真言宗のお寺で出家得度して尼となり、修行を続けながらの自分自身の心の成長を綴っています。

かんのんいんブログ

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負の遺産


妹のお店には、予約のお客様との約束の時間よりも、
二時間も早く到着してしまいました。

新しいお店の中で妹と二人、
子供のようにはしゃいで、
新しいインテリアや、セッションのための個室の、
シャンデリア等見せてもらいながら、
二人で時間を過ごしました。

お店のオープンの直前に、
妹が実家に出掛けたときのトラブルについて、
そのときに詳しい話を聞くことになりました。
そんなことがあったのだと遠巻きに聞いてはいたものの、
引っ越しが決まるまでの間、
妹は毎日片道二時間かけて店の手伝いに通うようになっていたので、
私達はゆっくり会って話をすることができずにいたのです。

妹がお店のオープンの直前に実家に出掛けた時、
帰りがけに実家に忘れ物をしたことに気付き、
もう一度車を降りて家の中に入ろうとすると、
母の罵声が家の中から聞こえてきたのだと言いました。

『最初、なんの声かと思ったんだけどお母さんで。
隣の伯母さんの名前を叫びながら、
うるせーッ!!て喚き散らしてたんだよ。
私たちに見つかると怒られるから、
いなくなった途端に隠れてやってたの。現行犯逮捕できたって感じだったよ。
そしたら隣の伯母さんが家から出てきて実家に押しかけてきて、
私のこと睨んで「お母さん病院連れてってるの?薬飲ませてるの?」って、
いきなり詰め寄ってきてさ。
「毎回警察呼んでいいの?警察呼ぶからね?」とか言うの。
呼ぶからねって脅してきたけどどうせ毎回呼んでるじゃんって思ってさ。
忠夫さん(母の兄・仮名)は腰を悪くしてもう立てないんだよ、
だからノブちゃんに攻撃なんて何もしてないしできないのよ!」って、
途中からはお母さんに向かって言うからお母さんも興奮しちゃって。
なんだか伯母さんに謝りたい気持ちにもなれなくて、
とにかくわかりましたから今日のところはお引き取りくださいって、
家に追い返したの。』

と妹は言いました。

新しいお店に、師匠が郵送で送ってくれた小さな金色のお地蔵様を見て、
『たしか前回もお地蔵様の入る直前に隣とのトラブルに巻き込まれたよね?』
と私は妹に確認しました。

ああ、そうだっけ?と繋がらない様子でしたが、
妹は引っ越しの前日に、
交通ルール違反で警察に捕まってもいたので、
これはまた新しい喜びを受け取る前の『カルマ落とし』だったのだと思いました。

自分が出家する前の二年間、
自宅の隣人がベランダに立って、
私を名指しで罵詈雑言を喚き散らすという、
恐ろしい毎日を過ごしたことを思い出しました。

出家の前の年には、それまで十年間一度も捕まったことのなかった私が、
三回も警察に捕まって、合計三万以上罰金を支払うことにもなったのです。

妹と私が姉妹だからパターンが似ているだけなのかもしれませんが、
過去に自分自身の作った『負の遺産』を、
必ずそうした形で精算してから次のステップに入れるシステムになっているのと、
また、幸せを受け取ることに対する罪悪感が引き寄せるのと、
二つの無意識的な働きによるトラブルなのではないかと感じたのです。

負の遺産はなるべく作らないに越したことはないと、
私は身を持って深く体験していることから、強くそう思うのです。

実家に観音様を迎え入れてからもうじき十年目を迎えるのですが、
あの日のことをふと思い返した娘が、

『何と言ってもバァバの家に観音様の入った晩に見た夢よりも、
すごい夢はその後もその前も見たことがない。
不思議のものは見たことはないとなるべく思いたい私だけど、
あれだけは不思議体験と認めるよ』

と言ったのを思い出しました。

『隣で寝ていたお母さんの周りに不思議な空間ができていて、
お母さんの両隣と背後にズラーッと、金色の仏様が立っていて、
みんな足元が泥で汚れていたんだけど、
今回観音様が入ったことで発掘されたんだと夢の中で言われたの。
あの頃お母さんは、出家したら先祖七代と子孫七代が救われると頑張っていたけど、
七代なんてものではなかった。
多分あの仏様の数からすると、先祖三十代以上は超えていたと思う。
多分五十体とかそのくらいの仏様がお母さんを取り囲んでいたからね』

