたくさんついているのを発見し、
「このままでは舞台に立てない」
と困っていると、

母がやって来て、「私がトイレ掃除をしないからなのよ」
と言い、何かを思い悩んでいるのでした。


夢から醒めて、
母は水子供養のことを思い悩んでいるのだと思いました。

その夢は、母が供養をしないことで、

長女の私が連帯責任のように、
母のカルマを共に引き受けているのだというお告げなのだと思いました。

それを母が心のどこかでわかっていて、
自分のことだけならこのまま供養しないつもりでいても、
私のために思い悩んでいるのだと、感じたのです。


「明日遊びにおいでよ」

と母に呼ばれて、

その電話では水子供養の話は一切しないまま、
翌日、色々な想いを抱えたまま、

痛い腰を摩りつつ、
実家へ出かけることになったのです。





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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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