真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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答え

「私、感謝とか愛とかで蓋をするのではなくて、
本当に心から父を赦したいんです」

私は師匠に言いました。

「父と会うと、まずぎくしゃくとした変な空気が流れて、
私はとても緊張して、
どうしても父と目を合わせることができません。
過去のことは仕方ないこと、
もういいよって思う自分もいます。
結局セコいのは私自身で、
父を鏡にして自分を映しているだけというのも理解していますし、
赦す相手は父でなく自分というのも分かっているんです」

師匠は私の背後で、

「ええ、ええ、」

と、真面目に私に耳を傾けてくれました。

「両親にされたことの全部が、
結局は自分のしたことの全部で、
私も子供たちを同じように傷つけていましたから。
両親に傷つけられるたびに、
自分自身を反省して子供たちを抱きしめられる自分に成長できたんです。
そういった意味では、
あの両親でなければ自分を映すことができなかったので、
『感謝』して手放せばいいだけなのはわかっているのですが、
嘘はいやなんです。
私は両親に感謝して手放しますと言ってしまえば、
卒業できるような気もするんですけど、
本当の本当に、絶対に徹底的に、
一点の曇りなく両親を赦して、
100%感謝の気持ちしかありません、と言い切りたいんです」

私は師匠に宣言しました。

「でもいつのことになるやら。
怨みをなくすなんて本当にできることなのか、
一生かかってもできないような気がしたり、
せっかく得度しても何も変わっていないような気がしたり、
自分のことも終わってないのに、
よくもまあ他人のことにまで手を出すよねって、
お客さんが相談に来るたびに自分をジャッジしてみたり。」

話しているうちに自分の器の小ささに嫌気がさし、
情けなくなって涙が出てきて、

「ほんと、セコいのは自分なんですよ。
ああ、セコい自分を赦せる日が来るのかな・・・」

と言い、
涙と鼻水をずるずる流しながら、
私は何も言葉が出なくなってしまいました。

師匠が私の背後にいてよかった、
勝手に 喋って勝手に泣くなんて、

なんて恥ずかしいのだろうと思いました。


しばらくの間、
シーンと静まり返り、

薬師堂の仏様たちが、

無言で私たちを見守ってくれているような、
優しい時間を感じました。


「ご主人は、
瑠史さんの中にいる、
傷つきやすい『なみこちゃん』の存在に、
最初から気付いていたのではないですか?」

師匠が、
ゆっくりと話し始めました。


「傷つきやすいなみこちゃんがもう傷つかないように、
復讐とか、反撃とかの役割を担う部隊が瑠史さんの中にいて、
その『部隊』の人たちを『怨み』というエネルギーに感じるだけで、
瑠史さんはもう誰も恨んでいないし、
誰かを傷つけたいとは思っていないですよ。
傷ついたままの子供の『なみこちゃん』の隣に、
ご主人をいつも置いてあげたらどうですか?」

師匠は言いました。

「ご両親は、
瑠史さんがしてほしいようには愛してくれなかったかもしれませんが、
ご主人はソウルメイトだと思いますよ。
それも全部含めて、
瑠史さんを丸ごと引き受けるつもりがあって、
瑠史さんと一番最初に出会ったときにはもう、
それもきちんと視た上で、
瑠史さんとの結婚を決めたはずです。」

と師匠は続けてから、

「もし私が重い病気になって手術を受けなければならなくなったら、
どうする?って、
ご主人に聞いてみてください。
今度はきっと、
お父さんからは得られなかった答えが、
ご主人からは、
返ってくるはずです」

