真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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父にメールを送ってみたものの、
やはり返信はありませんでした。

今の私にどう歩み寄ればいいのか、
父もわからなくなっているのだろうと感じました。


すると今度は、母のことを夢に見ました。


夢の中で夫の車を運転している私は、
なぜだか助手席に妹を乗せて、
雨の中を、実家に向かって走っていました。

「この車を、実家の駐車場に停めさせてもらわないと」

と言いながら運転する私に、

「お母さんきっと怒るよ。
お姉ちゃんの旦那のこと嫌いなんだから」

と妹が不安そうに言いました。


実家に着いた私は遠慮がちに、
母に車のことを頼んでみましたが、

「それはお祖母ちゃんに聞いてみないとわからない」

と母は答え、

「お祖母ちゃんがこの駐車場の土の下に埋まっているから」

と言うのです。


とりあえずいつものように、
母の話に付き合っていた私でしたが、

突然イライラと怒りが湧きあがり、

「こんなところにお祖母ちゃんなんて埋まってない、
埋まっているのは骨でしょ?!
あたしの骨、あたしの足の骨をここに埋めたんでしょ?
返してよ、返して、
あたしの足を返してよ!!」

と母に詰め寄りました。


母は虚ろに目を逸らし、
「おまえの足はここには埋まっていないよ」
としどろもどろに呟き、

「だって・・・知ったら怒るでしょ?」

と小さくなって答えました。


「怒らない、もうそんな昔のこと、
私は怒らない。
でも本当のことが知りたいの、
私はただ、本当のことを知りたいだけなの。
私の足を、返してほしいだけなの。
お願い、私の足を返して」

と母に言いました。


そして、私と母は一緒になって、
駐車場の土をスコップで掘りました。

「ここに埋まっている」

と母の言ったその場所には、
たくさんの綺麗な花が咲いていました。


その土の下に私の足の骨は埋まっていて、
劣化し、茶色に染まっていました。

母は、埋まっていた骨の上に咲いている花ごとを私に『返し』、

「支配的な母親から逃げ出したくてお父さんと結婚し、
おまえを産んだけど、
私には赤ちゃんに愛情を向けられるほどの余裕はなかった」

と言いました。

「毎日泣き叫ぶ赤ん坊のおまえにイライラして、
おもいきりつねってやったことがある」

と言い、

「泣き疲れて眠ったおまえが、
うずくまるような格好でそのまま2時間眠ってしまい、
起きてほしくなかったからその形のまま動かさず、
布団もかけてやらなかった。
私は外へ遊びに行きたいだけの、
20歳の女の子だったのよ。」

と自分に言い訳して、

「そしたら足が脱臼してるってお医者さんに言われたの。
私のせいだと思いたくなかった。
自分のせいでこうなったことを認めることが、怖かったの」

と泣きました。


私は母から、
花の咲いた、古い自分の足の骨を土ごと受け取り、

その足を不憫に思い、

そして母と自分が哀れになって、
泣きました。

実家の駐車場には雨がザアザア降り、
みんな、流れていきました。



目が覚めると、
隣に自分の赤ん坊が寝息を立てて眠っていて、

私はしばらく、
途方に暮れたようになっていました。

「なんだ、夢だったのか」

と呆然とし、
夢の中から戻って来るのに、
しばらく時間がかかってしまいました。


「すごい夢、見ちゃったな」

と思った私は、


この夢に、

何重もの意味が重なっていることに気が付いたのです。




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黒歴史

「それなら今ここで、
あの人とお父さんが似ていたかどうか、
登場人物をお父さんに置き換えて、
その夢をもう一度再生してみてよ」

妹は、私の夢の話を聞くと、
そう言いました。

「実際、彼のどんなところが嫌いだったの?」

妹にそう聞かれ、
私は20年以上前に別れた、
その人のことをもう一度思い出してみました。


「会社が終わって外に出ると、
あの人が会社の駐車場の金網に張り付いて、
毎日待ってたの。
会社から出てきた私を見つけて、
『何やってたんだよ、腹減ってんだから早く出てこいよ』
って言って。
『早くなんか食わしてくれよ』とか言ったり、
『ゲーム買ってくれよ、今日給料日だろ』って言うから、
今お金持ってないって答えたら、
『銀行いけばあんだろ』って言われた」

あまり思い出したくない昔の黒歴史を話すと、
妹はしばらく黙って聞いていましたが、

「お母さん、お父さんのことをストーカーだったって言ってるじゃない。
今でも。
とにかくしつこい男で、根負けして結婚したけど、
本当は全然好きじゃなかったって。
お母さんにとっては、お父さんってそういう存在だったんじゃない?」

と言いました。


私も、母がこれまで何度も、
「お父さんはストーカーだった」と言うのを聞いていたのに、
それとこれとは全く別なのだと思っていて、

それは母の妄想であり、
父は母が病んでも見捨てない、立派な人なのだと、
どこか信じ込んでここまでやってきたのです。

「お父さんは苦労に耐える、
立派な人だと思いたい自分が頑固に動かないよ」

と私は正直に妹に言いました。

「あいつとお父さんが似ていたなんて、
絶対に受け入れたくない自分がいるの」

私はさらに言いました。


しかし、その夢を見た日の明け方、

「お父さんは毎日、私を嫌な気持ちにしていたじゃない」

という自分の心の声も浮上して、

「毎日なんてされていない」

という否定の想いも同じだけ強く湧き上がり、
私はそこでもまた、困惑していたのです。


「小学校高学年の時に整形外科の先生に、
偏平足が疲れの原因だと言われて、
毎日畳の縁を爪先立ちで何周か歩くように言われたの。
それから毎日、お父さんは会社から帰ってくると、
『今日は畳の縁を歩いたのか』って子供部屋まで聞きに来て、
私は毎日その約束を忘れていたから、歩いてないって答えたの。
そしたらどうしてやっていないんだって毎日罵られて。
それから爪を噛んだかどうかのチェックも必ず行われて、
噛んだかどうか、手を見ればわかるんだから手を出せって言われて。
爪を噛んだことと畳の縁を歩かなかったことを毎日怒られたので、
お父さんの帰ってくる時間が本当に怖かったけど、
あれはだらしない自分が悪いのだと思っていたし、
お父さんは本当に私のことを治したいのだと信じていたから」

と私は妹に打ち明けました。


「本当に自分の子供を治したいんだったら、
会社から帰ってきたら、ゲームだとかなんとか言いながら、
一緒に畳の縁を歩いたはずだよ。
やったのか、やってないのかってネチネチ責めるだけで、
全てをお姉ちゃんの責任にしたのは、
単なるイジメでしょ。
家に帰って正当な理由でお姉ちゃんを苛めて、
会社で受けたストレスを晴らしていただけじゃない。」

私の話を聞いた妹はすかさずそう言うと、

「あんな、餓鬼すれすれみたいな人が、
子供に愛情なんて向けられるわけないじゃない。
自分が満たされたい一心なだけで、
子供のことまで見えるわけない。
立派なお父さんなんて、自分の中にしか存在しない。
この世界では、私にもお姉ちゃんにも、
立派な親なんて与えられなかったんだよ。」

