真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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喜び


手術から三日目の朝、

「点滴をあと二本終えたら、お昼には管を外して、
自分でトイレまで行ってもらいますよ。
流動食が運ばれてきますから、自分で起きて食べてもらいます」

と、点滴を持って入ってきた看護師に言われ、
俄然やる気が湧いてきました。

一番辛い日々が去り、
やっと自由になれるのです。

丸二日間の絶食で、
お腹もグウグウと鳴っていました。

「その前に、もしできれば、
このストッキングを脱がせてもらう訳にはいかないでしょうか」

私は看護師に、

苦痛のうちのひとつであった、
足をずっと締め付け続けているストッキングのことを頼んでみました。

「辛い?もういや?
本当はまだ駄目なんだけど、
あと三時間だから、いいわ、脱がせてあげる」

と言って、看護師がストッキングを脱がせてくれました。

きついストッキングを脱がせてもらうと、
大変な解放感を受けて、
私は幸せを感じました。

「人の幸せ、それは二日間履いていた、
きついストッキングを脱ぎ捨てること!」

と思いました。


ストッキングを脱ぎ、
しばらくの間、足を布団にこすり付けて幸せを感じると、

今度は尿道の管を抜いてほしくなりました。

自分でトイレに行っておしっこがしたい、
と思いました。


あと二時間、
あと一時間とカウントダウンで自分を励まし、

ついに看護師がやって来て、

「ちょっと気持ち悪いけど我慢して」

と言って、開いた私の股から管を引き抜くと、
その痛みに顔をゆがめたものの、

私の中ではお祝いのクラッカーが鳴り響き、
くす玉が盛大に割れて『おめでとう』の文字が輝きました。


「やった、全部終わった、
痛いのと苦しいのが全部終わった」

私は心から喜んで、
点滴を外してもらった腕を眺め、
管のなにもついていない自由な自分の体を感じました。

「人の幸せ、それは管に繋がれないこと!」

と心の奥底からそう思い、
早速トイレまで歩いてみることにしました。


起き上がるとくらくらして、
とてもベッドから降りられる感じがしませんでしたが、

それよりも『歩いていい』と言われたことの喜びの方が大きく、
根性でトイレまで伝い歩きをしたのです。


その日は、おしっこをしても流動食を食べても痛みとの戦いでしたが、
自分でトイレに行ける喜びと、
口からものを食べられる喜びの方がはるかに上回り、

痛みは左程気になりませんでした。


そしてようやく、
基本的な欲求の満たされた私は、

「赤ちゃんに会いたい!」

と思う余裕が生まれたのです。






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処置室から自室へ戻ると、
足のカスタネットや自動血圧計、心電図のコードが外され、

点滴とカテーテルだけになったので、
それだけでもホッとしました。

痛みのあるなしに関わらず、
一晩中カスタネットがカタカタと足をはさみ、
自動血圧計が腕をひっきりなしに締め付けているのでは、
眠れと言われても、気になって眠れないのです。

「さあ、今日はもう、痛み止めを打つことはできないので、
痛みは我慢してくださいね。
だんだん痛みがなくなって、明日には歩いてもらうことになりますから、
足やお腹をなるべく動かしていてください。
痛くてもなんでも、明日は歩いてトイレまで行ってもらいますから」

