真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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お彼岸の墓参りを済ませると、
二歳半になった次男が、
『三年経った!』とことあるごとに口癖のように呟くようになりました。

外を散歩している時にも、
家の中で積み木を並べて遊んでいる時にも、
『三年経った!』と言いながら遊ぶ次男を見て、
『それ、何なの?一体何から三年経ったのよ?』と、
娘も笑いながらそのたびにツッコミを入れるので、
私も一緒に笑っていたのですが、確かに一体どこで覚えた言葉なのか、
その一言に大事なメッセージが込められているような気もして、
聞き流す気持ちにもなれずにいたのでした。

すると、ある晩に夢を見たのです。

夢の中で私が、母の実家である本家の居間で、
なぜか一人で留守番をしているところからストーリーは始まりました。
そこへ、実家の隣家の、例の従兄弟がやってきて、
祖父と祖母の仏壇に一万円を供えて手を合わせました。

『ここから出ていくことになったから、
最後に手を合わせに来たんだ』と従兄弟は言いました。

一万円も仏壇に供えるなんて、
この子には昔からこういう優しさがあるんだよね、
やっぱりこの子は悪人にはなりきれないところがあるから、
などと心の中で思いながら、
私はなぜか本家の台所の炊飯器から、茶碗にご飯を盛っていました。

次の瞬間、私は実家の、観音様のお祀りしてある部屋の中にいて、
そこへ、今度は隣家の伯父(従兄弟の父親)がやってきました。
伯父は、息子がついに家を出て行ってしまうと、
慌てて私にそれを相談に来たのです。

『でもね伯父さん、大人なんだから家を出て当たり前なんだよ、
引き止めたりしたら、いつまでもお互い自由になれないでしょ』
と私は、本家の炊飯器から盛ったご飯を片手に持ったまま、
伯父を諭しました。

そこで目が覚めて、私はあることに気がつきました。

『三年経った』とは、私自身が出家得度して丸三年が過ぎたのと同時に、
隣家の従兄弟が中学生の時に、イジメによってなくした例の友人を、
師匠のお寺で供養し始めてから、ちょうど三年が過ぎたのでした。

もしかしたら、その供養によって、
隣家の従兄弟が何らかの呪縛から解かれて、
動けるようになったというお知らせの夢だったのかもしれないと思いました。

今年40歳になる従兄弟にとって、
その事件が起きてから25年の月日が過ぎようとしているのです。

辻褄の合わない夢の内容と、
本家の炊飯器から盛った白いご飯の生々しさを思い出しながら私は、
師匠のお寺から届いた、施餓鬼会の供養の申込書を広げてみました。

七月の施餓鬼会、
八月の地蔵盆、そして九月のお彼岸と、
一年のうちで一番、あの世との交信の深まる季節が、
今年もまたやってきたのです。

本家の炊飯器でご飯を盛ったということは、
母方の先祖の施餓鬼は今年も必要なのだということと、理解しました。

また、隣家の従兄弟の問題も、
夢の中では解決に向かっていたものの、
今年ももう一度、亡くなられた生徒さんの名前を書いて、
供養を申し込むことにしました。

それから、私のところへ相談に見える方がたくさん増えましたので、
その、皆様に向けて、
有縁無縁三界萬霊に向けて、ご供養を申し込みました。

一文字一文字に、想いを込めて書きながら、
今年の夏に、妹がパートナーといよいよ新しい生き方を決心して、
お店を開店することになったことに、思いを馳せました。

妹の流産からはこの夏で二年が過ぎるのですが、
それと、従兄弟のことと、未浄化の先祖霊のことと、
すべてがひとつにつながっているように感じたのです。

二年前に妹の自宅にお地蔵様がやってきて、
その後妹は妊娠して流産してしまったのですが、
『妹さんに決心させる為にやってきた赤ちゃんだった』と、
あの時、師匠は何度も私に言ったのです。

全部がバラバラの、それぞれの出来事のように思えていたけれど、
本当は、全部が繋がっている、一つの出来事からの分岐に過ぎないのではないかと、
そんな風に思いながら供養の申込みを書きました。

先祖供養という、漠然とした、
よくわからない『行』をこれまで続けてきましたが、
それは多分、『結果』を変えるための『原因』に手を付ける、
根本的な治療のようなことだったのではないかと、
自分や周りの変化を見て、感じるようになったのです。

