真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

性欲


トウモロコシを食べ終わった妹の娘は、
別室へ、おもちゃで遊ぶためにかけていきました。

母は私に纏わりつき、

呼んだ警察がイケメン俳優に似ていたのだと浮かれていました。

そのイケメン俳優似の警察と、
ウンコの話を延々したのか、

さぞかしイケメン的にもうんざりしたことだろうと、
私はその警察に同情しました。

そして、自宅マンションの、
ベランダに立ってうちへ向かって苦情を言ってくる隣人も、

その内容が「垂れ流しの山本!」だったり、

「ベランダにウンコさせやがって」

とか、全部排泄物のことだったと思い当たりました。

自宅の隣人も母も、60歳前後の同世代で、

彼女たちは、抑えに抑えた性欲が、

このような形に歪んだのだと思うのです。


自宅の隣人がどういう人かは分かりませんが、
母に限っては、

『性欲イコール悪いもの、
セックス=悪』

という間違った固定観念を、
親や社会から植えつけられた世代です。


中学生の時、
私は友達みんなが観ていた『うる星やつら』のアニメが観たかったのに、

「ブラジャーとパンツだけなんていやらしい」

という理由で、母に禁じられました。

家族でドラマや映画を観ていても、
セックスのシーンになると、
「いやらしい」と過剰に反応するのはいつも母で、

そのくせそのシーンに異様に執着し、
いつまでもその話をするのも、母でした。


「それでね、そのイケメンが、
人糞なら紙も落ちてるはずでしょって言うのよ、
私笑っちゃって、確かにケツにウンコついたままでは、
帰らないよねえ」

母はよほど、
そのイケメンと下ネタで盛り上がったことが嬉しかったらしく、
いつまでもその話を私たちに聞かせ続けました。

しかし自分の母親の口から次々と下品な言葉を聞くことは、
私と妹にとっては、あまり楽しいことではなく、

げんなりしつつも黙って聞いていた私に対し、
妹は母に喧嘩を売りはじめ、
母は強制的に妹に黙らされてしまいました。


そこで娘が「えっ?!!!」と大きな声を出したので、

私も母も妹も、娘の方に気を取られると、

「あーちゃん(妹の二歳の娘)、
いつからいなくなってた?!」

と娘が言うのです。

「さっきトウモロコシ食べ終わってから、
ずっといないけど?」

と私が答えると、

「嘘・・・私の足元に時々体を触れながら、
ずっと食べる音がペチャペチャしてたのに・・・
いつまで食べてるのかな、よく食べるな、
どんだけ食べるんだよって思ってたのに・・・
じゃあ・・・一体何がここで食事摂ってたの??」

と娘が言い、

私も妹も、
シンとなりました。

『餓鬼・・・』

と思いましたが、
みんな黙っていました。


自宅に戻ると、娘が、

「さっきはまりちゃんが恐がると思ったから黙っていたんだけどね、
あの後、まりちゃんに抱きついているあーちゃんに重なって、
真っ黒で、目と口のところだけ穴の開いた赤ちゃんが、
一緒にまりちゃんに抱きついていたの。
真っ黒い赤ちゃんだったの。怖すぎた」