私をベッドへ寝かせた後に、
看護師はそう言うと部屋を出ていきました。

血圧が高いので光を見てはいけないのだと言われ、
テレビのリモコンは手の届かない場所に置かれ、
部屋の厚いカーテンが閉められました。

そう言った看護師の顔も、
焦点の定まらない私にはくねくねと歪んで見えて、

ついには声も出なくなった私は、

「ハヒ・・・」

と蚊の鳴くような情けない声で返事をし、
そのままうとうとと眠りました。


次に目が覚めたのは、夫と娘が面会にやってきた夕方でした。

「赤ちゃん見てきたよ、パパにそっくりだよ」

と部屋に入ってきた娘の顔を見るのに、
ゆっくりゆっくりと頭を動かさないと、
天地がひっくり返って嘔吐してしまいそうになりました。

相変わらず天井がぐるぐると回っていて、
夫の顔も娘の顔も、なんとなく認識することしかできませんでした。

ぐったりと弱りきっている私を見て、
夫も娘も早々に帰って行きました。


次に目が覚めたのは、夜の八時ごろで、
ひどい腹痛に悶えながら意識を取り戻しました。

もう、天井は回っておらず、
だんだん物がはっきりと見えるようになっていて、

その分、痛みもまたダイレクトに感じる体を取り戻していたのです。


痛みは、10分間隔でやってきました。

10分ごとに、鎌を持った七人の小人がやって来て、
ざくざくと私の腹を二分間耕しては、去っていきました。

「ううう、痛い~~~~~」

誰もいない真っ暗な部屋で、
足先だけをよじらせて、全身に力を入れて、
痛みに耐えました。


「ガス、出たかしら?」

看護師が点滴を替えにやってきました。

「し、死ぬほどお腹が痛いんですけど、
ガスが出ません・・・
でも、ガスが腸内を動くたびに、
強烈に痛いんですけど」

ハアハアと悶えながら看護師に訴えると、

「おならの出る前、痛いのよねえ。
ガスの出る点滴してるから余計なのよ。
私は痛いの大っ嫌い。だから子供は一人だけ産んで、
そのあとはお産してないの。
注射も点滴も、痛いのは大っ嫌いなのよ、
みんな痛いのがまんして、よく頑張るわよねえ」

看護師は笑いながらそう言うと、
暗い部屋に私を残して出ていきました。

痛いの嫌いな人が、人に針を刺す仕事をしているのか。
ドSかよ。

と思いつつ、痛みの波が押し寄せてくる度に、

「ぐはあああああ」

と足先をよじらせて乗り越えました。


長い長い、
それは長い一晩に、
感じました。


魔の二晩目を乗り越えて、
ようやく朝がやってきたときには、

心からホッとしたのです。






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麻酔

七時まで痛みを我慢するように言われ、
覚悟を決めてベッドの上で足先だけをよじらせて身もだえしていると、

注射器を持った看護師が入ってきました。

「あなた血圧がどんどん上がっているのよ、
もう200近くまで上がっていて、痛い時に高くなってるの。
だからドクターが、あなたには特別に、
痛み止めをどんどんやっちゃっていいと言ったから、
あなたは我慢しなくていいわ」