と、

言い切ったのです。





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パフォーマンス

作務衣を着て雪駄を履いてお寺へやってきた私に、

「あら、作務衣になったんですね」

と師匠が笑顔で出迎えてくれました。


お経を唱えた後、師匠は私の背後へ回り、

「ちょっと・・・体をほぐしましょうか」

と言って背中を揉んでくれました。


「ここは・・育児疲れの体の痛みですね、
ぎっくり腰にならないように気を付けてください」

と言いながら私の腰を揉みほぐした後に、

「あら、ここも固くなっていますが。
ここは体の問題ではなく、心の問題ですか?
過去の・・・辛かった出来事が出てきたんですね?」

と言いながら、背中の一部を押したのです。


ああ、この人にはなんでもわかってしまうのだな、
私もいつかこのようになりたいと師匠を尊敬し憧れつつ、

私は自分の見た夢の話を、
師匠にも聞いてもらうことにしました。


「・・・それで、騙された!って、
夢の中で怒ったんです」

と話し終えると、


「本当のことを言ってくれていたら、
納得できたんですか?」

と師匠は静かに言いました。


その一言で私は、自分の見た夢を、
過去に実際に起きた出来事の再現だったのだと確信しました。


「わからないです。
本当のことを言ってくれていても、
やっぱり怒ったかもしれませんが・・・
でも私がどうしたいかを聞いてほしかった。
勝手に手術しないでほしかったです」

と答えた私に、

「お金が大事か、私が大事か、というのを、
お父さんに確かめたかったんですね」

と、師匠はまた、
私の背中を押しながら静かに言いました。


私が手術を何回も受けることになったのは、

最初に手術を受けた病院で、
股関節の病状が良くならなかったため、

また別の病院に行って、
別の医者にもう一度最初から診てもらうことになったからでした。

「それで二回目の病院に行ったら先生が、
僕だったらこんなに大きな傷を残すことなく、
最小限に小さい傷でこの子の足が治せたのに、
最初からこっちへ来ればよかったのにって言ったのよ。
私はそれを聞いてがっかりしちゃってね。
お父さんは本当は、その先生の評判を聞いていたんだけど、
余計にお金を包まないと診てくれない先生だと聞いていたものだから。
あの頃は若くて、大金が用意できなかったのよ」

と母が、

私の足に大きな傷を残してしまったことを、
後になって後悔したのだと何度も私に聞かせてくる度に、

平気なふりをして聞きながらも、
私は本当は傷つき悲しみ、怒っていたのです。


「要するに父は私よりもお金を選んだんです。
足にこんな大きな傷をつけられて、
私がそのことでいじめられたりからかわれたり、
恥ずかしい思いをするってことが想像できずに、
そこを配慮せずに安易に病院を選んで手術に承諾したんです。
私の一生がかかっていた大事なことだったのに。
あいつは安物買いの銭失いを繰り返していて、
ここぞというときに安い方を選ぶセコい男なんですよ」

私が父の悪口を言うのを、
師匠は私の背後で黙って聞いていましたが、

「では、どうすれば許せるんですか?
お父さんが全財産を投げ打って瑠史さんに詫びてきたら赦しますか?
それとも命を投げ打って瑠史さんに謝ってきたら、
赦すんですか?」

と質問をしてきたのです。


その質問を受けて、
頭の中が真っ白になりました。

何をされても、

全部嘘にしか思えないし、

父がどんなことを私にしてくれても、

自分に酔いしれるためのパフォーマンスとしか感じられない、


頑なな自分に、

気付いたのです。







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怒り


すっきりと親離れできた、と感じる夢を見た後に、
こんな夢を見ました。


夢は、
自分の股関節の手術のために、
医師と看護師との三人で話し合う場面から始まりました。

「手術はもう受けたくない、
私は体を誰にも切られたくない」

と私が医者に言うと、

「ヒーリングで病気が治るなんて言って、
ちっとも治らないじゃないか」

と医者は鼻で笑いました。

医者の権力、
男の権力の下で何も言い返せずにいると、

「あなた、怒っているのね」

と、それまで黙って話を聞いていた看護師が、
笑いながら言うのです。


「私は怒ってなどいない」

とむきになって言い返した後、


怒っている?私が?

という疑問ともやもやが胸の中いっぱいに広がり、

それと同時に激しい怒りが湧きおこりました。


「手術は嫌だって言ったのに!
手術するとも入院するとも聞いていなかった!
三か月も縛り付けられて歩けなくなるなんて、
聞いていなかった!
騙された!私は騙された!!」


