真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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欠陥品


「あんたが生まれた時だって、
障碍児が生まれたと思って、本家の義姉さんは喜んだのよ」

私の質問をきっかけに、
母の心は遠い40年前へと戻っていきました。

「私の学生時代の成績表だって、
高校生になってからの良かった成績表は捨てられて、
中学生の時の、3ばっかりの成績表だけ残されてた。
義姉さんが嫁に来て家を漁って、そういうことをやったの。
私が馬鹿だってみんなが思うように、
みんなでそういうことをやり続けたの。」

母は私を見ているようで、
私を抜けて、どこか遠くで話しているように見えました。

「あんたの足の手術のときだって、
誰も来てくれなかった。
義姉さんだって、たったの一回、お見舞いに来ただけ。
でも一番悔しかったのは、お父さんが来なかったこと」

と母は言いました。

「あんたの父親はね、見栄張りだから。
あんたが股関節脱臼なんかで生まれたでしょ、
手術で死んでもいいって思ってたのよ。
障害児では親にも親戚にも自慢できないじゃない。
こんなに小さい子に全身麻酔の大手術だったのに、
死ぬかもしれないのに、来なかったの。
ああ、あの人はこの子が死んだら死んだで構わないって、
そう思っているんだなって、私にはわかったから。
あの時から私は、お父さんに幻滅しているの」

母はそう言うと、
どこか力なく俯きました。


その話を聞いて、
自分の見た夢の内容を思い出しました。

「じゃあなんで私の足に傷つけたの?
どうして手術の日に来なかったの?
私のことなんて愛していなかったんでしょう?!」

夢の中で私は確かに父に向かってそう叫び、
それは日常、起きているときには全く意識できずにいる、
隠れた自分の本心だったのです。


しかし、その夢で自分の抑圧した想いを吐き出したせいか、
母からその話を聞いても、怒りの気持ちは湧きませんでした。

それよりも、

「それならお母さんは、
私が死んでもいいと思わなかったということだね。
お母さんは私が欠陥品でも、愛してくれていたんだね」

という想いが湧き上がり、
母の話を聞きながら涙があふれたのです。


母は、本家の伯母が病院に来なかった、
たったの一度見舞いに来ただけ、

と繰り返し言い、

それはこれまでにも何度も聞いた話だったのですが、

自分の両親が、病院に来たとも来なかったとも、

両親のことを私に話したことが、
これまでに一度もなかったことに気が付きました。


しかし、
祖父と祖母がもし来てくれていたのだとしたら、

「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは来てくれた」

と、その報告もしつこく繰り返したはずですし、

「手術の日にひとりぼっちだった私に、
同じ病室のお母さんたちがついていてくれて、
私を励ましてくれた」

と言ったのです。


「私の足の手術は、二歳の時が最初の手術だったでしょ?
何月ごろに手術したの?」

と私が尋ねると、

「夏は化膿しやすいと言われて、
いつも冬に手術したの。
それから夏に、中に入れた金具を取り出す手術をして。
新緑が綺麗だったことを覚えているから、
あれは5月とか、6月だったのかな。」