看護師はそう言うと、
私の肩に筋肉注射を打ちました。

筋肉の激しい痛みで身を硬直させた直後に、
全ての痛みがスッと引き、
体が宙にふわりと浮いたような感覚に襲われて、

私は苦痛から解放されました。


腕にはめられた自動血圧計も、
足のカスタネットも、
窮屈に足を締め付けている血栓防止のストッキングの不快感も、

腰痛も傷の痛みも後陣痛も、

全てが遠のいていきました。

それは私から離れた、私の体が感じていることで、
私自身は体から抜けて宙に浮いたように感じたのです。


ホッとして、目を閉じました。

ぼんやりと、空想の世界を彷徨い、
ハッと気づくとまた痛みに襲われていて、

それから二時間が経過していました。


腰はもう、痛みではなく痺れに変わっていて、
あまりの苦痛にもじもじと足先だけを動かしていると、
また看護師が注射器を持ってやってきました。

熱を測り、「だいぶ熱も高くなってきたわね」と言い、
私のオムツを外して悪露の始末をすると、
肩を出して筋肉注射を打って、またいなくなりました。

私はまた自分から離れ宙をさまよい、
それを繰り返して三回目の時に、

ついに幻聴が聞こえるようになりました。

注射を打たれると、別世界に飛んでしまい、
耳元でざわざわと人のざわめきが聞こえ出し、

しっかりと目を開けていないと、
どうしてもそこへ飛んでしまうのです。

「これはまずい、自分がコントロールできない」

と思った私は、
ぐるぐる回る頭で、眠らないようにしっかりと目を開けることにしたのです。

四回目に看護師が注射器を持って入ってきたときは、
もう明け方近くなっていましたが、

その頃には、痛み止めを打っても痛みはそのままで、
ただ吐き気だけがして、意識が遠くへ飛ぶだけになっていました。

聴こえないはずの人の声がひっきりなしに耳元で聞こえ、
天井がぐるぐると回るので、焦点を定めることに必死になりました。

翌朝になり、すっかり部屋が明るくなった頃、
五回目の痛み止めを打ってもらった後に、

とうとう吐いてしまいました。

ベッドの上で、ナースコールも間に合わず、
仰向けに寝たままの姿勢でゴボリと吐いてしまい、

嘔吐した水が背中までまわり、
ビニール製のような、パリパリとした手術着と背中の間が、
ビチャビチャになりました。

着替えを持って入ってきた看護師が、

「やっぱり血圧が高くて気持ち悪くなったのかしら」

と言いましたが、
手術の時の麻酔もさめないうちに、
痛み止めを何度も注射されて気分が悪くなったのだと思いました。

着替え終わると、ベッドごと自室へ移動になり、
その移動中に酔ってもう一度嘔吐して、

術後二日目に突入したのです。






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痛み


身悶えするような、
強烈な腹の痛みと腰痛で目を覚ますと、

家族が帰ってから二時間が経過していました。

「い、痛い・・・」

すでに部屋の中は薄暗く、
不安な夕方が訪れていました。


右腕には自動血圧計が装着され、
左手の指には心電図のクリップ、

胸にもそれがつけられて、

それから点滴と、

両足の甲には、カスタネットのようなものがはめられて、
それがリズミカルに、

交互にカタン、カタンと足を挟み続けているのです。


普段、股関節の悪い私は、
仰向けの状態でまっすぐに寝ることができず、

その姿勢のままだと腰が痛みだすのです。

予期していたことでしたが、
やはり腰痛が始まってしまいました。

傷の痛みと、後陣痛、
それに腰痛までおまけにつくとは、

ベッドの上で絶望的な気持ちになりました。

まだ、始まったばかりなのです。
これが、今夜と明日の晩まで続くのです。


痛みが始まったら、
ナースコールをするように言われていたので、

とりあえずボタンを押しました。

「どうしましたか?」

と言う質問に、

「痛いです」

と答えると、

「二時間たったものね。
でも痛み止めは今夜だけで、三本までなの。
今が四時半だから・・・七時まで、
七時まで頑張らないと、後が続かないわよ」

と言われました。

あと二時間半。

この痛みに耐えなければならないのか。

せめて腰痛だけでもなんとかならないものかと思った私は、
膝の下にクッションを入れてもらいました。

それでも、ベッドに当たっている腰の部分の痛みに変わることはなく、
ただ、絶望的なため息が漏れるばかりなのでした。




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術後


手術の後は、処置室へとベッドごと移動しました。

家族が呼ばれ、
私の腕に抱かせてもらった赤ちゃんを囲んで、

記念撮影をしました。

手術の恐怖から解放された私は、
赤ちゃんの顔を覗き込んで、
誰に似ているとか言い合っている家族に対し、

「今日から五人家族になったね」

とコメントする余裕が生まれていました。


「パパ、泣いてたよ」

とこっそり耳打ちしてくれた娘が、

「こんなに感動するなら、
最初から受け入れてくれればよかったのにね」

と言いました。


家族との面会が終わると、

「では、お母さんは今晩眠れない一夜を過ごしますから、
もうみなさんお帰りください。
明日もあまり早く来ないように、夕方来る感じで丁度いいと思います。
今夜からが、お母さんは大変なんですから」