と言いました。

やはり、オンカカカビサンマエイソワカを、

何度も唱えればよかったのだと思いました。


彷徨う水子霊を、
お地蔵様に預ければよかったのです。

「まさか、連れて帰って来てないよね?」

と娘が言いましたが、

私には何とも、答えられませんでした。


歪んだ性欲と餓鬼と水子、

でもそれらを繋ぐ唯一のカギは、

『ママの抱っこ』だと私は感じているのです。


母が本当に望んでいるものは、
イケメンと下ネタで盛り上がることではなく、


究極まで掘り下げていけば、
誰かに愛されて抱きしめられたいという願望であり、

餓鬼が何に飢えているかといえば、
それもまた愛情であり、

水子にしても、ただそれだけなのだと、
私は思うのです。

ですから、あの修行道場で私が本当に目指すものは、
読経がうまくなることでも法力を身に着けることでもなく、

自分の中の愛されない私、
病んだインナーチャイルドを自分自身で癒し、

受け入れていくことなのだと、わかっているのです。






スポンサーサイト
  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

餓鬼


久しぶりに、実家の夢を見ました。

実家の風呂場で、母と二人で大量の水をザバザバと流す、
ただそれだけの夢でした。

「浄化に来いというお知らせかしら」

目を覚ました私はそう感じつつ、
面倒なのでそのままにしておきました。

翌日、自宅の固定電話の着信履歴を見ると、
早朝6時頃に、実家の隣家の番号が記されていました。

「母がまた発狂したんだ」

と思いました。

早朝に母が発狂して、
隣家の伯母が私に苦情の電話を入れてきたのです。

でも今は、私は自分の身を守るため、
自宅の固定電話は、消音にしたまま、
留守番電話にもならないように設定してあり、

着信のあったことだけがわかるようにしてあるのです。

伯母からの着信履歴を確認し、
うんざりしつつ、妹に連絡をすると、

「昨日夢を見たんだよね・・・
お姉ちゃんがうちに来て、
実家に行こう、私も一緒に行くから!と言った夢なの。
目が覚めて、嫌な予感がしたから実家に電話したら、
お母さんの状態がすごく悪くて、
態度もとても悪かったから、
これは行っても喧嘩するだけだろうと思って、
行くのをやめたの。
お姉ちゃんは今は行けないと思ったから」

と妹は言い、行けばよかったと後悔していました。

「私にもまりちゃんにも、
ちゃんとお知らせが来てたのにね、
また無視しちゃったねえ」

と私も反省しつつ、

お腹を切る一週間前という身重の体で、
妹と娘と、妹の子供と4人で実家へ出かけました。

「しかし、来週出産を控えた妊婦に、
朝っぱらから苦情の電話を入れてくるなんて、
隣の伯母さんも相当おもいやりのない人だよね、
妊婦に負担かけてどうしろって言うんだよ」

車の中で娘が腹を立てていましたが、

今更親戚の伯母たちに、
思いやりの気持ちを求める気も失せていました。


実家に着くと、駐車場まで迎えに出てきた母が、

「犬のウンコがそこにしてあったのよ、
だから警察を呼んだの。
そしたら誰の嫌がらせでもないし、
人糞ではないって警察の人が言うのよ、
でも絶対にあのアパートに住んでるバカの仕業なの、
いやがらせなのよ」

