真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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愚民政策



産院へ着くと、
赤ちゃんがナースステーションの奥へと連れられて行き、

私と妹は待合室でしばらく待たされました。

体重が思うように増えていなくて、
おまえのようなダメな母親には返せないと言われたらどうしよう、

などという妄想にも憑りつかれそうになりましたが、

私はそのまま、自分の中の怯えた子供に、
安心するように話しかけ続けました。


「赤ちゃん、体重順調に増えていますよ、
一日35gも増えています、
お母さんにお任せします」

出てきた先生にそう告げられ、
赤ちゃんが私の手に返されました。


「なんだ、なんにも起こらなかったね」

拍子抜けした妹がそう言ったので、

「お父さんと先生が他人だとわかったからだよ。
向き合わなければならない相手はお父さんであって、
あの先生ではないのだと、自分に言い聞かせたの。
このやり方はかなり効果があるみたい」

私は妹に答えました。


前にインナーチャイルドのワークに参加した時、

『インナーチャイルドは、親と他人を区別することができず、
親に似た人を引き寄せては、長期に渡り八つ当たりを繰り返す』

と学んだのです。


その都度自分の心の仕組みに気付けば、
人生にこのような躓きは、起きずに進むのです。

さらには、両親の姿は自分自身なのですから、

傲慢でワンマンな父親の素質は、
結局自分の中にあるのです。

「父にされたことを、子供たちにしていないか、
よく内観してみよう」

と反省した私は、
妹と車に乗り込み、家路をたどりながら、

またもや深い話題へと突入していきました。


「愚民政策って知ってる?
昔のことではなくて、今だってそれは続いているんだよ。
私たちは上の者から力を奪われて、
社会のやり方に刃向えないようにされているの。」

妹が言いました。

それは、なんとなく聞いたことがあったので、

「たとえば歴史の教科書に、戦争とか、
悪い出来事しか載せないで、
みんなが何かを思い出すときに、
悪い出来事ばかり思い出すように洗脳されている、
そういうのとかのこと?」

と妹に答えました。

「あとは断然、食べ物ね。
体に良くないもの、霊的な能力が出なくなるような、
人間の本質的な力が鈍っていくような、
それでいておいしいもので、私たちは『愚民化』されているんだよ。
おとなしく、従っているようにね」

妹は続けました。

「もしかして予防接種も、
私たちを愚民化させる計画のひとつ?」

と尋ねると、

「そうだよ」

と妹が応えました。


以前、マヤカレンダーの勉強会に参加した時に、
私たちが通常使っているカレンダーが、

私たちの本能を狂わせるようにできているのだと、
聞いたことがありました。

30日、31日と繰り返す周期は、
もともと生き物の中にはなく、
きっかり28日周期のマヤのカレンダーこそが、
自然な周期のカレンダーなのだと学んだのです。

「そうか、カレンダーも愚民化計画・・・」

と思った私は、

「でもさ、ミルクを流し込めと言っている医者の全員が、
その計画を知っていて言っているわけではないでしょ?
その辺はどうなってるの?」

ふと疑問に思ったことを妹に聞くと、

「そんなの、医者だって知らないよ。
浅い部分ではなくて、
無意識層に長い長い時間をかけて、
ゆっくりと刷り込まれているんだから。
でもね、医者の子供で予防接種受けない子っていっぱいいるんだよ。
本当は、いいものではないことを知っているからね。」

妹は言いました。


その大きな謎の組織のことは私にはわからないけど、

とりあえず、家の中にそれがあることだけは理解しました。


『お父さんの言うことは絶対』
『お母さんはそれに逆らわず』

そして自分の娘を父親へ生贄に差し出す、


私の中に、なぜかそういう家族の形態が、

長きにわたって刷り込まれているのです。


そうして、

私にできること、ハチドリの一滴としては、

私が愛にあふれた、
自由な家族の形をこの世界に具現化すること、

私が、私自身のインナーチャイルドを癒し、

自由になることだけなのだと、

思ったのです。




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色眼鏡



退院後にもう一度赤ちゃんを連れて来るようにと言われた日、
妹の運転で病院へ向かう車の中で、

私と妹は思いもよらず、
深い心の中のわだかまりをシェアし合うことになりました。

「昨日あーちゃんを後ろに乗せて自転車で歩道を走っていたら、
歩道の真ん中におじいさんが立っていて、
ここは歩道だから自転車から降りて押して歩けと、
ハンドルを急に掴まれて怒鳴られたんだ」