と言いました。

その手術を、3~4年繰り返し、
重いギプスをつけた私を背負って通院した母の思い出には、

いつも父親の登場することはなく、

母の両親が手伝ってくれた、
という話も、一切聞くことはなかったのです。


母が本当にそばにいてほしかったのは、
自分の両親だったのではないか、

という気がしました。


まだ二十代前半だった母に、
たった一人で背負うには重い荷物だったのだろうと思ったのです。


母は一体、
家の中から誰に向かって叫び声をあげているのか。

叫び声をあげているのは、
愛されずにすっかり病みきってしまった母のインナーチャイルドで、

それは伯母や従弟という他人に向かってではなく、

他界して居なくなった自分の両親に対して、
鬱積した想いを吐き出し続けているのではないか、

という気がしました。


しかし、その事実と直面することは、
母が『私は愛されていない』という厳しい現実と向き合うことであり、

心の弱い母にはまだ当分、
自分の本当の想いを直視できずにいるのだろうと、

感じたのです。






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レッテル

理趣経と般若心経、観音経を読み終えて茶の間に戻ると、
母の様子が次第に落ち着き始めました。

朝6時半に隣家の伯父が叫んだというのは、
母の幻聴なのかもしれませんが、

そういった想念を母がキャッチしているのだということも、
否めないのです。

お寺で言われている通り、
実家の土地には根深い因縁が染みついているのかもしれませんが、
それに振り回されてしまうのは、

私と同様、
母もまた心に深い問題を抱えたまま、
解決できていないからなのだと思いました。


「300万のことはよく分かったんだけど、
どうしてみんながお母さんに同じこと言うの?
お母さんがバカだから何もしないって、
それはどういう意味なの?
何もしないって、何のことを言われてるの?」

私は母に、
自分自身の問題と向き合ってもらおうと思い、
尋ねました。


「馬鹿だからなんにもしないっていうのは、
お盆に本家に行かないことを言っているのよ」

と母はうつむいたまま答えました。

日頃威勢よく、
本家の伯父や伯母の悪口を言い、
『縁を切った』などと言いきっている母は、

本当は本家に寄り付かなくなった自分に、
罪悪感を抱いているのです。

「でも、馬鹿だからっていうのは、なんなの?」

と私が続けて質問すると、

「言語障害だったから知的障害者と間違われたのよ!
昭和の時代はそんなだったの、
私がどもってしまうのは、言語障害なだけで、
知恵遅れではなかったのに。
カンニングしたカンニングしたって、
嫌というほど言われたの。知恵遅れのはずなのに、
テストでいい点を取ったら、カンニングしたんでしょって、
小学校三年生までの担任に。
私カンニングなんてしてなかったのに、
近眼だからほかの生徒のテスト用紙なんて見えないんだよ?
それなのに。」

その質問をきっかけに、
母にスイッチが入りました。

それは一度も聞いたことのなかった、
母の子供の頃のエピソードでした。


母が小学校に入る時の面接で、
祖母は母に「おまえは馬鹿なのだから、絶対に何も喋るな」と言い、

祖母との約束だけを健気に守った母は、

面接で名前を聞かれても年齢を聞かれても、
何も答えず、

結果、特別学級への案内通知が届き、

「馬鹿を産みやがって、恥さらしが」

と祖父が母の目の前で祖母を罵った、

というのが、

今でも母のトラウマとなっているのです。


「だから私、運転免許証の書き替えの時に、
またカンニングしたと言われると思ったから、
後から全部の余白に試し算をわざと書いたの。
それでも警察官は小声で『カンニングしただろ』って呟いたけど、
咎められなかったのよ」


何の話をしているのか、
全部を理解できずとも、

母がとても大変な人生を歩んできたことだけは、
よくわかりました。


「馬鹿というレッテルを剥がしたい」

と母は最後に言いました。


でも、そのレッテルを自分に貼る最終決定を下したのは、
自分自身ですし、
剥がすのもまた、自分にしかできないのです。


私はさらに、
母の心の奥深くへと、

分け入って行くことにしました。



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過去精霊



妹と娘が宮古島へ出発した翌日、
私は二男を連れて実家へ出かけました。

『茂子の真似して私を馬鹿だと言っているでしょう』

という嫌なメールが送られてきて、

『傷ついて泣きました』

と返信をした後に、
きっかり二週間、何の音沙汰もなかった母から、

『亭主が名古屋に戻って疲れが取れた頃かな?
遊びにおいでよ!』

というメールが送られてきたのです。


「私の居ない間にまた嫌なこと言われたらどうするの?
お母さんの落ち込みようは尋常ではないんだから、
私の居ない間に実家に行くのはやめてほしいけど、
どうしても行くと言うなら、私が今日行ってバアバに釘差してくる」