といきなり纏わりついてきました。

「はいはい、わかったから、
来週手術の妊婦にそんな話いきなりしないでね、
家の中にまずは入って、みんなでお経を読んでからにしようね」

娘が私と母の間に割って入り、
私を庇いました。


纏わりついてきた母の周りに、
黒い餓鬼の集団が蠢いているのが視えました。

母の話しぶりと言葉はとても気味が悪く、

「餓鬼がいっぱいいるね」

と、娘も私の耳元でささやきました。

駐車場の壁は相変わらず不気味に赤く、

「こんな修行道場はやっぱりいらないな」

と思いました。


家に上がって、まずは読経しました。

十三仏の真言のところで、
地蔵菩薩の『オンカカカビサンマエイソワカ』を、
何度も読みたい気持ちになりましたが、

通常通り三回で済ませて、
観音経まで読んで終わりにしました。


茶の間に行くと、母が次々と食べ物を運んできて、
テーブルの上には夕食の用意が揃いました。

娘が横になったソファの足元で、
妹の、二歳の娘がトウモロコシを食べ始め、

いつも通りの和やかな夕飯が始まりました。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

妊娠


臨月を迎え、私の具合はますます悪くなり、
なにもかも、どこもかしこも不調でいっぱいになりました。

今年の地蔵盆に出掛けることは断念し、
妹に一人で参拝してもらうことになりました。

それでも24日を過ぎると少しだけ、
家の中の魑魅魍魎のざわめきが落ち着いたように感じました。


妊婦健診に出掛けると、

「妊娠中毒症の症状が出始めているから、
早めの入院を覚悟して、手術も最短の日で決定ね」

と言われました。

母体がもたない、と言われたとおり、
自分でも「もうもたない」と感じていたのです。

杖を突いてよたよたと診察台から降りた私に、

「何が一番辛い?日常生活で」

と、看護師が尋ねました。

見るからに、今の私は『大変そう』に見えて、
思わず聞いてしまったのだろうと思いました。

何が、と言われると、
たくさんの『不調』が渦巻き、
どれを答えればいいのか分からなくなりました。

「全部です、全部。もう疲れました」

と力なく答えると、
看護師は同情的な目で黙ってうなずきました。


朝は、ぱんぱんに浮腫んだ手と足で、
浮腫みで痛みを伴いつつ起き上がり、
鏡を見ると顔まで浮腫んでいるのです。

憂鬱な気分で一日が始まり、
何を食べても気分が悪くなり、

一日中ごほごほと咳き込み、
咳でお腹がいちいち張るのです。

大きくなった赤ん坊に、胃袋や膀胱が押されて、
喉の奥が常にちりちりと痛み、
胃酸が逆流するので、そのたびにまた咳き込み、

30分に一度トイレに行かないと、
下からはちょろちょろと漏れてくるし、

トイレに立つたびにお腹が張るのです。

深夜には毎晩気分が悪くなって、
食べたものをトイレですっかり吐き戻し、

そうして一日が終わります。

その上、丑三つ時にうなされて目が覚めるのですから、
私はもう本当にすっかりと疲れ切ってしまいました。


それでも、出産予定日よりも二週間ほど早く、
あと10日後に、手術の日が決まりました。

結局、2月頃に始まったつわりが治まらないまま、
半年間ずっと気分の悪いままでした。

切迫早産に妊娠後期のつわり、
最終的に妊娠中毒症というフルコースを味わい、

今の私の感想は、

『二度と妊娠したくない』

というものでしかないのです。

もう二度と、金輪際妊娠はごめんです。


「友達に、不妊の人が割と多くて、
赤ちゃんが欲しいと相談されることが多いんだけど、
私たちは妊娠しやすいことが悩みだから、
どうにもそれだけはわからないよねえ」

と妹が言いました。


妊娠をしたら、

産むか中絶かの二択に迫られるというその恐怖を、

生理の遅れるたびに何百回味わったことか、

地蔵盆の日に、

そんな深いテーマについて、妹と話し合いました。


地蔵盆の時にだけ読まれる、

『賽の河原の地蔵和讃』

を聴くと本当に癒されて、

授かった赤ちゃんは、
中絶してはいけないと思うのですが、

ではもう一回妊娠したらどうするかと聞かれると、

迷う自分もまた、本当なのです。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

ユートピア


地蔵盆を前にして、
娘と私の風邪の具合はどんどん悪化していきました。

私の方は妊娠九か月に入り、
手と足がむくんで、血圧も上昇していき、

「母体がもたなくなるから、このまま血圧が下がらないようなら、
早めに切ることにするからね」

と妊婦健診で言われてしまいました。


そんな中、息子が結膜炎にかかり、
私にも娘にもばっちりともれなく伝染し、

私と言えば、デカい腹を抱えてよたよた歩き、
ごほごほと咳き込み、目を真っ赤に腫らして、
目ヤニで両目がバリバリに開かなくなるという、
世にも無残な姿になってしまいました。