と娘に言われたので、

『私、死んだら少しは守護霊たちから褒められるかな?』

と尋ねると、

『褒めてもらえるんじゃない?
でも今回の観音様とか出家とか、殆どはお母さんの作ってきた、
負のカルマの精算だったからね。あんまりプラスにはなってないかも。
借金返済が終わることくらいは確実だと思うけど』

と娘は笑いました。

確かに観音様の入ったあとに私は、
自分自身の遺体の入った棺桶を持ってこられた夢を見たことがあり、
夢の中で、実家の聖観音様の前にその棺桶が置かれて、
『ここにはお前自身の遺体が入ってるが、
エネルギーが強すぎてまだ動くので、
動いて復活しないように、これを一晩中見張っていなさい』と、
持ってきた人からそう言われて、自分の死体を一晩中見張るという、
そんな不思議な夢を、ある年の正月に見たのです。

その棺桶が暗い部屋の中でガタガタ動き、
自分自身のその遺体の生前の生き方が想念で伝わって来ると、
藁葺屋根の大きな家の中に前世の私が居て、
その私は他人に呪いをかける呪い屋をやっていて、
仕事が一つ成功する度にエコーのかかったような高笑いをして、
勝ち誇り、人々を震え上がらせていたのでした。

その夢の話を師匠に聞いてもらった時、
『まだ動くんですね。油断しないでください』と一言返されて、
それが自分の前世の生き方だったのだと認めざるを得ませんでした。

その時の話をもう一度娘にすると、
『怖っ!!高笑い!?
お母さんらしいね!
その精算しなきゃならなかったんだ、
それでこんなに大変な人生なんだね。
出家できてよかったね、たくさん呪いをかけたから、
今度は人の呪いを解く仕事してるんだね』

と娘は爆笑したのです。

そうした背景があってこそ、
負のカルマはなるべく作らないほうが良いと、
今では本心からそう思うので、
前世の私と同じエネルギーを漂わせている人を見れば、
その人のために親身になって忠告したい気持ちになるのです。

杖をついて歩くのは大変だし、
因果応報、輪廻転生という二つの法則のことを日々考えながら、
自分に必ず返ってくるものとして、
みんなに幸せになってもらいたいと、
あの時人の不幸を高笑いしていた私も、
時空を超えてすっかりと、反省したのです。




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出口


春のお彼岸が過ぎて夏のお盆がやってくる頃、
妹のパートナーが新しい美容院をオープンしました。

それに伴って、
妹は彼との新生活の為に、
バタバタと引っ越していきました。

今年のお正月に、うちでみんなで集まった時、
その話はまだ具体的には決まっていなかったけれど、
本当はみんなの霊域ではこの話は既に決まっていて、
誰も口には出さなかったけれど、
あの集まりは、妹夫婦の新しい旅立ちを祝う為のものだったのだと気付きました。

私も月に一度のベースで新しいお店に呼ばれることになり、
そこで人生相談の仕事をさせてもらうことになりました。

その初仕事の日が夏の暑い日にやってきて、
私はスカイツリーを目指して首都高に乗り、
新しい『職場』に向かって車を運転したのです。

車を飛ばしながらいろんな想いが湧き上がりました。

ちょうど今から二年前、
師匠が『私も新しい場所に移って自分の夢を果たさなければならない、
そうしないと私の人生もあと二十年くらいなんです、
瑠史さんの観音院も二年後にはしっかりと形になっていると思いますし、
私達は離れながらもみんなで同じ仕事をしていくのですよ』と、
私に言ってくれたことを思い出しました。

うちが新しい場所に引っ越すわけでもなし、
自宅に見えるお客様の数がどっと増えるわけでもなく、
二年後に観音院が完成するとはどういった意味なのかと思っていたものの、
ひとつは妹の新しい職場が私の新しい職場となり、
もうひとつは、インターネットでの相談件数が、
仕事の追いつかないくらいに盛り上がり、
毎日私はどなたかの相談に答えるという日々を、送るようになったのです。

どちらも、私自身の想像していた『かんのんいん』とは違い、
ひとつはインターネットという場所を持たない空間で、
もうひとつもやはり、妹の職場という、
物質的には私の持ち物ではない場所という、
仏様の用意してくれた不思議な『空間』だったのでした。