と娘は私を心配し、
沖縄に行く前の晩、妹と実家へ出掛けました。

「釘をしっかりさしてきたから、
もう行っても大丈夫だよ」

と娘に言われ、
私はまた、母に愛されたい想いで、
性懲りもなく実家へ出かけたのです。


母は、良いとも悪いとも言えない状態で、
私を『まともに』歓迎した後、

外に向かって、

「農家の田舎者が、
私が何したって言うの?
百姓の田舎者が、うるさいんだよ!
私が何したって言うんだ、寄ってたかって、
何なのよ!!」

と叫びました。

母の『黒い迫力』に負けた私が、
げんなりしつつも、

「今のは誰に向かって言ったのかな?」

と聞いてみると、

「向かいの畑!嫁さんが来てるでしょ?
私に向かって『バカだからなんにもしない』って、
しつこくしつこく言ってたでしょ?
私がなんだって言うの?茂子と、本家の姉さんとグルなのよ、
これはもうイジメなの。
私をみんなでいじめて、田舎者同士が結託してるのよ!」

と言いました。

向かいの畑というのは母の従弟の畑で、
とにかく実家の周りはぐるりと、
親族に分け与えられた土地に囲まれているのです。


「もう他人は何も言わないの。
裏のアパートの連中も静かになった。
吉本家(母の旧姓・仮名)の畑の地主だけがうるさいの」

と母は言い、

「まあ、半分は生きてない先祖の声かもしれないけどね。
それが生きてる人間に憑いて喋るのよ。
うるさくてうるさくて、かなわないの」

と言いました。

「でも昨日釘差されたから。
バアバいい、この日からこの日まで、
5日間ね、1,2,3,4,5、この5日間、
絶対に叫んじゃだめなのよ、わかった?って、言われたから。
そうじゃないとお母さんが大変になるから絶対にダメだって。
だからあんたの来るまで一回も言い返さないで我慢してたの。
今なら、独り言ではなくてあんたと喋ってると思うでしょ」

と母は笑って、
娘がカレンダーを指さしながら、
この期間は何があっても叫ぶのを我慢することと、
私に攻撃の電話やメールを送りつけてくることを、
きつく禁止したのだと言いました。


辛いことのたくさんあった人生だったけど、
今は私を心配してくれる娘のいることを、
ただ、有り難く思いました。


「今朝だってね、
朝6時半に兄さんが畑に出てきて、
『おめえはバカだからなんにもしねえな!』って叫んだの。
あの人キチガイなんじゃないかしら。
『あと300万足りないんだよ!』って大きな声で。
余程言い返してやろうかと思ったけど、
約束してたから我慢してジッとしてたのよ。」

と母は続けました。

「あと300万て何のことなの?」

と私が聞くと、

「最初この土地は、お祖父ちゃんが兄さんに分けた土地だったでしょ。
あんたがお腹にできて急きょお父さんと結婚が決まって、
お祖母ちゃんがノブにも土地を分けてやると言いだして。
一度兄さんにあげた土地を半分、うちに分けることになったでしょ。
兄さん、一回自分がもらった土地なのにって納得しなかったから、
お祖父ちゃんが現金で600万渡したのよ。
だけど後になってもっと値のある土地だったことがわかって、
本当は900万だったの。
そのことをずっと怒ってるのよ。兄さんは。」