目の前に並ぶ医者と看護師にそう叫ぶと、

二人はいつの間にか父と母に変わっていたのです。


目が覚めて、

「そうか、私、騙されたんだ・・・」

と思いました。


股関節の手術を受けたのは、

私が二歳から四歳までの間の、
合計九回のことで、

その頃の記憶はほとんど残っておらず、
断片的にしか覚えてはいないのです。


夢を見た翌朝妹と会う約束をしていた私は、
早速見た夢の話を妹に聞いてもらうことにしました。

「あの頃のことは全然覚えていないんだけど。
私、騙されたのかな?夢の中ですごく怒って、
起きてからも、騙されたという感覚がリアルに残っているの」

と言うと、

「騙されたんだよ。
きっとそれはお姉ちゃんが二歳の時の、
一番最初の手術と入院の時の記憶に違いない。」

と妹は言い切り、

「浅はかな親なんだからさ、
100%騙されたんだよ。
きっと、これからすごくいいところに連れて行くと嘘をついて、
お姉ちゃんを病院に連れて行ったんだね。
お姉ちゃんはきっと、それを信じてわくわくして車に乗って、
着いたら入院させられて手術されたんだ」

と言いました。


それを聞き、
なんとも辛い気持ちになりました。

同時に、以前映画で観た、
タイの貧しい家の子供が、
お金のために親に売り飛ばされるというシーンを思い出しました。

臓器移植のために売り飛ばされたその女の子は、
今まで一度も着せてもらえなかったようなきれいな服を着せられて、

いいところへ行くのだと騙されて、

売られていったのです。


なんとも空しい気持ちに襲われた私は、

そのモヤモヤとした気持ちを処理できないまま、


その翌日、

仏画の会でお寺へと出かけたのです。






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親離れ



夢の中で、

お坊さんの身なりをした私は実家の駐車場にいて、

自分の車に乗り込んで自宅へ帰るところでした。


見ると、狭い車内にはたくさんの荷物が積みこんであり、

鳥籠に入った小鳥や子犬、
トランクやお弁当などでぎゅうぎゅう詰めになっていました。

「引越しみたいだな」と思った私は、

「あんたこれで全部?忘れ物ない?」

と聞いてきた母に、

「ないと思うけど・・・また遊びに来てもいいんだよね?」

と確認しました。

なにか、もう二度と会えない遠くへ行くような気持ちになり、
寂しさに襲われたのです。

母は何も言わず、

「おめでたいことじゃないの」
という目をして黙って微笑み、

「これも持っていきなさい」

と最後におやつを持たせてくれて、
私を送り出したのです。


目が覚めて、

「あ、自立に成功した」

と思いました。

「私、親離れできたんだ」

と思いました。


薄暗い夜明けの、青白い部屋の中で、
生後三か月の息子が隣で小さく寝息を立てていて、
その向こうには娘も眠っていました。

私はもう一度目を閉じて、
まどろみの中で自分のインナーチャイルドを呼び出しました。

「なみちゃん」

と小さな私に声をかけ、
夢の中に出てきた車の後部座席に座らせました。

「ほら、あの日にお母さんに捨てられた、
子犬ちゃんも小鳥ちゃんもいるよ。
みんなで一緒に出発するの。
あのお母ちゃんとは今日でお別れ。
今からは私がなみちゃんの保護者だから、
私と一緒に出発だよ。
私のことは瑠史さんと呼んでね、
あのお母ちゃんがいなくても瑠史さんがついているから大丈夫」