そして二年前に妹が流産した時のことも思い出しました。
あの時師匠は、
『妹さんに、決心させる為にやってきた赤ちゃん』だったのだと、
ただ、繰り返して私に言ったのです。

その決心とはこのことだったんだと思いました。

新しいお店を開いたパートナーと一緒に、
それから毎日それを手伝いながら、
お店の中にミシンも置いて、自分の仕事も頑張っている妹を見て、
二年前にはモヤモヤとした『未来像』としてしか存在していなかったこの生活を、
あのときに妹は『現実に降ろそう』と決心したのだと思いました。

全ては無意識に動いているのだと思いました。

私達はみんな、自分の未来に進む為に、
毎日毎日無意識的に、小さな選択と小さな決心を繰り返しているのだと思いました。

私がタロットカードの恩師の最後のセッションを受けた時にも、
『これまで人の手を借りてここまで来れたのだから、
面倒でも今度はあなたがみんなに手を貸していかないと。
みんな出口がどこだかわからずにずっとぐるぐる回ってるけど、
あなたはもう、出口がどこだか知ってるんだから』と言われて、
それでもどうしても立ち上がる気持ちになれず、
セッションの最後に恩師から、
『じゃあ子供が三歳になったら本格的に始めれば?
それまでは適当に、休みながらでもいいと思うよ』と言われて、
ホッとして帰ってきたのを覚えているのですが、
この秋でその次男が三歳の誕生日を迎えることを思うと、
『絶妙にみんなかつながっているんだな』と感心せずにはいられないのです。

あのセッションの日に私は、
子供が三歳になるまでの間、なんにも仕事しないでのんびり過ごそう、
育児だけを楽しみながら、一回すべてを休みたいと思い、
とりあえず、ずっと続けてきた刺繍の仕事を断り、
布小物を委託させて貰っていた委託先を二軒ほど打ち切り、
子供との時間を過ごすことにだけ集中していたのでした。

『期限が切れたのか』と思いました。

それも、妹のパートナーが突然新しい店を開くという形で、
追い立てられるように、私と妹は行動開始することになったのです。

妹の店に向かいながら、
私が小学生の頃に妹を連れて、
家の屋根に登って遊んでいた日々のことを思い出しました。

父親がある日突然無職になり、
それから母が父を軽蔑し始めて、
私が小学校5年生の時に、母は外で働き始めました。
夏休みの間は、その時四歳だった妹の面倒を任されて、
妹が保育園に行かない日には、家の中で妹と二人きり、
親のいない時間が、寂しさよりもむしろ、
親の罵声を聞かなくて済む自由な時間だとさえ感じていました。

親がいなくなるとタンスの上によじ登り、
妹の手を引っ張って、妹もタンスの上まで引き上げました。
それから、小さな欄間の窓からスルリと外に出て、
まずはテラスに足をかけ、妹の手を引っ張り上げて、
二人で屋根の上によじ登り、
屋根の上で仰向けに寝転がって空を見たのです。

4歳の妹と11歳の私が、
流れる雲を目で追いながら、あの日二人で描いていた夢が、
形になったところに今いるのだろうと思いました。

ふいに自殺してしまうのではないかと、
ずっと心配し続けてきた妹が、明るい笑顔で仕事している姿を見て、
目には見えない仏様の恩恵を強く感じましたが、
私はこれまで妹の暗い姿に自分を映し出して見ていただけに過ぎなかったのだということにもまた、同時に気付いたのです。

これからまた新しく出逢う方達に私は、
地獄から通じる極楽への道を案内したいと思いました。

私は、出口がどこにあるのか、知っているのです。









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お彼岸の墓参りを済ませると、
二歳半になった次男が、
『三年経った!』とことあるごとに口癖のように呟くようになりました。

外を散歩している時にも、
家の中で積み木を並べて遊んでいる時にも、
『三年経った!』と言いながら遊ぶ次男を見て、
『それ、何なの?一体何から三年経ったのよ?』と、
娘も笑いながらそのたびにツッコミを入れるので、
私も一緒に笑っていたのですが、確かに一体どこで覚えた言葉なのか、
その一言に大事なメッセージが込められているような気もして、
聞き流す気持ちにもなれずにいたのでした。

すると、ある晩に夢を見たのです。

夢の中で私が、母の実家である本家の居間で、
なぜか一人で留守番をしているところからストーリーは始まりました。
そこへ、実家の隣家の、例の従兄弟がやってきて、
祖父と祖母の仏壇に一万円を供えて手を合わせました。

