真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

正体


長い間、
唯一の味方なのだと信じてきた妹を、

私自身が裏切り、嫉妬し、
蹴落としてやろうと企んできた己の腹黒さを直視した後、

師匠から「運がいい」と言われてもどこかしらけた気持ちになり、

自分にがっかりしたまま日々が過ぎていきました。


それでも、
私に相談をしたいという来客数は増え、

他人に言えることは、
自分と同じ過ちを犯さないようにしてもらいたいことと、
人の心と真摯に向き合う気合だけは強くなり、

忙しい日々を送ったのです。


妹がやってきたのは、

そんな忙しい毎日の中で、

妹への罪悪感が前向きなエネルギーに変わり始めた、
晴れた日の午後でした。


「私が小学校二年生で、
お姉ちゃんが高校一年生の時のことなんだけど」

と妹は話し始めました。

「お姉ちゃんが体育の時の、
ブルマがジャージに変わったことでね、
私にふざけて、『やーい、ブルマ女~』って言ったことがあったの」

一体何のカミングアウトが始まったのだろうと、
身構えつつも話を聞くと、

「だから私、お姉ちゃんに言い返せるのはあれしかないと思って、
『やーい、ギプス女~』って言い返したの」

と妹は言いました。

「そうしたら、その場にいたお父さんとお母さんが、
すごい怒り方して・・・
とくにお父さんが。なんにも事情を知らないおまえが、
そんなこと二度と言うなって感じに、私を怒鳴りつけたの。」

妹はそこまで話すと、
喉に何かが詰まっているような、
苦しそうな表情に変わり、話をつづけました。

「言ってはいけないことを言ってしまったんだな、
お姉ちゃんの足のことには触れてはいけなかったんだ、
と思ったんだけどね、
その日まで、私にとってのお姉ちゃんは、
頭のてっぺんから足の先まで光っていたの。
でもその日を境に、お姉ちゃんの足だけが、
黒く変わったの。」

と妹は言い、

「それから私はお姉ちゃんに気を遣うようになった。
その日まではお姉ちゃんは、
私にあからさまな意地悪もしたけど、
私たちは遠慮し合わない姉妹だった。
でもあの日から、私たちの間に距離ができたの。」

と言って、私の目をまっすぐに見つめました。


私は妹のその辛い思い出の日のことを、
全く思い出すことができませんでしたが、

この正月に、妹夫婦だけを実家に呼んだ、
というような話を父から聞かされた時に、

「両親と妹は、私の居ない場所で、
あいつがいないとホッとするね、と言いながら、
仲良く結束している」

という妄想に憑りつかれていじけていた、
『自分の心』だけを感じました。

あの妄想の正体が、
その時に生まれた『自分の心』だったのだと、
わかったのです。


なぜそんなに昔のその出来事のことを、
今日になって妹の口から聞くことになったのか。

それは私が、

妹と赦しあうことを決めたからなのだ、

と理解しました。


「あの日からお姉ちゃんも私に意地悪できなくなって、
私たちは子供らしい喧嘩をしなくなったの。
でもお姉ちゃんは意地悪しない代りに、
私を恨み始めた。私のこと見下しやがって、って。
あの時お父さんとお母さんが私に植えつけた変な価値観によって、
私たちは溝のある姉妹になったんだよ」

妹はそう言うと泣き出しました。


妹の中絶の時のことを話すのは本当に辛いことだったけど、
話してよかった、

と心から思いました。

私が怨みと罪悪感を手放したから、
妹も手放すことにしたのだと、

30年近くも続いてきた妹との距離をここで解消できる喜びに、

宇宙に対して感謝の気持ちしか沸き起こりませんでした。


しかし同時に、

私は30年近くも見落としていた、

自分のもう一つの『妄執』に気付き、
それを客観視することにも成功したのです。






スポンサーサイト
  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]