話を切り出したのは妹でした。

「それで私、うるうせえ離せって言い返して、
ジイさん振り切って逃げたんだけどね・・・
私ってどうしてこんなに怒りっぽいんだろう。
あんな、認知症かもしれない弱いおじいさんに、
もっと優しく接することもできたのに、
どうしてこんなに短気なのかな?」

妹は、遠い眼をしてそう言いました。

妹が見知らぬ男性に路上で絡まれて、
対等にやり合って振り切って逃げる話を聞いたのは、
これが初めてではありませんでした。

「今日、お姉ちゃんの病院で、
先生に向かってキレるかもしれないんだけど、
言いたいこと言っちゃってもいいかな?」

妹はそうも言っていたので、

「あのね、あの先生って、
お父さんの化身ではないかと思うんだけど、
まりちゃんはどう思う?
お父さんに対する怒りが、
胸の中にまだたくさん残っているから、
そういう現象が起こるのではないかな?
そのおじいさんにしても。」

と私は、妹に投げかけてみたのです。

「おとうさんとの思い出で、
一番嫌な出来事を今ここで出し合おうよ」

私は妹に提案しました。


ああ、そうかもしれない、

と考え込んだ後妹は、

「中学生の時、
お父さんに逆らって、手に持っていた麦茶を、
お父さんの頭にかけたの。
そしたらお父さんがすごく怒って、
私は怖くなって必死で二階の自分の部屋まで逃げたの。
でも追いかけてきたお父さんが、
私の部屋のドアをどんどん足で蹴りながら怒鳴って、
ドアに大きな穴が開いたんだよね。
あれが一番怖かった。
そこで記憶が止まっていて、
どうして私がお父さんに麦茶をかけたのか、
そこも思い出せないし、そのあとも思い出せないの」

と苦しそうに話しました。

「それ、ホメオパシーの相談会で話したら?
お父さんとの問題に、手を付けた方がいいかもよ」

私は答え、

「私はね、小学生の時に、
お父さんが三歳のまりちゃんにおもちゃ箱を作ると言って、
日曜大工を始めた時のこと。
木の箱が完成した後、お父さんが私の部屋に入ってきて、
私の大事にしていたサンリオのキャラクターの包装紙を手にして、
『これをおもちゃ箱に張る』と言ったの。
それは私の宝物で、広げて絵を見たらまたたたんで、
大事にしていた包装紙だったから、ダメって断ったの。
そしたらお父さんが豹変して、
おまえみたいな妹に優しくできない子供は最低だとかなんとか、
いきなり大声で、私を罵ったんだ。
そういうことが日常何度も何度も繰り返されて。
逆らったら愛されないとだんだん学んで、
それから男の人に逆らえなくなって、いつでも顔色を伺うようになったの。
自分の意見を言ってはいけないんだと、
無意識の領域まで浸透しているんだよね」

私も妹にシェアしました。

「だからあの先生はお父さんそのものなの。
ミルクを流し込めと言われたのに逆らったから、
退院の日に怒鳴られたんだ。
向こうは怒鳴ったつもりはなかったと思うし、
あの人はきっと、
自分の仕事をいつものように熟しただけに過ぎないし、
私のことなど名前もよくは知らないだろうけど、
私の方が、その色眼鏡で世界を見ているからこうなったの。
だから今から色眼鏡を外してみるよ。」