お盆休みに帰宅した夫にその姿を見せ、

「こんな妖怪、どっかで見たことない?」

と言うと、夫は私にとても優しくしてくれました。


お盆休みの間中、
犬の毛だらけの部屋で、家族四人で過ごしました。

夫の帰宅で一層荷物が増え、
そこここにできた『タワー』をよけながら家の中を歩き、

「ここまで家が散らかったのは初めてだね」

と、むしろ私は感心してしまいました。

「大家族のドキュメントとか、
ゴミ屋敷潜入で見たことある感じ」

と言うと、夫は笑い、
決して私を咎めるようなことは言いませんでした。


かつてないほど散らかった家の中で、
家族四人仲良く過ごしました。

夢にまで見たユートピアが、
ゴミ屋敷の中に在るとは思いませんでしたが、

子供のころから私が手に入れたかった家族の姿は、
これだったのだと思ったのです。


一週間経って夫がまた名古屋へ戻ってしまうと、
また娘が夜な夜なうなされるようになりました。

深夜、眠っているはずの娘が、

「赤ちゃんの泣き声が聞こえる・・・」

と突然呟いたので、

「え、聞こえないけど?」

と返事をすると、

「聞こえるよ・・・ほら、赤ちゃんの泣き声が・・・」

と呟き、そのまま眠ってしまいました。


「ちょっと、起きてよ、何なのよそれ、恐いよう」

暗闇の中に一人取り残された私は、
深夜にお線香を立てました。


次の晩も、その次の晩も、
娘が深夜二時前後になると、

「お・・・があ・・ざん・・・」

と悶えつつ私の手を握って来るので目が覚めて、

「どうしたの?」

と声をかけると、金縛りにあっていたというのです。

眠りにつくと、男の手が手首を掴んできて、
その手と戦ったとか、

うっかり目を開けたら、あっちにもこっちにも、
黒い人影が浮遊しているのが視えたとか言いながら、

風邪はどんどん悪化して、ごほごほと咳き込みました。


「得度をしたら、見えない方のお客さんが増えますよ。
あ、お坊さんだ、供養してもらおう、という感じに、
たくさん集まって来るんですよ」

と、前々からお寺で言われていたことを思い出しました。


それはもちろんん覚悟の上で出家したのですが、
妊娠することは予定外だったのです。


「今年のお盆は勘弁して、家に集まってくるのはやめて、
赤ちゃん産むまで待ってちょうだいよ~」

と、最高に具合の悪い私は霊の皆さんに懇願しつつ、

パンパンに膨れたお腹を抱えてよたよたと観音様の前に座り、

入院をする日まで、
地道に読経を続けることしかできず、

こうなったら早く切ってもらえることの方がありがたいと、
思うのでした。








  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

教訓


私はその女に、

「仏様は慈悲が深いので、仏様の光の方へ真っ直ぐ上がったらいい、
私はあなたをどうにもできません。
できるのは道案内をするだけです。
一度きちんと昇天してまた生まれ変わって、
今度は多産をして楽しい人生を歩めばいいことでしょう、
いつまでここにいて他人を羨ましがっていても、前進しませんよ」

などと心の中で伝えながら読経をしました。

「あと、子供を産む私を羨ましいというけれど、
毎日具合が悪くて、そんなに甘いものではないですよ」

と付け足しました。

羨ましいと言われて腹が立ったのです。


読経が済むと、

そのワンレンの女との心の中での会話が、
全て自分の妄想だったような気がしました。

「なーんちゃって、全部気のせいなんだけど」

と思っていると、娘が、

「あ、そうそう、言い忘れたけど、
そのワンレンの女ね、子持ちだったよ」

と言ったのです。

「一瞬だったけど、
お母さんの顔を覗き込んでるその女に気が付いた瞬間、
女も私に気が付いて目が合ったの。
目が合った瞬間に、その情報が流れ込んできたんだ」

と娘に言われたので、

「でさ、その子供を亡くしてるよね?
子供も自分も死んでるのに、
子供を産めなかった無念だけでいっぱいになってて、
彷徨ってる感じでしょ?
で、私が来月子供を産むものだから、
おまえは産むのね、羨ましいって、
私に憑いてきちゃったんだよね?」