結局、自分の中に『悪い心』がなければ、
決して『悪いこと』は起きないのだという結論が出て、

自分の心をくまなく観察すればするほど、

ひたすらにそれを確信していきました。


「なんで私がこんなひどい目に合わなければならないのか」


という、

理不尽な『世界』に対する私の問いかけの答えは、

「それは自分でその種を蒔いたから」

なのだと、

暗闇の中をもがいていた過去の自分に、
そうはっきりと伝えたい気持ちになったのです。


年が明けて、
大金剛陀羅尼を21回読み終えると、

「ちょっと気になることがあってお電話しました」

と言って、
師匠から電話がかかってきました。


「確かに、お父さんに傷つけられた、
という過去があったかもしれませんが、
瑠史さんは何も、貧乏くじを引くばっかりの人生、
というわけではないんです。」

突然の電話で、
日常的ではない話題を切り出された私は、

何かとても大切なことを私に伝えるために、
わざわざ師匠が電話を掛けて来てくれたのだと気を引き締め、

耳の穴をかっぽじって、
師匠の話に集中して耳を傾けました。


「瑠史さんは運がいい、
ということを忘れているような気がしてお電話しました。
これまでの人生のことを想えば、
とてもそうは思えないこともあるかもしれませんが、
それは瑠史さんが悲劇のヒロインでいるのが好きだから、
という理由があってそうなっただけで、
行き場のないそのエネルギーが、
時々ラップ音に変わって音を立てているのかなと思って、
お電話したんです」

と師匠は言いました。


「今年は、その『運』を遣った方がいいですよ。
使い方は、娘さんに聞いてみてください」


と最後に師匠は笑って言うと、
電話を切りました。


「なんでこんな目に合うの?」

ということなら星の数ほど感じても、

自分の運がいいとは間違っても思えない、
これまでの人生でした。


それでも、
種を蒔いたのが自分だったということに気付いた後の、

新年最初に届けられたこのメッセージを、


強く信じてみようかという気持ちにも、

なったのです。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

因果応報



いつか娘が、

「イジメ、というのは、
苛める人間と苛められる人間のほかに、
もうひとつの存在がないと成り立たないんだよ」

と言い、

「それは、それを黙認する周りの人間です」

と言ったことがありました。


今回、妹に対して自分が抱いていた悪意を直視した私は、
その言葉の意味を体験を持って消化することができました。


「あれは私が自分で選択したことだから」

と涙を流した妹に対し、

「でも私の中の、あなたへの悪意さえなければ、
私はあなたの味方になることができたの。
中絶しろと言ったのはお父さんだったけど、
それを黙認したのは、そうなればいいという邪な心が、
私の中に在ったからです。
みんなで苛めたの。
あれはみんなで、やったことです」