後部座席の小さな『なみちゃん』にそう言うと、
なみちゃんは少し不安そうにしていましたが、

見送ってくれている母が幸せそうに笑っているので、

「わかった」と言い納得しました。


あの日母がヒステリックに庭に投げた鳥籠も、
学校から帰ってきたら捨てられていた子犬も一緒で、

それはいつの間にか、


今現在私が自宅で一緒に暮らしている、

インコのピーちゃんと、

愛犬のナナとマロに、変わっていたのです。





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幸せの時間



「そうか、私は私を愛そうとしない母を恨むあまりに自立ができず、
出会った女性すべてに『母親の影』を重ねずには、
世界を見ることができなかったのだ」

と気が付き、42年間かけ続けていた色眼鏡を外した途端、

子供たちと両親にその情報が伝わるのに、
ただの一秒もかかりませんでした。


それに気が付いた日、
娘が帰宅途中に変質者に絡まれて帰ってきました。

「すごく恐かった」

と娘は言いました。

娘がこれまでに『変な男』に絡まれて帰ってきたのはこれが初めてではなく、
何度も繰り返されることの裏側には、

なにか根深い『未解決のままの問題』が隠されていることは明らかでした。


私自身が男性との深い問題を抱えたままで、

父親に慰めものにされて妊娠する夢を見たり、
集団の男性に追いかけられてレイプされる夢を何度も見てきたのですから、

そのマヤズムを娘が受け継ぐことは避けがたいこととわかっているのです。

「先祖に近親相姦でひどい目に合った人がいるのよ」

とホメオパシーの先生にはあっさりと告げられて、
スッタッフィサグリアという『支配と暴力』のレメディーを、
今でも日常的に摂りつづけているのです。


私は娘を抱きしめました。

「恐かったね、お母さんが守ってあげられなくてごめんね」

と言って、娘をギュッと抱きしめました。


「今までこうしてあげなかったこと、ごめんね。
いつでもあなたを大事にできなくて、
ひどいことばかり言ったりやったりしたことごめんなさい。
今後絶対にもう二度と、ひどいことしないので赦して。
もしあと何世紀も時間を貰って、あなたのお母さんになれたとしても、
私はもう絶対に今までのようなお母さんではなく、
金輪際、何度生まれ変わってもあなたを愛してみせるから」