私はそう言って、

「あの先生はお父さんじゃないんだよ、
あの先生は、産婦人科の先生で、
私はもう小学生ではなくて大人、
大人になったんだよ。だから大丈夫、
大丈夫、大丈夫」

と、自分の中の小さな子供に言い聞かせました。


そうして、片道20分の場所にある、
産婦人科へとたどり着いたのです。




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陰謀



話を聞いた妹は、
怒りをあらわにしました。

「体重が200g減っているって、いつ減ったの?
母子手帳を確認してみて」

と妹に言われたので、
母子手帳を開いてみると、

減ったのは、生まれた翌日だったのです。

「翌日だ!なら私関係ないじゃない?
いかにも母子同室になってから減ったような言い方だったのに」

と言うと、

「だから、そうやって母親から力を奪おうとしているんだよ。
ああ、退院の日に一緒に行けばよかった、
守ってあげられなかったよ!
だいたい三日後ってなによ?!三日で体重戻るわけないじゃん、
せめて一週間後にならないの?
三日後なんかに出掛けて行って、
また体重が少ないとか言われて、今度は通院とか言われるんだよ。
ストレスでまた母乳が出ない仕組みになっているの。
陰謀だよ、騙されちゃダメ。
三日後ではなくてもっと後にしてもらって、
その間におっぱいマッサージに行こう。
全部私が連れて行ってあげるから」

妹に強く言われ、
心が明るくなりました。

私はレンタルショップでベビースケールを急いで借りて、
赤ちゃんの体重を自分でも測れるようにしました。

病院に電話を掛けて、
診察の日を少し遅らせてもらうことにもしました。

そうして、妹に連れられて、
おっぱいマッサージに出掛けたのです。


マッサージに出掛けると、

30分ほどかけて、乳房をマッサージしてもらいました。

その間、それまでのいきさつを全部聞いてもらい、

「ああ、あの産婦人科の先生ね。
あの先生に言葉でやられてここに来るお母さん多いのよ。
あの先生ももう年で頭も固くなっているから、
WHOなんて知らないし、なんだか向こうも怖かったんじゃないの?」

と言われ、心が軽くなりました。

「あの先生は、赤ちゃんの体重が一日30g増えないと怒るけど、
WHOでは20g増えていれば問題ないと言ってるの。
うちで体重を計ってもらったら問題ないと言われましたって、
うちの名前を出していいわよ。
それにあなた、母乳すごく出るじゃない。
ミルクをやめて母乳だけで行けると思うよ。
ここにも、あなたは通う必要ないから、
またトラブルがあったら来てちょうだい」

とまで言ってもらい、
やっとストレスから解放されたのです。


しかしその晩私はまた、
父親を罵倒する夢を見ました。

そして、今回の出来事が、
元をたどれば父親との未解決の問題の延長に起きた現象なのだと、

気が付いたのです。





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退院



妹の発言が、
それなりに大きかったことを知ったのは翌朝でした。

検温にやってきた看護師が、

「お宅の妹さんは、WHOの人なの?」

と探りを入れてきたのです。


「WHOの人ではないのですが、
自然育児について勉強したり、
母乳育児についてとか、色々詳しいんです。
それに助産院をやっているお友達がいたりして、
知識が豊富なんですね」

と説明をしたのですが、

そのあとに貧血のための注射を打ちにやってきた、
『婦長みたいな人』がさらに、

「お宅は、姉妹は何人いるの?
あの妹さんのほかにも、いるの?」

と聞いてきたのです。


「きっと、あと何人WHOのうるさい身内が出てくるのかと、
身構えたんだろうねえ。」

午後になって面会に来た妹と話し、
私たちは大いに笑いました。


しかし、心配をしていた『仕返し』はふいにやって来て、

退院の日に、

「体重が200gも減ってるんだよ、
本当は退院させたくないんだよね、
本当に母乳でてるの?
あなた、自分でやりたいのはわかるけど、
血圧だって高いままなんだよ!」

