真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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すったもんだ


いちごのお酒を作るために、
ガラス瓶を熱湯消毒しようと作業していた娘を、
タバコを吸いながら夫がじっと見つめている時に、

朝、私がお弁当を作っている時に感じるストレスと、
全く同じストレスを娘が感じているのを感じ、
多少、嫌な予感に襲われていたのですが、

その予感はやはり、的中したのです。

熱湯をガラス瓶に入れた瞬間、
ビシッと、熱で瓶が割れ、
すかさず夫が、

『ほら割れた』

と呟いた事がきっかけになりました。

じっと見られていた上に、
思った通りにダメ出しをされた娘がムッとして、

『…見ないで?』

と夫を睨むと、
睨まれた夫は『なんだよ、当たり前のこと言っただけじゃん』と、
娘をバカにしたように吐きました。

娘はその瓶を思い切り床に叩きつけ、
派手な、ガラスの割れる音が響きました。

『うるせえっ!!!
見んじゃねえっ!!!』

と娘は夫に反撃して、手に持っていたイチゴを、
夫に向けてポンポンと投げ始めました。

夫は、


『耐熱容器でもねぇのに熱加えるバカだから言ったんだよ!!』

と娘をさらに娘を罵り返しました。

『親に向かってなんて口きくんだよ?!
誰に向かって言ってんだ?!』

夫は尚も、昭和すぎるセリフを吐きながら、
娘に向けて大声を張り上げましたが、

『うるせえって言ってんだよ!!』

と娘も負けずに、
いちごを投げる手を止めませんでした。

『おまえ、頭おかしいんじゃないのか?
親をなんだと思ってんだよ?!
ふざけんじゃねえぞ?!
やることもやらねぇで、
就職もしねぇで、食わせてもらってる分際で、
好き勝手ばっかりしやがって!!』

夫が本気になって立ち上がったタイミングで、
長男が駆け寄って、

『やめて父さん、
一回落ち着いて?一回落ち着こう?』

と、夫が娘に手を上げないように、
止めに入りました。

すると今度は、
息子に矛先を変えて、

『うるせえな、おまえもなんだよ?!
やることもやらねぇで、おまえなんか、
なんにもできねえ癖に、生意気言うな!』

と今度は長男に詰め寄りました。

言われた長男は、

『何にもできないっていうのは、
大学を続けられなくなったことを言ってるの?』

と夫に聞き返しました。

『そうだよ、大学ひとつまともに通えねぇわ、
バイトもしねぇし、
車の免許取りに行けって言ったら、
6月くらいに行くかな…?とか言って、
結局は怠けていたいだけなんだろ?!
毎日フラフラしやがって!』

夫は長男に、
『6月くらいに行くかな…?』という口真似を、
バカにしたようにつけて、攻撃しました。

長男は傷ついたように、
一度口ごもりましたが、

『だから高専出たときに就職するって言ったじゃん?!
大学は行かないって俺言ったのに、
父さんが大学行けって言ったから、
どうしてもそうしてほしいのかなってやったんじゃん!』

と、長男は涙声で答えました。

すると、
『親のせいか?また親のせいか?なんでも親のせいだな?』
と夫はヒートアップするだけでしたので、
私が今度は間に入り、

『それはホントだよ、この子は就職したいって言ったよ。
あなたがどうしても大学は出ろって、
就職することを認めなかったんじゃないの。
あなたの期待に答えようとして頑張って、
それでも無理で結果こうなっただけなのに、
私の子どもたちを侮辱するのやめてもらえます?!
少し待ってって約束したのに、なんでこうなるの?!』

と夫に詰め寄りました。

すると夫は今度は私に、

『お前もおんなじなんだよ、
やることやらねぇで好き勝手ばかりしやがって!』

と詰め寄ってきました。

それに対して長男が、

『母さんはやることやってるよ、
大体、やることって何だよ?なんのことだよ?
父さんみたいに働くこと?
だったら僕だってこれからちゃんと働くよ?
それとも父さんみたいに子供三人も作ること?
そして立派な人間に育てることを言ってるの?
でも子供お腹にできた時に母さんに堕ろせって言ったじゃない、
それでどの口でそういうこと言うの?
母さんは大変なのに赤ちゃんを産んで、頑張って育ててるじゃない、
やることやってないなんて母さんに言うなよ?
誰よりも頑張ってるのは母さんだろ?
なんで父さんはそういうのがわかんないんだよ?!
この家で一番頑張ってるのはこの二人なんだよ!』