と私を諭しました。
そしてひと言、

「あの親を親に持ったことで、
心の成長を遂げた私たちの取る行動、
それだけが勝ち得られるものでしょう」

と言いました。


それはすべて、
私が『頭で』理解していたことでした。

わかってはいたけれど、
同じ人を親に持った、たった一人の妹に改めて言われた私は、

「空しいね」

と返しました。


「空しいよ、まりちゃん。
本当のことを知って、がっかりするばっかり。
ほら、大人になった息子が父親と組み合って、
勝ってしまった瞬間に寂しい気持ちがするってよく聞くじゃない。
親父を越える瞬間を、男の子は体験するって。
あの感じと似ているの。
あと少し力を出したら越えてしまう、でも越えてしまうのは寂しいって、
私は今、そこにいる。
それでお父さんに、なんて声をかけたらいいかわからない。
子供も孫も、大人になったら俺を必要としなくなったって、
お母さんにそう言い残して北海道へ帰ったって言ってたでしょう。
それを聞いてから、北海道へ帰ったお父さんに、
一度も連絡していないし、あの嫌なメールを最後に、
お父さんからも連絡が途絶えているの」

と私は妹に言いました。


「そんなの、
私に越えられて本望でしょうって、そのまま言えば。
どう声をかけたら気に入ってもらえるか、
まだその想いが残っているから悩むんだよ」

妹は厳しく答えました。


その妹の意見に、

ああそうか、私はまだ、
父と騙し合いの愛情が欲しいと思っているのだな、
と自分の心を確認し、

その晩に、また夢を見たのです。


夢の中で、真っ暗な洞窟に、
父がうずくまっていました。


その姿はとても小さく、
本当に小さく、

ただ、弱々しかったのです。


「お父さん、小さいなあ」

と夢の中で思いながら、

小さくて小さくて、泣けてくるなあと、
なぜだか優しい気持ちになりました。


目が覚めると、

一人でまた北海道へと去って行った父に、

優しい言葉をかけたい気持ちになりました。


そして私は、

生後7か月の次男と、
もうすぐ3歳の誕生日を迎える妹の子供が、
二人で笑っている写真を添えて、

『昨日はまりちゃんと楽しい時間を過ごしました。
またこっちへ帰ってきたら、
一緒にどこか出かけようね。
身体に気を付けて、過ごしてください』

という短いメールを、
父に送ったのです。





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友達


結婚前に三年間お付き合いをしていた、
高校の時のクラスメイトの夢を見ました。

彼との嫌な思い出とトラウマとなった出来事だけを、
ぐちゃぐちゃに集結したようなその夢を見て、

うなされて目が覚めました。


目の覚める瞬間、
夢と現実の狭間に、脳内で自分自身の声がしました。


「あの男と父親は、そっくりだったじゃないの」


その声にぎょっとして、
まさか、と思いました。

あの人とお父さんが似ている?
全然似てないよ!

という想いと、

まさかまさか、今見た映像の登場人物を、
彼ではなく父に置き換えたら、

それを確認することができるのかしら、

という疑いの気持との両方がいっぺんに湧き上がり、

彼の持つイメージと父を重ね合わせようとしたところで、
はっきりと目が覚め、

夢のイメージは煩悩の倉庫へとまぎれていきました。


その日の晩は、イベントの招待の招待を受けていて、
私と妹、妹の子供と私の赤ん坊との4名で、

歌のライブに出かけました。


妹の作った洋服に、
その歌い手さんのデザインしたモチーフを私が刺繍して、

イベント主催のオーナーさんが販売しているのです。


産後初めて、ライブでのゆったりとした時間を過ごし、

「ああやって並んでいるとなかなか素敵だよね」

と妹と一緒に、展示された自分たちの作品を自画自賛しつつ、
歌い手さんの澄んだ歌声に涙して、

深夜の街を車を走らせ帰りました。


子供たちがすっかり眠っている静かな車内で、

「こういうイベントの帰り道は、いつも寂しいね」

と妹が口を開きました。


「インナーチャイルドのことを学校でどんどん浄化して、
前に進むにつれて、友達が減っていくんだ」

と妹は言いました。

「そう。私も出家してここまで来たら、
とにかく友達がいない。
私は他人が恐いし、誰も信用していない。
その事実がごまかしようもなく浮き彫りになって、
もう自分に嘘がつけないの。」

と私は答えました。

「私は誰かとごちゃごちゃ、
今迄のように群れることができなくなったの。
この人素敵だな、友達になりたいなと思える人に出会っても、
そういう人は群れあう友達を必要としていないから、
アドレスを交換しても、本当に用事のある時しか連絡来ないし」

と妹が言いました。

そういうのが本当に寂しいけど、
もう後戻りはできないねと私たちはシェアして、

「でも今ここにまりちゃんが居てくれる。
私はこれだけで、充分だよ」

と妹の目を見て、
伝えました。


家族との問題を棚に上げてほこりまみれにしたまま、
あてもなく『友達』を求めて徘徊していたあの頃よりも、

問題を直視して、
まずは家族との絆を取り戻すことに専念している今の方が、

ずっと大切な、
充実した時間を過ごしているように感じたのです。


それから私は、
その日の明け方に見た、昔の彼と父親の、

心の闇を映し出したあの夢の話を、
妹に聞いてもらったのです。





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霊感

実家からの帰り道、

「お母さんがずっと、
隣の伯父さんがゴミを投げ込んでくるって言ってるでしょ」

と妹が話し始めました。


「この前、一人で実家に行って、
また家の周りに一周、土地の浄化を撒いたのね」

と話を続けた妹は、

「そうしたら、家の裏に生ごみがぶちまけてあったの。」

と言いました。


「誰かが故意に悪意を持って撒いたゴミだと感じて、
お母さんに見つかる前にそっと捨てておいたんだけどね。
ああ、本当にこういうことがあったんだなって思った。」

妹は神妙な顔でそう言うと、

「お母さんがいつも、隣の家の伯母さんが、
『バカだから昼間っからもう酔ってる』って悪態つくのだと、
ずっと言い続けているじゃない。
それだって、この前警察沙汰になった時に隣に挨拶に行ったら、
伯父さんが伯母さんに向かって、
『昼間からもう酔ってる』って言って自分を苛めるんだって、
伯母さん言ってたし。」

と言い、

「その声がお母さんに聞こえるわけもないけど、
言ってるセリフが同じだったってことは、
ゴミのことも悪態のことも、
一概に妄想だけとは言えないって思ったよ。
やっぱりお寺で言われているように、
お母さんの変な霊感も大半を占めているんだって思う」

と言いました。


そんな母は、

「あの子もう家に居ないだろ?
おかしいんだよ、あの子の声だけしないんだ」

と去年の出産の大変だった時期に騒ぎ出し、
隣家の従弟が姿を消したのだと、言い続けていたのです。

「あれだって、
またお母さんの妄想だと誰も相手にしなかったけど、
あの警察沙汰でヒロ君(従弟の仮名)が施設に入ったことを知ったわけだし、
ちょっと鳥肌立ったよね」