そう言って娘を抱きしめると、
娘も私に強くしがみついてきました。

「大好きだよ、
大事な大事な、かわいい私の娘」

と言って、
私は娘をさらに強く抱きしめました。


「この時間が私の、永遠の幸せの時間になるのだ」


と思いました。


私が娘と同じ思いをして帰ってきた日、

母は私を慰めようとはせず、

私を責めて罵りました。


「そんなのあんたがおかしいの、あんたがマヌケなんだよ!」

と私を叱った後母は、

「そんなことくらいで騒ぐあんたがおかしい、
そんな人世の中いっぱいいるんだから、
だいたいボーっとして歩いてるおまえが悪い」

といつまでも私を責めたのです。


知らないおじさんに電車の中でお尻を触られて帰ってきた日にそう言われた私は、

学校の帰りに知らない爺さんに追いかけられた日も、

本屋で露出狂の男に股間を見せられた日も、

もう母には一切報告するのをやめて、
そのショックを誰にも言わずに胸の中にしまい込んだのです。

私が汚い人間だから変質者に選ばれているのだと思いました。

母に愛されない『出来損ない』だということが、
変質者や痴漢にはわかるのだと思ったのです。


そうして、
恐い思いをして帰ってきた娘を優しく慰めて抱きしめてから眠ったその晩、

私は深い眠りにつき、

素敵な夢を見たのです。






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白雪姫



越えられなかった『心の壁』をまたひとつ越え、
自分で自分についていた嘘を見抜き、

『自分自身』を客観的に、
また一歩遠くから見ることができるようになると、

バラバラだったパズルのピースが面白いように繋がり、
『不可解』だった出来事のつじつまの合う面白さを味わいました。


「私は妹を恨んでいたのだ」

というシンプルな事実を直視しました。


「妹はかわいいんです、
妹だけが私の慰めだったんです。
それなのに、妹への罪悪感がひどくて、
原因がなんだかわからなくて苦しいんです」

と私がホメオパシーの先生に訴えると、

嫉妬と罪悪感の毒蛇のレメディーの、
『ラカシス』を何度も何度も、繰り返し渡されたのです。


母に溺愛されていた妹に、
母を奪われた私が嫉妬する、

というのは理解ができました。

でもなぜそれが罪悪感を生み出すのかだけが、
謎だったのです。


「恨んでいたんだ、罪のない小さな妹を!」


嫉妬している自分、までは直視することを赦せても、

私の『自我』は、
幼い小さな妹を『殺してやりたい』と思うほど、

『恨んでいる』

ということだけは認めたくなかったし、

私は自分自身に、
『ものわかりのよい娘』と、
『優しい姉』なのだという、

夢を見続けていたかったのです。


「そうか、だから嫉妬と罪悪感が同じエネルギーなんだ」

と私は、
長い間『謎』であった、

ラカシスのレメディーの性質を、
やっと理解できました。


これに気が付くきっかけになったのは、

妹の子供の保育園で開催された『お遊戯会』を観に行ったことでした。

年長さんの演劇の『白雪姫』を上演するにあたり、

「あのお話は本当は、
白雪姫と妃兼魔女の関係が、
継母と娘ではなくて、本当の母娘だったんですね」

と園長先生が言ったことでした。

「私はそれを知って大変なショックを受けました」

と園長先生の言うのを聞いて、
妹とふたりで「ショックを受けるなんてかわいいね」と笑っていたのですが、

あの魔女も、きっと自身の母親から嫉妬を受けて愛されず、
恨まれながら育ったので、

娘の白雪姫を同じように憎み、

嫉妬の気持ちから『消してしまいたい』と思ったのです。


白雪姫に自身の母親の影を見て、
愛されなかった幼い日の自分を投影して苦しみ、

そして私と同じように、

母親を奪った妹の影をも見ていたのかもしれないと納得した私は、

「白雪姫を『殺人未遂』した後、
魔女は何世紀もの間、謎の罪悪感に悩まされ続けたことだろう」

と思いました。


あのお話に続きがあるなら、

何度生まれ変わっても、
白雪姫の母になったり姉になったりを繰り返した魔女が、

「あの子のことをとても愛しているのに、
あの子だけが私のたったひとつの慰めなのに、
あの子に対して謎の罪悪感がぬぐえず苦しいのです」

とカウンセリングに罹り続け、

最終的に自分の業に気付いて出家をする、


というストーリーにしたいなあ、

と思うのです。





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真似事



ホメオパシーの、
インナーチャイルドセラピストの学校に通っている妹が、

「先生はこれまでにいろんなクライアントさんを診てきたけれど、
やっぱりダントツに多いのは、
母親と娘の間に問題を抱えている人だって言ってた。
父親と娘、姉妹の問題と色々ある中で、
母親と娘の問題を抱える人が一番多くって、
そして問題の根が深いのも、母親と娘の問題なんだって」

と教えてくれました。


「お母さんのお母さん、になり続けているマヤズムからでなくては」

と最初に言われたのは、
ホメオパシーの相談会に罹り始めた10年近く前のことでした。

「お母さんとの問題の続きを、
お母さんを相手にやろうとしてもなかなか解決しませんよ。
お母さんだってもう若くないですから、
頭もどんどん固くなりますし。
その続きをやるために、旦那さんがいるのではないですか?」

夫とのごたごたを相談するたびに、
なぜ師匠が問題とは一歩離れたこんな答えを私に投げかけるのか、

それを理解できるようになるまでに、
こんなにもの月日が必要だったのです。


お母さんのお母さんをやめて、
自分の娘を自分の母親にしない、という宿題は、

何度出されても、頭では理解できるものの、

実行するとなるとどうしても、

『真似事』の範囲を出ることができませんでした。


母が、そのまた母親の『子供』になりきれず、
一度も母親に甘えられなかった環境の中で、

「あたしはおばあちゃんからそんなふうに甘やかされたことなんて一度もない、
部屋を散らかしていれば全部庭に投げられたし、
家も出て行けと言われたから二十歳でお父さんと結婚して家を出るしかなかった、
だからおまえも甘えるな、
泣くなら外に行って泣け、胸がデカくなったんなら自立して家を出ていけ」

と、娘の私に言うしかないことは仕方のないことだと思っていました。

それに続いて、

飼っていた犬も勝手に捨てられて、
鳥は鳥籠ごと庭に投げられて、
大事なものをみんなめちゃめちゃにされた記憶しかない空っぽの私が、

どうして自分の娘を愛せるものかと苦悩していたのです。


『真似事』なら、いくらでもできました。

娘に手編みのセーターを着せたり、
手作りのおもちゃを用意したり、

毎晩毎晩の絵本の読み聞かせを、

何年も何年もずっと続けることなら出来たのです。


「いいお母さんだったじゃない」

と、それを見ていた友達は口をそろえて私に言いました。


でも違う、
根っこに毒が詰まっているんだよ、

という訴えには、
誰も耳を貸してはくれませんでした。

そこに目を向けて救いの手を差し伸べてくれたのが、

ホメオパシーの先生と、
師匠だったのです。


娘と夫が仲良くしていると不安に駆られ、
楽しそうに、子供らしく寛いでいるのを見ればイライラし、

娘の持ち物を衝動的に破壊したい気持ちになっては自分を責め、

「お母さんと同じにだけはなりたくない!」

と躍起になっては娘にまた依存する、

そうしながら母親らしく絵本の読み聞かせをしている自分には、

私は決して満足することはできなかったのです。


「あれが全部、自分の母親に言ってやりたい言葉で、
そうして母親に向けた恨みのすべてだったのだ、
そして喉から手が出てしまうほどに恋焦がれた母親への切望さえも、
丸ごと娘にぶつけていたし、
また母親も私にそうしていたのだ」