と、長男は、
私と娘を指差して、夫に詰め寄りました。

夫は、

『そうだよ?言ったよ?
でも責任取ってこうやって育ててるだろ?
養ってんだろ?』

と息子に反撃しました。
それから、

『親に向かって子供がこんな口をきくのは頭がおかしいからだ、
こんな風に、おまえが育てたんだ!』と私を詰ったのです。

しかし、腹の決まった私にはすでに、
この、夫の数々のよくわからない屁理屈も、
昭和すぎる支配的なセリフのひとつひとつも、
私を脅かすエネルギーとしては受け取れず、
夫の発言のすべてが滑稽に思え、
もう、この先この人を尊敬できることはまずないと感じ、
夫婦関係の終わったことを静かに受け止めていたのです。

そして、

『違います、あなたはこの26年間、
私とコミュニケーションを取ることを放棄し続けて、
子どもたちとの間にもコミュニケーションをはからなかった、
その結果がこれなんですよ、
子どもたちを責めずに少しは自分を省みてください。
しかも、これが出来たのでこの二人は大人になれるんだよ、
良かったね、反抗してもらって、これをしなかったら、
この子達もあなたと同じように、
大人になってから子供を支配する大人になるところだったのよ、
だから私はこの出来事は悪い出来事とは思っていません。
よかったなって、思ってる』

と言うと、

『ハァ〜、またお決まりの先生様の説教か、
おまえの自信も大したもんだな?!』

と言いましたので、

『ええ、それで生計立ててますんで。
あなたさっきから人のことばっかり責めるけど、
コミュニケーションの取れない夫婦関係で26年、
私は一生を諦めることさえ決めていたんですよ、
私だってコミュニケーションのある夫婦関係が羨ましいなってずっと思っていたけど、あなたとの結婚生活を選ぶならそれは諦めるしかないんだって、
私だって覚悟決めてこの家に居続けたんですよ』

と言い返しました。
すると、

『ああそうか?!じゃあ離婚だな?離婚しかねぇな?
人のこと全否定しやがってムカつくな、
オマエらみんなムカつくな?離婚だな?離婚するか?!』

と今度は私にしつこく絡み、
詰め寄ってきたのです。

すると娘が、

『ママが妊娠したとき、
パパは堕ろせって言ったけど、ママは離婚してでも産むから、
離婚してくださいって、大きいお腹抱えて覚悟一回決めたじゃん、
そんなこと言って、離婚しないってしがみつくのは結局はパパの方じゃん!』

とまた泣いて、
しかし、

『おい、離婚すんのかよ?あ?話し合おうぜ、
今ここで話し合おうぜ!』

と夫はグダグダ絡みついてくるしで、

『もう、どっちでもいいや…』と呟きつつ、
割れたガラスを片付けていると、

夫は『コミュニケーションはかれないとか人のこと指摘して、
コミュニケーションはかれないのはお前の方じゃんか!
話の途中で逃げるなよ!?あ?コミュニケーション取るんだろ?
ほら、コミュニケーション取ろうぜ?!ほら?!』

と、絡み続けてきたのです。

その頃には、笑いさえこみ上げて、

腹の中では、


『自立しよう』


と、覚悟を決めていたのでした。





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息子が帰ってきてから、
毎日、楽しい時間が過ぎていきました。

五人分の食事をつくり、
五人分の洗濯をすることも、
腹の決まった私にとっては、苦ではありませんでした。

息子は何かと私を気遣い、
『何か手伝おうか?何かある?』
と毎日声をかけてくれて、
娘と二人でカラオケに出かけてみたり買い物に出かけてみたりして、
帰ってきて二週間も過ぎる頃には、
随分と回復したように見えるくらいでした。

その兆しを一番強く感じたのは、
私が自室で寝そべって本を読んでいる時に、
息子が部屋に入ってきて、
私の隣に寝そべって、私の足と自分の足をくっつけてきた時でした。

それから、私の背中に自分の背中をつけて合わせて、
スマホをいじり始めたときに、
思わず涙が出そうになりました。

息子は私の受け入れを肌で感じて、
そして私を許し始めてくれているのだと思いました。

心の優しい、繊細な長男のことを、
随分とひどい言葉で罵って、
いじめてしまった過去を思い出し、
あのことを許してくれるなんてと、
涙が出そうになったのです。

それを娘もまた肌で感じ取り、
私と、三人の子どもたちの、
見えない団結が強くなっていくのを感じました。
だめにしてしまった過去を、
取り戻していくような喜びがそこにありました。