と私も言いました。

母はさらに、

「あの子は精神科に入院なんてしていない。
世間に言えないからそう言うことになってるけど、
また薬に手を出して更生施設に入ってるんだ。
来年の9月になったらまた戻ってくる。
そしてあの子はもう社会復帰できなくて朽ちていくよ。
あの子が恐い。
あの子が戻ってくる前に引っ越さなきゃ、とも思ってる」

と不安がっているのです。


何の根拠もない、母のその『妄想』が、
的を得た『直感』なのかどうかは、
来年の9月がやってこないことにはわかりませんが、

「この人は生きにくい人生を生きてきたのだろう」
という気持ちになり、不憫なような想いが湧くのでした。


「ところで、その生ごみをぶちまけたのは誰だと思う?
ちょっと霊視の練習しよう」

と私が言うと、

「男・・・?隣の伯父さんたちではなくて、
裏のアパートに住んでる陰湿な感じの、
ネトッとした男の人」

と妹が言い、
それが私の感じた人物と同じだったので、

「いやになっちゃうけど、
お母さんの血がしっかりあたしたちに流れているね」

と私が答えると、

「そんなところにまたチャンネル合わせなくていいの。
実家にゴミを撒くなって、
想いの中でその男に睨みを利かせるだけでいいよ。
それから、ゴミのあった場所に塗香をまいて、
浄化するだけにしておきなさいよ、
瑠史さん!」

と娘に叱咤されたのです。
そして、

「お母さんは、得度してからこの一年、
人を呪わなくなった。
だけどその代り、よく落ち込むようになった。
落ち込みたくないから、人を呪って元気を取り戻していたんだよね。
お母さんにとって得度はとても大きかった。
このまま仏様の方へ進んでくださいね」

と、釘を刺されたのです。





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希望


「とにかくね、
今回はお父さんと一回も喧嘩しないで過ごせたけど、
やっぱりあの人気味が悪いのよ」

と母が言いました。

「寒かったから、自室でストーブ焚いてたんだけど、
私が覗いたら、ストーブを机の下に入れてて、
机の裏側が熱くなってたの。
しかも紙が一枚、ストーブ側へ机の上から垂れ下がってて、
もうちょっとで燃えるところで。
去年も同じことしてたから怒ったんだけど、
この人ボケはじめたのかなって思ったの。
でも、この人本当は死にたいのかなって、
そうも感じたのよ」

と母は続けました。


母の話を聞き、

私と母は直感で、
『同じもの』を感じているのだなと思いました。


「ねえ、お父さんが包丁を送りつけてきたのって、
殺してくれっていうメッセージだったのかな、
それとも殺してやるというメッセージだったのか、
どっちだと思う?」

私はみんなに質問しました。


「殺してくれ、じゃない?」

と妹が言い、

「これで殺しあおう、
傷つけあおう、っていうのだよ」

と娘が言うと、


「あの人ね、心の中がぐちゃぐちゃなのよ。
そのぐちゃぐちゃを、ここへ帰ってくる度に持ってくるから嫌なの。
いくら喧嘩しないで仲良くできても、
そこだけは変わらないのよ。
あの人、孤独なの。たぶん心の中は孤独なのよ」

と、母がまとめました。


母のその『ぐちゃぐちゃ』という言葉を聞いて、

妹の見た蛆虫の夢の内容を、

『お父さんが持ってくるもじゃもじゃした問題』

と師匠が表現したことを、思い出しました。


ぐちゃぐちゃの、もじゃもじゃは、
父の心の中に絡まった、

根の深い闇なのだと理解したのです。


「あの人、どうしてあげればいいと思う?」

と母が言いました。


その一言に、
母は父に対して、

夫婦の愛情を越えた、
慈悲の心も持ち合わせているのだと感じました。


本当に病んでいるのは、
本当に闇が深いのは、

母ではなく父なのかもしれない、

と思いました。


そして、観音様の入った年に、

「お母さんは観音様が入ったら、
まっすぐ観音様の方へ行くからね。
だから早く観音様の前にお母さんを座らせてあげたいの。
でもお父さんの方は、すぐではないよ。
お父さんが観音様が入ってよかったな、と思うのは、
もっとずーっと、後のことになりますね」

と、今は亡くなられた副住職の言ったことを思い出したのです。


一度しか会ったことのない両親のことを、
そのように霊視した恩師のあの時の言葉を、

7年経った今、
私はあの時よりももっと強く、頼りにするようになりました。


「お父さんが観音様を受け入れるのはもっとずっと後のこと」

というのは、

私たち家族のサポートで、
それはいつか必ず可能になる、

という、

希望なのです。





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包丁


長い間、慢性的に見続けた悪夢のひとつは、
父とセックスをする夢でした。

娼館のような、淫靡に閉ざされたピンク色の部屋で、
とても嫌な気持ちでその壁を見つめながら、

風呂に入って身支度をしている私のところへ、
抑圧された怒りに満ちた父が、裸で登場するのです。

ああいやだ、嫌だけれど口に出してはいけないのだと、
嫌悪感でいっぱいになりつつも、

父を受け入れるという夢でした。


それからまた、

父と肉体関係を持った私が、
父と腕を組んで夜の暗い道を歩いていると、

父の反対側の腕には妹が縋っていて、
妹と私の二人ともが父の愛人で、

夢の中の私は妹を煙たい存在と感じている、

といった夢も、パターンのひとつでした。


「うわ、やめてくれ、
最悪だなその夢・・・」

とげんなりしながらその夢の話を聞いた妹もまた、
はっきりとはしない理由で、
父を嫌悪しているのです。


父が帰った後に実家に集合した私と妹は、
自然とまた、父の話題で盛り上がりました。

「うちの近所に、畑をやってるジイさんがいて、
何度か家の前で遭遇して、
話しかけられたから付き合ったんだけどね」

と話し始めた妹は、

「そのジイさんが、トマトの収穫の為だか何だか、
手に包丁持っててさ、それで話がすごく長いの。
手に包丁光らせたまま、すごくネガティブな感じに、
なんだか私を『逃がさない』ってエネルギーで、解放してくれなくて。
何年生まれ?とか聞いてきたから53年って答えたら、
それは俺が倒産した年だ!って何回も言って。
そんなの知るかよ、それよりその包丁、
布かなんかでくるめよって思って」

と顔をしかめました。

包丁、と聞いて、
それは父の化身だと思いました。

「まりちゃん、もっと深層の、
お父さんとの問題をやった方がいいよ。
インナーチャイルドの学校で出してもいいし、
ホメオパシー相談会でもいいから、やった方がいいと思う」

と言うと、

「やっぱりか。ああいやだ!」

と妹は顔を背けました。


父は、私が結婚をしてからというもの、
とにかく包丁を何丁もプレゼントしてきて、

それからうちにやって来ると言えば、
赤い肉の塊をお土産に持って来続けたのです。


「私ね、お父さんがくれた包丁、
この前全部紙にくるんで捨てたんだ。
そしたら、全部で8本もあったの。
一番最後に持ってきた包丁なんて、
刃渡り50センチくらいあるスウエーデン包丁ってやつだったんだよ。
一家の主婦がそれでなに料理するんだっての。」