原因があって結果に繋がる、
原因があってまた結果に繋がるという、
因果の法則の中を、前後の鎖をひとつずつ結びながら、
自分は生かされてきたのだと感じて、

自分だけが幸せになるということは、
その法則のことを考えると決して有り得ないことで、
このように、幸せになるときには、
とても広い範囲に飛び火して、
縁のある人全員で、一緒に幸せになるようにできているのだと、
確信したのです。



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カラス


母との距離を置いて、
自分自身に『合掌』のできる気持ちに変わると、
また展示会の話が舞い込み、
毎日毎日、出店する作品造りの作業に追われました。

自宅に見える相談者の新規の方が増えたり、
インターネットでのメール相談に至っては、
毎日のように仕事が入り、
二歳児の世話をしながらミシンに向かい、
子供の昼寝の時間にはメール相談に答えるという、
忙しい日々を送りました。

忙しい私に向かって、
娘が『すごく怖い夢を見た』と言ったのは、三月の初めの頃のことでした。

『夢の中でバイト先の本屋のレジに立っていたら、
花を届けてほしいというお客さんがやってきたので、
花?どこにですか?と訪ねたら、
畑に決まってるでしょ!と怒鳴られて目が覚めたの。
すごく気味が悪かった。』
と言ったのです。

畑に花を届けるというその夢の内容を聞き、
真っ先に浮かんだのは、
実家の向かいにある、本家の畑のイメージでした。

そういえばもうすぐお彼岸だなと思いつつ、
一瞬ゾッとしたものの、
忙しい日々の中でそれを無視して働いていると、
今度は妹から電話がかかってきて、

『すごく怖い夢を見たよ、
夢の中で、電話でうちに大量のまんじゅうと焼き鳥の注文が入って、
お地蔵様の仏壇に紙包みが置いてあったから、
なんだろうと思って裏を見たの。
そしたらお墓の絵が描いてあって。
お墓の絵を見てゾッとして、
しかもその紙包みを開けたら、中からお線香が出てきて。
そこで目が覚めたの。
ね、お彼岸最後の日だけど、今日お墓参りに行かない?』

と、墓参りに誘われたのです。

「絶対、まんじゅう買ってこいってことなんだよ」

と妹が言い、

『花も注文入ったみたいだから』と私も言い、
お花とお饅頭、そしてお線香を持って、
本家のお墓に向かいました。

「でも、焼鳥も一本注文入ったんだよなぁ。
焼き鳥はどうする?」

と妹に訊かれたものの、
わざわざ焼き鳥を買う為に、
スーパーマーケットに寄る事を面倒に思った私は、

「焼き鳥は諦めてもらおう。
お饅頭だけでいいでしょ」と答えると、
妹も頷いたので、お饅頭やさんの前から車を発進しました。

すると、ガガッと音がして、
私達を乗せた妹の車が、縁石に擦り上げてしまったのです。

「うわぁ、焼き鳥買わないって言ったからだ、
祟りだ、先祖の人が、焼き鳥注文した人が怒ったんだぁ!」

と慌てる妹をなだめつつ、お墓に向かいました。

墓場に着くと、誰もいないのにざわざわとしていて、
連れてきた愛犬が車から飛び降りて、
そこら中に吠え立てながら走り回りました。

人がいなければ決して吠えないうちの犬を見て、
「…誰に吠えてるの…?」と妹も訝しがりながらも、
水を汲み、まずは本家の墓石の前に立ちました。

本家の墓前に花と線香を手向けて手を合わせ、
まんじゅうを備えると、
今度は実家の隣家の伯母の、
例の、死産した水子の墓前へと移動しました。

墓石に掘られた、子供の命日を見た妹が、
「昭和48年12月」と声に出して読み上げ、
「あれ?お姉ちゃんの誕生日は?」と尋ねてきたので、
「昭和46年12月」と答えました。

「そうなんだ、同じ月だったんだね。
それは、お姉ちゃんの誕生日が来るたびに、
伯母さんにとってはこの悲しい出来事を思い出す月でしかなかったのに、
お姉ちゃんが三歳になれば、生きていたら一歳、
生きていたら二歳と数えながら…
うちのお母さんを恨んだんだね。あとお姉ちゃんのことも。」

と言いました。

更にいうなら、妹の誕生日もまた12月なのです。

妹が誕生した時には、
この子は亡くなってちょうど五年目、
五年目の同じ12月に、伯母にとっては義妹にあたる母が、
隣家で子供を産んだのですから、
今現在、母と伯母が隣同士に住みながらこの上なく憎み合っている原因は、
ひとつずつ少しずつ、積み重ねられてきたのに違いないと思いました。