と母は答え、

「だからってあんな朝っぱらから、
あと300万足りないって叫ぶなんて。
とうとう頭がおかしくなったんじゃないかな。
兄さんは。」

と言いました。


気味の悪い一連の話を聞き、
とりあえず、

実家の観音様の前で『理趣経』を唱えることにしました。


『過去精霊の浄化の為』

と、お唱えしたのです。





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アルバム



お寺の企画で『宮古島での瞑想』を開くことになり、
娘と妹と、妹の子供の三人が参加することになりました。

宮古島への5日間の旅行のために、
押し入れの中を整理しつつ、
水着やら浮き輪やらを探すことになり、

その最中に、
一冊の古いアルバムが出てきました。


アルバムを開くと、
そこには幼い日の私と、両親の三人が笑って写っていました。

妹の生まれる前の想い出の写真に始まり、
私が家を出た二十歳の年の、
成人式の写真までが納まっているそのアルバムは、

結婚をする時に母が私に作り持たせてくれたものでした。


「うわ、バアバ若いね!
まりちゃんにそっくり!」

と娘が声をあげたその写真を観ると、
二十代の若い母と私がボートに乗っている写真で、

母にべったりと甘えている、私が写っていました。


ページをめくって行くと、

「見て、まりちゃんは『お姉ちゃん』が、
大好きだったんだね」

と娘が言いました。

見ると、
妹の生まれた後の写真はどれも、

妹は私にぴったりと、体を寄せて写っていたのです。

「ほら、これなんか、
お母さんのほっぺたにキスしてる」

と娘が指を指したその写真は、
私の成人式の日の写真で、

着物姿の私に妹が体を寄せて、
ほっぺたにキスをしていました。

「言われるまで、そんなことには、
一度も気付かなかった」

何度も見た写真だったのに、
と思いながら、

私は暗い気持ちになりました。


「この半年後に、家出をしたんだ。
まりちゃんを家に残して。」

と私が言うと、

「こんなに『お姉ちゃん』は慕われていたのにね」

と娘が私の目を見て言いました。


「まりちゃんが生まれる前のお母さんと、
生まれた後のお母さん、
こんなに表情が違う」

と娘はまた、ページを戻して私に見せ、

「ほら、全部の写真、
こんなに楽しそうにしてるけど、
全部わざとおどけて見せてるだけだね。
全部ふざけたポーズで写ってるけど、目が笑ってない。
ピエロになったんだね」

と言いました。

確かに、妹が生まれる前の私は、
瞳に光が強く灯っていて、
母に躊躇なく甘えているのに、

妹の生まれた後の写真はどれも、

ふざけたポーズをとりながらも暗い眼をして、
母からも妹からも、体を離して写っているのです。


「バアバは、
まりちゃんが生まれたからお母さんに触らなくなった、
というよりは、
赤ちゃんの方が抵抗なく触らせてくれるから、
単純にまりちゃんに乗り換えただけだね。
お母さんが拗ねて、バアバに反抗したのが、
バアバにとっては手に余ったんだよ。
バアバはそういう子供の問題と向き合えない。
面倒くさくない方に乗り換えただけって感じだね」

写真を観て娘はさらに言い、

「それから、お母さんの方が祖父ちゃんに顔が似てる。
特に憂鬱そうな暗い目がそっくりだよ。
自分の夫と、被ったんだろうね」

と、同情的に言いました。


そのアルバムを観て、
懐かしさだけでいっぱいになる、ということはなく、

私はまだその昔の写真を直視できないでいることに気が付きました。

全部の写真にふざけたポーズで、
わざと明るく写っている自分を、
とても好きにはなれないし、

妹を抱きしめながら、
私からは離れて写っている母の姿に傷つくし、

父と二人で暗い眼をして写っている二十歳の自分を、
憐れに思ってしまうのでした。


「今度このアルバムを開くとき、
ただ懐かしいと思えるようになるために、
もっと自分と向き合うよ」

と私は娘に言い、
私はそのアルバムを、

押し入れに戻したのです。






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愛されない子供


「それはおまえが一番幸せだからだよ」

と夫に言われ、
休み中の間、家族で観光地へ出かけたり外食したり、
買い物を楽しみながらも、

そのひと言を噛みしめてみました。

今年の正月に、
父がうちを訪れて私を嫌な気持ちにしたときにも、

父のひと言ですっかり意気消沈した私に向かい、
父は、

「でもおまえはまだいいよ、
居場所があるんだから」

と言ったのです。


「でもね、だからと言って、
一番幸せそうに見えるお母さんに、
寄ってたかって失礼な発言してもいいってことにはならないよ。
確かにパパはいいこと言ったと思うし、
そのとおり、お母さんは一番安定していて幸せなんだと思う。
でもだからって傷つけていいことにはならないし、
そこは祖父ちゃんとバアバの、未熟な部分だね」