と私が言うと、妹はのけ反って爆笑しました。


そこで突然母が口を挟み、

「あの人、死にたいのかしら?」

と言いました。


父は、私が主婦になったから、
料理に使うだろうと思って、
なんとなく包丁を贈ってきたのです。

うちにやって来るときにも、
夕飯のおかずになればと思って、肉の塊を、
普段買えないようなものを選んだつもりで持って来たのです。

それが一回だけのことならば、
それはそれだけのことと捉えることができても、

父は、何度も何度も、

何度もそれを繰り返したのです。


父が『包丁と肉』を選ぶ深層心理にはどうしても、
『殺人』が潜んでいるように感じられ、

それが意識に上がるごとに、

私には父の心に、
内包された悪魔が隠れているような気がして、


『一筋縄ではいかない何か』


を、見逃すことができないのです。






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脱出



北海道から戻って来ていた父が二週間の滞在を終えて、
また自分の建てた家へと帰って行きました。


父の戻ってくる前に妹が、

「お父さんがトラックいっぱいのトウモロコシを乗せて、
実家に戻ってきた夢を見たの。
そのトウモロコシを近くでよく見たら、
それはトウモロコシではなくて、ひとつひとつがうねうね動く、
トウモロコシ大の大きな蛆虫だったの。
実家の前の私道が汚い水で水浸しになっていて。」