と私は妹に、謝罪をしました。


妹は本当は、
あの時赤ちゃんを産みたかったのです。

もし私が体を張ってでも、

「赤ちゃんを産ませてあげよう」

と戦うことができたのなら、

今の結果は変わっていたに違いないと思いました。


妹はその出来事をきっかけに、
あっという間に転落していきました。

自暴自棄になって、
自虐を始めていったのです。


いつだったか、

父が私に、

「まりこのことはもう諦めている」

と言ったことがありました。

父に対し、
腹の中で「おまえのせいだよ」と思った私は、
その時心の片隅で、

「よかった」と、

安心もしたのです。


いつでも妹と比べられていた私は、

両親の愛情を妹に持って行かれたくないという日常的な不安の中をもがきながら、

妹を蹴落としてやりたいと、
長きにわたって思い続けてきたのです。


やはり大金剛陀羅尼が、
知らない間に犯してきた悪事を消し去り、

これから犯そうとしている悪事をも消し去る陀羅尼、

だというのは本当なのだと思いました。


消し去るためには、
どのような悪事を自分自身で犯しているのかを知らなければならず、

同じように、

知ってさえいれば、

それをやめることができるのだと思いました。


私は目の前で眠る生後4か月のわが子を見ながら、

妊娠中にこの子を産むなと言われた日々のことを思い出し、

これが『因果応報』なのだと思いました。


この宇宙は、

自分の決断した行動の先にその結果が待っていて、

自分のしたことがそのまま、

返ってくる法則となっているのです。







  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

仏様



結局、お正月に妹夫婦だけが実家に呼ばれた、
というのは全くの誤解だったことがわかりました。

それでも、それをきっかけにして、

私は妹との間にある溝を、

妹との間に残っているしこりを、

直視することになったのです。


「あの時、まりちゃんが一番初めに私にだけ相談をしてくれたのに、
私はそれを友達に喋ったの」

と私は続けました。

「喋ったのは、その子なら、
たぶん人に言いふらすだろうとどこかで思っていたから」

と私は言いました。

喉が詰まって、
これ以上のことを話したくはない、

と思いました。

「私だけが、最初から『片輪扱い』を受けていて、
五体満足のまりちゃんが生まれて、
お父さんとお母さんの愛情をそっくり持っていったでしょ。
私はすごく嫉妬していたの」

話すことがこんなに辛いとは、
と思いながらも、私は話し始めました。

「学校での成績も良くて、
美術の作品がいつも代表に選ばれていたまりちゃんが、
上から二番目の高校に受かった時、
お母さんが『まりこは優秀』と有頂天になって、
これで近所の人や親戚に自慢できる、
リベンジできるって張り切ったでしょ」

もう話したくない、
惨めな自分、汚れた自分を見せたくないし、
自分でも見たくはないのに、

と思いながら、つっかえつっかえ、
私は話し続けました。


「お父さんだってそうだった。
自分の兄弟みんなが優秀な中で、
お父さんは自分のことだけが惨めだと思っていたけど、
まりちゃんが高校に入った時、
本当に自慢に思ったのを私は感じ取ったの」

父が、私にいつも失望していたことを思いながら、
私は一番言いたくなかったことを、
白状しました。

「だから、優秀なまりちゃんが妊娠したと聞いて、
まりちゃんも汚れてしまえばいいのにって思ったの。
近所や親戚にそれがばれて、
私と同じ場所に落ちればいいのにって、
思ったの」

白状をしながら、
自分がそう思っていたことを確信していきました。

それを言葉に出すまでは、

まさか自分が、
妹に対してそのような悪意を抱いていたということには、

全く気付かずにいたのです。


妹に対して長年抱き続けてきた、
謎の罪悪感の正体が、

明らかになりました。


「だから、お父さんと、
向こうの父親が中絶の方向で話を決めた時、
これでまりちゃんも私と同じ傷を持つと思って、
私はそれを阻止しなかったの」


汚い自分、最低な姉、

その姿を直視して、
自分にがっかりしました。


妹は黙って聞いていましたが、

また涙を流し、

「話してくれてありがとう」

と言いました。


そして、

「でもね、あの時お姉ちゃんだけが、
産んでしまえばどうにかなると思うけどって言ってくれていたんだよ。
でも、すごく力なく、
とても小さい声で、言ってた」

と言いました。


自分がそう言っていたことは全く記憶になかったのですが、


妹の帰った後に、
帰宅した娘にその話をすると、

「ふうん。
じゃあその時にもお母さんの中にはちゃんと、
仏様がいたんだね。
悪魔の力の方が強かったのだとしても、
仏様もちゃんといたんじゃない。
よかったね」

と、

娘は笑って言ったのです。





  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

核心


「みんな、意識に上げないだけなんですよ」


以前師匠もそう言っていたように、

どこに問題があって、
何が解決策なのか、

本当は誰もが自分でわかっているのだ、

と確信しました。


「意識に上げることを、赦さないだけなんです」

と何度も言われたことの意味を、
また深く理解しました。


妹と私の間に生まれた溝が前世で作られたものだったなんて、
そんな現実とかけ離れたおとぎ話などではなく、

妹が一番初めに妊娠をしたときに、
私は選択を誤ったのです。


妹が笑顔を見せなくなったのがいつからだったのか、
妹の部屋が散らかり始めたのがいつからだったのか、

妹が自虐的な人生を歩き始めたのが、いつからだったのか。


気が付く、というのはとてもすごいパワーを持っていて、

気付いてしまったら最後、
もう気付く前には戻れないようになっているのです。

「全部、あの時からだ」

と気が付いた私は、

妹を自宅に呼び、
核心に触れていきました。


今回のお正月の件で、
妹が私に内緒で実家へ行っていたことを父から聞かされて、

とても傷ついたと私は正直に話し、

でも自分が妹に対して抱いていた『悪意』に気が付いたことを、
打ち明けました。


「ごめんなさい」

と、私は妹に謝りました。


「あの時、一番最初に私に相談をしてくれたのに、
私はそれを信頼もしていない友達に相談して、
それから親に話して、
赤ちゃんを産まない方向に話が進んでも、
それを阻止しようともしませんでした」