と、看護師が声をかけに来ました。

もちろんわかってはいたけれど、
地獄の一夜が、
いや、地獄の二晩の始まりなのです。

傷跡の痛みと後陣痛、
それから麻酔の気持ち悪さと喉の渇き、

身動きの取れない体で、
痛みや苦痛に耐えなければならないのです。

その時すでに、
私の口の中はカラカラで、

飲み込む唾液の一滴すら残ってはいませんでした。

私はまた、死の恐怖に襲われました。


「お願い、帰る前に、どこか洗面所に行って、
手を濡らしてきてちょうだい。
指についた水でいいから、誰か最後に舐めさせて」

と頼んでみましたが、

「洗面所なんてないし、水を飲んだらいけないんでしょ、
だめだよ」

と言って、夫も息子も娘も、
背を向けて帰って行ってしまいました。

取り残された私は、
なんとか唾液をかき集め、

惨めな気持ちで、
ほんの気持ちだけ喉を潤すと、

目を閉じて眠りに入りました。


ああ、これから二晩。

今回はどのくらい痛みがやってくるかなあ。

前回は痛かった。

一分に一回、
鎌を持った七人の小人がやって来て、

手術をした患部に、
ザクザクと鎌を振りおろし、
二分間耕すと去っていき、

また一分したらやって来て、の繰り返しだったなあ。

足先だけをよじらせて、
一晩中悶絶したのはもう二十年前のことだったけど、

などと覚悟を決めつつ、
がくりと、意識を失ったのです。






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帝王切開


ああ怖い、恐いこわい、
今まさに、私の腹が引き裂かれているのね、

という考えで、頭の中がいっぱいになりました。

これから出てくる赤ちゃんに、
思いを馳せる余裕はなく、

恐怖に負けないように、
自分をなんとか落ち着かせることにだけ、
集中することが精いっぱいでした。

ああそうだ、怖い時には不動明王の真言を唱えればよかったんだ、
と思い出し、

『ノウマクサンマンダ・・・』

と心の中で何度も唱え、
時間をやり過ごしました。


「赤ちゃん出ますよ」

という医者の声に我に返り、

「ハヒ・・・」

と力なく答えました。


しかし、出ますよ、と言われてからが長く、

「こっちは尻をもう掴んでるんだから、
そっちを引っ張って」

と言う医者に対し、もう一人が、

「狭くて手が出ないから、あと少し広げてください」

と言い返し、

その問答がしばらく続きました。

「そこの膜を切ったらどうですか?」

「膜を切るのは恐いよ、
そっちを引っ張ることはできないの?
こっちは尻を掴んでるんだからさ」

「でも手が出ないんですよ、
もう少し広げてください」

という医者同士の会話を聞きながら、

この人たちが今、私の腹の裂け目から、
二人で手を突っ込んでこういう会話をしているのだと、

リアルに想像してしまい、

やはり恐怖に襲われてしまうのでした。


結局、『もう少し広げる』ことを妥協した院長が、
私の腹にあと少し鋏を入れました。

麻酔が効いていて痛みこそないものの、
自分の腹を切る音だけは、

パチンパチンと聞こえてくるのです。


「ヒエエ・・・」

と青ざめることもつかの間、
お腹の中にいた子供の、産声が聞こえました。

元気よく、ホギャーホギャーと泣く赤ちゃんを受け取り、
手際よく処理を済ませた看護師が、

寝ている私に赤ちゃんを見せに来てくれました。

「ほら、元気な男の子、ね」

と言って連れてこられたその赤ちゃんは、

上の娘の生まれた時の顔にそっくりでした。


五体満足だったことを確認すると、
とにかくホッとして、

もうどうなっても大丈夫、という気持ちに変わりました。

もう、自分だけの体に戻ったのです。

気が付かなかったけれど、
メスが恐いよりももっと、

赤ちゃんが無事に生まれるかをとても心配していた自分がいたのです。


傷の縫合がすべて終わると、

「体を横にして、お着物を着て頂きますから、
気持ちが悪くなったら言ってください」

と声をかけられました。

看護師二人が私の体を横にして、

「手はお胸の上に置いてください」

と言いました。

自分の体でない、重い物体が、
ぐらりと横に揺れた感覚に襲われて、

天と地が逆さまになったように感じました。

胸の上に手を乗せると、、
それは自分の胸ではありませんでした。

「ヒャッ、なんだこの冷たい粘土?!」

と思い、思わず手をはねのけてしまいました。

自分の体が、感覚のない、冷たい粘土のようだったのです。

その粘土を触ったことが過去にあることを想い出し、

それが、亡くなった祖母の遺体と同じ感触であったことに繋がりました。


ああ、私が本当に怖かったのは、
メスではなくて『死』だったのだ、

と気が付きました。