と思いました。

「私は自分の娘に母親の影を見て、
母もまた私に自分の母親の影を見ていて、
私たちはその色眼鏡越しにしか、世界を見ることができなかったのだ」

と私はやっと、
深く理解したのです。






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イチ抜け



その日の晩に、こんな夢を見ました。


飛行機の滑走路で、
私と母が二人乗りの足漕ぎのセスナを一緒に漕ぎながら、

飛ぶ準備をしているのです。

父は車でどこか遠くへ出かけていて、

妹は飛行機の中で食べるおやつを買い出しに行っていて、
娘はセスナのインストラクターとして他の人たちに指導をしていました。


母と一緒に足で漕ぎながら、

「もう、母に言わなければいけない」

と夢の中の私は思い悩んでいました。

「これを知ったら、ショックだろうけれど、
もう言わなければならない時を迎えたのだ」

と、私はそう思っているのです。


「お母さん、自分のことだけやればいいんだよ」

意を決した私は、母にそう切り出しました。


「他人のことはいいの、自分のことだけすればいいの。
誰だって、人生を変えたければ、そうするしかないんだ。
お父さんのことも隣の伯母さんのことも、
どうだっていいんだよ。
自分のことにだけ、集中して」

と私は言いました。

「私は他人のことをやる余裕ができたから、
お母さんにこう言えるんだよ。
観音様はね、たった一つのことだけを教えるために、
うちにやってきたの。」

私は続けました。

「観音様がたったひとつ言いたいことは、
人生はとても短いってこと。
それだけ知っていれば決して人生を間違ったりしないし、
後悔することもないの。
人生はとっても短いの。
だから自分のことにだけ目を向けて、わき目を振らないで。
じゃあ行くよ!」

と言って、
飛び立ったのは私一人きりでした。

母と同じ飛行機に乗っていると思い込んでいた私は、

本当は母とは別の飛行機に乗っていて、
私一人だけがふわりと大空へ舞い上がったのです。

下を見ると、
たくさんの人たちが、それぞれのセスナに乗っていました。

みんな、一人乗りだったのです。

母はまだ、ぐるぐると『飛ぶ準備』をして、
地面を走っていました。


そこで、目が覚めたのです。


「観音様の知っていることはたったひとつ。
人生は短いってこと・・・」

目が覚めて、頬を涙が伝いました。


横で目を覚まして携帯電話をいじっている娘に、

「私、今度こそ本当に親離れできたみたい」

と話すと、

「知ってたよ。
昨日お母さんが駅まで私を迎えに来てくれた時、
遅れたじゃない。
いつもだったら、どうしてどこかお店に入っていなかったのか、とか、
凍えて待たされている私を意味わかんないことで叱ったんだよ。
それが私にとっての『お母さん』だったのに、
昨日お母さんは『寒かった?待たせてごめんね』と言って、
私の手を温めてくれたでしょ。
私びっくりして戸惑った。初めての展開だったから。
すごく優しくて、お母さんが『お母さん』になったんだってわかって、
私の心の扉が閉まる音が、逆に聞こえたんだ」

と娘が答えました。


全く、意識していませんでした。
自分では自分の変わったことには気が付かないものなのです。

ああ、それで実家に行ったら、
母の隣に私の席が用意されていたのか、

と思いました。

ああ、それで。

それで夫が「やっと自分の物になった」と安心したのか、

と繋がりました。


母を追い求め続ける私を、

結婚して22年間、

夫は決して自分のものにはできなかったのです。


母が変わったのではなくて、
私が変わったんだ。

私は本当に『出家』に成功できたのだ、
と思いました。


私が『イチ抜け』したことで、

両親と私の三角関係が終わり、

母と妹と私の三角関係、

夫と母と私の三角関係、

母と私と娘の三角関係、娘と夫と私の三角関係・・・

すべてのこんがらがった『関係』を、

断ち切ることに成功したのです。





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一通りののろけ話を話し終わると母は、

「あんたは子供が好きだもんねえ」

と、

赤ん坊に授乳している私を見ながら言いました。

「子供二人育て終わって、またよく産んだよね。
あんたは赤ちゃん好きだもんね。」

と、また母は言いました。

それから少しの間黙って、
何かを考え込んでいるようでしたがまた口を開き、

「私は、人生全部を育児になんて使いたくなかったし、
それに早く働きたかったから。
二十歳であんたを産んで育てて、それだけで終わるのが嫌だったのよ、
それに・・・
それに男の子が生まれると思えなかったし、
もし生まれたとしても、男の子なんて私には育てられないと思ったの。
あんたとまりこだけで子供は充分って、思ったのよ」