恐れていたことが起きたのは、
息子が帰ってきて、
もうすぐ一ヶ月が過ぎるという、
ある日の晩のことでした。

発端は、台所で、いちごのお酒を作ろうと、
作業していた娘の手元を、
同じく台所で、タバコを吸う夫が、
ダメ出しをする為にじっと見つめていたときに巻き起こりました。

夫には非常に悪い癖があり、
他人の作業を、重箱の隅をつついてやるぜという気持ちで、
じっと見つめる癖があるのです。
その気持ちが最初からあるのかどうかは計り知れずとも、
結果として、夫がじっと見つめたあとに、
ダメ出しをしないことなど、ただの一度もなかったと、
それが私の、夫のイメージなのです。

それには私もこの26年間の結婚生活で、
他のどの癖よりも一番うんざりとさせられ、
そのダメ出しの連続で、子どもたちはすっかりといじけてしまったのです。

長男が五歳の時に、
家族でグアムに出掛けたときにも、
飛行機から降りて現地について、
夫の会社の人たちとみんなで最初の食事をした時に、
長男が食事を摂っている間中、

『ほら、皿に袖口が入っただろ?!
ほらまた、こぼすな!ちゃんと見ろ!
なんで袖口がいちいち皿に入るんだよ?!』

と、夫は長男をネチネチと責め立てて、
楽しいはずの、初めての海外旅行を、
私と子どもたちに恐怖のエネルギーでダメにしてくれて、
私達は、いきなり最初からくじけさせられてしまったのです。

スキーに出掛けたときも、
どんな時もいつもそうで、
旅先の楽しさを味わおうという段階になると、
子供たちが、夫の大事な大事な車に、
ちょっとカバンを当てたとか、
そんな小さなことで舌打ちが始まって、
車が傷つかなかったかを見に来て、
『…気をつけろよ!』と威嚇してくるのです。

朝、私が夫の弁当を作るときにもじーっと見つめ、
『ほら、こぼした!』と言ってみたり、
『よく見ろよ?!』と言ってみたりして、
朝から私の気持ちをくじけさせるのが得意分野で、
その他の時には、私達家族になど一切関心はなく、
テレビを見る位置に自分の椅子を固定して、
テレビをただ、ずーっと凝視しているだけの夫なのです。

長い間そうされてきた、
私と、子どもたち。

ついに娘が、溜まりにたまった、
長年の怨念を、夫にぶつけたのです。




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決意表明


3月になると、
一人暮らしをしながら大学に通っていた息子が、
一年間の休学届を提出して、
自宅に戻ってきました。

長い間、息子との間の行き詰まった関係に悩んできた私は、
息子の留守中のこの二年間に、
家の中で本当は何起きていたのかを考え、
そしてどうすれば事態は好転していくのかと、
日々、自分の中に答えを見つけながら毎日を過ごしていたのです。

息子を迎えに行く車の中で、
私は夫に宣言しました。

『あの子が、人間関係もうまく行かなかったり、
学校でイジメに遭ったりしたのは、
私とあなたが、家の中であの子を虐めたからなんです』

と言うと、夫は黙って聞いていましたが、

『俺、虐めたか…?』

と、怪訝そうな顔をしました。

夫に全く自覚がないことくらいは予測できていたことだったので、

『私から見たら、虐めていたし、
私は、虐めていた自覚がもうあります。
問題のある家庭では、
その家の中で一番優しい子供をそのターゲットにして、
親が、自分の中の抑圧された感情を解放したり、
癒やされたりするということが、
実際に起きているものなのです。
あなたも私も、親からイジメられて育ったのだから、
その抑圧された憤りを、あの子をいじめることで晴らしていたんだと思う』

と言うと夫は、

『俺は親から虐められていたなんて思っていない』

と一言、ムッとしたように答えました。

しかし、私から見たら、
夫は母親から虐められているように見えたのです。

『お義母さんが亡くなるときに、
あの子に悪いことしたって、お義母さん本人の口から聞いたから。
あなたがバイクに乗り始めた頃、お義母さんはそのことが気に入らなくて。
だから門限六時に決めて、
六時を過ぎたら家には入れないって厳しく言ったら、
ある日あなたがなかなか帰って来なくて、
見たら、あなたのバイクにかけてあるシートの下で、
バイクの上に寝そべった形で寝ていたって言ってた。
他にもたくさん、あなたにはすごく厳しくしすぎた、
悪かったって言ってたよ』