と、最後の挨拶に出向いたナースステーションで、
ドクターに大きな声で叱られてしまったのです。


他のお母さんもいる前で、
怒られた子供のように固まってしまった私は、

ただ情けなく、その場に凍り付いてしまいました。

黙って聞いていた『婦長みたいな人』が、
固まったまま呆然としている私に、

「まあ、無理しないでがんばって」

と声をかけてきたことが一層私を暗い気持ちにして、
私は退院をしました。


その晩はお寿司で家族が祝ってくれたのですが、
私の心は晴れませんでした。

赤ちゃんの体重が200gも減っている、
という事実が心を曇らせて、

私は自分を『ダメな母親』だと思い始めていました。

ドクターへの恨みの気持ちも、
膨れ上がるばかりで、

なにもあんな言い方しなくたって、
大勢の前で言わなくたっていいのに、

と悶々としたのです。


おまけに、もう一度体重を測る為に、

「あなただけは三日後にまた来て、
こうなってしまったんだからしょうがないよ!」

と言われたことも心を曇らせました。

「出もしない母乳で育てようとしているダメなお母さん、
もう一回来てください」

と言われたような気がしたのです。


私は、その落ち込んだ気持ちを、
妹に包み隠さずに、全部話しました。





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恐怖政治



「ナースステーションに行ったらね、
婦長みたいな人が窓口に出てきて、
奥に看護師さんが三人立っていたの。
規定量のミルクを時間内に与えなければならないことで、
姉がストレスを感じているんだけど、
それは強制なんですか、と聞いたらね・・・」

妹は話し始めました。

「強制ではないですよ、と、
婦長みたいな人が冷たく答えたの。
だから、うちの姉は今後母乳を中心に与えていくつもりだし、
WHOの母乳育児十カ条にもあるように、
無理やりミルクを飲ませるのではなくて、
その赤ちゃんの個性に合わせて、
無理させない方向で育てるやり方も考慮してもらいたいのですが、
と言ったのね」

妹は疲れたような、うかない表情で続けました。

「そしたら、婦長みたいな人が、
そりゃ退院したらお宅の好きなように育てたらいいですよ、
って、無表情で言うんだよ。
奥の看護師さんたちもじっとこちらを見ているけど、
誰も何にも言わないの。
すごいこわかった」

話し終えた妹は、
少し考え込んでから、

「私、菓子折りを持ってもう一回行ってくる。
お姉ちゃんがもしこのことで嫌味を言われたら、
もっとストレスになっちゃうもんね!」

と言って、また部屋を出ていきました。


部屋に残された私は、
怖い気持ちになっていました。

妹は帰ってしまうからいいけれど、
私は毎日、貧血の注射を打たれたり、
まだこの病院に『管理』されているのです。

それに赤ちゃんだって、
毎日看護師に沐浴してもらっているのに、

「気に入らないと思われて、
仕返しされたらどうしよう」

という考えにあっという間にはまってしまった私は、

暗い気持ちで、妹の戻ってくるのを待ちました。


それというのも、

両親の間で『恐怖政治』に怯えながら育った私は、
それ以外の世界をまだよくわからずにいるままで、

強いものに刃向えば、
必ず仕返しされるのだと、

どこかで固く思い込んでいるのです。


強いものが弱いものを力で押さえつける、


私の中では、

『世界』はまだその形を、

崩し切れずにいるのです。



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WHO母乳育児十カ条


結局、強いものに自分の意見を発表する勇気のない私は、

子供の頃と同じ小細工をしてその場をごまかし、
赤ちゃんを連れて部屋へ戻りました。

部屋へ戻り母乳を与えると、
力強く吸い付いてきたので、

「哺乳瓶もミルクも嫌いなんだよね、
ママのおっぱいだけがいいんだよねえ。
でもママに勇気がなくて、
さっきは無理に飲ませようとしてごめんね」

と息子に謝りました。


20分も経たないうちに妹が到着し、

「今からナースステーションへ行ってくる、
WHOの母乳育児十カ条を知ってる?
だいたい生後六か月までは母乳以外の飲み物を、
赤ちゃんに与えなくていいんだよ、
そうやってミルクばっかり与えて、
ますます母乳が出ないようにして、
悪循環を作り上げてるよ」