今回の顛末を聞いた娘は、
私にそう言いました。

「お母さんが本当にやらなければいけないことは、
あの二人を親と思うのをやめること。
今回パパに頼ることができたのは良かったと思う。
いい加減、バアバに利用するだけ利用されてきた現実を、
受け入れることだと思う。」

と娘は言いました。

「でもそれは、お母さんがバアバに愛されていなかった、
ということではないんだよ。
祖父ちゃんもバアバも、誰も愛せないの。
魂がまだそこまで行ってないの。
苛める相手は、なみこでもまりこでもどっちでもよかったんだよ。
まりちゃんはお母さんと違って言い返すからね。
いっこ言われたら三倍にして返せるじゃん。
お母さんは逆らわないから苛めやすいだけ」

娘にそう言われ、

確かに、両親を親と思い込む境地から脱出し、
二人をそれぞれパーソナリティーとして見ることができれば、

それもまたひとつの、
『理解』なのだろうと思いました。


それでも、

私の中に、『愛されない子供』がいるのです。

大人の私が今、
表面上理解できたことが、

心の中に住んでいる傷ついたままの子供の私に、
簡単に届くとはどうしても思えないのです。


実際に、
両親を赦そう、理解しようと決めたところで、

母に傷つくひと言を一回言われただけで、

瞬時に奈落の底までも突き落とされてしまい、

何日も、その最低な気分を引きずり、
自分自身の人生を楽しめなくなってしまうのです。


「ねえ、あんなくだらないひと言を言われただけで、
一気に落ちて、這い上がれなくなるのは、
やっぱり私が病気だからなのかな?
『茂子の真似して私を馬鹿だと言ってるでしょう』って、
そんなくだらない一言にここまで反応するって、
私みたいな人って他にもいるのかな?
どんだけ傷つきやすいんだよって、
普通の人から見たら、私の方がおかしいんだろうなって、
思うんだ」