とお寺に出掛けた日に話し、
娘は、

「私はバアバの家(実家)の前の畑が、
沼だった夢を見た。
汚い沼で、そこから恐い蛇が這いだしてくる夢だった」

と言いました。

その夢の話を聞いた師匠は、

「あそこ(本家の畑)、元は沼だったのかもしれないですね。」

と言ってから、

「お父さんがまたもじゃもじゃした問題を持って帰ってくるのが、
嫌なんですね」

と妹に言いました。
そして、

「それにどう対処するのかを、
みんなで考えたらいいのではないですか?」

と言って、私たち三人をの顔を見たのです。


しかし結局、父から一通の嫌なメールが送られてきて、
私は父からの『喧嘩を買った』状態から進むことのできないまま、

どう対処することもないままに、
父はまた居なくなってしまいました。


「お父さんいなくなってよかったね。
これでまた実家に行きやすくなったよ」

という妹の報告で、父が北海道へ帰ったことを知った私は、
今回はついに、

「お父さんは北海道へ帰ります、
ここに居場所はないからね」

という恒例の、
『別れのメール』が送られてこなかったことに気が付きました。


父が居なくなると、
二週間音沙汰のなかった母から、

元気な声で電話がかかってきました。


「お父さんと最後まで喧嘩しないで過ごせたの。
こんなこと初めてだった!
毎日仲良く、あちこちドライブに出掛けてね、
お父さん、本当に優しくしてくれたんだ!」

という母からの報告を聞き、


父との関係こそ修復はできなかったものの、

長年悩み続けていた、
『父と母と私の三角関係』からは、

完全に脱出できたのだと、
はっきりと自覚できたのです。




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健康



ホメオパシーを始めるまで、
私は『良い娘』でした。

どんなことでも一番初めに、
父に相談していたし、

実家にせっせと通いながら、
父と二人きりになると母の陰口を言い合い、

「お父さん大変だけど頑張ってね」

と励ましてきたのです。


ホメオパシー相談会に罹り始めたのは、
約十年前のことでした。

慢性的な咳に悩まされ、
朝も昼も夜も、いつも咳き込んでいた私は、
自分は喘息持ちなのだと思いこんでいました。

それから慢性的な頭痛にも悩まされ、
関節痛、そして生理不順と、

それから繰り返し発生するアタマジラミに悩み続けていました。


そういった体の疾患の他、
繰り返し見る悪夢について相談し、

子供のころから悪いままの、
母との関係のことで、扉を叩いたのです。


しかし、今でも忘れられないのは、
あの時ホメオパシーの先生に告げられた、

「あなたは本当はお父さんとの問題を抱えていて、
ここへ来たのよ。
そのうちに分かるようになると思う」

というひと言でした。


「お父さんはいい人なんです、
お父さんとは仲良しなんです、
母のことで、一緒に苦しんでいるんです」

とあの日答えた私は、

結局今になって、

どうにも修復できないのは、
父との関係だったのだと、
知ってしまったのです。


もし私が、あのまま父の『良い娘』を演じ切り、
今でも自分を騙すことに成功していたなら、

体中が悲鳴をあげて、
腎臓や肝臓までも悪くして、

この出産もなければ出家もしていなかったのだろう、
と思うのです。

しかし、
今ほどには、

孤独を感じることはなく、

どこかは苦しく、
しかし表面上は楽なまま、生きられたのかもしれません。


「誰もが、本当のことを知らないでいることで、
かろうじて生きているんだ」

と言ったのは、タロットカードの恩師でした。

「だから、おまえの書くものは人口の0.1%しか読まない。
おまえは本当のことを書くから」

という予言を残した、
その恩師と会うことはもう、できなくなりました。


本当のことを知ると、
病気は治ります。


「咳が出るのは、言いたいことを抑え込んでいるから」

なのだと、ホメオパシーの先生と、
そして師匠から言われ続けました。

「お父さんもお母さんも大嫌い、
私はあんたたちを恨んでいる」

と言葉に出し、

「私は孤独だ、誰からも理解されずに空しい」

と言うことを自分に許したら、
咳は治まりました。


「怨みや恐怖や怒りが関節痛の原因」

だと言われ、
自分の心の闇と向き合うことにしたら、
関節痛も治りました。

アタマジラミにはスタッフィサグリアなのだと言われ、
抑圧のレメディーを摂りつつ、

抑圧し続けた自分の想いを外に出したら、
シラミもいなくなり、

堕胎手術の罪悪感と向き合い、
レメディーを摂ったり写経や読経をして、
自分自身に供養の想いを向けたら、

生理不順が治ったうえに生理痛も治まり、

また子供を授かったのです。


この全部の『健康』と引き換えにして、
『父からの愛情』をがむしゃらに手に入れていたあの頃と、

父を赦せない自分を知ってしまい苦しむ今とでは、

やはりどちらにも『苦しみ』は発生するものの、


今の方が、

自分の心がずっと軽いのです。





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愚か者



四月に入ると、次第に私の心は落ち着きを取り戻し始めました。

毎年、二月から三月にかけての二か月間が、
一年のうちで最も心のゴミの浮上する時期なのです。


今月の仏画の会でのダンマパダの言葉は、

『愚か者』というタイトルで、

『旅に出て
もしも自分より優れた人
自分と等しい人に出会わなかったら
毅然として独りで行こう
愚かな人を道連れにしてはならない』

というものでした。

この、ブッダの教えを元にして話し合い、
それから絵を描くのです。


その文章を黙読した私は、
すぐに自分の見た夢の内容と、
父から届いたメールの内容を思い出しました。

夢の中で父に向かって、
「私のことなんて愛していなかったくせに」
と自分の想いをぶつけた私は、

「誰からも理解されない、
人はみんな、孤独なんだ」

という絶望的な想いでいっぱいになり、
空しくなって泣いたのです。


実の父親が、
私よりもお金を選んだ、

という現実を人生の最初に突き付けられ、

体育の授業のたびに、
その『傷』をみんなの前でさらし、

子供の頃は、
人の言葉で心を傷つけられながら大人になりました。

そういった苦しみの中で必死に生きていた子供の私に対し、
両親は自分たちの苦しみをさらにぶつけ、

母は、
「実の子供がかわいくないってこと、おまえを産むまでわからなかった」
と言い、

父は、
「おまえは理解してくれると思った」

と、私に『要求』を重ね続けたのです。


お釈迦様が二千五百年前に悟ったことは、

「人には平等に苦しみがある」

といったものでした。

『生老病死』を四つの苦しみとし、
苦しみとはそもそも、
『どうにもならないことをどうにかしようとすること』
と説き、

四苦を諦めることが解脱への道として、
『四諦』と説きました。

そのほか、

愛する人と別れなければならない苦しみ、
嫌いな人と会わなければならない苦しみ、
求めるものが手に入らない苦しみ、
あらゆる精神的な苦しみ、

を合わせ『八苦』とし、

この『苦しみ』が、

生まれてきたものに平等に与えられていると、
説いたのです。


おそらく、普通の子供よりも、
その苦しみを大きく感じやすい環境で生きてきた私は、

なぜ自分は常に憂鬱なのか、
ここから脱出することは可能なのかと、

ずっと考え続けながら日々を過ごし、

ついには出家に至ったのです。


両親からの『理解』を諦めるために、
両親から愛されることを諦めるために、

自分を愛せるようになるためにこの道を選んだ私に向かって、

まだこの上、

『出家詐欺にあっている』

としか理解できない父親のことを、


「要するに愚か者なのだ」


と私は、

この日理解したのです。





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私の夢の話を聞いた後、

「そもそも祖父ちゃんからどんなメールが送られてきたの?」

と娘が聞いてくれたので、
私は前日に父から送られてきたそのメールを、
娘に見せました。


「これは、祖父ちゃんがバアバにお金をせびって、
きっと失敗したんだよ。
それでお母さんに八つ当たりしただけ。
または、バアバとそろそろ険悪なムードになって、
嫌なことを言われたから、お母さんにエネルギー流してきたの。
どこかに流さないと自分で処理できないんだよ」

娘は、メールを読むとそう言いました。

確かに、

「お父さんはあなたからエネルギーを貰っていつも元気になってる。
嫌なことがあると、あなたに会いに来るでしょう?」

と、亡くなった副住職に言われ、

「向こうは、ちょっと顔を見たいなとか、
それくらいにしか思わずに会いに来ているけど、
帰った後にいろんな物(者)を置いて行っていると思います。
だからお父さんの帰った後に、
きちんとお経を読むといいと思います」

と、師匠からも言われたことがあるのです。


「このメールにまさか返信したとか?」

と娘に言われたので、

「うん、師匠は詐欺なんかじゃないって、返した」

と言って自分の送った方のメールを娘に見せると、

「しっかり喧嘩を買ったわけね」

と娘が言いました。


「喧嘩なんて買ってないよ。
師匠は詐欺ではないし、得度して一年経って、
これからも師匠について修行していきますって、
こんなに丁寧な敬語を使って返したのに」

と言うと、

「祖父ちゃんの返してもらいたかったのはこんなメールじゃないよ。
いつも心配かけてごめんね、お仕事頑張ってねとか、
バアバと何かあったの?大丈夫?とか、
そういう返事でよかったのに。
優しくしてくれる人に黒い気持ち送れる?
師匠は詐欺なんかじゃない、これからも師匠について行くって、
喧嘩なら買ってやるぜっていう姿勢でいれば、相手の思うつぼ。
お母さんが祖父ちゃんをむかつく野郎だと思うのと同じに、
嫌な女だと向こうも思ったよ。
そうしたら、黒いものを流してくる道ができて、
しっかりまた祖父ちゃんが流してきたものをキャッチしてるじゃないの」


娘に説教されて、
反省しました。


そこで息子も口を挟み、

「損得勘定だけで生きればいいんだよ。
祖父ちゃん恨んで誰かにいいことある?
自分にも?
いいことなくて得もないなら、
あっさりやめればいいだけだよ」

と言いました。


親に親を求める私が存在しなければ、
『親として』威圧的に意見してくる父もまた、消えるのです。


私とこのような関係で濃厚に繋がりたかった父が、

私の足に傷という『烙印』を押し、

私に一生恨まれ続けるという『黒い絆』を作り上げたのだとしたなら、


父の仕掛けてきたゲームに乗ってしまっては、
私も父も、誰も前に進むことはできないまま、
同じところを回り続けなければならないのです。


「恨むのをやめる、と蓋をするのではなく、
どうして恨んでいるのか、自分の心を見るように」

と師匠は言いました。


父と私を結ぶ『道』を、

変えなければならない時が来たのだと思いました。


それが、仏様に繋がる道に変われば、

私も父も、楽になれるのだろうと思ったのです。






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夢の中で、両親と私の三人で、
実家の居間で食事を摂っていました。

なにやらとても腹を立てていた私は、

母に悪態をつきながら、
味噌汁の入った椀を母にぶつけました。

すると父が私を『親として』威圧的に怒鳴りつけてきたので、


「だったらどうして私の足に傷をつけたの?!
私のことなんて愛していなかったくせに、
父親面するのはやめて!」

と父に向かって叫びました。

「こんなに足に傷をつけて、
あたしの人生台無しにしたくせに、
私の体の傷のことよりもお金を選んだくせに!
愛してなんかいなかったんでしょ!」

と叫ぶと、
胸のずっとずっと、ずっと奥の方から、
絞り出すように泣き声が湧き上がり、

「うわあああん、うわああああん」

と私は泣きました。

呼吸できなくなるほどに、
悲しみがずっとずっと奥の方から絞り出されたのです。


すると夢の中の父は、

「だからあの尼さんに金払っているのか。
あの尼さんはおまえから金が欲しいだけで、
親の代わりにおまえに愛情を向けてくれるわけではないんだ。
あの尼さんにとっては、
おまえだって、他の誰だって同じなんだからな、
親からもらえなかった愛情を、あの尼さんから貰えるわけではない。
残念だったな」