この子供はただ死んだだけなのではなく、
祖母が毎朝早朝から伯母の家に通い詰め、
『この家と土地をくれてやったのはこのオレだ』と恩着せがましく押し付けて、
伯母は『おばあちゃんのストレスでお腹の子供は死んだ』と言っていたのです。

そして死産した子供を伯母に内緒のまま、
祖母は勝手に墓を掘り返して赤ん坊を埋め、
伯母は死産だったことも知らされないまま、
なぜ赤ちゃんの顔を見せてもらえないのかと不思議に思いながら、
入院生活を続けたのです。

「それに対してお母さんといえば、
おばあちゃんが勝手にやったのよ、
私は知らない、私には関係ないわよ、なんなのよ?!
って食ってかかってくるばっかりで、
とにかく関係ないの一点張りだったんだよ」

と私は墓前で妹に答えました。

「お母さんならそう言うね、
おばさんにしてみればお前ら母娘だろ、
連帯責任だぐらいに思ってるのにね。
お姉ちゃんもついでに恨まれたに違いないね」と妹は答え、
私たちは墓前で深くお辞儀をしながら手を合わせたのです。

『全ては因果の法則通りに起きたことなのだ』と思いながら、
次に、本家のまた上の本家の墓前へと移動しました。

そこは、母たち兄妹が分け与えられた土地の、
大元を所有していた、祖父の両親、その兄弟たちの墓で、
大きな敷地にはいくつもの墓石が建てられ、
お地蔵様も祀られていました。

本家の墓と水子の墓とは雰囲気がガラリと変わり、
その墓前はざわざわと賑わっているように感じました。

「ここにみんな集まってる」と感じた私は、
妹と二人で、墓前で般若心経を読みました。

目を閉じると、古い大きな家の居間に大勢の先祖たちが集まっていて、
ちゃぶ台の上には大量のまんじゅうとお茶が置いてあり、
爺さん婆さんおじさんおばさん、その周りにはパタパタと、
子どもたちが走り回ってる様子が浮かびました。
みんな飢えていて、まんじゅうとお茶をガツガツと飲み食いしながら、
私と妹の読経に耳を傾けていました。

『死んだら仏様になるというのは嘘なんだ、
生きているときと同じ、その延長に死後の世界は続いてる、
次元が移動するだけで、この人たちは生きていたときとあまり変わっていない』

と感じながら、読経しました。

全てをすっかりと終え、
妹が『本家のお墓に備えたお饅頭回収してくるから先に行ってて!』と言うので、
息子と犬と、先に車に戻っていると、
妹が、『お姉ちゃん、怖いよぉ!』と言いながら走ってきたのです。

「お饅頭がひとつもなかった、一つも残ってなかったの、
全部食われた!」

と妹が言うので、「なに?!先祖に?!」
と驚いて答えると、

「いや、カラスに。」

と妹が答えたので、
「なんだ、カラスか」と笑ったものの、

飢えた先祖たちがカラスに姿を借りて一斉に饅頭に群がる様子を、
妹と私は言葉もなく、否応なしにリアルに想像してしまったのです。

頭上にはカラスが飛び回り、
人っ子一人いない墓場には、
夕闇が迫ろうとしていました。

ふいに、「水子を掘り返すために、
もう一回墓を開けるのは本当に嫌だった」と言った、
本家の伯父の言葉を思い出しました。

「日が傾く前に帰ろう」と退散した車の中で、
「焼き鳥のこともう諦めたかな?」という妹の呟きに笑いながら、
私たちは、お彼岸の大切な仕事を終えたのです。


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合掌


母を観音様に預けると、
母を、どこか遠くの学校のようなところに、
留学させたかのようなイメージを持つことができるようになりました。

母の人生を、自分の人生とは別の人生と、
割り切れるようになりました。

これまでは、
窮屈な一人乗り用のボートに、
母も連れて一緒に乗り込んだ私が、
自分一人で舵を取り、常に不安な思いに苛まれているようなイメージを懐き続けてきたのです。

母は私の苦労など顧みずに、突然感情的になっては、
船の上で暴れて私を巻き込み船ごと沈没させようとしていて、
自分のせいで船が傾いてしまうことにさえ気付かないでいるのだと、
母に対しての不安と憤りを、
私は常に抱えながら生きてきたのです。