私は夫に相談をしてみました。

夫はまた、
黙って私の長い話を聞いていましたが、

たったひと言、


「親に言われたら、効くんだよ」


と答えました。

普段、心のことやホメオパシー、
仏教のことになど何も興味を持たず、

私の日々励んでいることを横目で見ているだけの夫が、

こんなひと言を返してくるとは、
私は思いもしませんでした。


「そうなの?みんなそうなの?」

と私がもう一度聞くと、

もう夫は何も答えませんでした。


しかし、

口には出さないだけで、

夫もまた、生きてきた人生の中で、

両親の言葉に傷つけられ、

打ちのめされたことがあったのだろうと、

感じたのです。





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幸せ

自分の腹の中で煮えくり返る怨みに打ち勝てず、
今すぐに誰かに自分の想いを受け止めてほしい、
という衝動に駆られました。

ちょうど夕食が終わり、
娘は風呂に入り、息子は自室へ戻り、

夫はテレビ番組を観ながら次男を抱いてあやしていました。

この激しい、母への苛立ちをぶつけられれば誰だって、
多少はその感情に巻き込まれてしまうのです。


『それでも誰かに聞いてもらって、
わかってもらって慰めてもらいたい』

と思った私は、
本当は今すぐに風呂場まで娘を追いかけて行き、
娘に全部を聞いてもらいたいと思いました。

「でも、それをやったら母と同じになってしまう」

とわかっていたので、
その気持ちはなんとか抑えて、
夫に感情をぶちまけることにしました。


「お母さんからこんなメールが来たの」

と夫に打ち明けると、
あとからあとから、芋づる式に感情が湧き上がりました。

「子供のころからこうだった。
『あんたはコウモリと同じ、お父さんの味方でも私の味方でもない、
ずるい女なのよ』って罵られた。
勝手に夫婦げんかして、
『喧嘩になったのはおまえのせい』だと言われた。
『おまえさえいなければお父さんと仲良くできるのに、
おまえがいつだって私の幸せを邪魔をする』って言われたの。
私を攻撃してスッキリしたら、
『ご飯だよ』って子供部屋に私を呼びに来て、
言われた方の私が納得できなくて拗ねていると、
『おまえは本当にしつこくて嫌な性格。
この家が暗いのはおまえのそういう顔のせいだ』って、
また責められたの」

私は涙をぼろぼろこぼしながら、
母親への恨みの気持ちを夫に話しました。

「なんであたしが茂子伯母さんの真似して、
お母さんのことを馬鹿だって言いふらしてるなんて思うの?
さっきの電話で、
大丈夫だよ、嫌なら北海道行かなくたっていいんだよ、
その時の自分の気持ちで決めて大丈夫だよって、
私はお母さんの味方になって優しい言葉だけかけたのに。
人が楽しく飯食ってるときに辛気臭い身勝手な電話、
一方的にかけてくんじゃねえよなんて絶対に言わないで我慢して、
ずっといい子でいるのにさ!」

夫は黙って、テレビを観ながら、
何も言わずに私の話を聞いていました。

「百歩譲って、
これからも何も変わらないと言われたとしてももういいの。
お母さんは病気なんだしそれは仕方ないって思ってる。
でもね、私が知りたいのは、
どうしていつも苛める対象が私なのかってこと。
まりちゃんには絶対にこんなメール送りつけないし、
お父さんにだって直接はしないんだよ。
ストレスが満タンになった時、お母さんは私を選ぶの。
私を苛めて発散するの。
お父さんと仲直りした後、その報告はないの。
私には相談してるのではなくて、
自分の膿を私にみんななすりつけて、
それだけがお母さんにとっての私の『役割』なの。
用が済んだら、私のことは忘れて、
また用事が出来た時には、私に泥を塗りたくりに来るの。」

話していると惨めになって、
それでも心の中を夫に見せ続けました。

「ひとつだけ、教えてほしいの。
どうしてお母さんは、他の誰でもなくて、
私を苛めるの?
なんでなの?なんで、私なの?」

私は涙を垂らしながら夫に尋ねました。


すると、それまで黙っていた夫が、

「それは、おまえが一番幸せだからだよ」

と答えました。


夫に言われた意外なひと言に、
ハトが豆鉄砲を食らったような気分になりました。

それはとても意外な意見でした。

「それは、おまえが愛されていないからだよ」

とは、夫は言わなかったのです。


その優しいひと言に癒され、
煮えくり返った怒りは治まり、

『お母さんは私の気持ちがわからないのね。
お母さんに疑われて、悲しくなって泣きました』

と母に返信すると、

母からはそれ以上なんの返信もなく、


それからきっかり二週間、

母からの音沙汰は一切なかったのです。




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お試し現象

両親と自分自身への『赦し』がまたほんの少し進むと、
早速『お試し現象』が起こりました。

それはまた、27日の早朝のことで、
実家の隣家から、電話の着信記録の入っているのを、
その日の午後に発見したのです。


「なんで・・・?
どうしてまた27日なの?
お母さん、また家の中から叫んだんだ」

と私が電話の前で立ちすくして言うと、

「うわ、恐い。
27日、一体何の日なんだろうね」

と娘が答えました。


しかしそれはゴールデンウイークの入りの日で、
翌日から夫が、
単身赴任先から帰ってくるのを楽しみに待っていた私は、

実家やお寺に出掛けてその後始末をする気持ちには、
どうしてもなれなかったのです。

とりあえず実家に電話を掛けると、
元気よく電話に出た母が、

「調子もいいし、なんにもないし、
お父さんから電話が来て、
8月になったら北海道へ来いって言われたの。
そしてもう、おまえとずっと一緒に暮らしたいって言われちゃった」

