真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

地蔵菩薩



妹が妊娠したと聞いた後に、

真っ白なフクロウの雛が、
窓から家の中に入ってきた夢を見ました。

「フクロウだ、フクロウが入ってきた!」

と驚いている間に、

そのふわふわの可愛いフクロウの雛は、
部屋の中を2、3歩だけちょんちょんと歩くと、

また窓の外へと出ていき、
広い夜空へと飛んで行ってしまったのです。


「お姉ちゃんの見たあの夢も、
いい夢だなとは思ったけど、
すぐに飛んで行っちゃったのが気になってた。
夜空に帰って行ったんかい、って思ってたんだよね」

と妹は言い、

「私はあんたたちが妊娠する前には、
絶対に先に夢で知らせを受けていたのに、
今回は夢を見なかったから、変だなと思ってたんだ。
なんだか影の薄いような、そういう感じがぬぐえなかった」

と母は言いました。


「妹さんに、何かを決断させようとして来た赤ちゃんですね」

と、妹の妊娠の知らせを聞いた師匠は言っていて、

この妊娠で、
妹は古い人生を断ち切り、
新しい人生のことを毎日のように思い描いてきたのです。


妹から今回の知らせを受けた師匠は、

「枕経をお唱えしたいので、
今からご実家へ伺ってもよいですか?」

という電話を掛けて来てくれたのですが、

家の中に他人を迎えることのできない母に、
それを受け入れることはできませんでした。


「では瑠史さん、光明真言だけでもいいので、
お願いします」

と師匠から指導を受けた私は、
その翌日に黒衣を持って、
また実家へと出かけました。

黒衣に着替えて観音様の前で、
般若心経、光明真言、
地蔵菩薩の真言などをお唱えしました。

その日の朝に陣痛が来て生まれ落ちた赤ちゃんは、
綺麗な肌着にくるまれて、
観音様の前に守られていました。

皆で赤ちゃんを囲んで、
女たちだけで読経をしたのです。


その晩に見た夢は、

「自分は家に戻ってきて、
仲良しのみんなとまた過ごすことができてうれしいけれど、
お母さんが悲しんでいるのが心残りになってしまった。
こっちには時間というものがないから、
短い時間だけ一緒にいるのも、
長い時間を一緒にいるのも同じだから、
お母さんの悲しんでいる意味が理解できない。
でも悲しい思いをさせてしまったのが心残りになった」