と言いました。


ああ、母は中絶したことの言い訳をして、
自分を納得させようとしているのだなと思いました。


「お母さん、本当はとても怒っているんですね」

と言った師匠の顔が横切りました。

これは母が自分を納得させるために自分につき続けている『嘘』で、
怒りの感情が出てこないようにするためのでっちあげのストーリーなのです。


それでも私は、

黙ってその話にうなずきました。

母は自分を責め続ける自分自身と向き合うほどには、
まだ強くないのだと思ったのです。


「ああ、あんたが来たからまた霊たちが騒ぎ出した、
私の悪口を言っている、おまえはバカだって、
聴こえるでしょう?なんでわかるのかしら。
私が楽しくし始めるとすぐにあいつらがでてくるのよ・・・」

母の顔が苦々しい表情に変わったので、
私は観音様の部屋へ移動し、お経を読むことにしました。


おまえはバカだと言っているのは自分なんだよ、
お母さん。

自分の子供を処分してまで、
お父さんに愛されることを選んだ、

それは愚かな過ちだったと思う自分が、

自分の中からずっと責め続けているんだよ。

だから楽しい気分になると『あいつら』はやってきて、
お母さんを責め始めるんだね。

自分で自分についた『嘘』を、
自分の意志で剥がす日がやってくるまで、


その声は、
いつまでも聴こえ続けるんだよ、

お母さん。


そう思いながら、

みんなが早く楽になれますようにと、

観音様の前で読経をしたのです。





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父に改めて出家後の挨拶を決めてから、

実家へ出かける時にも躊躇なく、
作務衣を着て雪駄を履いて出向くことができるようになりました。

妹が母に水子供養の経木を渡した数日後、
私も母に呼ばれて実家へ出向くことになりました。

その日出かけていた娘を途中の駅で拾って実家へ行くことになり、
赤ん坊を連れて一人で家を出た私は、

身支度に思った以上時間がかかり、
娘との約束の時間に大幅に遅れてしまいました。

寒い中、駅で私を待っていた娘を拾って実家へ向かうと、

着いたのは夕方六時を過ぎていて、
駐車場の壁が、薄気味悪く赤く浮かび上がって見えました。


駐車場に車を停めているそのタイミングで夫から電話がかかってきて、
スカイプで赤ん坊を見たいのだと言われましたが、

「今実家に着いたところだから、また明日電話するね」

と断ると、

「ああそうか、邪魔したね、お母さんによろしくね」

と言って、夫はあっさりと電話を切ってしまいました。


「今までだったら何かしら文句言われたところだったのに、
パパがなんにも言わなくなって変な感じ。
得度してから、パパの態度が変わったんだ。
私に遠慮しているみたいだし、失礼な発言も行動もとらなくなったの」

と娘に言うと、

「お母さんがやっと自分のものになったのがわかって、
安心したんじゃない」

と娘が答えました。


夫と私の関係と言えば、

私を束縛し、支配しようとしてくる夫に反発し、
依存関係から抜け出そうともがく自分の姿しか見えなかったので、

『出家』というこれ以上ない離れ方をしたのに、
なぜそれが『自分の物になった』ということなのか、

その時は私には、
娘の言っていることがわかりませんでした。


不可解な出来事はそのあとも続き、

家の中に入ると、

私の食事の席が母の隣に用意されていたのです。


その席に着くことに戸惑った私は、何かの間違いかと思い、

「私ここに座っていいの?」

と母に確認すると、

「いいよ、いいに決まっているじゃない、
ほら早く座ってご飯食べて」

と母が答えました。


母の隣の席、

それは子供のころからの私の憧れの場所で、
そして絶対に手の届かない遠い『席』だったのです。

私はいつでも父の横に座らされ、
ペアを組むときにはどんなときにも、

母と妹、私と父が組み合わされ、


それを私は、

母が愛しているのは妹であって私ではなく、

私は父の機嫌をとる為の『生贄』として捧げられているのだと、

そう思い込んできたのです。


母の隣に座り、
その気恥ずかしさから、
母から少し体を遠ざけるように小さくなって食事を摂っていると、

母は私の体に何度も何度も触れながら、

「それでね、お父さんは結局、
四月までここにいるんだって。
夏になったらまた北海道に行くけど、
あそこは別荘に使うだけで、引っ越していくわけではないって言うの。
お父さん、私のことが好きなのねえ」