と私は妹に言いました。

妹はポタポタと涙を流し、

「あれは私自身で決断したことだから」

と言い、

「あの時は専門学校のお金を支払った直後だったし、
ちゃんと卒業しなければ、という思いがあったし、
それで自分で決めたのだから」

と言いました。

しかし、

「でも、お母さんが一番最初の赤ちゃんができた時に、
全く同じことが起きたのに、
どうして私にも同じことをさせたのかな、
お父さん」

と言って妹は両手で顔を覆って泣き出し、
その顔は、妹の18歳の頃の面影に戻っていたのです。


タイムスリップが始まっている、

と気が付いた私は驚きつつも、
きっと自分も今、
25歳だったあの日に戻っているのだろうと受け入れて、

そのまま話をつづけました。

「もうひとつ、白状しなければならないことがあるの。
そして、許してもらいたいことが、ある。」

私はそう言い、

泣いている妹の目を逸らさずに、
じっと見つめたのです。





  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

蟠り



大金剛陀羅尼を読みながら、
両親と妹が、私の居ない場所で濃密に結託している場面が、

まるで事実のようにリアルに浮かび続けました。

妹は私に懐くふりをして、
腹の中では私を憎み、

私のことをバカにしているのです。


「妹は私を恨んでいる」

決して直視することのなかったその恐ろしいものを、
言葉に出してみました。

「私は妹に恨まれている」

口に出してみると、
ずっと前から知っていたこととしか思えないその言葉は、

黒く蠢く小さな生き物のように、
『言葉』となって私の中から這い出してくるのでした。


それはこれまでにただの一度も思い浮かべたことのなかった、

それでも私の心の奥底に根付く、邪な妄執であったのです。


「お母さんとまりちゃんの間にある、
落ち着かない空気はなんなの?
仲良くしているのに、絶対に見せ合わない部分がある。
へんな溝があるよね。
他人にはわからないかもしれないけど、
仲良くしてるときにそれが視えてすごく恐いよ。
早くそこに手を付けた方がいいよ」

娘にそう言われ続けていても、

「その溝がなんなのかわからないんだもの。
きっと前世で作り上げた関係なんだと思う」

と言い返し、
私は決してそこを見ようとはしなかったのです。


ところが、

大金剛陀羅尼を読む最後に日になって、
私は気が付いたのです。


妹と私の間に溝の生まれたのが、

妹の中絶手術の後だったことを、

私はとうとう、意識に上げて直視することになったのです。


妹が中絶手術を受けることになったのは、
妹が18歳で私が25歳の時でした。

当時妹が本当に仲良くしていた彼氏との間に、
赤ちゃんができて、

妹は一番初めに、私に相談をしてくれたのです。


結局、お互いにまだ若いという理由と、

これから先の、学業と就職のことを考えて、
こちらの両親と相手の両親とみんなで話し合った結果、

今回の赤ちゃんは諦める、
という答えが出て、

その出来事はみんなの中から忘れ去られていきました。


でも本当は違ったのです。


その出来事は消化できないままお腹の中に蟠り、

私と妹、両親の間に大きな溝を残し、


今日までの間フリーズしていただけに、

過ぎなかったのです。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]



「わかった、
ならお父さんとお母さんのことはもういいの。
あの人たちは最初から恨みの対象だったんだから、
何回傷ついてもその再確認という形で受け入れることができるの」

と私は子供達に言いました。

「でもまりちゃんは?
まりちゃんに裏切られたのなら、
私は立ち直れない。
妹だけが自分の味方だって信じてきたから。
愛情のないあの家族との日常を、
妹を信じることだけで乗り越えてきたんだよ。
まりちゃんにまで背中を向けられたら、
私は本当にひとりぼっちになっちゃう」