と憤りを表すと、
ナースステーションへと出かけていきました。

妹の話では、

医者がミルクを与えることを推薦するのは、
母乳を飲まない、免疫力の低下した子供が、
小児科へかかり薬を飲むことで『病院』が成り立っていて、

それが今の社会を作り上げているからだと言うのです。

「それにね、赤ん坊を産んですぐに、
三時間に一回必ず授乳しろとか規定量飲ませろとか、
赤ちゃんにミルクを流し込めとか、
そういうストレスをお母さんに与えて、
育児ノイローゼまで作り上げてるんだよ、
できなかったらダメな母親と思わせることで、
母親から力を奪ってるの。
できなくても大丈夫って、余裕を与えてくれないでしょ。」

と妹は言いました。

確かに、出産という大仕事が終わるなり、
今度はああしろこうしろと、
考える隙もなく、次にやることを詰め込まれたような感じはあり、

すでに、

「自分はダメな母親で、
他の子と同じにミルクの飲めないうちの子は、
ダメな子供」

とどこかで思い始めていたのです。

それに、私が一番腹が立ったのは、

「この子飲むのが一番遅いのよ」

と、私の赤ちゃんを抱きながら看護師が何度も言ったことで、

新生児だって言われたことを聞いていて、
きちんと記憶しているだろうと信じている私には、
耐えられなかったのです。


10分ほど経つと、
妹が戻ってきました。

そして、

「ここの看護師たちはなかなか手強いね・・・
太刀打ちできない感じだったよ・・・」

と、しょんぼりと肩を落として言ったのです。






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母乳測定



二時になり母乳測定のために新生児室へ出かけると、
同じように呼び出されたお母さんと赤ちゃんが、
私のほかに二組集まってきました。

「では今から5分ずつ、
右と左のおっぱいを吸わせてください。
どのくらい母乳が出ているか測定します」

看護師から指導を受けて、
私を含めた三人の母たちは、
それぞれの赤ん坊に授乳を始めました。

「あなたは25出ているから、あとミルクをこれだけ足して」

測定が終わると、
そのままミルクが運ばれてきて、

規定量に満たなかった分をここで飲ませるように言われました。

「全部飲み終えた人からお部屋へ戻ってください」

と言われると、
他の二名のお母さんが、

「完食しました」

と言って帰って行きました。

私の赤ちゃんはというと、
ミルクを飲み終える気配は全くなく、

たった35ccのミルクを、
口の脇からだらだらと垂れ流しながら、
眠ってしまいました。

「このままでは永遠にここに監禁されるか、
ミルクを飲ませきるまで説教されるか、
赤ちゃんを取り上げられるかもしれない」

というような危機感を受けた私は、

子供の頃に遣ったやり方と同じ手口を使い、切り抜けました。


ミルクを、持っていたタオルに全部染み込ませ、

「全部飲みました」

と言ったのです。


ああ、こんな小細工してまで気を遣わなければならないのなら、
とにかく早く退院したい、

と思いつつ自室へ戻り、

溜まってきたストレスを誰かに抜きたくなって、
妹に電話を掛けました。


「とにかくね、この病院のやり方に刃向うのも大変そうだし、
あと三日だけ適当にやり過ごして、おさらばしたいの。
刃向う勇気もないけど、従うつもりも絶対にないし。
でも医者や看護師に話が通じるとは絶対に思えないし、
嘘を突き通すしかないわけよ。
ミルクなんて飲んでないのに、三時間ごとの記録紙に、
20飲んだとか25飲んだとか嘘を書いて、
看護師が三時間おきにその嘘の記録を回収に来るので、
それだけでもかなりのストレスなのよ」

私は妹に愚痴をこぼしました。

それを聞いた妹は、

「私、今からそっちへ行くよ、
私が看護師にひとこと言ってあげるから、
そんな古いやり方の病院で、
何人のお母さんがノイローゼになっているかと思うと、
私は黙っていられない。
待ってて!」