と小さな子供が私に切々と語るのを、
うんうんと頷きながら聞く、という夢でした。


夢の中では、
それが妹の赤ちゃんだとは全く認識できなかったものの、

目が覚めてみると、
その夢の意味を理解することができました。

「赤ちゃんが可愛くてかわいくて、
肌着にくるんだまま、一日中抱いたの」

と母は言い、その翌日に、
妹は一人で静かに火葬を済ませました。


妹のお腹に宿り、
「今度はこんなふうに育てたい」
と喜んで迎えてもらい、

ほんの8週間という短い時間をお腹ですごし、
また還って逝った赤ちゃんは、

最後の日に、母に一日中抱いて揺らしてもらい、

みんなから愛されてその『一生』を終えたのだと思いました。


赤ちゃんが生まれ落ちたのは24日で、
その日はお地蔵様の縁日でした。

今年の二月に妹の家にお地蔵様を迎えたばかりだったことを想うと、

「最初からお迎え付きの赤ちゃんだったんだ」

と思えてならず、

悲しいけれど、
とても良いところからやって来て、

もっと良いところへと還っていったのに違いない、
と思わずにはいられなかったのです。






スポンサーサイト
  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

静かな夜



施餓鬼会を終えて、体の具合を悪くした翌日、
辛く悲しい出来事が起こりました。

「まりが泊まりに来ているからおいでよ」

と母に呼ばれて実家へ出かけると、
顔色も悪く、ぐったりと力を落とした妹が、
呆けたようになって茶の間に座っていました。

「どうしたの?」

と声をかけても何も答えない妹を見て、
これはとにかく、先にお経を唱えた方がよさそうだ、
と思い、

観音様の前に座って、理趣経を唱え始めました。


いつもは私一人がお経を唱えるだけで、

他のみんなはそれぞれ好きな場所で、
私のお経を遠くで聞きながら勝手に過ごすのに、

その日は私の読経が始まると、
全員が観音様の部屋へと集まってきました。

理趣経を読み終わり、
般若心経、光明真言と進むうちに、

イメージの中で妹が泣き始めました。

妹の心の中は真っ暗で、
悲しみに沈んだ妹の心に、
光のさしていかないような、そんなイメージが視えました。


そして読経をすべて終えて振り返ると、
床に突っ伏した妹が本当に泣いていて、

母が「なんなの、どうしたのよ?」と動揺した様子で、
妹の背中をさすっていました。


妹は泣きながら、

「昨日病院に行ったらね、
赤ちゃんの心臓が動いてないって言われたの」

と言いました。


宮古島から帰ってきた直後、
妹は妊娠して、

「二月に生まれるの」

と楽しみに話してくれていたのです。


「今日はなんだか、実家に行きたくないの。
何かをきっかけに、すごく泣くような気がするんだよね。
すごく気が重い」

と、実家へ向かう車の中で娘に言っていた私は、

「これだったのか」

と衝撃を受け、

妹を抱きしめて泣きました。

母も娘もみんなが泣いて、
ただ、私たちは何も話さずに、何も答えずに、
泣いたのです。


泣きながら、
6月1日に見た夢のことを思い出しました。

手渡された『水子』の籠に、
キューピー人形がたくさん入っていて、

供養されていない三体の人形に、
黒いガーゼをかけるあの夢は、

水子供養をするように、
というメッセージのほかに、

この出来事の『お知らせ』でもあったのだと、
気が付いたのです。


どうしても、白いガーゼが見つからず、
鞄の中から黒いガーゼだけが出てきて、

「黒いガーゼなんて持っていたっけか?」

と思いつつそのガーゼをかけたのには、
こういう意味があったのだと、

一瞬にして私は、深い悲しみに包まれたのです。


「お経、すごく良かった」

と起き上がり涙を拭いた妹と、
もう一度みんなで声を合わせて読経をして、


静かな夜を過ごしたのです。





  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

好転反応


施餓鬼会の翌朝、
ひどい頭痛と悪寒で目を覚ましました。

夢見も悪く、
家の中に何人もの迷惑な客人が入り込む夢を、
断片的に、いくつもいくつも見たのです。

「変な女が家の中に入ってくる夢を見た。
出て行ってほしいと言っても、出ていかないの。
なんだかんだ言い訳して、しつこく絡んできて、
泣きながら居座るの。
夢見て疲れちゃった。それにひどい頭痛」

と娘に報告をして、またうとうとすると、

今度は自分が実家にいて、
実家にたくさんの人が紛れ込んで入ってくる夢を見ました。

それは質の良くない人たちで、
「出て行ってほしい」と頼んでもやはり出ていこうとしないのです。

場所が本家に変わったり、
また自宅に戻ったり、

代わる代わるに同じような夢をいくつも見て、
汗びっしょりになって目を覚ますと、

頭痛は先ほどの数倍にひどくなっていて、
 
「頭痛くて死んじゃう、死んじゃうよ、
うう、気持ち悪い、吐く・・・」

と言いながらトイレに駆け込むと、

「護身しないで施餓鬼したからでしょ、
これに懲りて、次回からはきちんと護身してよ。
一体どれだけ連れて帰ってきちゃったの?
私も夢見が悪いんですけど」

と娘に叱咤されました。

それに対して言い返す気力も余裕もなく、

「死んじゃう、死んじゃう」

と繰り返す私に、

「死なないから大丈夫」

と冷たい返事を返しつつも、
ぬか袋を温めて持ってきてくれた娘は、
がたがたと震えながら横たわる私に布団をかけてくれました。


次にはっきりと目を覚ました私は、
真っ暗な、冷房も扇風機も止まった熱い部屋の中で、

スマートフォンをいじりながら横たわる娘を見ました。


時計を見ると夜の9時になっていて、
娘にお風呂に入れてもらった次男が、
横で寝息を立てていました。


「ごめん、こんな暑い暗い部屋で過ごしていたの?
それに、この子をお風呂に入れてくれたんだね」

と言うと、

「寒いから全部止めてってお母さんが言ったんだよ。
熱があったんじゃないかな?
この子がおっぱい吸うと体温が下がって、
寒い寒いって言うから、抱いて揺らして寝かせたの」