と私は夫に伝えました。

夫の母は典型的な、
『憎しみを、躾という正当化された形に変えて子供にぶつける』
というやり方で、夫を虐めていたのです。

しかし夫は、

『おふくろは、俺がスペクターに入った時は俺を叱ったけど、
あとの時には一度も酷いことなんてされていないよ』

と、私の話を全否定しました。

それでも私は引かずに、

『とにかく、いろんなストレスとか憤りを、
あの子にぶつけるやり方だけは、
もう繰り返さないで頂きたいんです。
私達が虐めてああなって、結局今回休学しなければならなくなって、
また家に帰ってきても居場所がなくて、
あなたに、おまえ将来どうするんだ、
なんでお前はこうもダメな奴なんだって、
ネチネチ追い詰められたら、あの子は一生をダメにするからね?
連れて帰って、また責め立てるつもりでいるでしょう?』

と夫に詰め寄りました。

『だって、いくつだよ?!
当たり前のことができなくて、
どうすんだよ?!もう大人だろ?!
何やらしても中途半端、
だったら俺にどうしろって言うの?』

案の定夫はそのようにキレ気味に答えましたが、
私の腹はもう、確実に決まっていたのです。

『夫という支配者に、
私の大事な者たちを、もう傷つけさせはしまい。
たとえ私が夫から嫌われても、今度は子どもたちを守る』

そう思ったとき、
半年前に師匠から、
『瑠史さんの腹が決まっているからもう大丈夫』
と言われたことを思いましました。

それに、プラスもマイナスもない世界に、
今の私なら、もうたどり着けるのだと言われたことも。

『あの子が何をやらせても中途半端になってしまったのも、
みんな私達のせいでしょ?
それをまた追い詰めたりしたら、
あの子は自立に失敗して、四十歳も過ぎる頃には、
鬱病を患い始めることになるよ?
そうなってからではもう何もしてあげられないよ?
いい?一年間我慢して?
一年間、何にもしないで家にいるだけのあの子を、
受け入れて?
最初の三ヶ月は、あの子が昼夜逆転しない生活で、
食事の時間に、家族の食卓についてくれることが目標です。
あなたが年がら年中、あの子のことをガーガー追い詰めるから、
あなたと顔を合わせたくなくて、昼夜逆転してたのよ?
家を出たのだって、親から離れたかったからなんだとおもう。
この家が自分の居場所、安心してそう思えるようになってくれるまで、
私は、もう、あの子と向き合えます。』

私は夫にさらに食いついて、
自分を主張しました。

『…わかった、三ヶ月だな?
でも、我慢できるかどうかはわからない』

と夫は答えましたが、

私の心が不安に襲われることは、
なぜかもう、なかったのです。




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初夢


初夢は、妹家族の帰った日の、
翌日の明け方に、
観音様からのお年玉のようにさり気なく、
しかし、大きな意味を持って、
私の無意識から湧き上がりました。


取り壊されてしまった実家の跡地を見に出かけるところからそのストーリーは始まり、

夢の中の私は、更地になった実家の跡地に佇み、

『おかあさん!』

と、母を呼びました。

『おかあさん!』

呼んでもそこには母はおらず、
ただ、風が吹き、私の心の中には、
後悔ともつかない切なさだけが、広がっていったのです。

『おかあさん、おかあさん!』

と呼びながら、
泣きながら目が覚めて、

ベッドの中でそのまま泣きながら、

「おかあさん」と実際に呟いてみました。

それはなんとも心地の良い言葉で、
その言葉を発する時の私の心そのものが、

私にとっての、大切な故郷なのだということに気付き、

こんなふうに母を呼んだのは、
一体、いつが最後だったのだろう、

と思いました。

布団の中で身を丸め、
「おかあさん、おかあさん」と呼び続けながら、
明け方の、静かな部屋の中で、
三歳になった次男を抱きしめ、
心地よく、泣いたのです。


涙が乾くと、私は、

『母を赦せた』

と思いました。


母を受け入れることが、

母をゆるすこと

だったのです。


その気持ちの良い夢を見た後、
父方の祖母が危篤状態なのだという知らせを受けました。

その報告の連絡を父から受けたときに、

『お祖母ちゃんは、いつも、
たくさんの孫の中からお前のことを一番心配していた。
あの旦那さんで、あの子は本当に幸せになれるのかと、
あんなに旦那さんにいつも気を遣っていて、
大丈夫なのかと心配していたんだよ。
もし、結婚生活が辛いなら、
お父さんがお金を出してあげるから、
何かあればいつでも相談しなさい』