と言うと、

「私たちがいるんだから一人ではないけど。
お母さん、インナーチャイルドが出てきてるのね。
過去の話をしてるんだね」

と娘は言い、

「大金剛陀羅尼、あと二日で終わるんでしょ?
過去に犯した過ちを償う『行』なんだから、
あと二日間苦しみなさい。
その苦しみは過去に直視しなかった苦しみだから、
もう一回出てきたその思いを直視して、
苦しみきった方がいいよ。
大金剛陀羅尼を21日間読み終わったら解決するから。
それまでは、
まりちゃんに余計な喧嘩吹っかけるのも我慢しな」

と言いました。

うっかり、起きた現実に振り回されてしまいましたが、
確かに大金剛陀羅尼を読み始めて19日が過ぎていたのです。


私はたった一人信じていた妹に裏切られたのか、

私の味方のふりをして、本当は裏で私を笑っているのではないかと、
妹に対して疑いの気持ちが後から後から湧いてきました。


実は父と母と妹は、

私のいないところで、

「あいつがいないとホッとするね」

と言いながら、
私の欲しい『家族』の形を実現しているのではないのかと、

被害妄想が暴走しました。


その辛い気持ちをしっかりと受け止めて、
直視し、もだえ苦しみながらお経を読み続けていると、

その想いが確かに過去のものなのだと実感したのです。


妹が生まれた時、私は7歳だったのですが、

「今度は健康な子で良かった」

と、両親が喜んでいたのを思い出しました。


妹に授乳をしながら、
母が私を部屋から追い出した日のことも思い出し、

妹の誕生で、

姉の私はすべてをすっかり奪い去られたと感じていたことを、

思い出したのです。


母を奪った妹を恨んだ自分のことも思い出し、

その怒りは父親にも向かっていて、


母と妹に締め出された私を見て、

いつでも私に「しっかり生きろ」と、
その責任を母でなく、
子供の私に背負わせた父親に、怒りを覚えていたのです。


そうして子供の頃の辛い気持ちが膿のように出てしまうと、

翌日には、

自分の犯した『悪事』の方が、

顔を出し始めたのです。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]




父に「お母さんだけでなくあんたも嫌い」という意思表明をすると、
父からは攻撃のメールが返ってきましたが、

「お母さん、これ以上傷つきたくなかったら、
自分で読まない方がいいよ」

と言い、息子が代って読んでくれました。


「ああ、祖父ちゃんはもう金八先生でもなくなった。
これはただの攻撃のメールだよ。
要するに自分は悪くない、自分はこんなに大変なんだ、
おまえがしっかりと生きてほしい、みたいなことが書いてある。
おまえが理解してくれることを望んでいる、
って締めくくられてる」

と、父からのメールを読んだ息子が言いました。

「祖父ちゃんは、
自分の嘘に騙されて慕ってくる人にはどこまでも親切だけど、
刃向ってくる者は徹底的に潰すからね。
もう返事しない方がいいと思うよ、お母さんは敵とみなされたから。」

と息子は言い、

「でも大丈夫。
たとえ本当に、正月にうちをヌキで集まったんだとしても、
祖父ちゃんもバアちゃんもまりこさんも、
全員がお互いを嫌いあってるじゃない。
祖父ちゃんは全世界の人間全員を嫌っていて、
そしてバカにしてるんだから、
お母さんのことだけ嫌いなわけではないし。
祖父ちゃんは人間全員を嫌って、下に見てる。
お母さんたち家族は、『嫌い』と『怨み』だけが唯一の絆でしょ。
それだけでつながってるってずっと思っていたよ、言わなかったけど」

と言いました。


子供は見ているなあ、と思いました。

子供たちを連れて実家へ通い、
私が傷ついたの傷つけられたのと泣いたりわめいたりするのを、

子供は黙って、そして冷静に『視ていた』のです。


「お母さんはもう、こっちの家族がいればいいでしょ。
古い方の家族にしがみつくのをやめなよ。
お寺で言われたと言っていたけど、
たしかにうちのパパは、祖父ちゃんたちがくれなかったものを、
お母さんに与えてくれている。
それで満足できないの?」