とはしゃいでいたので、
叫んだあとで毒が抜けたのかと思い、

「明日から旦那が帰って来るから、
十日経ったらまた電話するね」

と言い、そのまま実家へは出かけずに過ごし、
翌日の護摩祈願にも出かけず、

夫を迎えて家族5人で、楽しく過ごすことにしたのです。


しかし、翌日夫が帰って来て、
久しぶりに家族5人で夕食を摂っていると、
母から電話がかかってきました。

「ねえ、お父さんには北海道へ行くと言っちゃったんだけど、
私やっぱり行きたくないの。
昨日はお酒飲んで酔ってて、ついうっかり、
家のお金も私が出すって言っちゃったの。
うっかり言っちゃっただけなの!
冗談じゃない、あんな男信じられない。
私だって老後ここで独りで暮らすなら、
自分のお金守らなきゃ。
あの人は自分勝手にあんな遠くに逃げて、
体よく私に金出させようって言うの、
全部搾り取るつもりなの、金目当てなのよ」

母は私の都合も聞かず、
一歩的に父の悪口をまくし立て始めました。

この人、私が夫と仲良くしていると必ずこういう電話かけてくるよね、
と思いつつも、

いつ終わるのかもわからない母の長い愚痴に、
苛立つ気持ちが抑えきれずに上の空で相槌だけ打っていると、

「もしかして、もう帰って来てるの?」

と母の方が勘を働かせて尋ねてきました。

「うん、さっき帰って来て、
今みんなでご飯食べてるの」

と答えると、

「ああなんだ、悪かったね。
じゃあ電話切るよ。みんなで楽しく過ごして!」

と母は慌ててそう言うと、
急いで電話を切ってしまいました。


また休みが終わったら母に会いに行こう、
ごめんねお母さん、

と思いながら食事の続きを摂っていると、


今度は母から一通のメールが入っているのに気が付きました。


「お母さんからメールだ」

と夫に伝えながらメールを開くと、


『気狂い茂子の真似をして、私のことを「馬鹿」と言ってない?
子供に同じことを、やがて言われるよ。
私は気付いてるよ』


という、呪いの一文が書かれていました。


それを読み、

うんざりして、げんなりして、

がっかりして、


即座にその場に、伏しました。

何の言葉も出てこず、
楽しく赤ん坊をあやしている夫の笑顔が、

どこか遠い国の映画のワンシーンのように、

届かぬ『幸せ』のように感じました。

そして、

腹の中で『怨み』が煮えくり返り、

ぐらぐらと音を立てるのを、

ひとり黙って、聞くばかりだったのです。





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祈り


両親を憎む、という苦しみを抱えながら生きてきた私が、
その宿題の答えを見つけることだけに専念した成果は、

「人は多面的である」

というひとつの答えを手に入れたこととなりました。


これは本で読んだ知識でも誰かに教えてもらったことでもなく、
自分でたどり着いた、私の答えなのです。


人の心は奥深く、複雑に多面的にできていて、
ほとんどの人が、
誰かを見るのにその一面しか認識していないのです。

その『一面』に、
自分にない『憧れ』を映し出し、
また、自分自身の欠点をそのまま映し出し、
人は人に幻想を抱き想いを寄せ、嫌悪するのです。

人が人を見る時に、
自分の姿をそのまま、
鏡のように映しだします。

でもそれは、その人のほんの一面に過ぎない、
ということが、私の救いとなりました。


もしも私が、
両親への憧れと憎しみの幻想を打破することができたら、

全く別の自分、そして両親が顔を出すのです。

世界にはどこまでもどこまでも奥行きがあり、
奥へ進めば進むほど、
光に満ちている、というイメージが浮かびました。


両親を赦す、ということは、

自分自身をゆるし、理解し愛することと、
直結しているのです。


夢に見た、子供を愛する余裕のなかった母、
即ち子供を愛せなかった自分自身を、
俯瞰的に見て理解し、許すこと、

また、子供よりもお金を選んだ父、
即ちそれを選んだ過去の自分を、赦すこと。

そこに集中していこうと、
ある意味、矛先を変えたのです。