と上機嫌に酒を吞みながら『のろけ話』を聞かせてきたのです。


「よかったね、それはよかったね」

と母の話を聞きながら、

やはり、なんとなく変わった両親との『関係』に、
戸惑うばかりなのでした。






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「ええと、それは要するに、
私に母の生霊が憑いてきているということですか?」

要点を得たいと思った妹が師匠に尋ねましたが、
師匠はそれには答えず、
ただ私の目を見て軽く微笑んだだけでした。


「お母さん、とても怒っているんですね」

それだけをシンプルに伝えきた師匠に、

「本当は母は、三番目の赤ちゃんを産みたかったんです」

と妹が答えました。

「でも、その時のことを母に聞いても、
あの頃は知らなくて、誰でも軽く中絶した時代なのよ、
とか、薬を飲んじゃったからなのと、何でもないことのように言うんです。
本当は父のことを怒っているのに。
母にそれを思い出させてあげたい。
その時の自分の本当の気持ちを感じさせてあげたいです」

妹が師匠に言いました。

「でも、お母さんそれを思い出したら罪悪感に苦しむんじゃないの?
たぶんお父さんを責めるよりも自分を責めていて、
その罪悪感と向き合いたくないから『なんでもないこと』だと、
思い込むように蓋をして生きてきたのではないのかな」

私が口をはさむと、

「そうですねえ。
罪悪感と向き合えないから自分の心を守って、
今の感じに落ち着いているんでしょうから。
供養してあげようと、
それだけ言ってあげるだけでいいのではないですか?」

と師匠も答え、
水子供養の経木を一枚、
私たちに持ってきてくれました。

「お母さんに直接書いてもらって、
次のお護摩の日にまた持ってきてください」

と言うと、
「名前のついていない赤ちゃんでしょうから、
『水子霊供養』と書いて、
それから『南無地蔵尊』と書いてください」
と、指導してくれました。


「三番目の赤ちゃんのこと、
本当は産みたかったんだね」

と言いながら、

「だから私もこの子を中絶するように言われたのかな?」

と言うと、

「私も、あーちゃんは彼にとっては三番目の赤ちゃんだったんだよ!
だから最初中絶してほしいって言われたのかな?」

と妹が言いました。


カルマってすごい、
私と妹が、母の後悔している『同じ轍』を続くことになり、

そして私と妹はそれに打ち勝ったのだと気が付きました。


「本当に、この子を産んでよかった!」

と改めて確信すると、

「本当ですねえ。
カルマってすごいですね」

と師匠が言いました。


もしも母と同じように、
『夫が産まないでほしいというから』という理由で中絶していたら、

私も妹も、最終的には母と同じように、
罪悪感から気がふれていたのに違いないと思ったのです。


妹が妊娠をしたとき、

「彼が今回は諦めてほしいって、
ぐったりしてそればっかり言うんだ。
もう面倒くさくなっちゃった、産むのやめようかな」

と、それこそぐったりとして私と娘に相談をしてきたときに、

「産んでしまえば受け入れてくれるようになるから、
一人で産むのでもいいから産んでよ、
協力するから」

と説き伏せて、出産を勧めたのです。


私が三番目の子を妊娠した時にも、

「もう、年齢(とし)で育てる自信も気力も体力もないです、
申し訳ないけど今回は諦めてください」

と、やはりぐったりとした夫に懇願されて、
気持ちの萎えたことと言ったらありませんでした。

妊娠をして、パートナーに喜んでもらえるはずが、
ぐったりと気落ちされることほど、

気持ちの萎えることと言ったら、
他に例のないことなのではと思いました。


しかしあの不可解な出来事の背景に、

両親の作った『負のカルマ』が隠れていたことが明確になり、

人ひとりの『選択』の重さを、
また改めて思い知ったのでした。





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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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