息子はさらにそう言い、

「あの人たちを親と思いたいよりもずっと、
私たちを親と思ってくれる方がお母さんの為になる。
そう思ってくれてもいいよ。
だいたいあの実家に何をしに行きたいわけ?
行っても今まで何にもいいことなかったじゃん」

と娘が言いました。


お寺でも師匠に、

「何度傷つけられても、
どうして私は性懲りもなく両親にしがみつくんでしょうか?」

と問い掛けると、

「それは、生まれて最初に愛情をくれるのが、
お父さんとお母さんだからですよ」

と師匠は言いました。


だからこれは私の、

最初に愛情を与えてくれなかった両親へのしつこい執着心と思い込み、


そしていらないものまでを手に入れたいという、

貪欲な心、

なのだと思ったのです。




  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

返信


またもや『いらない報告』のためにうちにやってきた父親は、
がっくりと肩を落とした私に向かい、

「でもおまえはまだいいよ、
ここに居場所があるんだから」

と言って去っていきました。

今度は四月までこっちにいると宣言していた父は、
結局また母とうまく暮らすことができなくなり、
私をへこませた三日後に、
北海道へと帰って行きました。

北海道へと去る前の晩、
もう一度父からのメールが届き、

それには、母から自分がどんな目に合わされたかの愚痴が延々と書かれ、

それから「おまえは筋を一本通して強く生きていってほしい」
と書かれていました。


それを読み、
子供の頃に足の傷のことで苛められたときに、
やはり同じことを言われたと思い出しました。

中学生の時にイジメにあった時にも、
辛い気持ちを父に打ち明けたら、

「本をたくさん読みなさい、
そして強くなるように」

とだけ言われ、
話を聞いてもらえなかったことを思い出したのです。

「あいつはいつだって、『いいこと言った』みたいな自分に酔いしれて、
私の辛い気持ちになんて決して目を向けてはくれなかった、
本を読めとか一本筋を通せとか言う前に、
父親として学校に電話の一本かけてみるとか、
お母さんにひと言いうとか、愛情を向けてほしいだけなのに。
いつでも、いじめられている私を助けようとせずに、
苛められている私を見ては興奮して喜んでいるだけなんだ」

そう口に出しながら『再起不能』になってぐったりとへこんでいると、

「祖父ちゃんは、
生徒同士が揉めはじめたら意気揚々と駆けつけてくる、
安っぽい金八先生みたいなもんなんだからさ、
もうあの人に期待しない方がいいよ。
お母さんの親だと思って黙って見てきたけど、
あの人たちに『親』を求めるのを諦めた方がいい。
はっきり言うけど、あの二人は相当やばいよ」

と息子が言い、

「お母さんは被害妄想の強い面もあるけど、
祖父ちゃんが自分の不幸を望んでるというその発想については、
私もそうだと思う。
あの人はそういう、ちょっと変態的なところがある。
それが父親だというのを認めたくないのはわかるけど、
認めて、そして『親』を求めるのをやめた方がいい。
お母さんが自分よりも不幸か、自分と同じくらいに不幸な方が嬉しいから、
最初に足に傷をつけたんでしょ。
不幸な娘にしか、興味が持てないんだよ」