『ここから出ていくことになったから、
最後に手を合わせに来たんだ』と従兄弟は言いました。

一万円も仏壇に供えるなんて、
この子には昔からこういう優しさがあるんだよね、
やっぱりこの子は悪人にはなりきれないところがあるから、
などと心の中で思いながら、
私はなぜか本家の台所の炊飯器から、茶碗にご飯を盛っていました。

次の瞬間、私は実家の、観音様のお祀りしてある部屋の中にいて、
そこへ、今度は隣家の伯父(従兄弟の父親)がやってきました。
伯父は、息子がついに家を出て行ってしまうと、
慌てて私にそれを相談に来たのです。

『でもね伯父さん、大人なんだから家を出て当たり前なんだよ、
引き止めたりしたら、いつまでもお互い自由になれないでしょ』
と私は、本家の炊飯器から盛ったご飯を片手に持ったまま、
伯父を諭しました。

そこで目が覚めて、私はあることに気がつきました。

『三年経った』とは、私自身が出家得度して丸三年が過ぎたのと同時に、
隣家の従兄弟が中学生の時に、イジメによってなくした例の友人を、
師匠のお寺で供養し始めてから、ちょうど三年が過ぎたのでした。

もしかしたら、その供養によって、
隣家の従兄弟が何らかの呪縛から解かれて、
動けるようになったというお知らせの夢だったのかもしれないと思いました。

今年40歳になる従兄弟にとって、
その事件が起きてから25年の月日が過ぎようとしているのです。

辻褄の合わない夢の内容と、
本家の炊飯器から盛った白いご飯の生々しさを思い出しながら私は、
師匠のお寺から届いた、施餓鬼会の供養の申込書を広げてみました。

七月の施餓鬼会、
八月の地蔵盆、そして九月のお彼岸と、
一年のうちで一番、あの世との交信の深まる季節が、
今年もまたやってきたのです。

本家の炊飯器でご飯を盛ったということは、
母方の先祖の施餓鬼は今年も必要なのだということと、理解しました。

また、隣家の従兄弟の問題も、
夢の中では解決に向かっていたものの、
今年ももう一度、亡くなられた生徒さんの名前を書いて、
供養を申し込むことにしました。

それから、私のところへ相談に見える方がたくさん増えましたので、
その、皆様に向けて、
有縁無縁三界萬霊に向けて、ご供養を申し込みました。

一文字一文字に、想いを込めて書きながら、
今年の夏に、妹がパートナーといよいよ新しい生き方を決心して、
お店を開店することになったことに、思いを馳せました。

妹の流産からはこの夏で二年が過ぎるのですが、
それと、従兄弟のことと、未浄化の先祖霊のことと、
すべてがひとつにつながっているように感じたのです。

二年前に妹の自宅にお地蔵様がやってきて、
その後妹は妊娠して流産してしまったのですが、
『妹さんに決心させる為にやってきた赤ちゃんだった』と、
あの時、師匠は何度も私に言ったのです。

全部がバラバラの、それぞれの出来事のように思えていたけれど、
本当は、全部が繋がっている、一つの出来事からの分岐に過ぎないのではないかと、
そんな風に思いながら供養の申込みを書きました。

先祖供養という、漠然とした、
よくわからない『行』をこれまで続けてきましたが、
それは多分、『結果』を変えるための『原因』に手を付ける、
根本的な治療のようなことだったのではないかと、
自分や周りの変化を見て、感じるようになったのです。

原因があって結果に繋がる、
原因があってまた結果に繋がるという、
因果の法則の中を、前後の鎖をひとつずつ結びながら、
自分は生かされてきたのだと感じて、

自分だけが幸せになるということは、
その法則のことを考えると決して有り得ないことで、
このように、幸せになるときには、
とても広い範囲に飛び火して、
縁のある人全員で、一緒に幸せになるようにできているのだと、
確信したのです。



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カラス


母との距離を置いて、
自分自身に『合掌』のできる気持ちに変わると、
また展示会の話が舞い込み、
毎日毎日、出店する作品造りの作業に追われました。

自宅に見える相談者の新規の方が増えたり、
インターネットでのメール相談に至っては、
毎日のように仕事が入り、
二歳児の世話をしながらミシンに向かい、
子供の昼寝の時間にはメール相談に答えるという、
忙しい日々を送りました。