母を自分の船から降ろさなければ、
沈没して溺れるのは私だけでなく、
母も同じだったのだと思いました。

迷惑なのは私だけでなく、
母にとっても迷惑な話だったのです。

母を守ろうと思ったり、
必要以上に疎ましいと思ったり、
向けた愛情に答えてくれないことで腹を立てたり、
一人乗り用のボートの上で感情的になり、
船を沈没させようとしていたのは、私も同じだったのだと思いました。

母には母の人生があり、
母を守る存在や、サポートする存在がついていて、
母の人生には母の人生という完成されたシナリオがあって、
それ自体が神秘的で神聖な、宇宙の一部なのだということに気が付きました。

そこに手を加えようとしていた私の行動は、
親切を通り越して、おこがましいというものだったのです。

たとえ母が刃物を持って隣家に突撃して、
乱闘になって、テレビで報道されたとしても、
それも、宇宙の仕組んだシナリオなのですから、
責任を取るべきは私ではなく、創造主にあるのだと思いました。

そして、もし母のことで私が被害にあったとしても、
それは私の人生のシナリオに組まれたことであり、
私の解決しなければならない宿題であり、カルマなのだということなのです。

そんなことを心配して母をコントロールすることばかりを考えるよりは、
私自身の日頃の行いをもっとよく反省し、
自分を成長させることの方がずっと大切だということに気付きました。

母を私の船から降ろし、
母を、一人の人間として尊重せずにいたことを、
イメージの中で反省して謝罪し、
母には、母専用の金色のボートに乗ってもらいました。

私はこれまで母を一度も信頼したことがなく、
母のような厄介者は地下牢のような見えない場所に閉じ込めて、
厄介事を起こさないように、人目に触れないように、
私の人生に迷惑のかからないように、
消してしまいたいとさえ思い続けていたのです。

『あんたは私をバカにしている』と、
母によく言われていたことを思い出しました。

『バカになんてしてないよ』と答えてきた私でしたが、

『バカにしていたんだ』と気がつき、認めました。

私は母をバカにしていたのです。

思えば、母に似た人を見た時も、
その人たちを心の中でバカにし続けてきたことに気が付きました。

バカにしていただけでなく、
自分の支配下に置いてコントロールしようとしていた事にも気が付きました。

母を私の船に乗せていたのも、
私よりもバカな母という女を、
支配下に置いてコントロールしたいと目論んでいたからなのだと思いました。

私は自分の傲慢さに気が付き、
むしろ、その傲慢な考えこそが、
愚かでバカな考えだったのだということにも気が付きました。

人は誰でも全員平等なのだということに、
完全に気付いてしまった今、
もう元には戻れない自分に生まれ変わったことを、
認めるしかなくなってしまったのです。

この世界に優れた人というのは存在せず、
劣った人という者もまた、存在しないのです。

これまでは、そう考えるべき、
という理想論であったその思想が、
単なる理想的な思想でも綺麗事でもなく、
それが宇宙の真実であり、法則なのだということに気が付いたのです。

人ひとりの人生は、
マザーテレサの送ったような人生でも、
ヒトラーのような人の人生でも、
それ自体が、宇宙に浮かぶ一つの星と同じ完成度を持った、
すべてが平等な、神秘的な存在なのだと思いました。

人をバカにしていた私は、
例えて言うなら、何も知らない赤ん坊と同じだったのです。

お寺に通い始めた頃に、
私がお寺でひと通りの愚痴を話し、
お茶をご馳走になり、満腹になって駐車場から車を出すと、
ご住職様も副住職様も兄弟子様も、
皆さんが揃って、
私の車が見えなくなるまで私に向かって手を合わせ、
合掌で見送ってくれたものでした。

その時の私の心境は、
『私のような悪魔みたいな人間に合掌するのはやめてくれ、
イヤミか、お前にも仏がいるんだぞと皆で圧力かけてるつもりか』と、
ご住職様たちの合掌に、
目も合わせることのできない思いで、
アクセルを踏み込むばかりだったのです。