と確認をすると、

「こわっ。
そこまではわかんなかったけど、
そういう恐い女だってのはわかるよ」

と娘は答えたのです。


「得度をしたら、眠っている時の夢の中だけでなく、
起きているときに霊の声が聞こえるようになりますよ。」

と師匠に言われていた私は、

「自分の妄想か、本当の霊の声なのか、
どうやって聞き分けたらいいのでしょうか」

と質問をすると、

「では、最初は私に確認に来てください。
それは本当の声ですよ、それは妄想ですとお答えしますから」

と師匠に言われたのです。


でも今回は、娘の視たものと内容がほぼ一致していたので、
妄想ではなかったのだと分かりました。


あんなに、霊の声を聞いたり、
その姿をダイレクトに視ることに憧れていたのに、

いざ手に入れてみると、

そんなにいいものではなかったということがわかり、
少しがっかりました。

霊能者になりたくて憧れていた頃が一番夢があって楽しかった、
と思いました。


未浄化霊なんて、

横柄な態度で自分勝手で、

縁もゆかりもないのに他人に依存してきて、

随分と図々しくて厚かましい存在だと思ったのです。


せめて自分は修行を積んで、
そのような存在にはならないようにしよう、

『未浄化霊のふり見て我がふり直せ』

というのを教訓に、

前向きに進んで行こうと思ったのです。




  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

ワンレンの女


実家で久しぶりに読経を済ませると、

それまで何かに憑りつかれたように、
気味の悪いうわごとを繰り返していた母が、
まともな様子に戻りました。

お父さんが浮気をしているとか、
使ったコンドームが置きっぱなしになっていたとか、

聞いているこちらの気分までもが、
最高に悪くなるような話を繰り返していたのです。


読経の後は、妹の様子も明るくなり、
母の話題はこれから生まれてくる赤ちゃんの話題へと変わりました。

「お経を読んですっきりしたわ、ありがとう」

と明るくなった母に見送られ自宅へ戻った私は、
その夜恐い体験をしたのです。


自宅に戻った私と娘は、
とりあえず、とても体調が悪くなりました。

「これは風邪を引く前兆だね」

と言いながら、レメディーを摂りました。

「風邪というのは、
自分と守護霊との間に魔物が入り込んでしまう状態のことなんだよ」

と、いつかお寺で副住職に教えられていた私は、
魔物系のレメディーを色々摂ってはみたのですが、

すでに手遅れだったようで、
私も娘も具合を悪くしてしまいました。

自分の肌が自分のものではないような感覚と、
たくさんの魔物たちに囲まれているようなざわざわ感、

喉の奥のひりひりと悪寒で、
眠りにつくことができませんでした。

結局、明け方まで、
うとうとしたようなしていないような感じを彷徨いながら、

三時頃にふと娘の方を見ると、

眠っている娘の横できっちりと正座をして、
娘の顔を覗き込んでいる黒い男の姿を見たのです。

ぎょっとしたものの、
見なかったことにして寝返りを打ちました。


朝になり、その話を娘にしようと思ったところ、
娘の方から、

「夕べ恐いものをみたよ、
二時半頃ね、お母さんの横に座って、
お母さんの顔を覗き込んでいる、ワンレンの髪の長い女がいたの。
目を見開いて顔がくっつくぐらいの距離で、
お母さんを覗き込んでたよ」