忙しい私に向かって、
娘が『すごく怖い夢を見た』と言ったのは、三月の初めの頃のことでした。

『夢の中でバイト先の本屋のレジに立っていたら、
花を届けてほしいというお客さんがやってきたので、
花?どこにですか?と訪ねたら、
畑に決まってるでしょ!と怒鳴られて目が覚めたの。
すごく気味が悪かった。』
と言ったのです。

畑に花を届けるというその夢の内容を聞き、
真っ先に浮かんだのは、
実家の向かいにある、本家の畑のイメージでした。

そういえばもうすぐお彼岸だなと思いつつ、
一瞬ゾッとしたものの、
忙しい日々の中でそれを無視して働いていると、
今度は妹から電話がかかってきて、

『すごく怖い夢を見たよ、
夢の中で、電話でうちに大量のまんじゅうと焼き鳥の注文が入って、
お地蔵様の仏壇に紙包みが置いてあったから、
なんだろうと思って裏を見たの。
そしたらお墓の絵が描いてあって。
お墓の絵を見てゾッとして、
しかもその紙包みを開けたら、中からお線香が出てきて。
そこで目が覚めたの。
ね、お彼岸最後の日だけど、今日お墓参りに行かない?』

と、墓参りに誘われたのです。

「絶対、まんじゅう買ってこいってことなんだよ」

と妹が言い、

『花も注文入ったみたいだから』と私も言い、
お花とお饅頭、そしてお線香を持って、
本家のお墓に向かいました。

「でも、焼鳥も一本注文入ったんだよなぁ。
焼き鳥はどうする?」

と妹に訊かれたものの、
わざわざ焼き鳥を買う為に、
スーパーマーケットに寄る事を面倒に思った私は、

「焼き鳥は諦めてもらおう。
お饅頭だけでいいでしょ」と答えると、
妹も頷いたので、お饅頭やさんの前から車を発進しました。

すると、ガガッと音がして、
私達を乗せた妹の車が、縁石に擦り上げてしまったのです。

「うわぁ、焼き鳥買わないって言ったからだ、
祟りだ、先祖の人が、焼き鳥注文した人が怒ったんだぁ!」

と慌てる妹をなだめつつ、お墓に向かいました。

墓場に着くと、誰もいないのにざわざわとしていて、
連れてきた愛犬が車から飛び降りて、
そこら中に吠え立てながら走り回りました。

人がいなければ決して吠えないうちの犬を見て、
「…誰に吠えてるの…?」と妹も訝しがりながらも、
水を汲み、まずは本家の墓石の前に立ちました。

本家の墓前に花と線香を手向けて手を合わせ、
まんじゅうを備えると、
今度は実家の隣家の伯母の、
例の、死産した水子の墓前へと移動しました。

墓石に掘られた、子供の命日を見た妹が、
「昭和48年12月」と声に出して読み上げ、
「あれ?お姉ちゃんの誕生日は?」と尋ねてきたので、
「昭和46年12月」と答えました。

「そうなんだ、同じ月だったんだね。
それは、お姉ちゃんの誕生日が来るたびに、
伯母さんにとってはこの悲しい出来事を思い出す月でしかなかったのに、
お姉ちゃんが三歳になれば、生きていたら一歳、
生きていたら二歳と数えながら…
うちのお母さんを恨んだんだね。あとお姉ちゃんのことも。」

と言いました。

更にいうなら、妹の誕生日もまた12月なのです。

妹が誕生した時には、
この子は亡くなってちょうど五年目、
五年目の同じ12月に、伯母にとっては義妹にあたる母が、
隣家で子供を産んだのですから、
今現在、母と伯母が隣同士に住みながらこの上なく憎み合っている原因は、
ひとつずつ少しずつ、積み重ねられてきたのに違いないと思いました。

この子供はただ死んだだけなのではなく、
祖母が毎朝早朝から伯母の家に通い詰め、
『この家と土地をくれてやったのはこのオレだ』と恩着せがましく押し付けて、
伯母は『おばあちゃんのストレスでお腹の子供は死んだ』と言っていたのです。

そして死産した子供を伯母に内緒のまま、
祖母は勝手に墓を掘り返して赤ん坊を埋め、
伯母は死産だったことも知らされないまま、
なぜ赤ちゃんの顔を見せてもらえないのかと不思議に思いながら、
入院生活を続けたのです。