そうして、私の三回目の帝王切開の手術は終了したのです。



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手術


手術当日までの三日間は、
レメディーをたくさん摂りながら、
産院のベッドの上でなるべく穏やかにすごしました。

「もうすぐ赤ちゃんに会えるね」

というメールが友人から届きましたが、
私の頭の中は、腹を引き裂く鋭いメスのことだけでいっぱいでした。

どうして私がこんな目に、
という思いに囚われてしまっては、スタッフィサグリアという、
植物からできている『支配と暴力、抑圧』のレメディーを摂りました。

妊娠中のスタッフィサグリアは、

『どうしてこんな目にあうの?私が何をしたの?
と、怒りと屈辱、恨みを感じたときのレメディー』

として摂るとよく、
刃物で切り裂かれる痛みと傷跡にヒットするのです。


私にとって、手術を受けるということは、
幼少期からの『逃れられない屈辱的なイベント』であり、

妊娠がわかった瞬間に最初に浮かんだものはメスであり、

産むために手術を受けるのか、
中絶のために手術を受けるかの二択に迫られ、

かわいい赤ちゃんに思いをはせる以前に、
そうした緊迫感に満ちた想念に囚われてしまうのです。


手術当日は朝から絶食で、
死刑台に上がる囚人のようなあきらめの気持ちで、
その時間の来るのをぐったりと待ちました。

手術着に着替え、点滴に繋がれて、
血栓予防の白いストッキングを履き、

その足の締め付けも気にならないほどに、
魂は何処か遠くに飛び始めていました。

夫と娘息子がやってきて、

「そんなに青ざめて、可哀想に」

と娘に言われるが間も無く、

「では行きましょう」

と看護師が迎えに来ました。


真っ青になりつつ、
家族に別れを告げて手術室に入ると、

マスクと帽子というお決まりの出で立ちの、
医師と看護師が並んで待っていました。

手術台と、手術室お決まりの丸い照明を見て、
血の気が引いていきました。

「ではゆっくりと、台に上がってくださいね」

素っ裸に白いストッキング、
手術用の帽子だけを身に着けた私は、

大きなお腹と剃毛済みの恥部を晒す事にすらもはや、
羞恥心を感じる余裕すらありませんでした。

台に上がると心電図を図るための装置がつけられ、
尿管に管を通されました。

あまりの痛みに思わず腰を浮かせそうになり、
三度目なので、何が痛いのかを覚えて数えてあった私は、

「痛いことがひとつ終わった」

と心の中で自分を励ましました。

腕に自動血圧計をはめて、
腰に麻酔の注射を打つと、

意識が遠のき始めました。

「ここ、感じますか?」

と医師の声が遠くから聞こえ、
両足に全く感覚がなくなった頃、

自分と体が分裂したように感じました。

「ここってどこのことですか?」

と、酸素マスク越しに間抜けな返答をすると、

「では始めます、よろしくお願いします」

と、遠くから声がしました。


手術室のモニターからは、
小心者の私の速い心音だけが流れていて、

手を握ってくれている看護師さんが、
「大丈夫よ、もうすぐかわいい赤ちゃんに会えますよ」
と、私を励ましてくれました。






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メス

入院の当日は、
「入院する前に、最後にお寿司が食べたい」
とわがままを言う私のために、

息子がスーパーマーケットを朝から三軒も自転車で回って、
お寿司のパックを買ってきてくれました。

今回の妊娠騒動では、家族全員でのシビアな話し合いを何度もしたり、
切迫早産で入院をしてからは、子供たちに本当に親切にしてもらい、

こういうことでもなければわからなかった、
家族の愛情をたっぷりと感じることができました。

最後に息子に買ってきてもらった寿司を味わい、

「今日まで優しくしてくれてありがとう、
赤ちゃん産みに行ってくるね」

と息子に挨拶し、妹に迎えに来てもらい、
産院へと向かったのです。



産院に着いて、入院の手続きを済ませ、
部屋へと通されて荷物の整理が終わると、

急に心細くなりました。

「三日後にはメスでお腹を切られるんだよね、
怖いよ、憂鬱だよ」

と妹に吐き出すと、

「そうなの?
その割りに、どうしてそんなブローチつけてきたの?」

と妹に指摘されたので、
自分のカーディガンに目をやると、

ハサミをモチーフにしたブローチが光っていました。

「そんなブローチつけているから、
やる気満々なのかと思ったよ」

と私をからかうと、妹は帰っていきました。

確かに、人は意識にあげるか上げないかの違いがあるだけで、

無意味な行動は取らないのです。


入院の数日前に突然ホラー漫画が読みたくなり、
ネットで適当に購入したところ、