と意地悪く言いました。

そう言われて私はさらに泣き続け、
切望して止まない『親からの愛情』を得られない空しさでいっぱいになり、

そのまま目が覚めると、
涙で顔がぐしゃぐしゃになっていました。


目の覚めた私から、夢の話を聞かされた娘が、


「う~ん、夢の中で言っているようではまだまだだね。
じいちゃんに本当に言ってみればいいんじゃない?」

と言ってから、

「でも『なんであたしの足に傷つけたの』って、
核心に迫ったということは、
お母さんが自分の傷を直視できるようになったということだから、
かなり進歩したかもね」

と言いました。
そして、

「でもね、あの人たちに『親』を求めるのをもうやめなきゃね。
それができるようになれば、もっと楽になれるのに」

と言ったのです。




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心配



父が北海道から実家へ戻ってきたのは、
そのドライブの翌日のことでした。

「お父さんが帰ってきたから、みんなで集まろう!」

と浮かれた母から連絡が入り、

私と三人の子供達、
それから妹と妹の子供達がみんなで、
実家に集まりました。

夕食を終えて、
母が私の赤ん坊をお風呂に入れていると、

「いいな、お父さんもお風呂に入れたかったよ」

と父が言ったので、

「じゃあお母さんと三人で一緒に入ればいいじゃない」

と私が勧めると、
照れながらも、父と母と私の息子の三人で、
一緒に入浴をしたのです。


「おまえ、寒いんだから肩まで入れてやれよ」
「わかってるわよ」
「ほら、落とすんじゃないぞ」


という仲の良い両親の会話が聞こえてきて、
私は幸せな気持ちになりました。

本当の私は、両親に仲良くしていてもらいたいと願っていて、
こんな瞬間に、強く幸せを感じることができるのです。


子供たちを連れて買い物に出ていた妹が戻ってきたので、

「今ね、お父さんとお母さん、
この子を一緒にお風呂に入れていたんだよ。
三人で一緒に入っていたの」

と報告をすると、

「へえ、そんなことあるんだ?」

と妹も驚きましたが、
確かに、両親の仲の良いところを見たのは、
久しぶりのことだったのです。


しかし、わかってはいたことでしたが、
それから一週間後に、父からの一通のメールが届き、

私をとても不愉快な気持ちにさせました。


『お母さんがテレビで出家詐欺を観て、
観音様購入から日常の尼さんとの交際費などとても心配しています。
いつも娘たちに心配をかけているのをよそに、
親として心配しています。
稼ぐのは大変、遣うのは一瞬、
とにもかくにも助け合えるのは身内だけ。
精神も自立してお金は大事に。』

という内容の長いメールを読み、
私はぐったりと、嫌な気持ちになりました。


「心配しているのはお母さんでなく自分でしょ」

とメールに向って呟きました。

要するに、おまえをここまで育て上げたのは自分なのに、
どうしてあんな尼さんに金を払って、こっちに流さないのか、

親孝行せずになぜ他人に支払っているのか、

「おまえ一体寺に毎月いくら支払っているんだ」

と父は言いたいのだと思いました。


おまえを育て上げるのに俺がいくら遣ったと思ってるんだ、
回収しなければ気が済まない、

ということを私に言いたくて、

それから、

「あんな尼さんに懐いてないで、
自分をもっと慕ってほしい、
慕う相手を間違えるな」

と、
つまりそういうことが言いたいのだと思ったのです。


そのメールを読み終えると何ともドロドロとした黒い感情が湧き上がり、

その晩に、

私はこんな夢を見たのです。





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下り坂


そこで私は、母の本当の愛情の対象である『祖母』には触れず、

母が憎しみの対象として認識している、
隣家の伯父の話題に触れることにしました。


「伯父さんが毎日、ゴミを投げ込んでくるの?」

母が毒を吐き切って、
落ち着いてきたタイミングで質問を始めました。


「そうだよ!毎日毎日、
あいつは本当に根性が悪いの。
夫婦そろって性根が悪いから、一緒になってやってるの」

と母は言いました。

「それは、いつから始まったの?」

私はまた質問しました。

「いつって・・・
ここ三年くらいかな?」

母は答えました。

「ゴミを投げ込んでくるようになったのは三年なのね。
でも根性が悪かったのはいつからだったの?」

私はさらに質問をつづけました。

おそらく、最初からそうだったわけではないのです。
過去に何かトラウマとなる出来事があって、
心が傷ついて、
それから始まった『関係』なのです。


「根性が悪かったのは子供のころから!
兄さんは本当にいじわるで、私はいつも苛められてた」

と母は答えました。

ああ、私は今実の母親をカウンセリングしているのだな、
肉親にそんなことできるのだろうか、
自分の傷が浮上した時点でやめればいいか、

と思いつつ、

「どんな意地悪をされたの?」

と質問をつづけました。

「どんなって・・・学校に行くとき、
おまえは俺と一緒の電車に乗るんじゃない、
恥ずかしいから一本後の電車に乗れって言われた。
おまえが妹なのが恥ずかしいって言われたの」

母はそう答え始めた時から、
声の調子が変わり始めました。

母の想いが、
『その時』にタイムスリップしているのがわかりました。

感傷的になり、
憎しみの気持ちというよりも、

大好きなお兄ちゃんに、
おまえが妹なのが恥ずかしいと言われたことが悲しかったのだと、

そういう想念が伝わってきました。

伯父と一緒の電車で登校したかったのに、
おまえは来るなと拒絶をされて、母は傷ついたのです。

「かわいそうに。嫌なこと言われたね」

と母に同調し、
それから、

「本当はお兄ちゃんのことが大好きだったんだよね」

という想いを、口には出さずに母に向けると、

母の心のシャッターは瞬く間にピシャリと閉じ、

「あいつは根性が悪いのよ。
あの女と結婚してからもっと悪くなった。
夫婦でどんどん似ていった。
あんな男、兄弟だなんて思ってないもの、私」

と冷たく答えました。

母が心の『柔らかい部分』を見せてくれたのはその一瞬のことでしたが、

「今日はこれで充分」

と感じたのでそれ以上の質問はやめました。


ドライブを終えて実家に母を送り届けると、

「今日は楽しかった、ありがとう」

と言いながら、
母は私の手を軽く握りました。


その一瞬の握手に、
母との『繋がり』を感じることができた私は、

険しい険しいと思っていた大きな山を、
いつの間にか乗り越えて、

「もう下り坂に入ったのかもしれない」と、

感じたのです。






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恐い人


車に乗り込んだ後も、
母は眼に入る景色のすべてに悪態をつきました。

「この家見て、あんなに錆びているのに、
なんの修繕もしないのかしら」

「あの人見て、あんな派手な服着てる」

と指を指しては他人の悪口を吐き続け、
その人たちがまた、
自分に向かって悪口を言い返してきているのだと耳を塞ぎ、

「おまえにも聞こえるだろ?
私のことをバカだって言ってる。
バカだからなんにもできないって。ああうるさい」

と言いながら、手で顔を隠しました。


しかし一時間も走り、家から遠く離れると、
毒を私に吐き散らしてストレスが解消されたためか、

それともあの『家』から遠く離れたためか、

母の様子が元に戻って行ったのです。


「私、引っ越さないと幸せになれないよね。
あの家に一生住み続けても、今の状態が続くだけ。
お父さんは北海道に逃げちゃったし。
あんなに冷たい兄夫婦の隣の家で、
こんなにつまらない人生を送るのは本当は嫌なの。
でも引っ越すことも恐いんだ」