と言い、車を飛ばしてやってきたのです。






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津波


その晩、久しぶりに夢を見ました。

大きな津波が襲ってきて、
高台へ走り抜けて逃げ、

もう一度襲ってきたのでまた逃げ切り、

そのあとに父親に罵詈雑言を吐き散らし、

「全部あんたのせいなんだよ、
あんたのせいでこんなことになっているんだよ!」

と父をとことんまで責め立てるという夢でした。


以前、ホメオパシーの先生に、

「水は感情を表しているの。
津波というのは、見ないようにしてきた自分の感情で、
もう抑えきれないほど育ってしまっているということなの」

と言われたことを思い出しました。

昨夜の出来事と、父との関係が繋がっているのだと解釈しました。

入院前に見た、実家の庭で出産した夢のことを思い出し、

医者や看護師が、
自分の中の両親の化身なのだと、また理解しました。


給食を残さず食べなければ外へ遊びに行ってはいけないと強制した、
幼稚園の先生も母の化身であったのだと気が付き、

私の世界のルールを作ってきたのは、
突き詰めればすべて、自分の両親だったのだと思いました。

両親の作り上げたルールを破ることで罪悪感が生まれ、
そうしたものに知らず知らず縛られながら、
大抵の人が抑圧されて大人になっているのです。


その日のお昼から、
母子同室にしてほしいという私の願いが聞き届けられ、
赤ちゃんが部屋にやってきました。

「三時間に一回、2時5時8時11時が授乳の時間ね、
今日の分量は一回60だから、
母乳と合わせて必ず60飲ませてください。
この子は飲むのが遅いけど、絶対に30分で飲ませきって。
1時間もかけていたらどんどんずれ込んで、
わけがわからなくなるので気を付けて。
母乳がどのくらい出ているか母乳測定するので、
二時になったらナースステーションに赤ちゃんと来てください」

看護師は機械のようにそう言うと、
部屋を出ていきました。

看護師の置いて行った記録紙に、
三時間に一回、どれだけミルクを飲んだか書き込み、
毎回提出しなければならないのです。

決まった時間に、
赤ちゃんが寝ていても起して、

無理やりにでも規定量のミルクを流し込むように言われました。


二時になり、
母乳測定のためにナースステーションへ出かけた私は、

またやり終えていない宿題と直面することになったのです。






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暴力性


しかしナースステーションに着くと、
私は怖気づいてしまいました。

「私は母乳で育てたいし、
あんたたちの決めたわけのわからないノルマを、
生まれたばかりの子供に強制させるつもりはない、
さあ、息子を返してもらおうか」

と、本当はこう言いたかったのに、
気の強そうな看護師を前にした途端、

「あの・・・おっぱいが張って辛いので、
ほんのちょこっとだけ、差支えなければで構いませんので、
赤ちゃんを部屋に連れて行ってはダメでしょうかねえ?
あ、もちろん、差支えなければで構いませんので・・・」