と娘が言いました。

それはとっくにわかっていることでしたが、
理想の父親を求める自分の心が、自分にあるのです。


この世界に、

『父親が変態』という人が、

何人いるのかと考えてみました。

考えたこともありませんでしたが、

貧しい国に出掛けて行って、
二十歳にもならない若い少女を買う男性が日本にはたくさんいるのだし、

アダルトビデオも当たり前に出回っている国なのです。

その全員が『変態』なわけではないにせよ、
その境界線がどこなのかは、わかりません。


ただ、なぜ父がそのようになってしまったのか、

その背景も見て納得するしか今の自分にはできないと思いました。

そして大人の私にそれができても、

心の中にいる『子供の自分』にはさせてはいけないということも、
今では充分にわかっているのですから、

「私は傷ついたの。
お父さんもお母さんもまりちゃんも、
全員大嫌い。
今はそれしか言えません」

と、父に返信したのです。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

恒例行事



11月から帰って来ていた父がやって来たのは、
三が日が明けてからのことでした。

母が私の夫を毛嫌いしているため、

正月に実家へ呼ばれなくなって4度目のお正月でした。


それでも夫は私の母を憎むことはなく、

今年は実家の近くの居酒屋にみんなで集まって、
新年会をやりませんかと、父に声をかけたのですが、

「お母さんを刺激したくないから」

というのが父からの夫への返事で、

「お母さんは病気なので、諦めてね」

と、私も夫に申し訳ない想いで声をかけていたのです。


その父が自宅へやって来て、

「2日にまりこ夫婦が来て、うちで呑んだ」

と言うのです。

父はその時の、母の困った対応の話を私に聞かせたかったのですが、
私はその事実の方に反応し、

嫉妬と怒りで思考が停止してしまいました。


夫の誘いを断っておきながら、
妹夫婦のことは家に呼んだの?!

と反応した私は、

「バカにしやがって!」

という思いでいっぱいになってしまいました。

居合わせた娘が、

「あ~らら、
ジイちゃん余計なこと言っちゃった・・・」

とつぶやきました。


私の中から、溜まりにたまった感情が吹き出しました。


「いっつもそうだった。
いっつもいっつも、赤ちゃんの時からだよ、
私は軽んじられてバカにされながら生きてきた。
私はいつだって、お父さんとお母さんの雑巾だった」

そう言って、父の前でテーブルに突っ伏しました。

「何言ってるんだ、いや、お父さん口が滑った」

とにやけながらおたおたしている父のそれは演技にしか見えず、

がっくりと肩を落とした私を見て、
父がむくむくと元気になり、顔色が明るくなるのを見たのです。


「お父さんとお母さんが私を必要としたときって、
汚い場所が見つかった時だけだったでしょ。
あらここが汚れてる、あの雑巾どこに行ったかしら、
と私のことを探しに来て、用が済んだらまた捨てられて。
それ以外で必要とされたことなんて一回もなかったよ」

私は父に言いました。

「今だって同じ。
お父さんは口なんて滑ってない。
こうやって私をへこませるの、いつものことじゃない。
わりとこういうこと、多いじゃない?」

と言うと、
「そんなことないよ!」
と父は怒り、

「たしかにお母さんがおまえとまりこを、
ほんの少しはそういうふうに分けて育てていたことは知っていたけど、
おまえはそれに負けず、
一本筋を通して、しっかりと生きていってほしい」

と、いつものように『良い父親』を演じていましたが、


「もうお母さんは何を言っても聞いてないよ。
傷ついてるの、
だからもうなにも言わずに帰った方がいいと思う」

と娘に言われて、
そそくさと帰って行きました。

父がいなくなると、
娘が私を優しく抱きしめました。

「いやな思いしたね、かわいそうに、
よしよし」

と娘に抱きしめられながら、
私ははらはらと泣きました。

「いっつも、こうなんだ。
怒っているのはお正月に呼ばれなかったことではないし、
まりちゃんたちのことでもないの。
お母さんが私を愛していないって、
いらない報告に来るのがいっつもお父さんなの。
私の味方のふりしているけど、
私がそのことで傷つくのが見たいだけなの。
見たでしょ?私が突っ伏したら、
あいつ突然元気になったでしょ?」