すると、連絡の途絶えていた父からメールが送られてきました。

生後8か月になった次男に、

「なにか贈ろうと思うのですが何がいいですか」

という短いメールでした。

「うちにあった機関車トーマスのセットを、
まさかまた赤ちゃんが生まれるとは思わずに、
いつか誰かに全部あげてしまったので、
またひとつずつ集めようと思っています」

と返信すると、
数日後に、
父からプラレールのセットが贈られてきました。


父との関係も、
常にここからが始まりだと思いながら、
新しく築きなおそう、と思いました。

そして、
これまで決して見ようとしなかった、

父の他の面を見てから死にたいと、

新しい欲望が生まれました。


父は、本当はどんな人間なのだろう、
と考えてみました。

母の心の奥深い場所には、
どんな光が存在するのだろう、

と考えてみました。


人はみんな、一秒ごとに進化し、
成長しているのだと、
想像してみました。


そして、
こんなふうに想像し、未来に思いを馳せることを、


『祈り』と人は呼ぶのだろうか、

と思ったのです。




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理解


その夢を見て目の覚める瞬間、
私は自分の心の深淵に繋がることができました。


私はいつかの人生で、
自分の子供に対して愛情を抱くことができず、
私自身が両親から受けた扱いを、
そのまま自分の子供に向けたことがあるのです。

また、他の人生で、
女郎屋のような場所に売られ、
自分の足を切り落とされたこともあり、

別の人生では産んだ子供を間引きして殺したことも、

それらの記憶を思い出したというよりも、
途方もない、無限にも思える、
膨大な量の記憶の全てをしまい込んであるスペースに、

ほんの一瞬、
アクセスすることができたのです。


夢から醒めて現実の世界へ戻ると、
それらの記憶は明け方の闇のように、
消えるともなく『その場所』へと帰って行きました。

それから、

「あの畑は昔、沼だったのかもしれないですね」

と師匠の言ったひと言を思い出し、
実家の土地周辺は全体が沼で、

その沼には昔、間引きした子供や、

女郎屋で働く女が、腹にできた子供を産めずに、
沈めていたのだと気が付きました。


それはあの家を実家として生まれた私や妹に、
なんら関係のないことのように見えて、

しっかりと、自分のカルマの一環なのだと確信したのです。


「赤ちゃんに愛情を向ける余裕がなかった」

というのは、
母が私に対して抱く想いを夢で受信したのともうひとつ、

同時に、
過去の自分自身の口から出た言葉でもあるのだと思いました。


やはり、

私は母を赦そうと、
そして父を赦したいと頑張っている裏側で、

結局は自分自身を赦そうと躍起になっているのに過ぎなかったのです。


「結局、自分の人生で変えることができるのは自分だけ、
誰も、他人の人生に介入することはできない仕組みになっているのだ」

と思いました。

私は自分自身を赦さない限り、
自分の業を両親に映し出して見てしまうし、

その壁を越えた時に、
両親に対しても自分に対しても、
これまで見ることのできなかった別の面を、
知ることができるようになるのだとわかったのです。

赦し、とういうのはおそらく『理解』のことであり、
世界を俯瞰的に見ることができるようになればなるほど、
その『理解』は深まっていくのだと思いました。


「私は両親のことなどなにも理解していなかったのだ」

というのが、

ここまでたどり着いた今の答えであり、

「私は私のことを何も知らない」

ということだけが、

確信を持ってはっきりとわかったことなのです。












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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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