と、私は人のよさそうなにやにや笑いを浮かべつつ、
下手に出て看護師の顔色を見つつお願いしてみました。

窓口にいた看護師は奥へ入っていき、
他の看護師たちと相談を始めました。


ああ、自分はスタッフィサグリアをもっと飲まなければと思いました。

スタッフィサグリアというのはホメオパシーのレメディーで、

いかにも善い人に見えるようにふるまいつつ、
内心は抑圧した怒りでメラメラと燃えている、
支配と暴力のレメディーなのです。

気の弱そうな、ペコペコしたいい人、
「私は誰にも逆らいません、争い事が嫌いなんです」
と遜って笑っていたらそれはスタッフィサグリア、

夜になって眠りについた時、

夢の中では誰かに罵詈雑言を吐き散らし、
暴力に拳を血で染めている可能性があるのです。


戻ってきた看護師は、
「では、12時までいいですよ」
と言ったので、

「ちなみに、今夜から母子同室にしてもらうなんていうのは、
やっぱり無理ですよね・・・?」

と聞いてみると、

「まだ手術したばかりだから、疲れさせたくないのよね、
どうしてもというなら明日から同室にできるか聞いてみてあげるから、
今夜は12時に連れてきて」

と言われました。


息子を部屋へ連れて帰り、
おっぱいを飲ませながら、

中途半端にしか打ち破れなかった自分の壁を、
また突き抜けなければならない出来事が起こるだろうと予測しました。


「あなたの生まれてきた目的は、
表現することと、本当のことを言うこと」

以前、スピリチュアルカウンセリングで言われたことを思い出しました。

本当のことを言うのは大変だと思いました。

内心こう思っていた、という発表だけでなく、
考え方の違う人に向かって、別の意見を発表すれば、
諍いも起こるのです。

スタッフィサグリアの人が争いを嫌うのは、
自分の中に抑え込んできた暴力性を見たくない為で、

それは私も、
例外ではないのです。





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悪知恵


ナースステーションへと向かうエレベーターの中で、
鏡に自分の姿を映しながら、

自分が幼稚園に通っていた幼いころの出来事を思い出していました。


私の通っていた幼稚園では、

幼稚園で週に一回出される給食を、
完食しなければ外へ遊びに行ってはいけないというルールがあり、

誰よりも一番体の小さかった私には、
いつでもそれを、全部食べきることなどできませんでした。

「おいしいんだかおいしくないんだか、
ちっとも食べないと先生に嫌味を言われた、
ちゃんと食べてよね」

母は完全に先生の味方で、
自分に恥をかかせないでほしいというのが母からの要望だったので、
私にとって給食の日は苦痛でしかありませんでした。

誰も味方になってはくれず、
お昼休みにたった一人教室に残されて、

「さあ、がんばろう」と励まされながら、
ただじっと、もう決して胃袋の中へは入れるつもりのない給食を前に、
そこに座り続けなければなりませんでした。

時間が来ればみんなが教室へ戻ってきて、
先生も諦めて残った給食を片づけてくれることはわかっていたので、
時間が来るまで素直に、食べるふりをして座っていればいいのです。