と娘は言いました。

汗びっしょりになったパジャマを脱ぎ、
娘の沸かしてくれた風呂に入り出てくると、

悪寒は治まっていて、
軽い頭痛が残っている程度には治っていて、
やっとまともな会話ができるようになりました。


眠っている間にたくさんの夢を見て、
たくさんの『客人』と会話を交わした私は、

自宅の十一面観音にお線香を手向け、
お経を唱えました。


そして、

確かに護身せずに施餓鬼会の法要に挑んだことが原因だったとしても、
貪りの心が私に中にあったことが本当の原因なのだと思いました。

何が原因でどんな症状が出たとして、
それが病気だったとしても霊障なのだとしても、

『その症状』が呼び水となり、
私自身の中の未浄化な部分を『浄化』したのだと感じたのです。

「出ていこうとしない『質の良くない人』というのは、
私自身だったんだ」

と感じた私は、

この症状は結局、黒衣を着て舞台に立った私の、
『好転反応』だったのだと思いました。

私の中に、
仏道を歩みたくない、
質の良くない私が存在していて、

舞台に上がったことで、
その『私』が具合を悪くしたのだと分かったのです。


「でももう諦めて、尼として生きていこうよ」

と私は自分自身に言い聞かせると、

その晩、
写経を一枚、書いたのです。





  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

施餓鬼会



施餓鬼の法要の日がやってきて、お寺へ出かけました。

施餓鬼会に参加をするのは今年で七回目、

七回目の参列に、
自分が黒衣を着て師匠について、
前でお経をお唱えすることになるとは、

当時は夢にも思わないことでした。


師匠の隣に席を用意され、
オレンジ色の糞僧衣を身に着けて、

長い読経を、必死でついていきました。


今年の施餓鬼でのご供養は、
母方の旧姓での先祖、
それから自分の今の姓での先祖と、

そして、従弟の因縁の、
亡くなられた同級生のお名前でお願いをしました。


施餓鬼会までの一か月間、
例によって家の中は見えない者でごった返していました。


「眼を閉じると、知らない女の子の顔が見えるから、
恐くて眠れない」

と娘は言うし、

深夜になりハッと目を覚ますと、
暗がりの中に誰かがボーっと立っている、
ということが毎晩のように続き、
夢見も悪く、

私と娘だけでなく、
生後十か月になった次男までもが、
深夜二時になると突然夜泣きを始めるので、

いろんな意味での寝不足が続き、
私も娘も体力が消耗してぐったりしてしまったのです。


「それも今日まで、いつも施餓鬼会の後に楽になって、
地蔵盆の後にはもっと楽になって、9月のお彼岸には静まるのだし」

と思いながら、
家の中を一掃するような気持ちで、
一心不乱に、夢中になってお経を唱えました。


本堂での読経が終わると、
今度は外に出て、木魚を使ってのお施餓鬼が始まりました。

餓鬼たちは結界の中には入って来れず、
リンの音で逃げ出してしまうため、

木魚に変えて、結界の外で施餓鬼をするのです。


その日は熱中症の人が続出するほどの暑い日で、
炎天下で黒衣とお袈裟を着けてだらだらと汗をかきながら読経していると、
気が遠くなっていくような気がしました。

「護身を忘れずに」

と師匠からふいに耳打ちされ、
「ああそうだ」と思い出し、慌てて護身しようと思ったのですが、

暑さのせいか緊張の為か、
突然頭の中が真っ白になり、

護身の真言を完全に忘れてしまい、
しっかりと護身できないまま、法要が始まってしまったので、

「まあいいか」

と、大事な『護身』を流したまま、
読経を始めました。


読経が始まり、
信者さんたちが順番にお焼香を始めると、

ふわりと、不思議な風が吹き始めました。


毎年施餓鬼の法要の時には、
この不思議な風が吹くのです。

背丈の低い、お腹の突き出た餓鬼たちが、
あちらこちらから風に乗って、
ぱらぱらと集まってくるのがみえるような、

生暖かい風を感じながら、

滝のような汗をかきながら必死に読経を続けました。

まるで、