その本には『解剖ちゃん』というタイトルの短編が入っていて、

それは、メスを持った変質的な少女が、

「私を解剖して」

と主人公に迫るというストーリーだったのを思い出しました。


「あの変質的な少女は、私自身の影だったのかも」

と思いました。


そして、この帝王切開の手術を受けることが、
自分の中に幼少期から根付いているトラウマと向き合うチャンスになるのかもしれない、

と思ったのです。




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客観視


「明日から入院で、数日後には手術か」

と考えていると、

イベントに弱い私は眠りにつくことができず、

結局一晩中悶々としながら、
朝を迎えてしまいました。


そうしていろんな思考で頭がいっぱいになり、
明け方四時頃に、ハッと気が付いたのです。


先日、
警察を呼んだのは母ではなく、
母は実家の隣家の伯母に、通報されたのです。

考えてみれば、
早朝に実家の隣家の伯母から着信があった、
ということは、

母が朝っぱらから発狂したということで、

うちに電話を掛けても私が出なかったので、

伯母はすぐに警察へ電話を掛けて、
母が騒いでいるからと、警察を呼んだのに違いないのです。


警察を呼ばれた母は、
それを知られたら私や妹に叱られると思い、

頭の中で事実を書き替えて、

自分が警察に電話を掛けて来てもらったと私たちに嘘をつき、

書き替えた方の作り話を真実と、
思い込むことにしたのです。


母の話しぶりが、
嘘をついているという感じではなかったので、
すっかり騙されてしまいました。

家の中で家族だけに空威張りしていた母が、
自分で警察に電話を掛けるほど、
社交的なはずがないのです。

一歩外に出れば人間が恐く、

隠れるようにして、買い物すらできない母なのに、

うっかり、騙されてしまいました。


騙されてしまったのは、

私がまだ、母を『お母さん』として頼りにしたい、
子供の気持ちを捨てきれずにいることと、

親戚の伯母がそこまでするはずがないと信じたい、
幼稚な気持ちを捨てられずにいるからなのです。


そして、あまりにも当たり前のように、
母とその兄弟が作り出した奇妙な関係の中にいて、

そこから外に出ることが、
未だにできずにいるせいなのです。


夜が明けて、

洗顔をしている娘に、

「ねえ、気が付いたんだけど、
あの日バアバが通報したのではなくて、
隣の伯母さんに、バアバが通報されたんだよ」

と得意になって話すと、

「え、まさか気付いていなかったの?」

と娘が答えました。

「バアバが自分で110番できるはずないじゃない、
警察呼ばれたことが恥ずかしかったから、
自分で呼んだことにしたんだよ。
それでもう、自分が呼んだんだと頭の中で書き替えて、
自分でもそれを信じ込んでいるから、
事実がわかったからと言って、責めても無駄だよ」

と娘は続け、

「バアバも頭おかしくなってるけど、
隣の伯母さんも頭おかしいよ」

と言いました。

それには同意できなかったので、

「そうなのかな?」

と答えると、

「そうだよ。
考えてみて、普通は他人同士だから警察沙汰になるの、
同じ敷地内に仲良く二軒並んで住んでいる兄妹なのに、
普通警察呼ばないって。
自分もみっともないじゃない。
よく考えてみてよ。すごくおかしいことが起きてるんだよ」

娘は私に、
強くはっきりと言いました。


私は少し考えてから、

「そうか、パパ(夫)のお姉さんが発狂して、
私が警察呼ぶのと同じことか。
それは・・・しないなあ。
その前に、パパがそんなこと私にさせないし、
絶対に止めるし、発狂してたら家まで声をかけに行くよね」

と答えました。

「そうだよ。
私が発狂したとして、まーちゃん(弟)が警察呼ぶか?
姉弟なんだよ、家族なの。
警察呼ばないんだよ、普通は。
だから、みんなおかしくなってるの。気が付いた?」

娘は呆れたように言って、
学校へ登校していきました。


子供のころから、憎しみ合い、
いがみ合っている母と伯父の姿しか見てこなかった私は、

やはり、それを『おかしい』と感じるよりは、
その世界の中で、それを当たり前として生きてきてしまい、

未だに客観視できずにいたのです。






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代表


というわけで、

明日から入院し、
六日後には帝王切開で出産することになりました。


「赤ちゃんが生まれたら、
子供たちも愛犬も、みんな赤ちゃん返りして、
誰が一番愛されているか、
お母さんを試して甘えてくるわよ。
今の瑠史さんになら、その対応がもう十分できますから、
みんなの心のケアをしてあげてくださいね」