しかしある日、私に付き合うことよりも、
他の雑事を片づけるためにと先生が席を外したすきに、

私は悪知恵を働かせました。

食べ終わっていない給食を片づけて、
他の子供たちが重ねておいた弁当箱の、
上から三番目に自分の箱を置いたのです。

戻ってきた先生が、一番上の弁当箱を開けて中身をチェックして、
「あら、全部食べられたじゃない、すごい」
と私に言いました。

私は「やった」と成功した喜びを噛みしめ、
外へ遊びに行き、

それからは毎回同じ手を遣いました。

そうして嘘に嘘を重ね、
キリスト教会の幼稚園を卒園したのです。


あの時、
「私は体が小さいのだから、
食べる量のことをおとなが配慮するべきだ」
と自分で主張できれば、

キリスト幼稚園で嘘に嘘を重ねることもなかったのだと思いました。

あの時先生についた嘘が罪悪感となって、
その後の自己嫌悪へと繋がったのです。


「でも今の私はもう5歳児ではなく、
立派な大人なのだし、得度だってしたんだから今度は言える、
瑠史さんにならできるでしょ!」

エレベーターの中の鏡に向かってそう言うと、

しんと静まり返った夜の病院を、
息子を取り戻すために心細く歩いて行ったのです。





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ルール


息子を看護師に渡した4時間後、
うとうととしていた私は、胸の張りで目を覚ましました。

預かっていた四時間の間に母乳を飲ませてしまったので、
おっぱいが張ってしまったのです。

時計を見ると夜の八時を回っていました。

その日は9月9日、くくりの日で、
しかも、スーパームーンの晩でした。


窓の外に輝く月を見ながら、
私は自問自答しました。

毎年、9月9日は、
自分の中で越えられずにいるままの宿題を探して、

勇気を出してそれをやめることで、

『くくる』ことにしているのです。


「一昨年や去年は確か、
嫉妬や、恨み憎しみを卒業しようと思ったんだっけ。
今年のくくりの日の今日、
私は権力に逆らえずに息子を引き渡してしまった」

私はそわそわと、
ベッドから立ち上がったり座ったりを繰り返しました。

今まで何度も、
『社会のルール』に逆らえず、
子供たちを犠牲にして生きてきたのです。

自分だってそうだった、
体育の授業の時にブルマを履くことで、
両足の傷が丸出しになることが嫌だったのに、

社会に逆らうことを怖がっていた母は、
私にそれを我慢させることを選び、

そうして私も、それに負けながら生きてきたのだ、

と思いました。


やりたくないことを強制させられる、
それが私にとっての『学校』であり『社会』でした。

マラソンで校庭を十周走らなければならないと言えば、
走るのが苦手でもなんでも、
全員が足並みそろえて走らなければならなかったし、

みんなの前で発表するのが苦手な子でも、
それを避けることはできなかったし、

ずっとそういう理不尽な世の中を見て生きてきて、
やっと意見できる大人になったのです。


それなのにまた、
心の中では『やりたくない』『従いたくない』と思っているのに、

私は長いものに巻かれようとしているのだと、

自分の姿を月に映し出しました。


そして、勇気を出して立ち上がり、
私はナースステーションへと向かったのです。







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ノルマ


流動食を食べられるようになった翌日には全粥になり、
その日の晩にはやっと普通食が食べられるようになりました。

部屋にやっと赤ちゃんが連れて来られ、
手術の日以来、私は改めて赤ちゃんと対面したのです。


「この子、ミルクの飲みが一番遅いのよ。
40飲むのに30分もかかるの。
今日は40でいいけど、明日は一回50、明後日は60に増えるんだよ。
それを一日8回、夜もやるの、
お母さん大丈夫?」

部屋に赤ちゃんを抱いて入ってきた看護師が、
ぼんやりと眠り始めている私の息子に、
ミルクを飲ませながら言いました。

「飲まないけどね、この、上顎のところに乳首を押し付けて、
ミルクを流し込んでほしいの。
途中眠っちゃうんだけど、なんとか起して、
できれば30分以内に飲ませきってね。
飲まなくてもこうやって流し込めば大丈夫だから」

看護師は、一日8回、
必ず決まった分量のミルクを、
絶対に飲ませきるようにと言いました。

「言っておくけど、明日は50、明後日は60に増えるんだからね。
それで退院の時と一か月検診の時に、
体重が増えてないといけないいんだよ」

と言いました。

そうして、初日である今日は、
四時間経ったら赤ちゃんを回収に来ると言いました。


看護師がいなくなると、

私は赤ちゃんを抱きしめました。

「おっぱいマッサージをするまでは、
いきなり母乳を飲ませるようなことはしないでね」

と言われていた私は、
赤ちゃんにおっぱいをくわえさせてみました。

赤ん坊は、はわはわと、金魚のような大きな口を開けて、
私の胸の方に、座らない首をぐらぐらと動かし、
私の乳首に吸い付きました。

「か、かわいい!!」

何とも言えない満たされた幸福を感じて、
赤ん坊をもう看護師には渡したくないと思いました。

生まれてすぐに、
わけのわからないノルマをこなさなければならないとは、
息子が不憫に思えたのです。

「腹が減ったら飲むようになるし、
帝王切開でいきなり外に出されて、
この子はまだ本気を出していないだけ」

と思いました。

飲みたくもないミルクを流し込まれていたなんて、
私には、そのやり方が良いとは思えなかったのです。


以前、老人ホームで食事の介護の仕事をしていた友人が、
利用者さんに30分以内に食事をさせるようにと言われて、

食べるスピードの遅い人にも、
スプーンでどんどん口へ運ぶようにと言われたことが嫌になり、
仕事を辞めたのだと言っていたことを思い出しました。


病院で生まれて病院で死ぬということには、
こんなデメリットがあるのだと思いました。


でも私は、権力に逆らうことが恐いのです。

初日は四時間、
翌日は八時間、

その次の日から完全に母子同室になるのが、
病院の決まりなのです。

四時間だけを息子と濃密に過ごして、

迎えに来た看護師に渡してしまうと、


何とも言えないもやもやした想いが、
消化しきれずに残ったのです。





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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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