私はついに、全ての人の中に仏様の存在することを、
認める時を迎えたのだと思いました。

私が、母よりも誰よりもバカにしていたのは自分自身のことで、
自分の中に仏様が存在するということを、
どこか信じきれずにいたのです。

出家して、この春で丸三年の月日が流れ、
やっと私も、私自身に合掌を向けてくれたご住職様たちと共に、

自分自身に対して、
手を合わせることができるようになったのだと思ったのです。



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金色の光


母が引っ越しを迷っている、
ということを妹から聞いてから、
自分がまた少し、自由に近づいたような気持ちになりました。

何をしていてもどこにいても、
常に私の心の中には『孤独な母』が居座り続け、
母のことを完全に忘れ去ることを許さないのでした。

母は寂しさが限界を超えると厄介事を起こし、
私を実家に連れ戻すという地道な作業を、
私が家出をしてから実に四半世紀の間、
繰り返してきたのです。

しかし今になりその『イベント』の裏側にある、
私の気付かなかった方の、
もうひとつのカラクリに気付いたことで、
私は、母との間にずっと続けてきたゲームを、
いよいよやめることができたのだと思いました。

寂しさが限界を超えると厄介事を起こして私を呼びつけていた母は、
私の寂しさが限界を超えたのを本能的に感じて、
私の為にイベントを起こし、私を実家に呼び戻していたのです。

寂しさが限界を超えていたのは母の方ではなく、
むしろ、私の方だったのです。

私は、リアルに、
母があの家を引っ越して、
実家が取り壊され、更地になるところを想像してみました。

それが現実になることを止めているのは、
私自身なのだと、私はもう知っていて、

母親を卒業できないのは母ではなく、
むしろ、私の方なのだと、気付いているのです。

『自由になりたい』と思いました。

母にも自由になってもらいたいし、
妹にも娘にも、父にも夫にも息子にも、
皆に自由に、幸せになってもらいたいと思いました。

すると、ある新しい考えが閃きました。
まるで温泉の湧くように、
私の中から生まれたその考えは、

『母を観音様に預けよう』

というものでした。

今日も母はあの家で一人で過ごしている、
夫に去られて友達の一人も持たずに、
親兄弟から嫌われて、実の娘からも捨てられて、
あの家でたった一人、孤独な朝を迎えて、
頭の中の声だけが母の相手をして、一日を終えるのだ、

というイメージが毎日私を襲い、

罪悪感から、今日こそは母に、
せめて電話の一本をかけなければと、
そういう『重荷』を背負い続けて、
私自身の人生は、ついに人生の中盤を超えてしまったのです。

しかし、母が一人だと決めつけていたのは、
私の視野が狭かっただけで、
実家には観音さまが入り、
そろそろ10年の月日が経とうとしているのです。

『そうだ、母には観音様がついている。
観音様に、母を預けよう。』

突然そう閃くと、
イメージの中で、実家の観音様から、
ブワーッと、金色の光が堰を切ったように一気に溢れ出し、
実家全体を包み込み、サンサンと輝き始めました。

それが私自身の妄想なのか、
霊視だったのか、
戸惑いの方が先に起きてしまったものの、
実家の観音様をいつイメージしてみても、
暗い家の中でぼんやりと佇んでいる姿しか視たことがなかった私は、
どちらにしても、観音様の光を止めていたのは、
私自身の心の在り方のせいだったのだと反省したのです。

例えば私のしてきたことは、
子供を保育所に連れて行き、
そこのスタッフを信じることが出来ずに、
保育所で、一日中子供に付き添うようなものだったのだと思いました。

実家の観音様は、
私の為に入るのだと、一番最初に言われたのです。

母の奇行について、
何度お寺で相談をしても、
私の仕事は母を見張ることではなく、
自分の人生を生きることなのだと、
何度も言われたのです。

観音様は、私の代わりに母を助けるために、
実家にやってきてくれたのだと、
今になりようやく理解できた私は、
母を観音様に引き渡したくなくて、
やはり私の方が母に執着をして、離さずにいたのだと、
気が付きました。

『母を観音様にお願いしたいと思います。
決断するまで10年もかかってしまいましたが、
母を、どうぞよろしくお願い致します。』

私は改めて、
自宅の十一面観音様の前で、
心を込めてお経を唱えました。

観音様は、私が自分の口から言い出すのを、
ただじっと、待っていたのだと思いました。

母は暗闇の中に置き去りにされているのではなく、
観音様の足元で、
金色の光に包まれているのだと思うと、
なぜか母が、とても遠くに行ってしまったように感じました。

それでも、その日を境に、
私の心が妙に静かに落ち着き、安定し始めて、
母ではなく、まるで私自身が金色の光に包まれているかのような、
幸福感に満たされていくのを感じることになったのです。