と、ホメオパシーの先生に予告されていた通り、

この一週間、
私は二人の子供たちの変化を見逃しませんでした。


今年の春に二十歳になった娘が、
私を『お母さん』ではなく、『ママ』と呼ぶようになりました。

息子は相変わらず私に甘える素振りは見せませんでしたが、
間違ったふりをして、私の体に触ってくることが多くなり、

川の字になって寝ているときに、
私の足に自分の足を絡めてきては、

「あ、ごめん」

と言ってくるのです。


私がまた入院をするのが寂しいのと、
小さな弟に自分たちのポジションを奪われることが寂しいのです。


それに対して、私は優しく接していましたが、
今日はついに、娘の方がポロポロと涙をこぼし、

「ママ、入院しないで、行かないで・・・
行かないでほしかったから、
あんなに食べ物に気を付けるようにうるさく言ったのに」

と、私にしがみついてきました。

「赤ちゃんが生まれたら、
赤ちゃんの方が可愛くなっちゃうでしょ?
私のことは、もういらなくなっちゃう?」

と泣きながらしがみついてくる娘に、

「そんなことないよ、
10日経ったら必ず帰って来るから、
待っていてね」

と言って、抱きしめ返しました。


そして、自分が二十歳の時には、

母を捨てて夫の元へ家出して、

私に対して毎日のように「出ていけ」と言い続けた母が、
動揺するのを見て楽しんだことを思い返しました。


「野生のキツネの母親は、
子供が大人になったら噛みついてでも巣から追い払うのよ、
あんたもあたしもキツネと同じ、
二十歳になったんだから出て行ってよ、
ここはあたしの城なんだから」

と私を罵り、

「でも出ていく場所なんてないんでしょう?
だったらあたしの言うとおりにしなさい、
あたしに一切、口答えなんかするんじゃない、
食わせてもらっているのだから、
そのことを忘れるんじゃないの」

と勝ち誇っていた母が、

私の家出で動揺したのが、本当に面白かったのです。


「ざまあみろ、
本当に家出されるとは思わなかっただろ」

と私は腹の底からスッキリとし、
やっと勝ち誇った気分に浸りました。


でも、
本当は違ったのです。

今日、娘が私にしがみついたように、
二十歳のあの日の私は、
母を捨てて家出をしたかったのではなく、

母にしがみつき、
自分を捨てないでほしいと縋りたかっただけなのです。

母の体に触れ、
母に抱きしめ返してもらって、

「一番大事だよ、
一番愛しているよ」

と、言ってもらいたかったのです。


そのことに気が付くことができて、

私は娘を抱きしめ返すことができて、

そして、二十歳になった自分の娘から、

「ママ行かないで」

と言ってもらうことのできた私は、

先祖たちのできなかったことをクリアできたのだと、
幸せに思いました。

人生を生きる目的は、
こうした些細な日常の中に、
毎日のように散りばめられているのだと、
改めて感じました。


私は、先祖代表で娘を抱きしめて、

先祖代表で子供を出産するのだと思いました。


意地を張らずに素直に娘と抱きしめあえることと、
お腹の子を水子にすることなく出産できることを、

幸せに思ったのです。






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母に、二度目のレメディーが送られてきました。

ひとつは『ハイオサイマス』という、植物のレメディーで、

これは兄弟間の嫉妬のレメディーです。


感情的問題、特に変質じみた、嫉妬深い、
疑い深い状態の時に用いられます。

裏切られた気持ちから大変疑い深くなり、
性格異常をきたした人のレメディーと言われています。


もうひとつは、
『ナージャ』というコブラのレメディーで、

これは姑に苛められているお嫁さんの想念、
と言われています。


母は、自身の母親から大事に優しくしてもらったり、
大きな愛情で包み込んでもらったことがありませんでした。

常に母親の支配下にあり、
母親のご機嫌をうかがいながら、
母親を怒らせないように、失敗しないようにと気を遣い、

あまりにもそれが酷かったために発症した、
夜尿症と吃音に悩んでいました。


祖母の決め台詞は、

「おめえはバカなんだから黙っていろ」

というものと、

「黄色い救急車が、
おめえを迎えに来るど」

というもの、

それから、

「おめえは橋の下で拾った子で、
オレの子ではないんだ」

というものでした。


それから、今回母がホメオパシー相談会を受け始めるに当たり、
初めて母の口から聞いたトラウマが、

「私の下に、妹が出来たんだけど、
お祖母ちゃんがその子を中絶したのよ。
お祖母ちゃんは中絶した後に私にこう言ったの、
『おめえの妹は、いらないから便所に流した』って。
それからずっと、私はトイレが恐かった。
子供の頃、ずうっと、トイレが恐かったの」