という話をされ、

しかし最後に父が、『自立してね』と付け足したので、
私は突然に、暗い気持ちになりました。

『自立』

ここまで、出家までして、
自分の力でお金を手に入れるようになったのに、

父は何を言っているのかと腹が立ったのです。

いつになったら私を認めてくれるのか、
腹立たしく感じた私は、言葉を濁して電話を切りました。

しかし後日、父の言ったその言葉の意味を、
結局私は、

痛烈に感じることになったのです。







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復活


『悪因縁断ち切り』を、
新年の護摩祈願の願い事として師匠に郵送すると、
あっという間に年末が過ぎて、正月がやってきました。

年末に父が母を迎えに来て、
年を越す前に北海道へと帰って行ったので、
両親のいない正月を、妹夫婦を自宅に呼んで、
一緒に過ごしました。

母を迎えに来た父が年末に一度だけ私に会いにやってきて、

『お母さんがお前たちにしたことのせいで、
あなた達姉妹の人生が大変だったことを、
本当はお母さんは誰よりもわかっているのだけれど、
それを直視できないんだ。
そのことから逃げて逃げて逃げて、
こうなっているんだよ』と、言いました。

直視できないことを母に投影しているけれど、
それは父も同じで、父もまた逃げて逃げて逃げているのだと思いました。

父がそんな話をしてきたということを、
妹にも伝えようと思いながら、
正月の二日に、妹夫婦を迎えました。

妹の夫がたくさんの料理を作って持ってきてくれたので、
妹と二人で台所で楽しく皿に盛り付けていると、
ローストビーフを切っていた妹が、

『私、肉を切っているとすごく辛い気持ちになるの。』

と言いました。

『小学生の時にお楽しみ会が開かれてね、
親子で料理するという会だったんだけど、
私の班が、男子二人と私だけになって、
その時、男子二人には母親がついていたの。
でもうちは、そんなのに来てくれるようなお母さんじゃないでしょ。
私は一人だった。』

肉を切りながら妹は話し続けました。

『誰が何を切るのかを決める段階になって、
男子二人とそのお母さんたちが野菜を切って、
私には肉を切れと、鶏肉を渡してきたの。
すごく切りにくくて手が痛くて、
なんで大人がついてる男子二人が野菜で私が肉なの?って思った。
でも言えなくて、それ以来肉を切るたびにそれを思い出して、
すごく惨めな気持ちになるの。』

と妹は言いました。

母からイジメられていた私は、
ずっと、妹は母からお人形のように可愛がられて、
愛されているのだと思い込み、
長い間、妹に嫉妬さえしていたのです。

その、寂しいお楽しみ会の風景が思い浮かび、
心がギュッと縮まるような、切ない気持ちになりました。

妹は、こうした『辛かった出来事』を、
当時は自分から打ち明けてくるような子供ではなかったのです。

妹の苦しみにも気付かずに、
自分だけが辛くて苦しいのだと思いこんでいたことを、
今更ながらに反省し、でもどうにもできなかった過去の自分を慰めました。

そして、やっと妹が辛い気持ちを話してくれるようになったこと、
辛い気持ちを打ち明けられる姉に、
私自身が成長できたことを喜びながら、
家族みんなで過ごせる、豊かなひと時を楽しみました。

人生を生きる中で、これよりも嬉しいことは何もないのだということを、
私はもう、今では充分に知っているのです。

父からも、逃げて逃げて逃げているのだという、
妹よりは遠回しな告白のあったこと、
みんなが少しずつ私に心を見せ始めてくれていること、
これを自分の成長と捉え、
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

みんなが私に『安心』を感じ始めてくれている、
みんなが私を『信頼』し始めてくれているのは、
私自身が、みんなを信頼し、その関係の中に安心できるように、
回復し始めているのだということなのです。

それは、私が再び他人を愛して信頼できるくらい、
自分自身を信じて愛することのできるくらいに、
死にかけていた心が『復活』し始めているのだということなのだと、
とても、喜ばしい気持ちでいっぱいになりました。

すると、その翌朝に、
とても素晴らしい夢を見て、
それが、今年の初夢となったのです。



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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

ホームページを開設しました。メール相談、布小物販売など、こちらからどうぞ。

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