母は静かに言うと、

「引っ越して、もしもまた恐い人が隣人だったら、
今度こそどこにも逃げられなくなるじゃない。
家を売って新しい家を買って、そんなこと何回もできないでしょ。
まりこが一緒に住もうって言ってくれてるけど、
一緒に住んでも私を捨てて、また一人にされるかもしれないでしょ。
それでも引っ越した方がいいのかな?
もう、わからなくなっちゃった。」

と言いました。

この人は一人になるのが本当に怖いのだ、と思いました。
実家が悪霊の集まる家であったとしてもなかったとしても、
娘たちと夫に逃げられて一人になったことが、
ただ本当に寂しく、毎日恐い思いをしているのだと思いました。

「それならどうして私に、
あんなに毎日『出ていけ』と言い続けたの?」

という言葉が、
私の中から出てきそうになりましたが、
母を責める気持ちにもなれず、やはり口をつぐみました。


引っ越すことで母が幸せになれるのかどうか、
それは私にもわからないことだと思いました。

でも、母が家の中から『見えない敵』に向かってついている悪態を、
その昔にはそのままそっくり、

祖母に向かって吐き続けていたことを私は覚えているのです。


今は近所の人や、実家の前を通る学生、
親戚、私や妹、と分散されている母の『敵』が、

その昔には亡くなった祖母、
ただ一人であったのです。


実家から歩いて5分の場所にある本家から、
祖母は三日と空けずやってきて母にあれこれ命令し、

ほとんど毎日のように電話を掛けて来ては、
あれこれと指図して母の人生に介入し、

母を苛立たせていました。


「お祖母ちゃんがまた来る」

と言っては嫌な顔をして、
電話のベルが鳴っては、

「どうせお祖母ちゃんだからあんた出てよ」

と顔をしかめて、

「ああうるさいうるさい、
お祖母ちゃんの手の届かない、
どこか遠くへ逃げたい」

と母は毎日のように苛立ち、

私には、その矛先がそっくりそのまま祖母の死後、
他人に移行しただけにしか見えないのです。


「お母さんが本当に悪態をつきたいのはお祖母ちゃんで、
おまえはバカだからなんにもできないと決めてかかってくる声も、
お祖母ちゃんがお母さんに言い続けていたことじゃないの」

と教えてあげたい気持ちになりましたが、
おそらく、

「そんなことない、
お祖母ちゃんは私を可愛がってた。
兄妹の間で私が一番かわいがられたんだから」

という現実逃避した答えが返ってくることもわかっていたので、
やめました。


『そういうこと』にしておきたい心がある限り、
抑え込んだ『現実』が蓋をされて大きく育ち、

『心の声』となって母の耳にうるさく響いてくるのです。


「どこに引っ越しても、
心の中のお祖母ちゃんを赦せない限りは、
確かにまた『恐い人』が隣人になる可能性はあるよね」

と思った私は、

「引っ越せば絶対に幸せになれるよ」

とは、決して言えないのでした。






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ゴミ


母は電話で、

「なんだかわからないけど疲れ切って。
身体が動かないの」

と言いました。

「電話に出るのも億劫で。
ずっと寝ていたの」

と言う母に、

「ちょっとだけ、お経を読みに行ってもいいかな?」

と言うと、
私が家にやって来ることさえ億劫だと言いながらも、
母は受け入れてくれたのです。


母の気の変わらないうちに、
と急いで支度をして、
赤ん坊を連れて実家へ出かけました。

玄関から出迎えてくれた母は、
人相が変わっていました。

『目が据わってる・・・』

と感じた私は、
恐ろしくて母と目を合わせることができませんでした。


駐車場に車を駐車したタイミングで、数名の男子高校生が、
自転車に乗って実家の前を走り去りました。

お喋りをしながら走り去った高校生に向かって、
恐い形相をした母が、

「キチガイが!」

と悪態をつきました。


「キチガイが、ああやってあたしのことバカにして。
今の聞いただろ?あたしをバカだって言ったのを?」

と母は言い、
庭に風で舞い込んだ一枚のビニール袋を拾い、

「兄さんがうちに毎日投げ込むの。
バカにして。
こんなゴミ、なんであたしが拾わなきゃならないの?!」

とヒステリーを起こしました。


やっぱり、母は頭がおかしいのだ、
と思いました。

でも師匠から、
目に見えない者がたくさんこの家に集まってきているという連絡を受けて、
私は今日ここに来たのだ、

とも思いました。


霊なのか、病気なのか、
病気だから霊に憑りつかれるのか、
霊に憑りつかれて病気になったのか、

自分の中でどうにも整理がつきませんでした。

とにかく母が恐ろしく、
どうにも心細い気持ちのまま、

家の中へ入った私は真っ先に観音様の前に腰かけ、
習ったばかりの理趣経を読み上げました。


お経を読んでいる私の後ろに、
赤ん坊を抱いた母が何度もやって来て、
悪態をつきました。

「育児も放り出してお経なんか読んでるね、
おまえのママは」

と二男に、私への嫌味を囁きながら後ろに立っているのです。

「キチガイが」

と言いながら窓の外を睨んだり、
そわそわと落ち着きない母は、
その姿そのものが、

『リアルなホラー作品』

といった様子でした。


母に邪魔をされても、最後までお経を読みきりました。

理趣経と般若心経、観音経まですっかり読むと、
小一時間が経過していました。

「お茶淹れたから」

と呼ばれて茶の間へ行くと、

まだ目の座ったままの母は、

「こんなふうにまりこと別々に来ないで、
今度から一緒に来てくれる?
別々に来られると二回用意しなきゃならないから、
面倒くさくてたまらないんだけど?!」

と、イライラを私にぶつけてきました。

黙って聞いていると、
本家の伯母の悪口が始まり、
その次には父の悪口、それから妹の悪口を吐き散らし、

さらには私の子供たちのことまで、

「あんなにお嬢様みたいにしとかないで、
働かせなさいよ?!
あたしなんて15の時から母親にお金あげてた。
親孝行ずっとしてたの、ずっと母親にお金あげてたんだから」

と非難しました。

家族全員の悪口を言い終えると、

「またあのキチガイが出てきやがった」

と言い、
何度も窓の外へ向かって、

「うるせえ、黙れ!」

と叫ぶのです。


お経一回読んだくらいじゃ変わんないじゃん・・・

とぐったりしつつ、
だからといって二回読んでも同じなのだろうと諦め、

考えてみたら母は昔からこうだった、
子供のころから、
母の口からは誰かの悪口しか聞いたことがなかったし、
私自身罵られながら育ったのだから、
今更がっかりするようなことでもないと、自分を励ましました。

まあいいや、
師匠に言われたことはやり遂げたのだし、
弟子としては、言われたことだけ熟していればいいのだと開き直っていると、

「ドライブに行きたい」

と突然母にせがまれて、
私は母を連れて、車に乗り込んだのです。






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理趣経



その日の朝は、なんとも嫌な夢を見て目が覚めました。

夢の中で、
実家の庭が荒れ果てていて、
穴ぼこだらけの荒野のようになっていました。

家もあばらやのようになっていて、
ところどころ、壁に隙間が開いているのです。

硫酸を手に持った、イカレた男が二人、
原付バイクに二人乗りでまたがって、
私を追いかけてきました。

逃げ回る私に向かって、
頭から硫酸をかけてくるのです。

実家に逃げ込もうとしても、
家の中からはなんとも嫌な空気が流れており、

家の中はもっと危険だと感じたところで目が覚めました。


それはちょうど三月のお彼岸の最中だったので、
「ただの夢にしてはリアルだったし、
実家へ出かけてみた方がいいだろうか」
と思いつつ、枕元にあった携帯電話を手に取ると、