あの世とこの世の境目にいるような感覚を味わいながら、

人の儚い人生のことを想ったのです。


施餓鬼の法要が終わり、
参列していた友人たちと妹と、
楽しいお喋りをしておやつを食べて笑いあい、

「お経を読むのが上手になりましたね、
また特訓しましょう」

と師匠に褒められて得意になって家に帰った私は、


しかしその翌日になって、

しっかりと護身しなかったことを、
とても後悔することになったのです。



  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

厄介事



長男が中学でイジメにあっていた時に、

「でも、その相手側の子も、かわいそうなんですよ」

と師匠が言いました。


殴られて鼻を骨折したのはうちの息子なのに、
さすがお坊さんというのは、
ものの見方が博愛なのだな、

という軽い理解しか得られなかった五年前に比べて、

苛められている方も、
イジメに手を下している方も、

実は同じ暗い穴にはまって、
出口がわからなくなっているのだと、

もう少し、深い理解をすることができるようになりました。


おそらくそのどちら側にも、
心に光が射さないのです。


一見、被害者と加害者に分けて見えるその二人を、
もっとずっと離れた場所から引いて見てみると、

同じ『穴』の中に落ちているのだと、
『見える』ようになったのです。


テレビのニュースでイジメによる自殺のあったことを知り、

「事件となって報道されたこの子はまだラッキー、
水面下にはもっとたくさん、
事件扱いにもならないで死んでいった子供がたくさんいるよ」

と息子は言い、

「このクラスの担任は、たぶん他の教師からイジメにあってるね。
私の見てきた限り、イジメの発生するクラスというのは、
そのクラスの受け持ちの先生に絶対に問題があった。
先生のエネルギーが低いと、クラス全体に虫がはびこるんだよ」

と娘は言いました。


スタッフィサグリア、という、
『暴力と支配』のレメディーがあり、

確かにスタッフィサグリアはシラミに効くのです。


世界の仕組みのひとつに、
『生命エネルギー』の下がった場所に、
虫がはびこる、というのはあるのかもしれないと思いました。

ホメオパシーでは、
『憎しみのある場所に、蛆が湧く』というのだと、
妹から聞いたのを思い出しました。


『親は子の鑑』というように、

家庭でイジメのある家の子供が、
学校でイジメに手を下すかまたはイジメに遭い、

生徒を守るだけのエネルギーに欠けた教師の受け持ったクラスに、
まるでシラミがわくように、
イジメが発生するのかもしれないと思いました。

学校では、担任の教師が『親』の役割をしているのです。


家で母親からイジメに合っていた私は、
学校でもイジメに合い、

自分よりももっとエネルギーの弱っている子供を苛めながら、

家庭も学校も戦場のように感じながら過ごしました。

毎日を生き抜くことがどれほど大変だったか、
自分が生き延びることだけに必死で、

明日には死んでしまうのではないかと、
『死』に常に追いかけられながら、思春期をやり過ごしたのです。

その年のクラスの担任は、

夫と離婚して体を壊して半年入院をした音楽教師と、
不倫の噂を立てられた後に入籍をした、三十代の体育教師でした。

入籍をした後に、自分の父親が亡くなり、

生徒たちは結婚祝いとお悔やみの両方を、
担任に一度に言わなければなりませんでした。

自分のクラスにイジメが発生してギスギスしていることなど、
露ほども知らないという顔をしたあの体育教師にとって、

あの年は人生の転機であり、
自分のことが大変で生徒のことにまで気が回らなかったのだと、
今になってやっとわかるようになりました。

「自分のことで手一杯の先生は、
自分のクラスにイジメが発生したら困るんだよ。
だからイジメだなんて認めないし、
他の先生に絶対に知られないようにすることにだけ気を遣う。
これ以上の荷物は背負えないってくらい、
パンパンに自分の問題を背負っているから、
イジメを『厄介事』としか受け止められないの」