「それに対してお母さんといえば、
おばあちゃんが勝手にやったのよ、
私は知らない、私には関係ないわよ、なんなのよ?!
って食ってかかってくるばっかりで、
とにかく関係ないの一点張りだったんだよ」

と私は墓前で妹に答えました。

「お母さんならそう言うね、
おばさんにしてみればお前ら母娘だろ、
連帯責任だぐらいに思ってるのにね。
お姉ちゃんもついでに恨まれたに違いないね」と妹は答え、
私たちは墓前で深くお辞儀をしながら手を合わせたのです。

『全ては因果の法則通りに起きたことなのだ』と思いながら、
次に、本家のまた上の本家の墓前へと移動しました。

そこは、母たち兄妹が分け与えられた土地の、
大元を所有していた、祖父の両親、その兄弟たちの墓で、
大きな敷地にはいくつもの墓石が建てられ、
お地蔵様も祀られていました。

本家の墓と水子の墓とは雰囲気がガラリと変わり、
その墓前はざわざわと賑わっているように感じました。

「ここにみんな集まってる」と感じた私は、
妹と二人で、墓前で般若心経を読みました。

目を閉じると、古い大きな家の居間に大勢の先祖たちが集まっていて、
ちゃぶ台の上には大量のまんじゅうとお茶が置いてあり、
爺さん婆さんおじさんおばさん、その周りにはパタパタと、
子どもたちが走り回ってる様子が浮かびました。
みんな飢えていて、まんじゅうとお茶をガツガツと飲み食いしながら、
私と妹の読経に耳を傾けていました。

『死んだら仏様になるというのは嘘なんだ、
生きているときと同じ、その延長に死後の世界は続いてる、
次元が移動するだけで、この人たちは生きていたときとあまり変わっていない』

と感じながら、読経しました。

全てをすっかりと終え、
妹が『本家のお墓に備えたお饅頭回収してくるから先に行ってて!』と言うので、
息子と犬と、先に車に戻っていると、
妹が、『お姉ちゃん、怖いよぉ!』と言いながら走ってきたのです。

「お饅頭がひとつもなかった、一つも残ってなかったの、
全部食われた!」

と妹が言うので、「なに?!先祖に?!」
と驚いて答えると、

「いや、カラスに。」

と妹が答えたので、
「なんだ、カラスか」と笑ったものの、

飢えた先祖たちがカラスに姿を借りて一斉に饅頭に群がる様子を、
妹と私は言葉もなく、否応なしにリアルに想像してしまったのです。

頭上にはカラスが飛び回り、
人っ子一人いない墓場には、
夕闇が迫ろうとしていました。

ふいに、「水子を掘り返すために、
もう一回墓を開けるのは本当に嫌だった」と言った、
本家の伯父の言葉を思い出しました。

「日が傾く前に帰ろう」と退散した車の中で、
「焼き鳥のこともう諦めたかな?」という妹の呟きに笑いながら、
私たちは、お彼岸の大切な仕事を終えたのです。


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合掌


母を観音様に預けると、
母を、どこか遠くの学校のようなところに、
留学させたかのようなイメージを持つことができるようになりました。

母の人生を、自分の人生とは別の人生と、
割り切れるようになりました。

これまでは、
窮屈な一人乗り用のボートに、
母も連れて一緒に乗り込んだ私が、
自分一人で舵を取り、常に不安な思いに苛まれているようなイメージを懐き続けてきたのです。

母は私の苦労など顧みずに、突然感情的になっては、
船の上で暴れて私を巻き込み船ごと沈没させようとしていて、
自分のせいで船が傾いてしまうことにさえ気付かないでいるのだと、
母に対しての不安と憤りを、
私は常に抱えながら生きてきたのです。

母を自分の船から降ろさなければ、
沈没して溺れるのは私だけでなく、
母も同じだったのだと思いました。

迷惑なのは私だけでなく、
母にとっても迷惑な話だったのです。

母を守ろうと思ったり、
必要以上に疎ましいと思ったり、
向けた愛情に答えてくれないことで腹を立てたり、
一人乗り用のボートの上で感情的になり、
船を沈没させようとしていたのは、私も同じだったのだと思いました。