師匠からの、
電話の着信と、メールの着信のあったのを確認しました。

メールを開いてみると、

『ご実家の観音様の前で理趣経をお唱えください。
過去精霊のため、先祖供養の為とお唱えください』

というメッセージが入っていました。


すぐに師匠に折り返し電話を掛けて、

「ちょうど、実家の嫌な夢を見て目が覚めたところでした」

と言うと、

「どんな夢でしたか?」

と聞かれたので、
イカレた男に追いかけられた夢でした、と答えました。

すると、

「そうですね。ちょっと、目には見えない方の者たちが、
ご実家にたくさん集まってきているようなのですが。
・・・お母さんは大丈夫ですか?」

と聞かれました。

「電話をかけてみないとわかりませんが、
今日中に実家へ出掛けた方がいいでしょうか?
あしたとか明後日では間に合わないでしょうか?」

と尋ね返すと、

「今日がいいと思います」

と師匠が言いました。


師匠がそこまで言うときは、
無理にでも実家へ出かけた方がいい日、
ということなのです。

私は師匠との会話を終えると、
すぐに母に電話を掛けました。

しかし、母はその日は電話に出てはくれませんでした。

深夜になって、

『今日は体が疲れ切って動けなかったの。
電話も一階に置きっぱなしにして二階でずっと寝ているの。
このまままた電話は一階に置いて、
ずっと寝ているからもう連絡しないで』

というメールが一通、
母から届きました。

ぐったりと横になっている母の様子が目に浮かびました。

母は『体が疲れ切っている』としか判断していませんでしたが、
大量の餓鬼が母の体に纏わりついて、
処理しきれずに倒れ込んでいるのだと感じたのです。

「まさかあの墓参りで集めて持ち帰ったのだろうか」

と思いました。


実家へ出かけることができなかったので、
自宅の十一面観音の前で、

師匠に言われたとおり、
覚えたての理趣経を読みました。

過去精霊の為、
先祖供養の為と唱え、

翌朝もまた、十一面観音の前で、
同じように唱えました。


するとようやく、
母から電話がかかってきたのです。






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墓迷り



祖母の墓参りを終えて、
祖母の実家の墓地を探しに行きました。

しかし、墓地自体がなかなか見つからず、
やっと着いたと思えば、

母は祖母の旧姓しか知らず、

自分の伯父さんや伯母さんの名前を一切知らなかったのです。


「その苗字のお墓だけで4つもあるよ。
他人の墓参りなんてしない方がいいよ。
なんで自分の伯父さんの名前も知らないの?」

呆れて私が言うと、

「だって、子供の頃って、
おじさんとかおばさんとかって呼ぶだけじゃない。
名前なんてわかんないよ」

と、母は子供っぽく言い放ちました。

叔母のうちの一人は、
気がふれて出戻り、
祖母の妹だということを隠したまま隔離されたので、

その叔母の名前は、親戚一同誰も知らないのです。

それだけでもどうかと思う出来事なのに、
兄弟仲の悪さはやはり先祖代々続いてきたのか、

母親の兄や妹の名前を知らないまま、
やり過ごせる環境でこの人は育ったのだろうと思うことにしました。


結局、同じ苗字のお墓を全部回り、
それぞれの墓石に、線香を供え水をかけました。

「大丈夫、分岐しているだけでどうせ全部親戚だよ」

と母は軽く言いましたが、
なんとなく、嫌な予感が残ったのです。


墓参りを済ませ実家へ戻ると、
絶えず喋りつづけているのが常の母が、

めずらしく黙り込み、
小さく固まってしまいました。

「疲れた。
なんでこんなに疲れたのかしら・・・」

と言って動けなくなった母の背中を叩きました。

疲れたというよりは、
憑かれたように、見えたのです。


観音様の前で読経し、
家の中と庭を清めてから、

それでもなんとなく、
想いを残しつつ実家を後にすると、

案の定その三日後に、

師匠から電話がかかってきたのです。






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墓参り



卒塔婆をたくさん預かった夢を見た後には、
実家の母に呼ばれたので、二男を抱いて実家へ出かけました。

実家へ向かう車の中で、
「今日はお祖母ちゃんの命日だ」
と思い出しました。

着いたら母に教えなければ、と思っていると、

実家で待っていた母はもう、墓参りの支度を済ませていました。

わかっていて私を呼び出したわけではないけれど、
私を呼んでから思い出したのだと言うと母は、

「今日はお祖母ちゃんのお墓だけでなく、
お祖母ちゃんの実家の方の墓参りにも行きたいの」

と言いました。

祖母の実家というのは、実家の隣の市にあって、
祖母の実家にも霊園にも、
母は子供の時以来、一度も足を運んではいないのです。

「伯父さんと従弟が夢に出てきたの。
夢の中で伯父さんと従弟が、にわとりを一羽ずつ手に持って、
そこの駐車場でにわとりを振ってたの。
『羽が飛び散るからおじさんやめて』って言ったのに、
やめなかったのよ。」

と母は言い、

「三日前に本家の義姉さんが来たから、
もしかしてその従弟が亡くなったんじゃないかと聞いたら、
去年の暮れに亡くなったって言うのよ。
夢の中の、死んだ伯父さんと従弟がいい感じではなかったから、
どうしても墓参りに行きたいの」

と言いました。

前回、警察沙汰の騒動が再発した後、
本家の伯母が、
「これからは私がノブちゃんの母親代わりになる」と言い、
せっせと母のところへ通ってきてくれるようになったのです。


「従弟が死んだのに誰も教えてくれなかった、
教えてくれたらお金を包んで持っていきたかったのに」

車の中で繰り返される母の愚痴を聞きながら、
墓地に向かいました。

母の『頭がおかしくなった』と誰もがそう理解していて、
母はもう、冠婚葬祭すべての行事から外されているのです。


「でも私は親戚が死んだら分かるの。
教えてもらわなくても、夢に絶対に出てくるんだもの」

と母は言いました。


墓地に着き、祖母の墓参りを済ませると、
突風が吹き、卒塔婆ががたがたと鳴りました。

卒塔婆の鳴るその方向には、
生まれて間もなく亡くなった、
実家の隣家の伯母の赤ちゃんのお墓がありました。


「あの子が、寂しいからこっちにも来てくれと呼んでるわ。
やっぱり、あっちもお参りしてから行こう」

と母は言い、
日頃悪態をつき、悪口しか言わない、
実の兄の亡くなった赤ちゃんのお墓の方へ、
ずんずんと歩いて行きました。

私もついて行き、

地蔵菩薩のご真言をお唱えしたのです。





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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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