と娘が言い、

それは親にしても同じこと、
子供のトラブルを『厄介事』としか感じられないほど、

自分の背負っている問題で、

私の両親は常に『パンパン』だったのだと、
思ったのです。




  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

ターゲット



中学生の時に私を苛めた男子生徒の夢を見た後、
今度は、自分が苛めた方の女子生徒が出てきました。

苛めた、といっても、
直接的に手を下したわけではなく、

中学三年生になった年の春、

「知り合いがなみちゃんしかいないから、
一緒にいてほしい、
同じクラスで良かった」

と言うようなことを言われ、

その子が小学生のころから苛められていたことを知っていた私は、

「この子と一年間ペアを組むようなことになったら、
私までがターゲットにされてしまう」

と内心非常に焦り、
イジメのターゲットには決してならないであろう別の友人を見つけ、

誰が誰と一緒にいるのか、
ほぼ決定する5月には、

その新しい友人と一緒になって、
その子を無視したのです。


結局その子は、
また別の、小学生のころからイジメのターゲットにされていた女子とペアになり、

他のクラスメイトから一年間無視をされて過ごしました。


『自分じゃなくて良かった』

という安心を得た私は、
女子生徒からは被害に合わなかったものの、

一部の男子生徒からイジメにあい、
それをつかず離れず、
他人事のように冷たく見守る友人たちに守られながら、

家庭と学校のどちらもを『戦地』と諦めながら、
一年間を生き延びたのです。


夢の中でその子が前に出て、

「私を苛めるのをやめてください」

と言いました。

「私は空気が読めません。
それで苛められていることは知っているけれど、
これが私の個性で、そしてこういう障害なのです」

と彼女は堂々と言ったのです。


そうか、そういう個性だったのか、
それなら今まで本当に申し訳ないことをした、

と素直に反省をした私は、

これまでのことを彼女に謝り、
そして今日からはもうひどい態度は決してとらないと約束をして、

目が覚めました。


目が覚めて、

自分が彼女に対してとった、
ひどい態度のことを思い出しました。

自分が他人からされたことばかりを鮮明に覚えていた私は、
この夢を見るまで、

自分が他人に対してとった失礼な態度のことは、
完全に忘れていたのです。


それでも、罪悪感だけが私を苛め、
私は彼女のことを思い出すたびに嫌な気持ちになりました。

彼女に対して自分がどういう態度をとり、
何を言ったかまでは全く思い出せないのに、

ただ、思い出すたびに、
自分の嫌いな部分、

黒い部分が芋づる式に出てくるようで、
嫌な気持ちになったのです。


そして、夢から醒めた後にやはり確信したことは、

私が彼女に対して自分の姿を映し出し、
嫌悪感を持ってそういう態度を取ったこと、

彼女は結局、

自分自身だった、

という理解だったのです。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

重い命


母が発狂し始めて、
それまで付き合いの途絶えていた親戚が集合するようになった時、

本家の伯母は、

「お祖母ちゃんが死んだ時から、
おかしくなったんじゃないかしら」

と言い、

実家の隣家の伯母は、

「私が一体何したって言うんだろう、
ノブちゃんは私のこと、どうして攻撃してくるんだろう」

と言い、
伯父や伯母全員が、

「昔はみんなで一緒にバーベキューに行ったり、
それなりに仲良くしてたのに、
いつからこんなことになったんだろう」

と口を合わせて言いました。

そしてやっぱり、

「お祖母ちゃんが死んだ年からだ」

ということになりました。


しかし本当は、祖母の死んだ年からではなく、
従弟の、その同級生の亡くなった年からおかしくなった、

というのが正解だったのです。

「人が一人、亡くなったわけですから」

と師匠に言われたとおり、

人が一人亡くなる、
ということは、

タダで済まされることではないのだと痛感しました。


その事件の起きたのが、
祖母の亡くなった翌年のことだったのですから、

実に20年以上、

亡くなられた同級生のご家族から、
怨みの念がじわじわとこちらへ送り込まれ続け、

ついには親戚一同がここまで崩壊し、

いじめをしていた本人は、
とうとう精神病院へ入院してしまったのですが、

それよりも恐いと感じたのは、

身内が人を一人殺めたことを誰も知らなかったことと、

隣家の伯父も伯母も、
なかったことにしているのか、
完全に忘れることにしたのか、

「私が何をしたっていうんだろう」

と言いきったことでした。

伯母は何年も原因不明の腕の痺れで病院を転々と回り、
昨年ついに手術を受けたのですが治らず、

「どうして私ばっかりこんな目に合うの」

と嘆いていましたが、

どうしてなのか考えればわかるのに、
としか思えなかったのです。


イジメによる自殺、
それは日常茶飯事、
なくなることのない悲しい出来事で、

今日もこの空の下で、
誰かが辛い思いをし、自殺を考えているのだと思うし、

これまでに起きた出来事のいちいちを、
結局は些細な事件だと、

みんな忘れ去ってしまうのが現実なのだろうとは思うのですが、

法がそれを許しても、

家族だけは決して忘れないし、
許さないのです。


愛情の裏返しである『怨み』という念が、

こんなにも長く、

愛したその分量だけ送り込まれ続け、
自分自身と家族、
親せきまでもを巻き込み蝕んでいくことを、

イジメをしているみんなに、

誰かを殺害しようと企む人に、


それから死のうと考えている人に、


知ってもらいたいと思うのです。



人間一人の背後には、
親の愛情があり、

そのまた親の思い、
と鎖のように繋がった愛情がどこまでも続いていて、


目には見えない先祖たちにも守られながら、

誰もが『重い命』を生きているのだと思うのです。


その全員から感謝の気持ちを向けられるのならまだしも、

怒りや恨みを向けられたら、
どういうことになるのかと本気で考えて知れば、


『イジメ』も『戦争』も、

なくなるのではないかと思うのです。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]