母には母の人生があり、
母を守る存在や、サポートする存在がついていて、
母の人生には母の人生という完成されたシナリオがあって、
それ自体が神秘的で神聖な、宇宙の一部なのだということに気が付きました。

そこに手を加えようとしていた私の行動は、
親切を通り越して、おこがましいというものだったのです。

たとえ母が刃物を持って隣家に突撃して、
乱闘になって、テレビで報道されたとしても、
それも、宇宙の仕組んだシナリオなのですから、
責任を取るべきは私ではなく、創造主にあるのだと思いました。

そして、もし母のことで私が被害にあったとしても、
それは私の人生のシナリオに組まれたことであり、
私の解決しなければならない宿題であり、カルマなのだということなのです。

そんなことを心配して母をコントロールすることばかりを考えるよりは、
私自身の日頃の行いをもっとよく反省し、
自分を成長させることの方がずっと大切だということに気付きました。

母を私の船から降ろし、
母を、一人の人間として尊重せずにいたことを、
イメージの中で反省して謝罪し、
母には、母専用の金色のボートに乗ってもらいました。

私はこれまで母を一度も信頼したことがなく、
母のような厄介者は地下牢のような見えない場所に閉じ込めて、
厄介事を起こさないように、人目に触れないように、
私の人生に迷惑のかからないように、
消してしまいたいとさえ思い続けていたのです。

『あんたは私をバカにしている』と、
母によく言われていたことを思い出しました。

『バカになんてしてないよ』と答えてきた私でしたが、

『バカにしていたんだ』と気がつき、認めました。

私は母をバカにしていたのです。

思えば、母に似た人を見た時も、
その人たちを心の中でバカにし続けてきたことに気が付きました。

バカにしていただけでなく、
自分の支配下に置いてコントロールしようとしていた事にも気が付きました。

母を私の船に乗せていたのも、
私よりもバカな母という女を、
支配下に置いてコントロールしたいと目論んでいたからなのだと思いました。

私は自分の傲慢さに気が付き、
むしろ、その傲慢な考えこそが、
愚かでバカな考えだったのだということにも気が付きました。

人は誰でも全員平等なのだということに、
完全に気付いてしまった今、
もう元には戻れない自分に生まれ変わったことを、
認めるしかなくなってしまったのです。

この世界に優れた人というのは存在せず、
劣った人という者もまた、存在しないのです。

これまでは、そう考えるべき、
という理想論であったその思想が、
単なる理想的な思想でも綺麗事でもなく、
それが宇宙の真実であり、法則なのだということに気が付いたのです。

人ひとりの人生は、
マザーテレサの送ったような人生でも、
ヒトラーのような人の人生でも、
それ自体が、宇宙に浮かぶ一つの星と同じ完成度を持った、
すべてが平等な、神秘的な存在なのだと思いました。

人をバカにしていた私は、
例えて言うなら、何も知らない赤ん坊と同じだったのです。

お寺に通い始めた頃に、
私がお寺でひと通りの愚痴を話し、
お茶をご馳走になり、満腹になって駐車場から車を出すと、
ご住職様も副住職様も兄弟子様も、
皆さんが揃って、
私の車が見えなくなるまで私に向かって手を合わせ、
合掌で見送ってくれたものでした。

その時の私の心境は、
『私のような悪魔みたいな人間に合掌するのはやめてくれ、
イヤミか、お前にも仏がいるんだぞと皆で圧力かけてるつもりか』と、
ご住職様たちの合掌に、
目も合わせることのできない思いで、
アクセルを踏み込むばかりだったのです。

私はついに、全ての人の中に仏様の存在することを、
認める時を迎えたのだと思いました。

私が、母よりも誰よりもバカにしていたのは自分自身のことで、
自分の中に仏様が存在するということを、
どこか信じきれずにいたのです。

出家して、この春で丸三年の月日が流れ、
やっと私も、私自身に合掌を向けてくれたご住職様たちと共に、

自分自身に対して、
手を合わせることができるようになったのだと思ったのです。



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プロフィール

瑠史

Author:瑠史
十一面観音をお祀りして、自宅でかんのんいんを開いています。

第三子を妊娠中に出家得度して尼となり、OSHO禅タロットを使った個人セッションを受け付けています。過去から未来までを見通し、人生を変えたい方のお手伝いを致します。

個人セッションのお申し込みはコチラまでメールにてお願いいたします。
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☆サイト『ココナラ』さんでもメール相談を受け付けています☆

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