と言うと、

「うん、見た。
ジイちゃんはね、あのやり方でしか、
元気になれないかわいそうな人なのよ」

と、娘は答えたのです。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

効果



大金剛陀羅尼を読み始めたと同時に、
夫が名古屋から正月休みのために戻ってきました。

狭い自宅は人であふれ、
年末と正月のごちゃごちゃとした日々の中、

私はいちいち作務衣に着替えて袈裟を着けて数珠を持ち、
陀羅尼を読みました。


十一面観音の入る時にはあんなに反対して、

「俺が帰ってきたらこれ(観音様)に布をかけて、
絶対に俺の目に入らないようにしろよ」

とかつて私を憎しみいっぱいに睨んでいた夫が、

「そんなに早口で(お経を)読んで。
省略してんじゃないのか?」

と横目で見てからかってくるようになりました。

「得度なんて絶対にさせない」

と睨みを聞かせていた夫の前を、
作務衣姿で普通に歩ける日が来るなんて、

一生かかってもないことと思っていたのです。


夫の前で堂々と袈裟を着け、
陀羅尼を21回読み続けましたが、

特に夫が罵詈雑言を吐いてくるわけでもなし、

21回という生ぬるい数だけ読んでも、
特に達成感もなく、何も起こる気配もありませんでした。

「誰も喧嘩を吹っかけてこないし、
隣人がベランダで騒ぐ気配もない。つまらん」

と拍子抜けした私は、

「やっぱり得度したからなんだ。
あの頃私を取り巻いていた魔物ちゃんたちは、
どこか遠くへ行ってしまったのだ」

と思い、寂しささえ感じ、
読み始めた日の『やる気』すら薄れたものの、

修行の一環として坦々と読み続けました。


しかし、待ち望んでいた『症状』が出始めたのは、
年が明けてからのことでした。

右の脇に大量の湿疹が出て、
もりもりと盛り上がり始め、山ができました。

しかし間抜けな私は、

それが大金剛陀羅尼の『効果』であることに気付かないまま、

同時に起き始めた現象面での変化にさえ、

その成果なのだということを見逃したまま、
それに振り回されてしまったのです。





  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

大金剛陀羅尼



私が長い間、
ずっと両親に対して追い求め続けているものを、

ソウルメイトである夫が私に与え続けているのに、
私が認識できていないだけなのだと師匠は言いました。

そして、

「大金剛陀羅尼を一度に21回、
それを21日間読むといいですよ」

と私に勧めました。

大金剛陀羅尼とは、
知らずにしてしまった自分の悪事を詫びることができて、
さらにはこれから犯そうとしている悪事をも消し去ることができるという、
素晴らしいお経なのです。

確か去年の暮れにも大金剛陀羅尼を読むように言われ、
あの時には一度に百回読むようにと勧められたのだと思いだしました。

「百回読まなくて大丈夫です。
21回を21日間でいいですから」

師匠に念を押すとそう言われ、
早速自宅に帰って翌日から読み始めたのですが、

偶然にもその日は私の誕生日だったのです。


「一年前にこの陀羅尼を一度に百回、
十日続けて千回読み終わった時に、
ちょうど写経も500枚同時に書き終えて、
年が明けたら妊娠したのだった」

と思い出しました。


大金剛陀羅尼には強いパワーがあるので、

21日間読み終えるまでの間に、

また何か必要な事件が自分に起こるのだろうと覚悟しました。


一番最初に写経を百枚書いたときには大変な毒が出て、

最初の30枚で両目が真っ赤に充血し、
50枚目で隣人との気味の悪いトラブルが起きて、

百枚書き終えた日に、母との最初の和解をしたのです。

他にも湿疹が出たり夢を見たり、
たくさんの不調が起きてあまりにも辛いことが次々と起きたのだと、

後日師匠に報告をすると、

「そういうことが何も起こらないと失敗に終わるんです。
そんなにたくさん起きて、
成功してよかったですね」

と師匠は喜んでくれたので、

その意味をはっきりと理解できないままに、
私は『何かが起こる』ことを覚悟の上で、

師匠に勧められることは全部、
やり遂げてきたのです。


また辛いことが起こるのかもしれない、
でも良くなるために必要な出来事なのだから、

恐がらずに受け入れよう、

という覚悟を決めて、

暮れから年始にかけての忙しい日々の中、

大金剛陀羅尼を読み始めたのでした。




  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY

プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

個人セッションのお申し込みはコチラまでメールにてお願いいたします。
facebookはコチラ

☆サイト『ココナラ』さんでもメール相談を受け付けています☆

最新トラックバック

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

かんのんいんカウンター

« 2015 01  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR



.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。