という、なんとも憐れなエピソードだったのです。


そんな母に育てられた私もまた、
性格異常をきたしており、

ハイオサイマスもナージャも、
何度も処方されました。

私と母は、母親と娘、という絆で結ばれておらず、
私は母の顔色を伺いながら、
母の機嫌を取りながら、子供時代を生き延びたのです。

それはまさに、
言い換えるなら、

嫁と姑の仲に似ているように思いました。


母はいつ自分を裏切るかわからない、
という不安の中で、

しっかりとした信頼関係を感じられないまま、
大人になったのです。


私が自分自身を見つめ、
生まれ変わりたいと思うようになり、
ホメオパシーを始めたきっかけは、

私が産んだ、自分の娘との関係があまりにも冷えていて、

母が私にしたのと同じに、

母の母が、母にしたのと同じに、


お腹を痛めて産んだ自分の娘を、

どうしても愛せないということに、
悩んだからなのです。


「あんたを産むまで、
自分の子供が可愛くないってこと、
わからなかったのよ」

と、母は子供だった私に言い、
私は心を冷たく凍らせたものでしたが、

それが私自身の今生での大事なテーマだったのです。


「あんたを産むまで、
あたしを可愛がらなかった母親の気持ちがわからなかった」

と、言葉にこそ出しませんでしたが、
私も娘に対してそう思ったのです。


私を傷つけたあの母の言葉こそが、

母が自分自身を知った絶望の瞬間であったのだと、

そのときに理解し、


そしてまたそれがそのまま、

私の中に根付いていた自分自身の『業』だったのだと、

私は直視したのです。







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生贄


実家から帰ってくると、立て続けに悪夢を見ました。

実家の居間で、知らない赤ん坊に授乳をする夢で、
その赤ん坊が、赤ん坊のくせに力が強く、
私に対して支配的なのです。

その赤ん坊に授乳をしながら、

「こんなに強く吸われて、
お腹の赤ちゃんは大丈夫かな」

と、自分の赤ちゃんの心配をする夢でした。


目が覚めて、

「実家にいた黒い赤ちゃんを、
連れて帰って来ちゃったんだ」

と思いました。


それから、
実家の庭でお産をする夢を見ました。

「こんなところでいきむことなんてできません、
通行人が見ていくし、こんなところで産めません」

と素っ裸の私が言うと、

「これからお母さんになる人が、
恥ずかしいなんて言うこと自体が恥ずかしい、
くだらないことを気にするんじゃない」

と医師に理不尽に叱られて、

「そうだ、私の醜い裸など、
誰が見たって何とも思わないのだった」

と思い直すのでした。

それでも、通行人の見ている中でなかなかリラックスできず、
分娩が進まずにいると、

「これは、明日だな」

と言って、あきれ返った医師は帰って行きました。

残された看護師が私に、

「忙しい時間を縫って、せっかく先生が来てくれたのに、
先生を怒らせてしまったじゃない、
明日になったらきちんと先生にお詫びするように」

と私を非難しました。

そして、看護師は帰らないというので、
実家に看護師を一晩泊めなくてはならず、

母が私の連れてきた人を快く家の中に入れてくれることはないと知りつつも、母の顔色を伺いながら、

「お母さん・・・看護婦さんを泊めてくれないかな?」

と恐る恐るお伺いをたてるという、

なんとも疲れる夢を見たのです。


目が覚めて、

「これが私の世界観なのだ」

と思いました。


夢に出てきた医師は私の父の化身であり、
看護師は母なのです。


子供の頃、私を気に入ってくれた友達が、
私の家に遊びに行きたいと言い出すたびに心は曇り、

連れて帰れば、
また母に罵られるという絶望的な想いに駆られ、
祈るような気持ちで友達を連れて帰ったのです。

母の機嫌が良ければ、
家に入れてもらっておやつも出てくるけれど、
機嫌が悪ければ素っ気なくされて、

友達の帰った後に、
散々友達の悪口を聞かされて、
それから延々と罵られるのが、常だったのです。


それがいつしか、彼氏に変わっても、
夫に変わっても、母の態度は変わりませんでした。


嫌というほど味わわされたそういう世界観を抱えたまま、
私はまた、子供を一人産むのです。


「手術前に、犠牲者の想念のレメディーを摂ろう」

と思いました。


私は、帝王切開の手術を、
自分自身を生贄に出すことと、

深い意識で誤解していることに気が付いたのです。





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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

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