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自由


母がうちに一人でやってきて、
私に「引っ越したい」と愚痴をこぼした翌日、
妹から電話がかかってきました。

「お母さんが急に引っ越したいとか言ってきて、
明日不動産屋に行くことになったんだ。
実家を売ってマンション買いたいって。」

妹にそう言われ、
私が母を突き放したことは、
やはり良い方向に向かって進み始めたのだと思いました。

年末に血を吐いた母に共鳴した私が、
今年の正月には、実家ではなくうちに皆を集め、
毎年恒例の『ゲーム』の行われるのを回避したことで、
母の中でもやはり変化が起き始めているのだと思いました。

しかし、その翌日になるとまた妹から、
「お母さん、今日になったら急に寒気がするとか言い出して、
不動産屋に行くのはナシになった。逃げられた。」
という連絡が入り、

以前師匠が、
霊的な因縁の強い土地に住む者は、
普通はなかなか引っ越せないものなのだと言っていたのを思い出しました。

そのまた数日後に、
改めて母に電話をかけて様子を探ると、

「不動産屋に行こうとした日は27日だったの。
たくさん声が聞こえてきて、
まるで家に縛り受けられるような感じになって、
すごく怖くて寒くて具合が悪くなったの。
畑に、本家の兄さん夫婦が来ていたんだけど、
兄さんも義姉さんも畑からうちに向かって、
ずっと怒鳴りつけているし、
とにかく怖くて、家の中で動けなかったの」

と母は言い、

「あんたが、何か起こる日はいつも27日だって言ってたじゃない。
あの日もやっぱり27日で。
でも、いつも怖くなるのが2月の終わり頃からで、
3月が一番ひどくて、次に怖くなるのがいつも9月なの。
3月と9月さえ気をつけていれば、
あとはだいたい大丈夫なのよ」

と言いました。 

たしかに、27日には毎月、
奇妙な、不吉なことが起こり続けているのです。

確信は持てずにいるものの、
実家の隣家の従兄弟の起こしたイジメの事件で、
亡くなられた生徒の命日が、
3月27日なのではないかという考えが、
母の話を聞いているうちにまた過りました。

また、母の言う3月と9月というのは、
どちらもお彼岸の供養の時だとも思いました。

結局母は、
父と一緒に精神科へ出掛けていき、
精神薬を飲み始めたところで吐血したことから、
それ以降、一度もその病院には通院していないのです。

それどころか、
吐血した母を病院に見舞った日に、
「あの薬は、実は一回も飲んでないの。
お父さんには黙ってて」と告げられ、
母が本能的に、
精神薬に危険を感じて、
初めから薬を受け付けていなかったこともわかったのです。

母はあの家で一人、
みんなのカルマを引き受けているのだと思いました。

それが、母の『選択』なのだと思うようになったのです。

母のことを師匠に相談する度に、

「お母さん、全部を一人で引き受けていて、
大変ですね。」

と師匠に言われたものでした。

その頃にはその言葉の意味が全く理解できず、
それに振り回されている自分の迷惑のことばかりに気を取られ、
『大変なのは母よりも私の方なのに』と、
私の味方をしてくれない師匠に対して、
腹の立つ思いさえしたものでしたが、
今は、私にもそれがわかるようになったのです。

床下に大金を隠し持って、
その大金を守るように、床の上に直に横たわり、
秘密を一人で握っていた、
夢の中に現れた伯父の『想念』にしてみても、
同じことが言えるのだと思いました。

伯父は実の兄弟から『あいつは金の亡者だから』などと悪口を言われていましたが、
伯父が単体的に悪いということでもなく、
そういう『想念』の積み重なった因縁の土地に、
母も伯父も、兄妹で縛られているのだと感じたのです。

誰一人幸せでなく、
誰一人として、自由ではないのだと思いました。

そういう歴史が積み重なった土地で、
母も伯父も、
先祖からの想念に負けてしまっているのです。

もし母が本当に、
親と兄弟の象徴である実家を捨てることができたら、
もし、自らの意志で自由を選択することができたら、
みんなそれぞれの人生が、
大きく変わるのだろうと思いました。

そして、
そのために私のできることは何かと考えると、
私自身があらゆる物質的なものに執着せず、
もっともっと、自由になることでしかないと、
思ったのです。


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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

個人セッションのお申し込みはコチラまでメールにてお願いいたします。
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