と言われたのです。

ゾゾッとして、

「要するに、実家からたくさん連れてきてしまったということか」


と理解をした私は、
顔を洗うと、真っ先に読経をすることにしたのです。


連れて帰ってきてどうする、
つまり実家の帰りの車内には、
定員以上の人数を乗せて帰ってきたということか、

観音様の方に流せないで連れて帰ってきているようでは修行が足りん、だからあの家が私の修行道場だと師匠は言うのだな、

などと思いつつ、

今度こそ観音様の方へ流す気持ちで、
読経を始めました。


読経を始めると、すぐに息苦しくなり始めました。

まず、腹の減ったような黒い集団が、
「何か食わせろ」と言いながら、私の背中に覆いかぶさってきたのがわかりました。

冷蔵庫からプリンを出してお供えし、
もう一度始めから読経しなおしました。

今度は真後ろに、
その、ワンレンの髪の長い女が、
私に体を密着させながら縋ってきたのがわかりました。

自分で経を読んで上がろうという自発的な感じではなく、

「早くなんとかしてよ、
あんたがあたしを何とかしてくれるんでしょう?」

という依存的な、そして攻撃的なエネルギーを感じました。

その女は子持ちで、
子供を中絶したのか流産したのか死産したのか、

それが無念で上に上がれないのだと訴えてきました。

「なのにあんたは子供を産むのね、
ああ羨ましい、ああ憎い」

というような、攻撃的なエネルギーを私にぶつけつつ、

ここに来ればあんたがどうにかしてくれるんでしょう、
早くなんとかしてちょうだい、

と言わんばかりの依存的な想いで、

私の背中に密着しているのでした。





  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

もののけ


八月に入ると、
家の中での見えない者たちのざわめきを、
そここで感じるようになり始めました。

七月の施餓鬼が終わると、八月の地蔵盆に向けて、
毎年、見えない者の人数がぐっと増えるように感じるのです。

「調子のいい日があったらでいいから、
一回、バアバの家に一緒に行ってよ。
まりちゃんと私だけだと、何か足りなくてダメなのよ」

と娘に言われ、
ある日の夕方、妹と娘と一緒に、
私も実家へと足を運びました。


実家の駐車場の壁は、
確かに真っ赤に塗られていました。

「なんていうか・・・中国風だね」

と感想を述べたものの、
吹き抜ける風のせいなのか、なんなのか、
もののけの蠢くようなざわめきが、
実家のそこここで私の様子を伺っているように感じました。


実家に上り込むと、
早速妹の目つきが変わりました。

とろんとした半目状態になり、
母を罵り始めるのです。

真っ先にお経を読もうと思っていたのに、
全身が気怠くなり、

母と妹のイガイガとしたやり取りを聞きながら、
ぐったりと眠くなり始めました。

「ああ、具合が悪くなってきた」

と横で苦情を言い始めた娘に、

「みんなでこのまま憑りつかれてどうするの、
瑠史さん、早くがんばって立ち上がってお経を読んでよ」

と言われ、
我に返った私は、

五月以来お参りしていなかった実家の観音様の前に座り、
護身の印を結びました。

お経を読み始めると、
母と妹と娘、それから二歳になった、妹の娘までが、
お数珠を持ってさっと集まってきたのです。

「この家のカルマは、女のカルマなのだなぁ」

と思いつつ、先頭に立って読経を始めました。

読経を始めると息がつまり、
胸が苦しくなり始めました。

なにか、背中にどっさりと、
人が覆いかぶさってきたような、

どうにも苦しい感じになって、
気分が悪くなりました。

十三仏の真言のあたりで、
例の二階へ続く階段の途中の小窓の向こうから、

たくさんの人が覗いているような気がして、
思わず小窓の方へ視線を向けると、

同じタイミングで妹も娘も同じ方向を見たのが分かりました。


読経が済むと、

「途中で、小窓からいっぱい人が覗き始めたよね」

と娘も妹も言ったので、

気のせいではなかったのだと分かりました。

「階段の上にもいっぱいいたよ。
読経を始めた私たちに気が付いて、興味本位で集まってきたみたい」

と娘が言ったので、

庭や階段周辺に塗香を撒き、
お供えしてあった水で施餓鬼をしたのです。




  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

大事な時間


施餓鬼会の日に、
ホメオパシーの先生も施餓鬼に参加したので、

坐骨神経痛に効くレメディーや、
妊娠後期のつわりのレメディーなど、教えてもらいました。

坐骨神経痛は痛みが和らいだものの、
つわりだけはどうにも治まらず、

朝から晩まで気分の悪い毎日に、
すっかり鬱になってしまいました。

動きたいのに、動けばお腹がコリコリに張って、
ウテメリンを飲めば、
副反応のひどい動悸で具合が悪くなるので、

結局お寺から戻って来てからは、
また横になるだけの生活に戻るしかありませんでした。

冷房で頭痛も始まり、
冷えでお腹が張るのですが、

かといって暑い部屋にも耐えられず、

ぬか袋でお腹だけを温めながら冷えた部屋で延々横になっていると、
どうにも明るい気持ちにはなれないのです。


「もうここで妊娠やめたい、
二度と妊娠なんてしたくない、辛いよう」

と泣き言を言って、めそめそと本当に泣いていると、

娘が背中や腰を摩りながら、

「あと一か月だよ、最初のつわりからよく頑張ったじゃない」

と励ましてくれました。

「大変かもしれないけど、
たかだか10か月辛抱するだけで、
こうやって腰を摩ってくれる人がもう一人増えるんだからがんばってよ。
産んでしまえば、一生お母さんのことを想ってくれる、
大事な人になるんだからさ」

娘にそう言われ、
確かにそうだと感心しました。


娘のいない日には息子が寄ってきて、

「妊婦というだけでも大変なのに、
お母さんは足が悪いんだから、
取り返しのつかないことにならないようにジッとしててよ」

と言って、背中をさすってくれました。

そして、

「お母さんはずっと、体に触らせてくれなかったよね」

と言ったのです。


それを背中で聞いて、
本当に毎日具合が悪いけれど、

こうして子供達との大事な時間を過ごすことができることを、
幸せに思いました。

私は子供たちに対して、
泣き顔を決して見せずに意地を張り続けた、

私の母親と同じことをしていたのです。


私の体に触れることを、
深い意識の中で許可し合うことができた息子は、

ずっと閉じこもっていた自室から出てくるようになりました。

何度誘っても、決して部屋から出てこない息子だったのに、
娘と私と三人で、川の字になって眠るようになったのです。


三人で川の字になって寝ながら、
眠りに着くまでの間、赤ちゃんの名前を考えて話し合ったり、

ゲームをして過ごしたりしていると、

私が置いてきてしまった時間を取り戻しているような気持ちになりました。


母が私を決して見ようとしないことが、
私の中に孤独の穴を作り上げたように、

子供達もまた、

私とのこんな他愛ない時間を共有したいと、
願っていただけだったのです。






  1. 未分類
  2. / trackback:0
  3. / comment:0
  4. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY

プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

個人セッションのお申し込みはコチラまでメールにてお願いいたします。
facebookはコチラ

☆サイト『ココナラ』さんでもメール相談を受け付けています☆

最新トラックバック

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

かんのんいんカウンター

« 2014 08  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR



.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。