今年もまた、施餓鬼と地蔵盆の供養の季節がやってきました。

お寺から送られてきた卒塔婆供養の申込書を持って、
お寺へ出かけました。



「お施餓鬼の方で、
例の、従弟の、亡くなった同級生のご供養をしたいのですが」

と私は、
話を切り出しました。


実家の隣家に住む従弟が、
中学生の時にイジメをして、

相手の男子生徒が自殺をしてしまい、

母が家の中から隣家に向かって罵詈雑言を叫ぶ理由に、
その相手方の母親の生霊が絡んでいたことが、
去年の春のお彼岸の時にわかったのです。


「ああ、あの方の。
そうですね、ご供養した方がいいと思います。
ご家族からの生霊も、随分送られてきていると思いますので」

と師匠は言いました。

「隣家の従弟とは、
20年以上口も利かずに過ごしてきたのに、
母が隣家に向かって叫んだことがきっかけになって、
三年前に従弟と二人きりで、
ファミレスで会って話すことになったんです。
その時に『自分は中学生の時にイジメをやっていて友達が自殺した』
と打ち明けられて、
お寺に行ったり写経もしたけど何をしてもダメで、
結局やくざと付き合うようになり、
やくざの人が親代わりになってくれた、
覚せい剤に手を出して逮捕された時に、
自分は一人暮らしを始めたと親はみんなに嘘をついていた、
自分は親からも愛されず辛い、
うちはみんな呪われているんだって、
私にそう言ったんですね。
20年以上挨拶もしなかった従弟から、
そんなに重大な話を一気にいくつも聞かされて、
それからまた、彼とは一度も会っていないんです。」

私は師匠に、
三年前に起きたその出来事をもう一度説明しました。

「今になって思えば、
彼は私に助けを求めてきたのかな、と思うんです。
あの時はまさか、
自分が得度して尼になるとは夢にも思っていませんでしたが、
こうして従弟の、間接的に殺めた同級生の供養を、
私がすることになったのは不思議なことと思うんです」

と私は言いました。


「でも、母がまた家の中から叫んで警察を呼ばれた時に、
妹が実家の隣家に菓子折りを持って出かけたら、
伯母さんが『ヒロ(従弟の仮名)は精神病院に入院したのよ』って言ったんだそうで。
今、家には居ないみたいなんです」

と私が話し終えると、
師匠は、

「あら。
それなら、伯母さんは瑠史さんのお母さんのことを理解できるようになったのではないですか?」

と言いましたが、

「それはないと思います」

と私は答えました。

息子の心の病は私の母のせいで発症したと思っているに違いないし、

母が隣家の伯母を憎むのと同じ分量だけ、
隣家の伯母も、小姑である私の母を憎んでいるので、

憎しみで何も見えなくなっていると、思ったのです。


「そうですか。それなら、
伯母さんが自分の息子に光を送るのは難しそうですね。
みんなで一緒に闇の中にいるのでは。」

と師匠は言いました。

「ただ、その亡くなられたお子さんのことを、
私は顔も知らないんです。
顔も知らない人のことを、事情もよくわからない私が供養して、
意味があるんでしょうか?
私がこうして供養していることを、
実家の隣家の伯父も伯母も知らないし、
従弟本人も知らないんです」

と私が言うと、

「ありますよ、
こういう形で光を送ることができますから。
隣家の伯母さんが息子に送ることのできない光を、
瑠史さんが少しずつ送ってあげられますから」

と師匠に言われ、
それもそうかもしれないと納得した私は、

会ったことのないその人の名前を書き、

今年もまた、
供養を申し込んだのです。





  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY

プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

個人セッションのお申し込みはコチラまでメールにてお願いいたします。
facebookはコチラ

☆サイト『ココナラ』さんでもメール相談を受け付けています☆

最新トラックバック

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

かんのんいんカウンター

« 2015 07  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR



.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。